[スプリンターズS]フラワーパークにアストンマーチャン……。スプリンターズステークスで男勝りのスピードを発揮した快速牝馬たち。

近年は「牝馬が強い時代」といわれ、それが世界的にトレンドとなっている。

日本の競馬も例に漏れず、過去10年(2011年〜2020年)の年度代表馬のうち半分が牝馬。そして、2020年に行なわれた芝の古馬かつ牡・牝混合のGIは、天皇賞・春のフィエールマンを除き、すべて牝馬が勝利した。

もちろん、日本の長きにわたる競馬史を紐解いても、このようなことはなかった。

ただ、短距離のレースに関しては以前から牝馬も強い傾向にある。今週行なわれるスプリンターズSも、そうした傾向は大いに反映された一戦だ。

今回は、過去のスプリンターズSで、有り余るスピードを存分に発揮し、並み居る牡馬たちを撃破した快速牝馬たちを振り返っていきたい。

フラワーパーク

古くは、ダイイチルビーやニシノフラワー、そして2020年の覇者グランアレグリアは、ともに素晴らしい末脚を武器にスプリンターズSを制し、マイルGIとの2階級制覇を達成した。しかし、「快速牝馬」という意味では、フラワーパークの存在を外すことはできない。

デビュー前に二度も骨折する不運に見舞われた同馬。予定より1年も遅れた3歳10月の未勝利戦でデビューしたものの、5番人気で10着という結果に終わってしまう。ここまでの過程を見ただけでは、後の活躍などまるで想像もできないだろう。ところが、中1週で未勝利戦を快勝すると、それも含め年内に3連勝。一気に、準オープン(現・3勝クラス)まで出世を果たす。

翌96年は石清水Sで3着に敗れたものの、うずしおSを勝利してオープンに昇級。続く陽春Sを2着に健闘した後、第1回のシルクロードSで、前年のスプリンターズSを制したヒシアケボノらに快勝し重賞初制覇を飾ると、GIの高松宮杯(現・高松宮記念)もコースレコードで完勝した。

苦難を乗り越えたデビューからわずか7ヶ月弱でGI制覇という、異例のスピード出世を果たしたのだ。

高松宮杯は、これがGI昇格初年度。父のニホンピロウイナーも、84年に第1回のマイルCSを勝ち、その翌年には連覇を果たすなど、父娘で似た境遇を辿ったことは、決して偶然ではないのかもしれない。ただ、父娘制覇を目指した次走の安田記念は9着に敗戦。その後は休養に充てられ、CBC賞2着から挑んだのがスプリンターズSだった。

1番人気に推されたフラワーパークに続いたのは、前年2着のビコーペガサス。続いて、陽春Sと前走のCBC賞でフラワーパークを破った実績があるエイシンワシントンが3番人気に推されていた。

レースは、ヒシアゲボノが出遅れる中、好スタートを切ったエイシンワシントンとフラワーパークが先頭、2番手でレースを進め、終始一騎打ちの展開。対照的に、ビコーペガサスは勝負所で故障したニホンピロスタディの影響を受け、後方に下がってしまう。

そんな後続のアクシデントを尻目に、前の2頭はさらに勢いを増し直線に入ると、3番手以下は早々に振り切られ、坂下からは完全に2頭と二人の世界へ。

中山の急坂を一気に駆け上がり、懸命に逃げ込みを図るエイシンワシントンに対して、春秋スプリントGIの統一を実現するため、懸命に追うフラワーパーク。ゴールが近づくにつれ、その差は1馬身、半馬身、クビと徐々に、しかし確実に詰まる。そして最後の最後、2頭の馬体が完全に合わさったところがゴールだった。

スローで見てもまったく分からないほどの微差。

それもそのはず。結果的には、わずか1センチ差という競馬史に残る究極の着差だったのだ。

それでも、同着ではない限り白黒ついてしまうのが勝負の残酷なところ。10分以上に及ぶ長い写真判定の末、先着していたのはフラワーパークと田原成貴騎手だった。ただ、2着のエイシンワシントンと熊沢重文騎手にも、多くの賛辞が送られたことは言うまでもない。

