2024年9月25日に発売開始した競馬書籍『アイドルホース列伝 超 1949ー2024』(星海社新書)。
昭和の名馬から現役の名馬まで156頭が紹介される一冊で、リバティアイランドやドウデュースといった現役馬、クロフネやヒシミラクルといったゼロ年代の名馬、シンザンやスピードシンボリといった昭和の名馬など1949年〜2024年の長期にわたる名馬たちが取り上げられる。
今回は、その著者の一人である夏目伊知郎さんに、「アイドルホースに救われた」という実際の知り合い"美咲さん"ついて、綴っていただいた。※本記事は『アイドルホース列伝 超 1949ー2024』には収録されていないオリジナル原稿となります
美咲さんは、金融関連企業でコンサルティング営業を担当している。新入社員の年の秋、飛び込み営業で入った会社の社長から、「競馬の楽しさ」を教えられた。商談に行っても美咲さんの提案はいつも程々に終わり、あとは社長の競馬談義。社長は少年のように目を輝かせ、歴代の名馬の活躍を語り続ける。楽しそうに話す社長を見ていると、美咲さんがイメージしていた「競馬=ギャンブル」とは、少々違うらしいというのが解ってきたという。
社長は中央競馬の馬主資格を持っている。ただ、馬主といっても個人で馬を持って走らせているのではなく、10人程度で1頭の馬を持つ共有馬主という形態で馬を持っているとのこと。社長は「馬主資格維持のための所有に過ぎない」と笑うが、美咲さんは「馬主さん」ということだけで凄いなと思っている。ただ、社長の持っている「共有馬」が優勝したという話は一度も聞いていない。
当初、美咲さんにはなかなか理解できなかったが、1頭に対し数十口、数百口出資する「一口馬主」というものが別にあると教えられた。社長は「一口馬主」でも毎年何頭か出資している。共有馬とは違い、社長の一口出資馬はスポーツ新聞の見出しになるような活躍馬が多い。重賞レースを勝った時に作られる記念のQUOカードを、今までに何枚ももらっている。
社長の会社に初めて訪問した年の暮れ、一口出資している馬が有馬記念に出るというので、商談時に盛り上がった。美咲さんは、社長の出資馬を応援したくて、大学時代の競馬好きだった友人に頼み単勝馬券も買った。有馬記念の日、美咲さんは自宅のテレビで、初めて競馬中継を見た。社長の言う、当日の馬の仕上がり具合を見極めるパドックの中継が始まる。美咲さんは、社長の楽しそうな顔を思い浮かべながら、パドックのどこかで愛馬を見ているだろう社長の姿を探した。
「馬は白い馬以外は基本茶色」という美咲さんの概念は、パドックを周回する出走馬たちを見て崩れてしまう。真っ黒というより、青味がかった漆黒の5番ゼッケンの馬が美咲さんの目に留まる。「凄くキレイな黒い馬!」は、美咲さんを釘付けにした。名前が分からず、テレビ画面に再登場するのを待っていると、5番ゼッケンの馬が再び現れた。美咲さんと、ディープボンドとの初めての出会いである。
ディープボンドは、前走はフランスで走っていて、テレビの解説者は「疲労回復がカギ」と説明していた。しかし、美咲さんの眼には、漆黒の馬体を誇らしげに歩く、元気一杯の馬に見える。社長の馬のことも忘れ、ディープボンドに心を奪われた美咲さん。出走する16頭の中で自分では断トツに良く見えるディープボンドが優勝しそうな気さえしていた。
初めて見たG1レースに、美咲さんは興奮した。パンサラッサとタイトルホルダーが誘導する直後の集団に社長の出資馬とディープボンドが並んでいる。4コーナーを回ると、5番ゼッケンのディープボンドが先頭に並びかける。美咲さんはテレビ画面に向かって夢中で声を出していた。直線にはいると、外からエフフォーリアがディープボンドに迫り先頭に立つ。それでもディープボンドはエフフォーリアに食らいつき、最後にもう一度差し返しを見せた。
