復活ではなく進化 - 2017年東京盃覇者、キタサンミカヅキ

東京盃は1967年にスタートした伝統の短距離重賞。創設された当時の日本競馬はまだまだ長距離志向が強く、地方競馬では全国初の短距離重賞だったともいわれる。60年近くが経った現在ではJpnIIに格付け、“Road to JBC”にも指定されており、JBCスプリントを見据えた各馬が覇を競うレースとなっている。

長い歴史のある一戦だからこそ、当然勝ち馬にも名馬が連なる。古くは1974年にアラブの魔女と呼ばれたイナリトウザイが勝利し、1980年には後々30年以上もレコードを守る快速馬カオルダケが制覇。1995年に中央競馬との交流重賞になって以後も、ベラミロード、フジノウェーブ、スーニなど中央、地方の所属を問わず、数々の快速馬が白星を挙げてきた。

今回取り上げるのは2017年、2018年に同競走を連覇したキタサンミカヅキ。東京盃で原稿を書くにあたってどの馬、どのレースにフォーカスするか悩んだ。前述の通り歴史が有る一方で、あくまでもJBCにつながる“前哨戦”という意味合いが濃いレースだから、当レースで印象的な勝利……というと正直結構、難しい。「サクラハイスピードの連覇? ドリームバレンチノの9歳V?」などと、いろいろ考えたが、キタサンミカヅキは“東京盃”がひとつキーポイントになったと感じたこと、加えてすごく強烈な印象が残っている馬なので、今回のテーマにさせていただく。

キタサンミカヅキは父キングヘイロー、母キタサンジュエリー、母の父サクラバクシンオーという血統の牡馬。近親には2001年のニュージーランドトロフィーを勝ったキタサンチャンネル、同年のファンタジーステークスを制したキタサンヒボタンなどがおり、お馴染み北島三郎オーナー(名義は(有)大野商事)にとって、ゆかり深い血統といえよう。

デビューは2013年3月の中山ダート1200m戦。武士沢友治騎手を背に6番人気で迎えた初陣だったが、道中14、13番手というほぼ最後方の位置取りから、上がり最速で追い込んで2着となる。そこから中2週で挑んだ同舞台では、再び鋭い決め手を披露して初白星。その後も関東圏のダート短距離戦を主戦場にしながら好走を続け、2016年1月の初春ステークスで1着となりオープン昇級を果たす。デビューから32戦目だった。

その後、同年の京葉ステークスを勝利したが、以降はさっぱり。2017年6月の天保山ステークスまで7戦したが、1着はおろか5着が最高着順。かつての強烈な末脚は鳴りをひそめてしまっていた。そこで心機一転、船橋の佐藤賢二厩舎に本拠地を移すことになる。この選択が本馬の運命を大きく変えることになった。

佐藤賢二調教師といえば南関東四冠を達成したトーシンブリザード、南関東牝馬三冠を達成したチャームアスリープなどをはじめ、数々の名馬を管理した地方きっての名伯楽。とはいえ、キタサンミカヅキはすでに7歳の夏を迎えていたし、近走成績はお世辞にも良いとはいえない。転入初戦のアフター5スター賞で受けた8番人気・単勝33.5倍という評価は致し方なかったと思う。

だが、結果は1.1/4馬身差をつける完勝。逃げたゴーディが2着に粘る前残りの流れを、上がり最速の末脚でねじ伏せて初タイトルを獲得したのだ。中団から後方の8、9番手あたりを追走し、直線では馬場の中央を鋭伸。強かった頃のキタサンミカヅキの爆発力が、見事に復活したのだった。ただ、筆者を含め「復活」を信じきれていなかったのは事実ではないか。転入初戦の7歳馬にやられるのか──。正直、頭の中では“復活”とは思わず、大変失礼ではあるが「なぜ南関馬が転入初戦の馬に負けたのか」「中央の壁はそれほど高いものなのか」といったことばかり考えていた。

優先出走権をつかんだキタサンミカヅキは、続いて東京盃に出走。ダートグレード競走とあって、当然アフター5スター賞より格段に相手は強くなる。中央馬5頭、地方馬14頭が出走したが、9番人気までが20倍以内にひしめく大混戦かつ豪華メンバーの競演。そんな中でミカヅキは7番人気の単勝17.6倍に支持された。中央時の実績を考えればむしろ人気を集めたほうではないだろうか。前走の勝ちっぷりは鮮やかだったが、たかが一戦。たかが重賞一つ。中央時代の実績を考えれば、まだまだ信用しきれない……。まだそんな印象だった。

レースは、先行すると目されていたナックビーナスがゲートで遅れ後方からとなり、内枠からシゲルカガがハナを叩く。コーリンベリー、トウケイタイガーも追っていったが、競り合いにはならずペースは落ち着いた。前半の600mが35.2というのは大井1200mの交流重賞としては異例の超スローペースと言ってもいい。ある程度の有力どころが10頭近く一団となって道中は運び、直線では横に広がっての末脚比べ。前半が落ち着いたこともあって、瞬発力勝負の様相となる。

内ラチ沿いを狙うニシケンモノノフに、外から一気に飲み込まんと、中央のドリームバレンチノや、浦和のブルドッグボスも脚を伸ばす。さらには粘る兵庫のトウケイタイガー、中央のショコラブラン。激しい、激しい追い比べとなったが、ブルドッグボスが抜け出さんとした一瞬の間。外から一気につかまえたのが、キタサンミカヅキの豪脚であった。スローペースを道中10番手から上がり最速36.3の末脚でなで斬り。中央のオープンでくすぶっていた馬が、JpnIIのタイトルを獲得したのだ。名フレーズを借りるなら「これはもうフロックではない」。筆者も確信した。これは復活ではない。進化だと。

キタサンミカヅキは7歳夏に佐藤賢二調教師と出会ったことでもう一段、上のステージに昇ったのだ。環境の変化、出会い、適性すべてがマッチし、ようやく素質が開花。一気に地方競馬の期待を背負って立つ、トップホースへと上り詰めた瞬間だった。 

その後、同年のJBCスプリントは5着だったものの、2018年には東京盃を連覇。京都で行われたJBCスプリントで3着に入り、中山で年末に開催されたカペラステークスでも58kgを背負って3着と、いわば“古巣”でも結果を残した。NARグランプリ年度代表馬、4歳以上最優秀牡馬、最優秀短距離馬を獲得し、地方競馬史に残る名馬に昇華。9歳夏のアフター5スター賞1着を最後に現役を退き、2023年現在では種牡馬として活躍中している。同年5月3日には産駒のキタサンヒコボシが初白星を挙げ、デビュー予定の37種牡馬の中で一番星となった。

さて、話を完結させなければいけない。2017年の東京盃は、キタサンミカヅキにとって転換点になったと考えている。とあるスポーツ選手の言葉を借りるなら「自信から確信に変わった」とでもいうべきか。筆者も同競走を見ていて、地方と中央のレベル差で勝ったわけでも、復活したわけでもなく、進化したという「確信」に変わったレースだった。所用で現地に行けずスマートフォンの画面で見ていたあの日。ブルドッグボスを一気に差し切るキタサンミカヅキの姿は、6年がたった今でも鮮明に記憶している。

写真:かぼす

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