ところが、2頭はこの後ともに勝利を挙げることはできなかった。フラワーパークは、翌年も現役を続けたものの、6戦して未勝利のまま引退。一方のエイシンワシントンは、次走の淀短距離Sに向けた追い切りで骨折。安楽死も検討されるほどの重傷だったが、懸命の治療が実を結び、種牡馬入りを果たすまでに回復した。

96年のスプリント界を制圧し、JRA賞の最優秀短距離馬と父内国産馬を受賞したフラワーパーク。デビューから204日での古馬GI制覇は史上最速で、エイシンワシントンとの名勝負とともに、まさに記録にも記憶にも残る、快足牝馬の称号に相応しい名馬だった。

アストンマーチャン

あみんの名曲「待つわ」の冒頭よろしく、カワイイ顔をしながらもピッチ走法から繰り出される圧倒的なスピードでライバルを撃破したのが、アストンマーチャンである。

アドマイヤコジーンの初年度産駒にあたる同馬は、半兄のクレスコワンダーを管理していた縁もあって、栗東の石坂正厩舎からデビュー。その舞台は、小倉の芝1200mだった。

そこで、ターフビジョンに映った自身の姿に物見して2着に敗れたものの、中1週で未勝利戦を勝利すると、続く小倉2歳Sも勝利して重賞初制覇。さらに、ファンタジーSでは2着に5馬身差をつけて圧勝する。しかも、勝ちタイムは驚異的なJRAレコード。4戦目の阪神ジュベナイルフィリーズは、圧倒的な1番人気の立場で迎えることとなった。

レースは、得意の先行策からこの週にお披露目となった阪神外回りの長い直線を懸命に粘るも、ゴール寸前で差し切られ2着。しかし、その相手こそ、後に牝馬として64年ぶりにダービーを制すウオッカだったのだ。

アストンマーチャンは、その後、翌年初戦のフィリーズレビューを勝利するも、桜花賞はダイワスカーレットの7着に敗戦。そこから休養を挟み、得意のスプリント戦に戻った北九州記念も6着と敗れ、生涯初の連敗を喫してしまう。そこから続戦で挑んだのが07年のスプリンターズSだった。

人気は、セントウルSを5馬身差で圧勝したサンアディユに集まり、この年の高松宮記念を勝ったスズカフェニックスが2番人気。アストンマーチャンは、それらに続く3番人気だった。

レースは、ローエングリンが好スタートを切ったものの、内からアストンマーチャンが交わして、あっという間に3馬身のリード。非凡なスピードを武器に活躍してきたアストンマーチャンだったが、スタートから逃げたのは意外にもこれが初。折からの雨で、馬場は不良にまで悪化しており、石坂師の「この馬場じゃ内も外も同じだから、出たまま、まっすぐ行ってくれ」という指示が、初コンビを組んだ中舘騎手が持つ思い切りの良さとうまく合致した。

それでも、前半600mは33秒1の超ハイペース。それを無理に追いかける馬はおらず、アストンマーチャンは、常に2馬身のリードをキープ。そのうえ、4コーナーでは早くも後続を引き離しはじめ、直線に向く頃には、その差は4馬身にまで広がっていた。

こうなると、アストンマーチャンの独壇場。独特のピッチ走法で逃げ脚を伸ばすと、さすがに坂上で脚色が鈍り始めたものの、2番手のアイルラヴァゲインも脚色は同じ。そこにようやくサンアディユが追い込んできたものの、時すでに遅く、アストンマーチャンが逃げ切りに成功。見事、GI馬の称号を手にしたのだった。

3歳牝馬の優勝は、ニシノフラワー以来15年ぶり。中舘騎手にとっても、あのヒシアマゾン以来、13年ぶりのGI制覇となった。

ところが、突如悲劇が訪れる。

アストンマーチャンは、次走のスワンSで14着に敗れると、年明けのシルクロードSも10着と大敗。その1ヶ月後には、原因不明の大腸炎を発症し療養を余儀なくされてしまったのだ。

そして4月21日。急性心不全のため、4歳の若さでこの世を去るという、あまりにも突然で悲しすぎる最期を迎えてしまった。その前月には、サンアディユも心不全で亡くなっており、この年の春、スプリント路線は相次いでヒロインを失ったことになる。

