その馬の強さに世間が気がつくまで、多くの時を要した。
だがその馬は、やがて絶対的王者と呼ばれるほどの存在に成長する。
キタサンブラック。
雄大な馬体を輝かせる、稀代の名馬。
キタサンブラックが初めて1番人気に支持されたのは、デビュー12戦目の京都大賞典。
かつての3歳戦は遠い昔に感じられる、4歳秋の頃であった。
その時彼は、既にG1で2勝をあげている超実績馬となっていた。
キタサンブラックのデビューは年明け、3歳の1月だった。
馬体重は510kgと、既に風格はあったものの、決して注目を集めている馬ではなかった。
父はG1未勝利馬のブラックタイド、母は未出走馬のシュガーハート。決して良血とは言えない新馬という印象だ。
しかし、そこを3番人気ながら快勝。
鞍上は後藤騎手。そして1400勝以上あげた名手・後藤騎手にとって、これが最期の「新馬戦勝利」となる。
続く2戦目は通常の条件戦にもかかわらずサトノラーゼン・ダッシングブレイズ・サンマルティンといった、のちに重賞戦線を沸かせる素質馬が集まっていた。
キタサンブラックの人気は9番人気。単勝48.4倍だった。
まだ──まだ観衆は、キタサンブラックの強さに気が付いていなかった。
結果は、2着馬サトノラーゼンに3馬身差をつけての快勝。
さらに5番人気で迎えた3戦目・スプリングSではリアルスティール・ダノンプラチナといったG1クラスの強豪馬を相手に勝利。
3戦目にして重賞馬となった。ここまで3戦全勝。非常に順調な過程だった。
そして、いよいよ皐月賞。
そこで、運命の出会いがあった。
日本競馬界屈指の良血馬、ドゥラメンテ。
皐月賞、キタサンブラックは4番人気でドゥラメンテは3番人気だった。
日本競馬界で脈々と受け継がれてきた良血の頂点と言っても大袈裟過ぎないほどのエリート・ドゥラメンテと、地味な血統ながら成績を残してクラシックレースに辿り着いたキタサンブラックとは、非常に対称的な存在にうつる。
産まれる前からダービーを視野に入れられるようなドゥラメンテとは異なり、キタサンブラックはデビュー時にクラシックレースへの登録をしておらず、前哨戦勝利をきっかけに追加登録をしていた。
そして、2頭が初めて顔を合わせた皐月賞で、ドゥラメンテは快勝し、晴れてG1馬となった。
対するキタサンブラックは3着。負けはしたものの、ここでも人気よりも上の着順はキープしていた。
ダービーでの再戦が待たれた。
しかし、ダービー当日。キタサンブラックの単勝人気は6番人気(20.7倍)と、皐月賞よりも低い評価に収まっていた。
「やはり良血馬のほうが強いよ」
「母の父がサクラバクシンオーで2400mも走れるワケがない」
「今まで展開が向いていただけで、実力派ではないのでは?」
という評価が、一部で囁かれる。
各陣営・ファンの思惑が巡る中、2015年5月31日を迎えた。
第82回日本ダービー。世代の頂点を決める日。
ドゥラメンテは皐月賞の快走を買われての単勝1.9倍だった。観衆の注目はドゥラメンテに注がれた。
18頭の精鋭たちが睨み合いながら、その日のファンファーレが鳴り響く。
キタサンブラックは、美しいスタートを決めた。
ミュゼエイリアンが逃げる中、作戦通り2番手で最終コーナーに差し掛かる。
あとは後方からの集団を凌ぐだけ──
そう思った最終直線で、キタサンブラックは馬群に沈んだ。
前のミュゼエイリアンすら捉えることは出来ず、なすすべなく追い込み馬たちに飲み込まれていった。
そしてその外側を、別次元の脚でスッと抜き去った馬がいた──ドゥラメンテだった。
2.3秒。
ドゥラメンテとキタサンブラックの差。精鋭たちの繰り広げる極限に近い戦いの中で、恐ろしいほどに重くのしかかる差だった。
