2015年クラシック世代。
今になって振り返れば、ドゥラメンテとキタサンブラックという2頭のスターホースが立ち並ぶ世代ということになるだろう。事実、この2頭が三冠を分け合い、その後ドゥラメンテがターフを去った後も、キタサンブラックが古馬戦線の主役として──そして日本屈指のスターホースとして、競馬界を牽引していった。
ところが、クラシック戦線が開幕した当初、世代最有力と見なされていたのは…オッズを見る限り、この2頭のどちらでもない。
2月の共同通信杯でリアルスティールの前に敗れたドゥラメンテと、3連勝とはいえまだスプリングSを勝ち上がったばかりのキタサンブラックは、あくまで有力な素質馬。ファンの多くは、ある1頭の優駿を本命に推していた。
その馬の名を、サトノクラウンという──。
期待の2歳シーズン、挫折の3歳シーズン
彼の父であるマルジュ(Marju)は、インディジェナスの父としても知られていた馬である。インディジェナスはその昔、日本総大将として海外勢を迎え撃ったスペシャルウィークが制したジャパンカップで、2着に食い込んだ。
マルジュはその後も、マルセリーナやグランデッツアを産んだマルバイユ、香港で年度代表馬にも選ばれたヴィヴァパタカなどを輩出。
日本での知名度こそやや低かったかもしれないが、欧州圏を中心に数々の名馬を輩出した名種牡馬である。
そして、彼が残した最終世代の1頭に、サトノクラウンがいた。
デビュー戦、サトノクラウンは余裕綽々と抜け出し後続を突き放す完勝劇を見せる。続く東京スポーツ杯2歳Sも、ゲート内で幾度も立ち上がり、更に直線何度も前が狭くなりながらも馬群の間に勢いよく突っ込み、最後はアヴニールマルシェにクビ差で競り勝って重賞制覇。
そして、年が明けて迎えた弥生賞。4コーナーを楽な手応えで回ってくると、そのまま後続を寄せ付けず勝利を挙げた。
ここまで無敗。それも弥生賞は、若さを見せた東スポ杯2歳Sとは違い、道中も落ち着いたうえでの完勝劇だった。
着差以上の強さといって良いであろう走りを無敗の3連勝で見せつけたサトノクラウンは、威風堂々、クラシックの本命として皐月賞に駒を進める。
成長ぶりを見せた前走もあって、皐月賞では3.1倍の1番人気の支持を受ける。
当時、無敗の弥生賞馬はクラシックの中の一冠を必ず制していた。そのため、ファンの多くは、サトノクラウンがその一冠目を手中に収めると思っていたのではないだろうか。まさに、伝説の序章かのようなレースが期待された。
──そして確かに、このレースは伝説となった。
だがその主役は、サトノクラウンではなかった。
4コーナー、まるでカーチェイスのドリフトのように大外へ膨らんだドゥラメンテが物凄い勢いで伸び始め、抜け出したリアルスティールを一気に差し切る衝撃の勝利。その裏で、若干出遅れ後方からの進出を余儀なくされたサトノクラウンは、6着に敗れてしまっていた。
続く日本ダービー。雪辱を誓ったサトノクラウンだったが、またもや出負けし後方から。直線、怪物ドゥラメンテの上り3ハロンを上回る33.8の豪脚で大外から猛追したものの、既に中団から抜け出していた同世代の怪物は、1馬身先で栄光のゴールを駆け抜けていた。
秋、ドゥラメンテが離脱し菊花賞が混戦ムードとなる中、サトノクラウンは同世代のアンビシャスと共に天皇賞秋へ向かう。しかし古馬の壁は厚かったか見せ場なく17着に終わり、このレースを最後に彼の3歳シーズンは幕を閉じた。
──とはいえ、復帰した2月の京都記念で鮮やかに3馬身差の快勝劇を挙げたサトノクラウンに、さらなる成長を夢見たファンも少なくはなかっただろう。
ところがヌーヴォレコルトとラブリーデイと共に遠征した香港のクイーンエリザベス2世Cでは勝ったワーザーから3秒近く離され大敗。帰国後の宝塚記念も、ドゥラメンテとキタサンブラックがマリアライトを交えた大激戦を繰り広げる裏で、ひっそりと6着……。夏を越して2年連続で参戦した天皇賞秋でも、14着に敗れた。
クラシックを逃し、重賞戦線で活躍はするものの、肝心の大舞台は敗戦を繰り返す。そして古馬になってからは、大きな見せ場を作ることもないままの敗北──。
3歳春まで見せた輝きはこの頃すでに失われていたと言って良いだろう。ファンの視線は、同期のアイドルホースへと注がれた。
同世代の菊花賞馬、キタサンブラックへと。
ジャパンカップを制しG1で3勝を挙げたキタサンブラックは、ファンが注目する中、暮れの有馬記念へ向かう。一方、かつてのクラシック本命馬サトノクラウンは、僚馬モーリスと共に香港へ飛んでいった。
そしてこの遠征こそが、サトノクラウンの大きな転機となった。
香港で手に入れた栄冠
