戦後初の三冠馬シンザンには「二足歩行で50m歩いた」「消えたシンザン」など伝説が多い。シンボリルドルフがあらわれる80年代まで「シンザンを超えろ」はホースマンたちの合言葉だった。
戦後競馬界の象徴たるシンザンの名を冠したのがシンザン記念。新春の関西圏を彩る名物重賞だ。3歳限定のマイル戦はクラシックを戦う器かどうかを試す絶好の場。シンザンのお眼鏡にかなうのはどの馬なのか。ちょっと厳しめのハードルをクリアすれば、春への道が拓けてくる。勝ち馬にはタニノギムレット、ジェンティルドンナ、アーモンドアイといったクラシックウイナーが顔をそろえ、2着馬ダイワスカーレットを含め多くの名馬を輩出した。
シンザン記念は翼を広げ、大空へ羽ばたくその直前の滑走路のようなもの。シンザンはときに厳しく、ときに優しく、未来へ飛翔する後輩たちを今も見守っている。多くの伝説を残したシンザンの名がつくレースはときに伝説級の顔合わせになることがある。これはシンザンが結びつけた伝説の話でもある。
2011年シンザン記念の成績表を見直してほしい。
1着レッドデイヴィス 2着オルフェーヴル 3着マルセリーナ 4着アドマイヤサガス 5着ドナウブルー
掲示板にのった馬のうち、2頭はクラシックウイナー。さらに6着マーベラスカイザー、7着ツルマルレオンまですべてのちに重賞を勝った。三冠馬オルフェーヴル、桜花賞馬マルセリーナはご存じの通り。4着アドマイヤサガスは6歳で北海道スプリントC、5着ドナウブルーは京都牝馬S、関屋記念のマイル重賞2勝、6着マーベラスカイザーは翌年に中山大障害を勝利。7着ツルマルレオンは5歳時に北九州記念を勝った。
ここまで重賞勝ち馬が一堂に会したGⅢはそうはない。さすがはシンザン記念だ。そして、これらを制したのがセン馬レッドデイヴィスである。デビュー前に気性面を考慮し、去勢。クラシック出走権を失った。
種牡馬や繁殖牝馬の選定という意義があるクラシックやNHKマイルC、朝日杯FS、ホープフルSはセン馬が出走できない。天皇賞は2008年から出走できるようになったが、クラシックと一部トライアルレースはいまも牡・牝のみ。
2、3歳限定GⅠへの出走を許されないレッドデイヴィスにとってシンザン記念は勝ってその力を示す貴重な場だった。
クラシックを展望する上で賞金加算する以上に経験を積ませ、それぞれの課題を確認したい陣営ととにかく勝つしかないレッドデイヴィス。そんな背景が色濃く映ったレースだった。
オルフェーヴルとマーベラスカイザーはスタートで遅れ、好発を決めたドナウブルーは早々に折り合いを探る構えをみせ、インから進むマルセリーナも鞍上の手綱はピンと張りつめ、冷静に走ることを促す。その背後にとりついたオルフェーヴルもムキになって、その差を詰めにかかる。
半マイル通過47.2はスローに近く、この先がある馬たちはみんな折り合い重視。いかに制御した走りができるかを探っている。一方、レッドデイヴィスはスタートを決め、3番手を進む。ただ勝つことでしか道を拓けないレッドデイヴィスは攻めの一手。スローなら前へ行き、後ろで折り合いを気にするライバルたちを離すのみ。
前にいるシゲルソウサイとシャイニーホークは後方の金縛り状態を見越し、スローペースで惑わし、早々に引き離しにかかる。ただ勝利のみを目指すレッドデイヴィスは後ろのライバルを気にせず、ひたひたと前を追いかける。直線に向き、内回りとの合流地点をすぎたあたり、レッドデイヴィスが前を行く2頭をあっという間にとらえる。その瞬発力やクラシック級。遅れて馬群を縫うように追いかけるマルセリーナ、それを一気に外から上がり最速を叩き出して抜き去るオルフェーヴル。どちらも夢へ向けた可能性を存分に感じさせる力を見せた。その無限大の未来の前をレッドデイヴィスは走った。たとえセン馬であっても、広がる未来は同じく無限。春へ向けて出られるレースは少なくなるも、未来はその先にもある。
シンザン記念で、のちの三冠馬と桜花賞馬のほかに重賞ウイナー4頭を負かしたレッドデイヴィスは次走で毎日杯へ進み、重賞連勝。出走できるGⅠがない春から秋は骨折休養となったものの、復帰した鳴尾記念では翌年産経大阪杯を勝つショウナンマイティや皐月賞2着で翌年のマイルCS覇者サダムパテックにも先着した。
世代ナンバー1を決める舞台には残念ながら立てなかったが、レッドデイヴィスは3歳シーズンで見事に世代上位の力を証明した。セン馬として生きざるを得なかった彼の意地を記録にも記憶にもとどめてほしい。
のちの重賞ウイナー7頭が上位を占めた伝説のシンザン記念。それを勝ったセン馬・レッドデイヴィス。歩むべき道は決して一つではない。たとえクラシックに出られなくても、道を断たれることはない、馬も人も踏み出したそのひと足が道になる。だから迷わず進みたい。ここに出走した馬たちはみんなそれぞれの道へ進みだした。それはまるで鉄道の巨大ターミナル駅を出た先にある複雑な路線を整理する振り分け分岐を通過したようなものだった。人生には終着駅に向けて進む狭間に大勢と交差する場所がある。わずかな時間の集いかもしれないが、その出会いと共有した時は必ずや生きる糧になるだろう。経験は消えず、知らぬ間に自分を形作ってくれる。それはきっと、しゃかりきに走りぬき、振り返ったときにわかる。走ってみないと、なにもわからない。たまには無鉄砲になってもいい。行く先が見えない時こそ、一歩踏み出そう。
写真:Horse Memorys