その日ドゥラメンテの叩き出したタイムは、キングカメハメハ・ディープインパクトが持つダービーレコードを更新するものであり、3歳春にして歴代の名馬と肩を並べるような快挙であった。
そしてこのダービーは、キタサンブラックが初めて人気を裏切る形にもなったレースであった。
キタサンブラックの3歳春シーズンは「ダービー14着」という成績で幕を閉じた。
時は流れ、3歳秋。
キタサンブラックは6番人気で臨んだセントライト記念を快勝。
その勢いのまま、最後のクラシック・菊花賞に挑むことになる。
立ちはだかるのは、さらなる距離延長という壁だった。
血統について、展開について、さらには数百万という安値だった出自について、揶揄される事もあった。
しかし、蓋を開けてみれば5番人気。
少しずつ、少しずつではあるが、その実力が認められているようだった。
そして迎えた菊花賞の舞台。
しかしその舞台に、二冠馬ドゥラメンテの姿はなかった。ライバルは、ダービー後に判明した骨折による長期休養を余儀なくされていた。
ライバルのいない舞台で負ける訳にはいかない。
キタサンブラックと鞍上・北村宏騎手は今までの好位抜け出しの戦法を捨て、後方からの追い込みに賭けた。
結果は、メンバー最速のあがりでの勝利。
宿敵ドゥラメンテから半年遅れてのG1馬仲間入りとなった。ようやく手にした栄光だった。
キタサンブラックがようやく脚光を浴び始めたのは、この頃からだったと思う。
勝利後にオーナー北島三郎氏が熱唱した事で、話題となったのだ。長年馬主をしてきた北島三郎氏にとっても初のG1勝利であった。さらには歴代菊花賞勝利馬で最重量(530kg)という記録つきと、話題性に事欠かない勝利だった。
その後キタサンブラックは古馬との初対決となる有馬記念で4番人気3着、古馬初戦となる大阪杯で5番人気2着と、安定感のある戦績を残す。その大阪杯では、それから引退までのパートナーとなる武豊騎手と初コンビも組んだ。
才能の開花前夜であると、今では思う。
しかし当時はまだ、話題先行の馬という位置づけから抜け切れていなかった面もあった。
万全の状態で迎えた天皇賞(春)は2番人気。
ハナを主張し3200mを駆け抜けた。
最後は追い込みをかけるカレンミロティックハナ差で抑えて、念願となる2つ目のG1タイトルを手にする。
そして菊花賞・天皇賞(春)というタイトルが、キタサンブラックの評価を血統の呪縛から解放した。
この馬は、長距離も走る。
むしろ長距離でこそ、圧倒的なのかもしれない。
いよいよ、これまでの勝利が偶然ではない事に気が付くファンが増え始める。
その頃、ライバルのドゥラメンテは長期休養から復帰し、復帰戦を勝利。ドバイ遠征では2着に敗れながらも、健在をアピールしていた。
2016年6月26日。
宝塚記念。
キタサンブラックとドゥラメンテ、1年と1ヶ月ぶりの対戦だった。
どちらもG1タイトルは2つ。重賞勝利数ではキタサンブラックが上回っていた。
その中で、1番人気に支持されたのはドゥラメンテだった。
キタサンブラック陣営にとって、ようやくドゥラメンテに借りを返すチャンスだった。
しかし結果は、8番人気マリアライトに差されての、ドゥラメンテ2着・キタサンブラック3着というものだった。またしてもドゥラメンテを抑える事は叶わなかった。
だが、キタサンブラックはハイペースな展開を堂々と粘り込んでの3着であり、むしろ強者としての風格を漂わせる走りを披露した、という見方が強かった。
一方、秋に凱旋門賞の挑戦を目指していたドゥラメンテはこのレースで競走能力を喪失、引退となる。
ライバルの突然の引退。
残されたキタサンブラックの動向に注目が集まっていた。
凱旋門賞か?
