マツリダゴッホと私〜今日も5,230円の借りを返しに〜

競馬場に通う人には、いろいろな理由があると思うけれども、私は今日もあの日の借りを返しに通っている。

"借り"ができる

2007年の暮れのことだった。WINSに有馬記念の馬券を買いにいくと家人に、ふと気が向いて馬券を頼んだ。「で、どの馬を買うの?」オッズも何もよくわかっていなかった私は、そこで、一番不思議な名前の馬の単勝馬券を100円買ってもらうことにした。その馬の名前は「マツリダゴッホ」と言った。

有馬記念は、母と実家で見ていた。きっとウオッカが勝つと思っていた。
今年のダービーを勝ったすごく強い牝馬だと聞いていたからだ。4コーナーを回ると「マツリダゴッホ」というアナウンサーの声が聞こえた。しかもどんどんトーンが上がってくる。

言葉にならない声が出た。

気づくと母が、私を呆れた目で見ていた。
どうやら100円が5,230円になるらしいと知ると、母はビックリしながら「これで(競馬に)はまらないでね」と言った。

後日、誰もマツリダゴッホが勝つと思っていなかったので、馬主さんさえ会場に来ていなかったことも知った。

──不憫な馬だ。
天邪鬼な私はこの馬を応援することに決めた、なんといっても5,230円の借りがあるのだ。

1人で競馬場へ

それからちょこちょことマツリダゴッホの馬券をWINSで買い、TVで応援する日々が続いた。なんとなくまだ一人で競馬場に行くのは、コワイような気がしていたからだと思う。
GIの日には、家人に頼んで一緒に行ってもらったりした。

はじめて競馬場に一人で行ったのは、2009年の産経オールカマーだった。

(これがその時の写真です。ピンボケ)

コンデジを手に、ウイナーズサークルに走り、笑顔の馬主さん/国枝先生の姿とレイを誇らしげにかけたマツリダゴッホ君を必死に撮った。

その日の収穫は、たまたま1人の女性と話したことだった。

毎週のように1人で競馬場に来ているという。そして結構立派なカメラを持っている。
「そのカメラで撮った写真はどうしているのですか?」と聞くと「何もしません、ただ一人で好きな馬を撮って眺めてはニヤニヤしています」ということだった。
「そうだ、そんな楽しみ方もあるんだ」と思った。

この時以来、1人でも競馬場に行けるようになったのである(あの時の方、ありがとうございます)。

カメラ沼へ

その後、彼は天皇賞(秋)と有馬記念を走り、ターフを去った。
もう競馬場で彼の姿をみることがないのかと思うと、心の中に『馬型の穴』がぽっかりあいた。

その後は馬型の穴を埋めるべく競馬場に行くようになった。
競馬場に行っているうちに、いろいろな馬に会い、それぞれの個性に惹かれ──どんどん、馬が好きになっていった。

そして何より、馬は美しいことに気付いた。

特に東京競馬場のゴール過ぎの芝生席で見ていると、小さく見えていた馬がどんどん大きくなって向かってくる様は、まるで「いのち」そのものがせまってくるようだった。

(2017年11月12日東京11R オーロカップ ディバインコード)

彼らの美しい姿を少しでも、そのままの形で残したくて、はじめて一眼レフカメラと望遠レンズを買った。

SNSに写真をあげ、毎週のように競馬場に通っているうち、フォロワーさんやカメラスポットの周りの方との顔みしりになりおしゃべりをするようになった。

趣味を同じくする人々と会話するのは楽しかったし、なにより今までの勤務先を中心とした狭いコミュニティから離れ、違う世界の人と話すのは新鮮で、仕事のストレスからも解放された。

今となっては、これらの方々は私のかけがえのない「馬友」さんだ。

これもマツリダゴッホ君が繋いでくれた縁で、また彼に借りが増えてしまった。

横断幕を作る

2013年になり『マツリダ君』の産駒がデビューする時期がやってきた。
ディープインパクトなどは沢山の産駒幕が出ているので、マツリダ君の幕も私以外にも誰か作ってくれると思いつつ──勝負服の色に合わせたピンクの布を買いに行った。そして100均のフエルトに綿をつめて縫い付けシャドロールのかわりにした「ゆるい幕」が完成した。

パドックに掲示すると、カッコイイ言葉とかっこいい馬のイラストが躍るなかで、とても異彩を放っていたが、一部で『KY馬』と言われた彼に、ある意味ふさわしい出来栄えだと思った。

(横断幕とマツリダゴッホ産駒のウインマーレライ君)

ある日中山にもっていくとパドック警備員さんから「あ、ゴッホちゃんだ」と言ってもらえて、彼が覚えていてもらえたことがすごくうれしかった。

また、ある日「この幕のファンなんです! 写真撮ってもいいですか」と幕撤収時に、言われたこともある。カップルだったので、幕を2人で持ってもらい携帯で彼らの写真をとってあげた。

そこから横断幕をつくること自体が楽しくなってしまい、次々に好きな馬の幕をゆるく自作している。

この新しい「沼」を見つけてしまったのも、マツリダ君のおかげだ。

みんな誰かの大事な仔

さて、マツリダゴッホの産駒や、パドックで目についたかわいい馬を応援しているうちに、どうしたって勝てない馬が出てくる。いやむしろ勝ち残れる馬の数は圧倒的に少ない。
初めて、馬の一生について競馬歴が長い馬友さんに尋ねたり、ネットで調べたりした。

目の前には、厳しい現実があった。

さらに「種牡馬になれたから/繁殖になれたから、これで安泰」ではないことも知った。

引退馬の件については、デリケートかつ複雑な問題なので、これ以上の言及は避けるが、私に出来ることをできる範囲で持続的に続けていくことが、少しでも助けになればとは思っている。

また、調べていくうちに1頭の馬に数多くの関係者がいてその方々の思いをSNSなどで介して目にする機会も増えた。「みんな誰かのだいじな仔」なのだ。そして無事デビューできて、出走することがどんなに輝かしい瞬間であるかも、知った。

それを知って以来、できるだけ多くの馬の輝く瞬間を撮りたいと思うようになった。

関係者の方から「うちの馬(未勝利馬)の写真を見ることができてうれしかった」とお礼を言われることもあり、これが写真を撮ることのモチベーションにもなっている。

最後に

数多くの新しい世界を私に気付かせてくれ、ご縁をつないでくれたマツリダ君

出会いから10年を超える歳月が過ぎた。その間には私生活でもいろいろあって、時には入院したりしたこともあったけれども「一日も早く競馬場でみんなとあの馬達を応援したい!」という一心で治療を頑張ることもできた。

5,230円の借りは、もはやプライスレスになっているような気がする。

そんなキミもう18歳、そろそろ種牡馬としても引退が見えてきたころである(2021年2月現在)。この先も怪我無く出来れば天寿を全うしてほしいと願っている。
来年は、また会いに行きたいな。こんな執筆の機会をいただいたお礼も直接言いたいからね。

それまでは、競馬場に行って粛々と借りを返すことにするよ。

先日もキミの娘たちの応援に行くことができたよ! しかもGIレースだ。

(2020年12月13日阪神11R 阪神JF ウインアグライアとリンゴアメ)

「でも、たまには産駒からちょっとしたお小遣いをくれても、いいんじゃない?」

と思いながら、今日も粛々と競馬場に通っている。

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