美咲さんは大満足だった。テレビのパドック中継で選んだ「ディープボンドと言う名の馬」。真っ黒で強そうな、「美咲さんの推し馬」が堂々の2着。社長がいつも語っている「競馬の面白さ」が、頭の中で何となく理解できたような気がした。
「推し馬」になったディープボンドについて、彼のことを知ろうと色々調べ始めた美咲さん。調べていくと、どんどん情報が膨らむ。ディープボンドを調べていけば、彼と一緒に走った馬たちのことが出てくる。レースを調べれば、そのレースに勝利した歴代の名馬の名前が登場する。そして、馬は血統が大切だということも分かってきた。
ディープボンドの父キズナは日本ダービーで武豊騎手を蘇らせたダービー馬。ディープボンドと同じ青鹿毛で、漆黒の美しい馬だったこと。ディープボンドは、凱旋門賞こそ14着に大敗したが、その前のフランスの重賞レース・フォア賞(GⅡ)に勝っている。3歳時には、京都新聞杯を勝ち、日本ダービーにも出走した。そして、秋の菊花賞で三冠を達成するコントレイルから0.7秒差の4着に健闘。どうやら長い距離は得意らしく、翌年、美咲さんが卒業旅行に行った週の日曜日に阪神大賞典を制覇している。そして、新入社員の研修期間だった4月末に天皇賞(春)に出走、1番人気で出走も2着に敗れていた。
美咲さんは後悔した。どうして大学時代に競馬を知ろうとしなかったのだろうか? 競馬好きの仲間も多くいた大学時代。競馬に触れていたら、もっと楽しい時間を過ごせただろうなと、ディープボンドの過去のレースや名馬のレースVTRを見ながら思った。何より「推し」のディープボンドが、GⅠチャレンジするワクワク感をリアルタイムで共有できなかったことが残念でならなかった。
美咲さんが初めて競馬場に足を運んだのは、ディープボンドが阪神大賞典を連覇した日の中山競馬場。大学時代の競馬好きの仲間に連れてきてもらい、初めて馬券も買った。今でも大切に持っているディープボンドの「がんばれ馬券」を握りしめ、ターフビジョンに向かって彼の名を連呼した。直線、白い馬たちに囲まれた中から漆黒のディープボンドが先頭に躍り出るシーンは感動もの。「推し」のカッコよさに痺れまくった。
それから美咲さんは、度々競馬場に足を運ぶようになった。社長に連れて行ってもらい、府中競馬場の天空の席と、検量室の前を通って馬主パドックに行く夢の空間も経験した。
もちろんディープボンドが関西のGⅠレースに出走する時は、必ず中山か府中のターフビジョンの前で絶叫する。阪神大賞典以降なかなか勝てないディープボンドだったが、一生懸命最後まで走る姿が好きだった。直線先頭から後続馬に追い抜かれても諦めないディープボンド。追い抜いて行った馬を抜き返そうとファイトする姿は、「取り組んだ事は、投げずに最後まで完遂しよう」と言うメッセージを美咲さんに投げかけてくる。
美咲さんの仕事はハードだ。猛暑でも厳寒でも、顧客回りに追われる。夕方帰社して、自席につくと、競馬場で買ったディープボンドのぬいぐるみが迎えてくれる。パソコン横に鎮座するディープボンドに向かい「今日は全然ダメだったな…」と語りかけると、「俺が実践しているように、今日がダメだったら次がんばればいいさ」と、つぶらな瞳で語り返す。挫けそうになった美咲さんの心を、いつも癒してくれるディープボンド。今や、美咲さんが仕事をがんばるための大切な友になっている。
美咲さんは、彼の引退後にやって来るだろう「ディープボンドLOSS」に備えて、次の「推し」を探しているらしい。話題の2歳馬が続々と登場する秋。美咲さんは、パドックでキラキラした「“新しい”推し」を見つけるため、日焼けと闘いながら最前列に常駐している。
美咲さんの「推し活」は、馬が走っている限り、どこまでも続いて行くような気がする。