国内専念か?
気がつけば、ドゥラメンテの引退とともに、キタサンブラックは国内最強牡馬の座へと押し上げられていた。
4歳の秋、陣営の選んだ舞台は京都大賞典だった。
単勝1.8倍、初の1番人気だった。
ついに主役として、狙われる立場としてのレースを迎えることになったのだ。
そこをしっかりと勝利した事で、次走のジャパンカップでも1番人気という栄誉を掴み取る。王者・キタサンブラック、という言葉が大げさではなくなり始めていた。
周囲の視線も、話題性の馬というものから、彼に王者たる走りを期待するものへと変わっていく。
ジャパンカップではハナを奪うと、好位でプレッシャーをかけてきた同世代の良血馬・リアルスティールや有馬記念馬・ゴールドアクターを振り切り、2着に2馬身半差をつけてゴールした。
レース後には再び北島三郎氏の熱唱もあり、この勝利は大きな注目を集めた。
名実共に国内最強として認められたのも、この時期ではないだろうか。
報道でも、掲示板やSNSでのファンからの扱いでも、そうしたことが伺えるようになった。
いよいよ、キタサンブラックは堂々たる王者の風格を纏った。
続く有馬記念では、ファンによる人気投票で2位以下に2万票近い差をつける13万7353票を集めて1位を獲得。
その人気は社会現象になりつつあった。
レースはクビ差の2着だったものの、有馬記念後もオーナーの「まつり」が中山競馬場に響き渡り、キタサンブラックここにありという印象が強まった。
そしてキタサンブラックは、2016年の年度代表馬に選出される。
年度代表馬という、ある種の集大成のようなタイトルを手にしたキタサンブラック。
人気薄だった馬が、ここまでの評価を得るようになったのだ。
しかし、さらなる快進撃がここから始まる。
年が明けて5歳となったキタサンブラックは、G1昇格初年度である大阪杯の初代王者となると、前年同様に天皇賞(春)へと駒を進める。
だが、天皇賞(春)には、ジンクスがあった。
『1番人気の馬は、天皇賞(春)で勝ちきれない』
2000年以降、1番人気で天皇賞(春)を制したのはディープインパクト・テイエムオペラオーの2頭のみ。
オルフェーヴルやナリタトップロード、キズナといった数々の名馬が破れていた。それもそのはずで、3200mもの間、他馬のマークを退けながらトップでゴールするのは至難の技である。前年にキタサンブラックが勝利した際も、1番人気ゴールドアクターは12着だった。
しかもそのレースは、例年以上にタレントが揃った天皇賞(春)だった。
有馬記念勝ち馬のゴールドアクター・サトノダイヤモンド、長距離のスペシャリストであるアルバート、成長著しいシュヴァルグランなど──精鋭たちの中で主役として、キタサンブラックはスタートを切った。
ハイペースで、レースは進む。
大逃げするヤマカツライデンと7馬身以上離れ、キタサンブラックは2番手。
中団の絶好位置にはサトノダイヤモンドらが控える状況になっていた。
前に追いつけない事態も、仕掛けのタイミングを間違えて差し切られる事態も、どちらもあり得る難しい状況だった。
鞍上の武豊騎手は、ここで早めに動く決断をする。
すんなりとキタサンブラックが4コーナーで先頭に立つと、そのまま脚色が衰えることもなく、影を踏ませることなく悠然とゴールを迎えた。
2着馬には1馬身以上の差をつける、完勝だった。
そして、その勝利は更にもうひとつ、キタサンブラックへ勲章をもたらした。
それは、ディープインパクトの持っているレースレコードの更新だ。
ドゥラメンテがダービーで達成した「ディープ超え」の偉業を、2年経ってからキタサンブラックも達成したのだ。
ディープインパクトの血を持たない2頭のサラブレッドが、同じ年に生まれ、互いに違う条件で、伝説を打ち破ったことになる。
激走の疲れもあったのだろうか。