愛らしい顔とピッチ走法で、雨の中山の急坂を懸命に駆け上がり、牡馬だけでなく先輩牝馬をもスピードで圧倒したアストンマーチャンの姿を、我々は決して忘れないだろう。

ビリーヴ

日本の競馬を根本から変えた、大種牡馬サンデーサイレンス。当初、産駒の主戦場は、芝の中距離が中心だったが、初めて短距離の一線級で活躍したのがビリーヴである。

記念すべき第1回のセレクトセール当歳市場で、ノースヒルズ代表の前田幸治氏に税込6300万円で落札されたビリーヴは、デビュー当初から決してエリート街道を歩んでいたわけではない。

デビュー戦こそ逃げ切って完勝したものの、2勝目はその半年後で、オープン昇級は4歳の4月。実に、デビューから14戦目のことだった。

ただ、この時の馬体重は、前走から中2週にも関わらずプラス16kgと、成長した姿を見せていた。その後、京王杯スプリングCで3着に好走する一方で、続くテレビ愛知オープンは7着に敗戦。しかし、快進撃の始まりはここからだった。

準オープンに降級したビリーヴは、その鬱憤を晴らすように佐世保Sと北九州短距離Sを連勝。続いて、改めての重賞挑戦となるセントウルSに出走すると、2着に4馬身差をつける圧勝で、レコードのおまけつき。史上初めてGIが行なわれる新潟のスプリンターズSへ、主役の一頭として、武豊騎手とともに参戦したのである。

GI初挑戦ながら、堂々の1番人気に推されたビリーヴ。とはいえ、ライバルは決して楽な相手ではない。2番人気のショウナンカンプは、この年の高松宮記念を制し、4走前の山城Sでビリーヴに完勝。3番人気のアドマイヤコジーンも、高松宮記念2着から安田記念で奇跡の復活勝利を挙げて勢いに乗り、2頭はともに、実績面でビリーヴを大きく上回っていた。

レースは、好スタートを切ったショウナンカンプが逃げ、アドマイヤコジーンが2番手。ビリーヴもその2頭に続き、三強がそれぞれ1馬身差で列をなした。

前半600mは33秒7で、決して速くないペース。それに気付いたか、4コーナーで前年覇者のトロットスターが三強に迫ってきた。しかし、直線入口で逆に三強が4番手以下を引き離しにかかると、一瞬にして、4番手以下との差は4馬身に。そこからは、完全に三強のマッチレースとなった。

ショウナンカンプを挟んで、ビリーヴは内に、アドマイヤコジーンは外、それぞれ進路を取る。1200mの実績では一枚上手のショウナンカンプ。その粘りはさすがで、2頭はなかなか交わすことができない。

それでも、ゴール前100mで狭い内をこじ開けたビリーヴが一伸びして先頭に立つと、2番手に上がったアドマイヤコジーンの追撃も際どく抑え、武騎手が右鞭を軽く掲げながら1着でゴールイン。

たった2ヶ月で、怒濤の4連勝。一介の条件馬が、あっという間にGI馬へと成り上がるシンデレラストーリーが、ここに実現した。

武騎手は、これがこの日の5勝目。

新潟のファンは天才の勇姿に酔いしれ、スタンド前に引き返してくる際には、ユタカコールが巻き起こったほどだった。

その後、ビリーヴは香港スプリントと阪急杯で連敗するも、翌3月の高松宮記念で、笠松から移籍したばかりの安藤勝己騎手を背に、再びの快走を見せ優勝。秋春スプリントGIを統一すると、スプリントGI初の3連覇を目指して挑んだスプリンターズSで2着に惜敗し、それを最後に現役を退いた。

ちなみに、このときビリーヴを破ったのは、同じサンデーサイレンス産駒のデュランダル。サンデーサイレンス自身は、ビリーヴが前年のスプリンターズSを勝つ1ヶ月前に亡くなっていたが、以後も、05年のアドマイヤマックスから産駒が高松宮記念を3連覇。

