
つい、口にしたくなる馬名がある。たとえば、カフジオクタゴン。語呂がとても良い。馬主の冠名カフジに八角形のオクタゴンという、分解してみればいたってシンプルな馬名であるが、私はこの馬名が好きだ。
主に彼はダート中距離戦線で活躍し、主な勝ち鞍はレパードステークスである。そんなカフジオクタゴンの背景を探ると、そこにはメジロ牧場という、日本競馬史に燦然と輝く牧場の名が浮かび上がってくる。
今回はそんな『羊蹄山の末裔』に、焦点を当てていく。

■メジロの名よ、再び響け!
カフジオクタゴンは、メジロ牧場の後継牧場レイクヴィラファームに生を受けた。羊蹄山を仰いで洞爺湖とも接するレイクヴィラファームの立地も、元はメジロ牧場の分場である。そしてカフジオクタゴンの母メジロマリアンは、名前の通りメジロ牧場の生産所有馬である。母の血統を辿るとメジロベイリー、メジロマックイーン、メジロティターンと優駿の名前が次々現れ、初の芦毛の天皇賞馬メジロアサマまでたどり着く。かの血を引き継ぐ時点でずいぶんメジロっ子だが、実はそれだけではない。
彼の父は名種牡馬モーリスであるが、この父もメジロと縁の深い馬である。モーリスの母はメジロフランシスで、彼女の祖先はメジロクインというメジロ牧場の基礎牝馬となった始祖である。メジロクイン系の代表馬はメジロボサツ、メジロファラオやメジロドーベルで、モーリスもその一族にあたる。また、モーリスは戸川牧場の生産馬であるが、代表である戸川洋二氏の父・戸川陽一氏は、メジロ牧場のスタッフとして長らく働いていたそうだ。
こうしてカフジオクタゴンの背景を探れば探るほど、メジロ牧場との縁がわんさか出てきて驚いてしまう。メジロ牧場の血を色濃く受け継ぐ馬は今も数多いが、メジロ牧場が閉場した後にデビューした『ほとんどメジロ』という馬は、カフジオクタゴンくらいではないだろうか、とすら思う。
馬体にもメジロらしさが溢れている。灰がかった芦毛はメジロマックイーンそっくりだ。今となっては古風に見えるがっしりとした大柄な馬体は、メジロ血統が春の天皇賞制覇の為に追求した無尽蔵のスタミナを反映してのものだ。

しかし疑問が一つ浮かぶ。彼の血統は明らかに芝向きだ。天皇賞を目標にした芝血統こそが、メジロ牧場の特徴なのだから。モーリス産駒を見ても芝戦線を選ぶ傾向にあり、初のダート重賞勝利産駒がカフジオクタゴンだったほどだ。
それでもカフジオクタゴンが主戦場に選んだのはダートだった。これはどういうことか。明言された資料はないのだが、おそらく彼はおっとりした気性故に、芝よりダートが向いていたのだろう。まさにカフジオクタゴンは「気が優しくて力持ち」といった性格で、取材記事を読み直してもそのゆるい雰囲気が伝わってくる。血統が芝向きにも関わらずダート挑戦が可能であったのは、性格の他にもメジロ血統のもたらすパワーとスタミナのおかげだったのだろうと、私は思う。

■永い歴史の先にあるもの
カフジオクタゴンがレースに出るたびに、私は応援馬券を買っていた。馬名が好きだからである。
2022年のレパードステークスでも、私は彼を断然本命にしていた。人気は七番人気で競馬新聞でも評価はされていなかったけれども。こういう馬券の買い方は理屈ではない──他人にはおすすめしない買い方ではあるが。
レパードSは中央競馬では珍しい、世代限定のダート重賞である。近年創設された賞であるが、ダートG1を狙う優駿たちのステップアップレースとなりつつある。カフジオクタゴンは当レースに臨むにあたり、なんと香港競馬トップジョッキーのヴィンセント・ホー騎手を鞍上に迎えた。ただ、ホー騎手は「ダートはあまり好きじゃない」とレース前にこぼしていたのだが、そこはご愛敬である。