未勝利馬でもGⅠ馬でも、1頭の馬には何人もの「推し」が付き、その馬を応援している。「推し」の理由は人それぞれ異なれど、その人にとってのその馬は、大切な『私のアイドルホース』である。応援する者たちは、競馬場で走った「時」をその馬と共有し、自分の思い出を重ねて『私のアイドルホース』に磨きをかける。
競馬歴を積み上げていった時、何頭もの『私のアイドルホース』に出会っているはずだ。そして、思い出の中に格納された彼らのことを紐解き、語りながら、その時代の自分をふり返るのも競馬の楽しみ方のひとつだと思う。
Photo : I.Natsume
永遠に色褪せない名馬たちの記憶を綴った新書
無傷の10連勝でダービーを制し、その17日後に急死した「幻の馬」トキノミノルから70余年。
父譲りの美しい栗毛をなびかせ大レースに挑み続けたナリタトップロード、人気薄から何度も勝利を重ねた"奇跡"のステイヤー・ヒシミラクル、爆発的な末脚で二冠を達成して引退すると、わずか5年の種牡馬生活で活躍馬を輩出、早すぎる死が惜しまれるドゥラメンテ、世界ランク1位を獲得した新時代の史上最強馬イクイノックス、名手との絆で不運と挫折を乗り越えた現役トップのドウデュースなど。
昭和の名馬から現役世代まで、時代を超えて愛される156頭の名馬たちの蹄跡をこの1冊に!
書籍名 | アイドルホース列伝 超 1949ー2024 |
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著者名 | 著・編:小川隆行+ウマフリ |
発売日 | 2024年09月25日 |
価格 | 定価:1,350円(税別) |
ページ数 | 320ページ |
シリーズ | 星海社新書 |
紙面構成 - ドウデュースにリバティアイランド、メロディーレーンにキズナにドゥラメンテ。昭和の名馬シンザン・トキノミノルから現代の名馬まで156頭を紹介
第1章 その走りが伝説になる 2020年代
パンサラッサ 比類なき大逃走、二刀流の国際GⅠ馬
イクイノックス 三冠牝馬すら寄せ付けない衝撃の歴代最強馬
ドウデュース 夢に照らされる、競馬の「主人公」
ミックファイア 期待を背にひた走る、22年ぶりの南関三冠馬
リバティアイランド 一体どれほど強いのか、完全無欠の三冠牝馬 など25頭
第2章 忘れたくないあのときの夢 2010年代
ヴィクトワールピサ 勇気を与える胴白、青縦縞、袖赤、青一本輪
キズナ 逆境に打ち勝つ希望の末脚
モーリス 落札価格は約160万円、砂漠で見つけた宝石
ドゥラメンテ “d u r a m e n t e” に走りぬけた、早逝の二冠馬
メロディーレーン 小さな体に満つ、父母のくれたスタミナ など42頭
第3章 色褪せない新時代の記憶 2000年代
クロフネ 日本競馬の眠りをさました白い〝黒船〟
ヒシミラクル 駆けだしたら決して止まらない穴馬ステイヤー
ネオユニヴァース 熱いハートとクレバーな頭脳、魅惑の二冠馬
スティルインラブ 勝負強さと反骨心で手にした17年ぶりの偉業
ドリームジャーニー 父の血を感じる、愛すべき不器用なアイドル など35頭
第4章 黄金時代のスターたち 1990年代
ダイイチルビー 1頭に焦がれた、輝けるお嬢様
ヤマニンゼファー 良い意味で期待を裏切り続けた不屈の挑戦者
サクラローレル 度重なる故障を乗り越え摑んだ年度代表馬
メイセイオペラ 史上唯一、中央GⅠを制した岩手の伝説的王者
ナリタトップロード 強豪相手に惜敗続きも人に愛された実力派 など28頭
第5章 遙かなる伝説の蹄音 昭和の名馬
トキノミノル 「幻の馬」の記録が伝える凄み
シンザン 類稀なる生命力を示した、伝説の三冠馬
カブトシロー 69戦を走り抜いた古武士は小柄な万能タイプ
スピードシンボリ 未踏の地を求め続けた偉大なチャレンジャー など26頭