栗毛の快速娘、全国を制す 09年全日本2歳優駿覇者ラブミーチャンの蹄跡

笠松から全国区へ飛躍した名牝、ラブミーチャン。引退後は繁殖牝馬として過ごしていたが、24年8月31日に17歳で息を引き取った。生涯で重賞16勝、うちダートグレード競走を5勝。素晴らしい成績だが、とりわけ2歳時の勢いと活躍は目覚ましいものがあった。

もとは中央競馬からコパノハニーの名前でデビューを目指していたが叶わず、ラブミーチャンと改名のうえ、地方からの再スタート。800mの新馬戦を4馬身差で圧勝すると、続くジュニアクラウンを3馬身差で制して早くも初タイトルを獲得する。3戦目には“古巣”JRAの舞台に挑戦し、京都ダ1200mの2歳500万下で勝利を挙げた。勝ち時計の1分11秒0は24年にアメリカンステージが更新するまで、実に15年間も破られることのないレコードタイム。さらに兵庫ジュニアグランプリでも並みいる強豪を寄せ付けず、ダートグレード競走も初挑戦で白星を飾る。

向かうところ、まさに敵なし。突如として現れた怪物牝馬の走りにファンや関係者は夢を見た。

そんなラブミーチャンが一年の締めくくりに選んだのは全日本2歳優駿。全国から猛者が集うダートの2歳チャンプ決定戦だった。

いくら勢いがあるとはいえ、地方馬がGI/JpnIタイトルを手にするのは簡単なことではない。97年のダートグレード導入以降、年間に1つか、2つがせいぜいであった。いくら名馬、名手の里とうたわれた笠松競馬も、00年代に入ると苦戦することが増えた。悲願のタイトルなるか。注目の挑戦。果たしてどこまで通用するのだろうか――。

北海道2歳優駿を勝ったホッカイドウ競馬のビッグバンに続き、2番人気に支持された一戦。好ダッシュを利かせてハナを奪うと、後続を2、3馬身離してたんたんとしたペースを刻む。

3、4コーナー中間でJRAのアースサウンドが仕掛けてきたものの、濱口騎手とラブミーチャンは動じない。まだまだたっぷりと余力があった。3番手以下を引き離し、マッチレースに持ち込んでいく。だが、2頭の競り合いも残り100mまで。「ラブミーチャン突き放した!」とアナウンサーは興奮気味に様子を伝え、栗毛の馬体が躍動する。1馬身半差の完勝劇。中央デビュー叶わずという挫折から始まったキャリアだったが、笠松の快速娘は全国の頂点に立った。

2歳馬として初めてNARグランプリ年度代表馬に選出。5戦5勝、JpnIタイトルを含むダートグレード競走2勝、JRAでレコード勝ちと、地方馬離れした成績の数々は、インパクトを残すには十分すぎた。

3歳時以降も活躍は続く。全国の短距離重賞を渡り歩き、中でも名古屋でら馬スプリント、習志野きらっとスプリントを3連覇。11年からスタートした「地方競馬スーパースプリントシリーズ」の盛り上げにひと役買い、また大きくレース価値も高めている。結果的に現役最終年となった6歳時も東京スプリント、クラスターCを制覇。まだまだ走りを見ていたかったが、調教中に骨折を負い、残念ながら現役生活に幕を閉じることとなる。

引退後は繁殖入り。これまで目立った活躍馬は出ていないが、ラブミーボーイが繁殖牝馬、リッキーボーイは種牡馬になっている。彼女は17歳で亡くなったが、今後も血統表で「ラブミーチャン」の文字を見るかもしれない。

その血が末長く続いていくことを願うばかりだ。

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