レースが始まると、明確な逃げ馬が現れない横一線の鍔迫り合いが始まった。先頭に立ったのはヘラルドバローズであったが、逃げを打ったというより自然と先頭に押し出されたという格好だ。馬群はほぼ団子状態のままレースを続けた。
向こう正面でカフジオクタゴンが徐々に順位を上げてゆくのが見えて、私は競馬新聞を握りしめる。後続各馬が距離を詰めて、急角度の第4コーナーを回る。その時、カフジオクタゴンの鋭いコーナリングを見て、こんなパワーがあるのかと驚いたのを覚えている。
直線に入り他馬がパワー不足で脱落してゆく中で、一番人気タイセイドレフォンと伏兵カフジオクタゴンの壮絶なマッチレースが始まった。そして外から、二番人気ハピも突っ込んでくる。けれど私は、彼の勝利を信じて疑わなかった。
──メジロ血統のもたらす豊富なスタミナと加速のパワーが、きっと君を勝利へと導いてくれる。
メジロの名を持つ多くの優駿が、カフジオクタゴンを先導してくれるかのように見えた。
──君が受け継いだ永い歴史は、決して過去の遺物ではない。
メジロ牧場の血統と歴史、そして情熱は今も駆けて天を目指し続ける。使命が尽きぬ限り、その旅路は終わらない。その血の力は、無限だ。
タイセイドレフォンの猛追を振り切って、カフジオクタゴンはレパードステークスを見事に制した。この勝利はレイクヴィラファームにとっては初のダート重賞制覇であった。そして鞍上のホー騎手にとっても、意外な形でのJRA重賞初制覇となった。

私は今後もカフジオクタゴン馬券を必ず買う事を決心した。しかしカフジオクタゴンはその後も重賞戦線に名を連ねるが、掲示板には入るものの馬券には絡まないという、もどかしい戦績を続けた。そして、2024年の暮れには引退。そんなわけで私が保有している馬券ファイルには、カフジオクタゴンの外れ馬券がギチギチに詰まっている。けどそれで良いのだ。なぜなら、馬名が好きだから。
カフジオクタゴンは引退後、京都競馬場で誘導馬として第二の馬生を送ることとなった。目下、リトレーニングの最中だという(2025年8月現在)。見栄えの良い芦毛と優しい性格の持ち主だから、きっと上手く競走馬たちを導いてくれるだろう。
鞍上のホー騎手についても書いておきたい。彼は2025年2月に落馬事故に遭い、首骨折と脳挫傷の重傷を負った。幸いに一命はとりとめたものの、未だリハビリ中という。先月、彼が騎乗トレーニングに復帰できそうだという朗報が届いた。彼が再び晴れ舞台で騎乗できる日を心より願う。
■再び白い花はきっと咲く
メジロ牧場は2011年に閉場した。理由は牧場の火山噴火被害や勝利数の減少など様々あったようだが、このタイミングが丁度良い引き際であったのだろう。二代目オーナー北野ミヤ氏の言い残しとして「牧場は倒産する前に、誰にも負担をかけずに閉鎖できるときに閉鎖しなさい」というものが伝わっている。その意向を忠実に守り、スムースにメジロ牧場を閉めたスタッフの方々は素晴らしい仕事をなされた。経営にしても長編小説にしてもなんにしても、始めるより終わらせる方が何倍も難しいものだから。
…にもかかわらずなのだが、メジロの勝負服がもう見れないのは惜しいとも思ってしまう。幼い頃に私はたまたま、メジロドーベルの秋華賞制覇をテレビで見ている。競馬を趣味にする身内は居ないし、当時の私は競馬そのものをよく知らないので、その番組がテレビ映っていたのはいささか不思議だ。だが、右回りでドーベルがマクって上がってゆくレース運びは間違いなく秋華賞だったろう。
テレビ越しに見たメジロドーベルの美しい鹿毛の馬体は、今でも私の記憶の片隅に焼き付いている。気高く逞しいメジロの馬体と『白、緑一本輪、緑袖』の勝負服を、この眼で見れたことは幸運だった。
荒唐無稽な夢であるのは承知だが、メジロの勝負服を青いターフでもう一度見てみたいものだ。私はつい願ってしまう。いつか春の新緑に白い花が再び咲くことを。
そんな私の無謀な夢は脇に置いておいて。今後もメジロ牧場が残した血統が、名馬たちへ受け継がれていくのは間違いない。天皇賞を目指し、独自の道を切り開いた偉大なパイオニア・北野豊吉氏の夢は、時を越えて繋がってゆくはずだ。
レパードステークスと聞くと、大好きだった馬名を条件反射で思い出してしまう私である。
受け継いだ血統とその情熱を背に、ダートを走り抜けた心やさしき勇者。メジロの栄光を体現せし逞しい芦毛の馬体。
その優駿の名は、カフジオクタゴン。
羊蹄山の麓で育まれる偉大な物語は、きっとこれからも続いてゆく。

写真:かずぅん