『1994年産の日本国内で走ったサラブレッドで印象に残っている馬を挙げてください』と問いかけられたとして、皆さんはどの馬たちを思い浮かべるだろうか?

おそらく、サイレンススズカ、タイキシャトル、ステイゴールドを挙げる方々が多いだろう。
しかし、この3頭でクラシック3冠レースに出走経験があったのは、サイレンススズカのダービー・ステイゴールドの菊花賞のみであり、いずれも着外に終わっている。
実際、この世代の牡馬クラシック戦線は、3レースとも抜けた本命馬がいない、史上稀に見る大混戦となった。
その牡馬クラシックに直結する前哨戦の弥生賞で、血統背景は大変地味で俗にいう雑草血統の1頭のサラブレッドと1人のトップジョッキーが、並み居る良血馬たちを圧倒したことを忘れてはなるまい。

1997年の弥生賞を勝利した、ランニングゲイルと武豊騎手である。

この年の弥生賞には、皐月賞を目指す14頭の若駒達が集結していた。
最終的に1番人気に推されたのはエアガッツ。
前年の朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)3着後、当時まだオープン特別だったホープフルステークスを中1週で快勝してここに臨んできた。父は、この世代が初年度産駒となったメジロライアン。種牡馬入り直後はなかなか一流の繁殖牝馬を集められなかったが、そんな背景とは裏腹に、牝馬のメジロドーベルがいきなりG1阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルフィリーズ)を優勝。さらに牡馬でもメジロブライトがラジオたんぱ杯3歳ステークス(現ホープフルステークス)と共同通信杯4歳ステークス(現共同通信杯3歳ステークス)を快勝していた。共にクラシック候補の呼び声高く、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった。

2番人気はデビュー戦を7馬身差で圧勝した勢いそのままに東上してきたサンデーサイレンス産駒のサイレンススズカ。
前述のとおり、この世代どころか後に日本の競馬史にその名を刻むことになる名馬中の名馬である。

また、同じサンデーサイレンス産駒という点で4番人気に推されたオースミサンデーは、良血という意味では出走14頭の中で最も良血といってよい馬であった。母は、牝馬でありながら南関東三冠を達成したあの名牝ロジータである。

5番人気はサニーブライアン。
結果的にはこの年の春2冠を達成することになる馬であるが、この馬とて父はナリタブライアンとマヤノトップガンという2頭の年度代表馬を既に送り出していたブライアンズタイムである。

このように、上位人気馬はいずれも父の産駒が既に大活躍をしていたか母自身が名馬だったわけだが、3番人気に推されたランニングゲイルだけは決して華やかな血統背景を持つ馬ではなかった。

父ランニングフリーは現役時代47戦して重賞を3勝。天皇賞春ではタマモクロスの2着になったこともある、8歳まで息の長い活躍をつづけた、無事是名馬と呼ぶにふさわしいステイヤーだった。
しかし、当時はサンデーサイレンス旋風やマル外旋風が吹き荒れ、年々スピード化に拍車がかかる時代。現役時、中長距離ばかりを走りG1勝ちのない実績も敬遠されたのか、種牡馬としてのランニングフリーは、種付けを行った6年間の毎年の生産頭数がいずれも1桁という種牡馬であった。
また母のミルダンスは、父ミルリーフ、母の父ニジンスキーという、ヨーロッパを代表する重厚なスタミナ血脈の持ち主であった。
スピード化が進んでいた当時の時代背景において、そのような血統を持つランニングゲイルは、大変地味な血統で、お世辞にも当時のトレンドを捉えた血統とは言えない馬であった。

しかし、そんなランニングゲイルの馬上にはこれ以上ない強い味方がいた。
この頃、既にトップジョッキーの地位を確立していた武豊騎手である。

ランニングゲイルは、デビュー後4戦は芝やダートの短距離ばかりを使われ、いずれも5着以下に終わっていた。しかし5戦目の京都芝1800mの未勝利戦で鞍上に武豊騎手を迎えてからは一変。後続に1.1秒の差をつけて圧勝すると、続く黄菊賞こそ2着に惜敗したものの、当時オープン特別で行われていた京都2歳ステークスを格上挑戦ながら快勝した。
朝日杯3歳Sは勝負どころの3コーナーで挟まれ、いったん下がる不利がありながら盛り返して4着。年明けの若駒Sではエリモダンディーの強襲にあって2着と勝ち切れなかったが、メンバー中最多のキャリア9戦でこの弥生賞に挑んできていた。
芝の中距離を使って使って成績が良くなる姿は、3歳春シーズンとはいえ、既に父ランニングフリーを彷彿とさせるものであった。

