皆さんはセントライト記念についてどんな印象をお持ちでしょうか?
近年では、ダービー馬が出走する傾向のある神戸新聞杯と比べてやや地味なメンバーとなり、どちらかというと菊花賞を目指す関東馬の最終切符という印象が強いかもしれません。
近年の勝ち馬だと2014年~16年のイスラボニータ、キタサンブラック、ディーマジェスティが有名ですが、「17年以降は?」と問われると即答できる競馬ファンはそれほど多くないのかもしれません。2,3着に入って菊花賞への権利を取っても、その後見違えるほどの成長を遂げた馬も少ない印象ですが、中には勝った馬だけではなく、負けた馬もその後成長して重賞を勝つことになる馬ような豊作の年があります。
そのひとつが、2012年のセントライト記念です。
当時のメンバーを見返して、『この馬、セントライト記念を走っていたんだ』と思う馬もいたので何頭か紹介しつつ、その馬のその後を振り返っていきましょう。
魅力的な上位2頭たち
勝ち馬 フェノーメノ
2012年のセントライト記念を勝ったのはフェノーメノ。
その後天皇賞春を連覇することになる名ステイヤーですが、この時点での重賞勝ちは青葉賞のみでした。ダービーでは早め先頭で抜け出したディープブリランテを直線で追いましたがハナ差届かず2着。鞍上の蛯名騎手は僅かの差でダービーを勝てず、結局そのまま騎手を引退することになりました。結果的にではありますが、この時が一番ダービージョッキーに近づいた瞬間と言えるでしょう。
その悔しさを晴らすための秋初戦に選ばれたのがセントライト記念。
レースでは3番手を追走し、直線に入ると抜け出して2着のスカイディグニティに1馬身差をつける完勝でした。同馬はその後、菊花賞ではなく距離適性を考慮して天皇賞秋に出走。仮定の話ですが、菊花賞に出ていればゴールドシップとの対戦になっていました。
以降は、天皇賞春でフェノーメノが2回勝ち、宝塚記念でゴールドシップが勝つことになりますが、もし菊花賞で戦うことになっていればどうなっていたのでしょうか。天皇賞春と同様にフェノーメノが勝つことになったのか、それともゴールドシップが勝っていたのか……そんな想像を膨らませるのも、面白いと思いませんか?
そして忘れてはいけないのが、2012年の天皇賞秋です。レースはシルポートが前半1000M57秒3の大逃げで後続を大きく離して逃げる展開に。フェノーメノは道中4番手から直線で少し外に出して馬場の中ほどを抜けてきましたが、最内を抜けてきたエイシンフラッシュに前に出られ、ゴール前で迫るも惜しくも2着に敗れました。勝ったエイシンフラッシュに騎乗したM・デムーロ騎手は天皇陛下への最敬礼を行い、後世に残る名シーンとなりました。この勝負も、もしフェノーメノが雨で少し荒れた馬場を気にせず、内ラチ沿いを回ってたら──と思う方も少なくなかったでしょう。
その後の活躍は皆さんもご存じですが、勝った天皇賞春よりも2着だったダービーや天皇賞秋の方が強い印象を残したと思うのは私だけでしょうか?