上半期のラストを飾る宝塚記念で、キタサンブラックは9着に惨敗する。
ダービーのあとは安定した戦績を残してきたキタサンブラックの不可解な敗北に、関係者は首をひねった。
この敗北で、兼ねてから視野に入れていた凱旋門賞挑戦も白紙となり、国内最強を証明する戦いに専念する事になる。
秋の古馬G1を3戦して、有馬記念で引退。
しかしこれは、決して楽な決断ではなかった。
2017年の秋は、歴史的な大雨の中での開催となった。
前走の敗北に加えて、最悪の馬場状態。荒れる理由はいくらでもあった。しかしそれでもファンは、キタサンブラックを1番人気に選んだ。
スタート時のトラブルで出遅れたキタサンブラックは、久々に後方からの競馬をすることになる。
最終直線、泥だらけのコース。内が開いたその瞬間に飛び出し、上り最速での勝利を収める。
武豊騎手の安堵と誇らしさの入り混じる表情が、その苦戦を表していた。
続くジャパンカップで3着に破れて、天皇賞(秋)の疲れが懸念されるなか、迎えた有馬記念では、それでも1.9倍の圧倒的1番人気に推されていた。
振り返ると、5歳になってキタサンブラックが走った6戦は全てがG1で、全てが1番人気だった。
様々な過酷な条件を乗り越えながら、多くのライバルを相手に日本競馬界を牽引し続けた名馬の姿が、中山競馬場にあった。
今の日本競馬界は、王道を突き進む馬が少ない。
目標としたいレースから逆算して、狙いすました上で出走レースを決めていく馬が増えている。
それも一つの戦い方で、決して否定されるべきものではないだろう。
ただ、キタサンブラックは、ただひたすら王道を歩み続けた。
540kg。
出走馬中、最重量。デビューより30kgの増量。それも頷ける、雄々しい姿。歴戦の猛者という言葉が似合う。
その姿は王者のそれだった。
有馬記念のファンファーレが鳴る。
名馬のラストランに鞍上が選んだのは、先頭を走り続けるというものだった。
ペースを慎重にコントロールしながら、鞍上は最終コーナーを待った。
後方からは追込勢が、今日の主役を目指してポジションをあげてくる。
そしてラスト、後続をギリギリまで引き付けて、キタサンブラックは現役最後のスパートに入った。
2着との差は、1.1/2馬身。
3歳で3着、4歳で2着と敗れていた有馬記念を、5歳で制した瞬間だった。
世間がキタサンブラックを知った時、既に彼は強かった。
しかし、キタサンブラックは最初から最強馬というわけではなかった。
宿敵でありエリートであるドゥラメンテには1度も先着出来なかった。
1番人気に支持されるまでデビューから1年と10ヶ月もの時がかかった。
海外遠征を前に敗れ、そのプランは白紙になった。
血統で距離の限界を囁かれることもあった。
それでもキタサンブラックは、走り続けた。
走り続けて、栄光を手にした。
キタサンブラックの手にしたJRA・G1のタイトルは7つ。
歴代最多タイの記録だ。
同様の記録保持馬にはディープインパクトやシンボリルドルフといった名馬が名を連ねる。
さらには歴代賞金王の座も射止めた。
『無事是名馬』という言葉が思い浮かぶ。
まさにラストランの有馬記念は記録尽くしの勝利だった。
そして、記憶にも残る勝利である。
2017年の漢字は「北」。
キタサンブラックの活躍も一因だと言う。
世間から一年間ものあいだ注目をされ続け、その注目を受け止め続けられたという度量、これがキタサンブラックの強みの1つなのだろう。
有馬記念のあとに、北島三郎氏の歌声が中山競馬場を包んだ。
大御所の歌と涙のなか、引退式を執り行う──このような有馬記念は、またとないだろう。
引退したキタサンブラックは、社台スタリオンでの種牡馬入りが決まっている。
そこでは、1年早く種牡馬となったドゥラメンテが、先輩として待っている。
写真:ウマフリ写真班