そのようなメンバーが上位人気を占めた1997年の弥生賞だが、スタート前からアクシデントが起きる。
緊張がピークに達し幼い面を出したサイレンススズカが、ゲート内で暴れてゲートをくぐり外に出てしまったのだ。
馬体にこそトラブルはなかったものの、ゲートと馬に挟まれた鞍上の上村騎手は右ひざを押さえてその場に倒れこみ、とても騎乗できないように思えるほどであった。馬体検査があった影響でスタート時刻は大幅に遅れ、そのまま上村騎手が騎乗したサイレンススズカは危険防止のため大外枠からの発走となり、ようやくゲートが開く。

しかし、またしてもサイレンススズカにアクシデントが起きてしまう。今度は、うまくスタートを切ることができず7馬身ほど出遅れてしまったのだ。
そんなアクシデントを尻目に、逃げたのは中央転入2戦目のスーパーマクレガーで、2番手にはポートブライアンズ。
以下、メイショウモトナリとサニーブライアンが続き、人気馬は中団より後ろの展開となる。
早々に隊列が決まったことで、最初の600mから1000mまでの2ハロンのラップが13.3、13.0秒とかなりペースが落ちた。これによりレースは中盤から早くも大きく動く。鞍上の横山典弘騎手が必死になだめるも、中間点を過ぎたところで1番人気のエアガッツがたまらず先団に上がっていってしまう。持ち前のスピードで、既に序盤の遅れを挽回していたサイレンススズカも彼らをマークする形で上がっていき、3歳春の競馬としては珍しく中盤からレースが大きく動く、見ている側としてはとても面白い展開となった。

そんな中、馬群の後方大外でその様子をじっくり見ていたのがランニングゲイルと武豊騎手だった。
ここまでコンビを組んだ5戦、特に前走の若駒ステークスでエリモダンディーに切れ負けしたことでスタミナ勝負の我慢比べに持ち込むのが良いと判断したのだろうか。
もちろん、大前提として大きな自信と馬への厚い信頼があったのは間違いないとは思うが──人気馬2頭が上がっていったのを見て、同時にスパートを開始。その2頭を外から捲っていくと、残り600mの時点では既に2番手集団へと押し上がった。さらにそのまま一気に先頭を捲り切り、残り400mでは逆に2番手以降に3馬身の差をつけて先頭に立っていた。
ちなみに、この1000mから1600mの1ハロンごとのラップを見ると12.1、11.9、11.7秒であり、ランニングゲイル自身はおそらく11秒台前半の脚を、レース中盤の時点で既に駆使していたことになる。
それ以外の人気馬はというと、4コーナー手前で2番手集団に上がっていこうとしたエアガッツは前が完全に詰まってしまい大きく後退。サイレンススズカもエアガッツよりは前に出ていたが、この時点で最初のロスを挽回したつけが回ったか、既に末脚が残っていないように見えた。

ランニングゲイルが4コーナーを回り直線に入った時には、後方との差は、おおよそ5馬身。セーフティーリードを取っているように見えた。
しかし残り200mを切って坂を上るところで、ただ1頭、先頭を猛追する馬がいた。
メンバー中、最も良血馬といってもいい、オースミサンデーとペリエ騎手だ。
母ロジータということは、この馬にもミルリーフの血が脈々と流れている。父がサンデーサイレンスであっても、スタミナ勝負は得意だったのだろう。人気馬の中では最も仕掛けを我慢したことが奏功したのか、2着争いを早々に決着させ必死に前との差を詰めようとする。
ランニングゲイルも早めのスパートでほぼ脚は上がっているように見えた。勝負は、2頭の争いになった。

しかし、残り100mを切った時点で2頭の脚色は同じになっていた。

結局、ランニングゲイルと武豊騎手はオースミサンデーに3馬身もの差をつけゴール板を駆け抜けた。ゴール直後には、良血馬たちを相手に「どうだ」と言わんばかりに、軽く左手でこぶしを握った。

スピード化が進む当時の時代背景とは一見逆行したような、ランニングフリー・ミルリーフ・ニジンスキーを持つこの馬のスタミナ血統が、武豊騎手の作戦と相まって並み居る良血馬相手に大爆発した、完璧なレース内容だった。
ちなみに、武豊騎手が前年に弥生賞を制覇していたときに騎乗していたのが、超良血馬ダンスインザダーク。
それぞれの父がサンデーサイレンスとランニングフリーという、正反対といってもよい馬の産駒で連覇したところも大変に興味深い(ただし母系には共にニジンスキーが流れている)。

今にして思えば、この世代は特に脚質面で個性的な馬が多かった。逃げ馬では、サイレンススズカにサニーブライアン、ダイタクヤマト。追込馬では、メジロブライトやシルクジャスティス、エリモダンディーにマチカネフクキタル、そしてブロードアピール。
そんな個性派がなかなか少なくなってきた現在ではある。
しかし「捲り」という特異な脚質で同期の良血馬たちを撃破するような地味な血統を持つ雑草魂が出てきてくれないかと、毎年弥生賞の時期になると、密かに淡い期待を抱いているのである。

写真:かず

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