2着 スカイディグニティ
2012年のセントライト記念で、個人的に一番の驚きだったのが2着のスカイディグニティです。
当時は6月に未勝利戦を勝ち、その次のレースで500万下(現1勝クラス)を勝ったものの、次走の1000万下(現2勝クラス)の阿賀野川特別で6着と敗れてからの参戦でほとんど注目されておらず14番人気と低評価。しかしレースでは3~4コーナーで大外を回って伸びてきてフェノーメノに迫りました。届かなかったとはいえ、ダービー2着馬に迫った無名の馬には驚いたファンも多かったことでしょう。
ここで権利を取った同馬は菊花賞に出走。菊花賞でも差し脚を伸ばしてゴールドシップの2着となり、セントライト記念の走りがフロックではないことを証明しました。また、同馬に騎乗したI・メンディザバル騎手はこのレースで4コーナーで脱臼をしながらも馬を追って2着まで導いたというエピソードもありました。
続く有馬記念でも5着と健闘して4歳以降の活躍が期待されましたが屈腱炎で長期休養に入り、その後復帰しましたが屈腱炎が再発して引退。今では珍しくなった『距離が延びて走る遅咲きのステイヤー』に期待するファンも多くいました。活躍した期間は短いですが、強いインパクトを残した馬なのは間違いないでしょう。
多士済々だった下位の馬達
このレースで面白いのは、セントライト記念の後に各馬が別々の進路を進んで存在感を示した点でしょう。
8着のアーデントはOPまで出世することになりますが、インパクトを残したのが2014年のリゲルS。スタートで出遅れながらもその後ハナに立ち、2番手以降を大きく引き離す大逃げ。最後は脚が止まりながらも押し切った派手な競馬を見せました。
しかしそれだけではなく、このレースでは敗れてしまったがその後重賞制覇をする馬が複数いるのです。
6着 エキストラエンド
まず1頭目がエキストラエンド。
長い間この馬は中距離馬と考えられていたようで、セントライト記念の後も2400Mで使われていました。
しかしとある休み明けで使われたのは、マイルの京都金杯。レースではやや出遅れながらも馬群の内から抜け出しての勝利でした。その後もマイルの距離で活躍を続け、重賞で2着が4回、3着が2回と堅実に走り続け、6歳の末の2016年に引退。長くマイル界で頑張り続けました。
ローエングリンの弟という血統面や、母カーリングにちなんだのか、冬のスポーツのカーリングにちなんだ馬名から長く愛された同馬。種牡馬としては産駒が少なかったですが、盛岡の不来方賞を勝つマツリダスティールを輩出。今後は需要が増えていきそうな種牡馬として、現役時同様に堅実に頑張っていきそうです。
7着 クリールカイザー
そしてもう1頭の重賞勝ち馬がクリールカイザー。
同馬はセントライト記念7着の後から長めの距離を使われつつ、じっくりと成長していきます。OPクラスに上がったのは、5歳時の2014年でした。その年の夏からOP競走で戦っていくことになります。
そしてクリールカイザーは、札幌日経OPで4着、オールカマーで3着と好走します。その時期は、所属する相沢厩舎の活躍馬・ヴェルデグリーンが癌で急死した直後。同馬が亡くなったのが8月3日で、クリールカイザーがOPに初出走したのが8月10日の札幌日経OPですから、ある意味では弔い合戦の様相もあったでしょう。
その後クリールカイザーは、ヴェルデグリーンの遺志を継ぐようにもう一段の成長をしていきます。そのハイライトが前年にヴェルデグリーンが勝った2015年のAJCC杯。同レースには前年の有馬記念で3着だったゴールドシップが出走し、断然の1番人気に推されていました。ですが、騎乗する田辺騎手が『ゴールドシップをどう負かすか考えて騎乗した』とレース後にコメントしたように、クリールカイザー陣営は明らかに勝つ意志を持ってこのレースに臨んでいました。
レースではスローペースで逃げると、800M通過地点からゴールまでずっとペースが落ちないロングスパートを決めたクリールカイザー。そのまま、逃げ切り勝ちを収めました。同時に、前年にヴェルデグリーンが勝った思い入れのあるレースで大きな仕事をやってのけたともいえます。ゴールドシップがG2のレースで敗れたのは2013年の京都大賞典(勝ち馬ヒットザターゲット)と2014年の札幌記念(勝ち馬ハープスター)と2015年のAJCC杯だけですから、いかに大きな仕事をしたかが分かります。クリールカイザーは同レース後には目立った活躍を残せませんでしたが、『ゴールドシップを負かした馬』として強烈なインパクトを残しました。
終わりに
いかがだったでしょうか?
2012年のセントライト記念は、レース前であればダービー2着のフェノーメノしか注目馬がいませんでした。
しかし、レースに出走した馬たちがその後も長く現役を続け、各路線で活躍していったことで注目の一戦となりました。たとえ手薄と呼ばれるような年があっても、レース後に各馬がそれぞれの路線で活躍するのは嬉しいものです。
セントライト記念の時期ではまだ、各馬がどんな路線に進んでいくのかは不明です。しかし思わぬ馬が思わぬ活躍を見せてくれるのか楽しみですし、その下地がある馬たちが揃っていると言えるでしょう。
次なるセントライト記念も、出走馬のその後が楽しみでなりません。
写真:Horse Memorys