[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]生産に向いていない(シーズン1-65)

ダートムーアの23の馬名が決定したとの通知書が届きました。却下される理由は思いつきませんでしたので、通るだろうとは思っていましたが、まずはひと安心。碧雲牧場にお知らせしなければいけません。

「ダートムーアの23の馬名がルリモハリモに決まりました。瑠璃も玻璃も照らせば光るのことわざから付けました。秋ぐらいのデビューを目指して頑張っています」

とLINEをすると、すぐさま慈さんのお母さまから「治郎丸さんの思いが込められた可愛い名前ですね!」と返ってきました。続いて慈さんも、「最高の命名です。名前のように絶対に輝くと思います」と反応してくれます。

シモジュウにも教えると、「ルリモハリモ、綺麗な響きの素敵な名前ですね。活躍してほしいです」と返信あり。NO,9ホーストレーニングメソドの木村さんにもLINEをすると、「素晴らしい。治郎丸さん、天下取りにいくよ! あとはルリモハリモの生命力に賭ける!」と力強いメッセージを送ってくれました。「はい! 一緒に世界を目指しましょう!」と僕は応えました。

世界を目指しましょう、なんて大きなことを言ったのは、目指すところは高い方が良いという気持ちだけではなく、僕の夢のひとつとして、木村さんの次男の和士くん、いや木村和士騎手に騎乗してもらうことがあるから。木村和士騎手はカナダのリーディングジョッキーとなり、今はアメリカに主戦場を移して活躍しています。安定した騎座から繰り出される、馬をどこまでも追える技術は世界でもトップクラス。彼に乗ってもらえれば、どんな馬でも持てる能力を超えて力を発揮できます。さすがに日本国内で彼が乗ることはないでしょうから、もし乗ってもらうとすれば、海外のレースに馬を持っていなければいけません。かつてマンダリンヒーローが木村和士騎手を背にアメリカのダート3冠に挑戦したように、ルリモハリモも木村和士騎手とのコンビでサウジかドバイ、もしくはアメリカのレースに挑みたいものです。

左が木村拓己くん、右が木村和士くん(2011年別海産業祭にて)

ムー子を残して碧雲牧場を後にしてから、およそ1週間が経ちました。慈さんからは連絡はありません。便りがないのは良い知らせということで、悪くはなっていないのだろうな(あわよくば順調に良化してもらいたい)と願っていました。来週には、毎年恒例の社台スタリオンステーションの取材で北海道を訪れますので、ムー子の様子を見に行くことができます。それまでの辛抱です。

現場を一旦離れて、今回の件を冷静に振り返ってみると、やはり自分は生産に向いていないのではと思ってしまいます。「こういったことを指して「向いている」「向いていない」なんて、そんなものはないと思いますよ。どんな生産者でも1~2割は不受胎・流産の憂き目に遭い、残った9割のうちまた1~2割が死産や奇形・事故での早逝などに見舞われるものです。あとは確率論の世界なので、あまり気を落とさずにいてください。基本的に上手くいくことの方が少ない世界ですからね」となぐさめてくださる方もいて、本当にそのとおりだと思うのですが、あまりにも打率が高すぎます。生産界のイチローと呼んでもらっても良いぐらいです(涙)。

他牧場との比較はできませんが、碧雲牧場の中だけで見ると、どうにも僕の繁殖牝馬2頭に流産や不受胎、奇形、病気といった不運が集中している気がするのです。僕自身、あまり運の良いタイプではないのですが、生産においては、その不運を被るのが僕というよりは、生産馬や繁殖牝馬、さらに言うと生産牧場ということになります。僕の行いが悪いせいで、ダートムーアはニューイヤーズデイの男の子を流産してしまい、福ちゃんは片目で生まれてきて、スパツィアーレは何回種付けに行っても受胎せず、今年生まれてきたムー子はダミーフォールで生死の境をさまよっています。生まれてこられなかった馬たち、そして生まれて来たけれど苦しんでいる馬たちの姿を目の当たりにするにつけ、僕は生産に関わらない方が良いのではと考えてしまうのです。

馬たちのみならず、碧雲牧場にも迷惑をかけていると思います。彼ら彼女たちは優しいので絶対にそんなことは言いませんが、僕の馬を預かったところで何のメリットもないのです。自己所有馬を増やしてセリで売れたらもっと利益は出るかもしれませんし、社台ファームからの預託馬を増やせば収益はより安定するはずです。それでも縁あって預かって育ててくれているのですが、たとえば今回のように、出産や種付けで忙しい時期に僕の馬が病気で生まれ、24時間体制での看護が必要になると、(もちろん目の前に生まれてきた馬を助けたいという一心で付き添ってくれているのですが)牧場にとっては負担でしかないのです。現実的には1円も得もないばかりか、福ちゃんの養育費は無料にしてくれて、サマーセールまでの繁殖牝馬2頭の預託料もゼロにしてくれたりと損ばかりなのです。経営者としての慈さんの立場になってみると、毎年何らかのトラブルが起こる僕の馬たちは特に、心理的にも経済的にも相当な重荷になっているはずです。

そこまでして、僕が生産をする意味や意義はあるのでしょうか。馬主は難しそうだから生産をしようと、軽い気持ちでこの世界に足を踏み入れてしまいましたが、その行為自体が僕が関わる全ての馬たちや人々を、程度の差こそあれ、苦しめてしまっているのです。百歩譲って、僕の運の良し悪しとは関係なく、ある一定の確率でサラブレッドの不幸が起こるとして、それがたまたま初期に集中してしまったと考えるとして、だとしても、生産は僕のような外部の人間が足を踏み入れる場所ではないということです。

そもそも、サラブレッドの生産は人間のエゴです。競馬産業自体が人間のエゴによって成り立っていると言っても過言ではありません。その存在自体を否定するわけではありません。僕は競馬が大好きですし、僕の人生を彩ってくれた、なくては困るものです。だからと言って、僕が生産にかかわる必要はないのです。さすがに僕が年間で1頭、2頭生産したところで何も変わらないかもしれませんが、僕のような生産者が増えれば増えるほど、生産過剰につながったり、市場を歪めてしまう可能性もあるのではないでしょうか。広大な牧場を持ち、生産を生業(なりわい)として生きている生産者には、強くたくましい馬をつくってもらいたいと心から願います。目の前の現実を直視し受け入れられない僕のような者は、生産にたずさわる資格はないのです。

翌週、社台スタリオンステーションを訪れ、場長の徳武英介さんに話を聞かせてもらいました。毎年楽しみにしている取材です。今年の社台スタリオンステーションの新種牡馬は、エフフォーリアとサリオス、そしてホットロッドチャーリーの3頭。ホットロッドチャーリーに関しては、スパツィアーレが間もなく生もうとしている産駒の父であり、僕自身もかなり詳しく知っているつもりですが、徳武さんがどのような評価をされているのか気になるところです。

14時のアポイントですから、10時過ぎの羽田空港発の飛行機に乗り、12時前には新千歳空港に到着しました。ゆっくりとランチを食べ、余裕を持ってタクシーで社台スタリオンステーションまで向かおうとしていると、慈さんからLINEが入っていることに気づきました。実は今月スマホを使いすぎたのか、数日前から速度制限がかかって低速でしかネットが見られない状況になっていたので、受信しようとしても一向に文面を見ることができません。そろそろタクシーに乗ろうとした矢先、ようやく受信できたようで、ふと目にした画面から驚きの言葉が飛び込んできました。

「スパ、今日の8時に出てきちゃいましたよ~!」

(次回へ続く→)

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