それまで勝てなかった短距離GIでも無類の強さを発揮しはじめ、ダートでも、ビリーヴと同時期にゴールドアリュールが活躍。ありとあらゆる条件で産駒がGIを制し、完全無欠の種牡馬となった。

スリープレスナイト

知名度や人気を含めれば、この2020年2021年の中央競馬でMVP級の活躍をしているのが、白毛馬のソダシだろう。その父は、現役時に芝ダートの両方でGIを制したクロフネ。圧勝したジャパンカップダートのインパクトが強いが、産駒のJRAダート重賞戦績は3勝と、イメージほど多く勝っているわけではない。

それとは対照的に、芝の短距離からマイル、そして牝馬が強いことが産駒の特徴。スプリンターズSにもこれまで多数の産駒を送り出しているが、スリープレスナイトもその一頭だった。

同じ一族に、ヒシアマゾンやアドマイヤムーン、そして、2021年の皐月賞馬エフフォーリアがいる良血のスリープレスナイト。そのデビューの舞台は、07年1月、京都芝1400mの新馬戦だった。

ここで2着と惜敗し、続く未勝利戦も3着に敗れたものの、ダート替わりとなった3戦目を10馬身差で圧勝。さらに、500万クラス(現・1勝クラス)2着を挟んだ後、上村洋行騎手(現調教師)に乗り替わってから一気の3連勝を達成する。なんと3歳夏に、早くもオープン馬へと上り詰めたのだ。

ところが、昇級後は状況が一転。ダート1400mのオープンを4戦して5着と2着が2回ずつと、勝ちきれない日々が続いた。それでも、翌4月、ダート1200mの京葉Sを勝利すると、1ヶ月後の栗東Sも勝利しオープンを連勝。さらに、ここで芝路線に再転向すると、CBC賞で重賞初制覇を成し遂げ、北九州記念も制して4連勝。一躍、夏の上がり馬として、そして1番人気でスプリンターズSに出走した。

このとき、2番人気には高松宮記念2着のキンシャサノキセキが推され、そこを勝利したファイングレインが3番人気に続いた。上述したビリーヴと同様、スリープレスナイトにとっても、決して簡単なメンバーではなかった。

ゲートが開くと、この大一番で絶好のスタートを切ったスリープレスナイトは、一旦下げて5番手からレースを進めた。前半600m通過は33秒6で、キンシャサノキセキとファイングレインにマークされていたものの、スリープレスナイトにとっては絶好のペース。あとは、上村騎手のゴーサインを合図に、直線で弾けるだけだった。

迎えた直線。そのゴーサインが出て末脚を伸ばすと、一度は並びかけてきたキンシャサノキセキを引き離し、残り100mでついに先頭へ。そのまま15頭を引き連れながら、最後はゴール前で早くも上村騎手が左手を突き上げる中、見事1着でゴールイン。

レース後、検量室前に戻ってきた上村騎手は人目もはばからず涙を流し、管理する橋口調教師と抱き合った。それもそのはずで、これがデビュー17年目で悲願のGI初制覇だったのだ。

デビューした92年には新人賞を獲得したものの、順風満帆だった上村騎手を突如襲ったのが目の病気。手術は実に4回を数え、年間勝利数が一桁に落ち込む年もあった。その後、復帰は叶ったものの、騎乗馬がなかなか集まらないときに、声をかけたのが橋口調教師。自身初のGI勝利は、師に報いる勝利でもあった。

スリープレスナイトは、その後、翌年の高松宮記念とセントウルSで連続2着。そして、連覇をかけたスプリンターズSに向け調整している過程で屈腱炎を発症し、そこで引退となった。

通算成績は18戦9勝。ただ、1200mでは12戦9勝2着3回とほぼパーフェクトで、芝でも7戦して4着以下なしという成績。生涯を通じて掲示板を外したことはただの一度もなく、とにかく抜群の安定感が魅力だった。

繁殖に上がったスリープレスナイトは8歳という若さで亡くなったため、初仔で牝馬のブロンシェダームが、この貴重な血を受け継ぐ唯一の存在。さらなる、後継牝馬が今後産まれるかにも、注目が集まっている。

写真:しんや、かず

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