12月初旬、再び香港の地に降り立ったサトノクラウンは、日本遠征組の先陣を切って香港ヴァ―ズへ出走。
同じく日本から出走していたヌーヴォレコルトとスマートレイアーと共に、日本の期待を背負っての出陣だった。
……ところが日本での馬券発売オッズは4番人気。日本馬の中では最上位ではありながら、応援人気を加味するとやや低く感じられるものだった。
近走の敗戦が、不甲斐ない走りとファンの目には映っていたのかもしれない。それに加え、この年は多くの要素が絡んでいた。他国の有力馬の参戦である。
1番人気、それも1.3倍の断然人気は、欧州王者ハイランドリール。
香港ヴァーズ連覇をかけて臨んできた彼は、この年キングジョージ6世&クイーンエリザベスSを制していた。凱旋門賞でも、日本のマカヒキが14着に沈む中、優勝したファウンドに僅差の2着に食い込んだかと思えば、その次走のBCターフで大逃げを打ってそのまま逃げ切り勝ちを決めてしまう。
層の厚い欧米の芝路線で、超が付くほどの大活躍。この時のハイランドリールは、競走生活のピークにいたと言って良いだろう。
そんな馬に、惨敗続きのサトノクラウンが勝てるのか──。日本から、そして現地で見守る日本競馬ファンの多くは、そう思っていたのかもしれない。
だが、香港を知り尽くす鞍上、ジョアン・モレイラ騎手は"マジックマン"の異名通り、サトノクラウンを完璧にエスコートするのである。
ゲートが開くと、密集する先行集団をよそにサトノクラウンは後方に構える。
これまでのように出負けしたわけではない。自ら後方へその位置を取った彼は、リズムよく逃げるハイランドリール以下を静かに見つめていた。
3,4コーナー、先に外から仕掛けた武豊騎手とスマートレイアーの白い馬体に目が行く中、サトノクラウンとモレイラ騎手は未だ内。追い出すこともなく、ただじっと、前が開く瞬間を1頭と1人は待っていた。
そして溜めた力は、直線で爆発する。
逃げるハイランドリールが更にリードを広げ、後続にセーフティリードをつけようとする中、イースタンエクスプレスとフレイムヒーローの間が、僅かに開いた。
その瞬間、名手は相棒にGOサインを送る。
しかしハイランドリールとの差は200m手前でまだ3馬身以上。
スマートレイアーはサトノクラウン以上のキレはなく、ヌーヴォレコルトも未だ後方。
やはり欧州一線級相手には敵わないのか。2着に来てくれただけで充分頑張った……。
多くの人が、そう思ったことだろう。
──しかし。
200のハロン棒を通過した瞬間、サトノクラウンはさらに加速を重ねる。
逃げる王者との差が2馬身、1馬身と詰まる。
絶望的に思えたリードが、みるみるうちに無くなっていった。
その姿はまるで、同じく香港ヴァーズで、一度は抜け出したエクラールに食らいつき、到底追い付けないと思われた差を最後の最後にとらえた、あのステイゴールドのようだった。
まさか。まさか届くのか。
実況に熱が入る。観衆の声援がヒートアップする。
そして、最後の最後、ほんの残り数10m。
サトノクラウンは確かにハイランドリールを半馬身とらえ、異国の地でG1初制覇を飾ってみせたのだった。
下馬評など関係ないと言わんばかりの、華麗なる戴冠劇。
3着以下に6馬身差をつけていたことからも、彼の突出した実力が伝わってくる。
"マジックマン"も思わず笑みをこぼすほどの、強烈な末脚だった。
──次に目指すは、国内G1制覇。
翌年、彼が挑むのは、ターフを去ったドゥラメンテに代わって、古馬路線を、そして日本の競馬界を代表する名馬となっていたキタサンブラックだった。
続いて目指すは、日本の王座
帰国後、京都記念で後輩ダービー馬マカヒキらを相手にしっかりと勝利をおさめ、順風満帆な滑り出しに見えたサトノクラウンだったが、大阪杯は直線で失速し6着。
その大阪杯で勝ったのは、キタサンブラックだった。
天皇賞春には出走せず宝塚記念一本に絞っての調整に切り替えたサトノクラウンは、大舞台でのリベンジを誓う。
その間、キタサンブラックは天皇賞春で同オーナーの所有馬、サトノダイヤモンドと2度目の対決を果たしていた。結果は、キタサンブラックの完勝。そしてキタサンブラック陣営は、この年から制定された春古馬三冠路線の最終戦・宝塚記念への参戦を決めた。
3歳クラシック時から数え、5度目の対決となった、サトノクラウンとキタサンブラック。
サトノクラウンが先着したのは、キタサンブラックが大敗したダービーのみ。
そのダービーとて、届かぬ先にドゥラメンテがいた。
世代の王座をかけて、絶対に負けられないサトノクラウンは9.0倍の3番人気。一方、威風堂々、G1競走6勝、春古馬三冠をかけて臨むキタサンブラックは、1.4倍という断然の人気を集めた。
無論、敵はキタサンブラックだけではない。
牝馬二冠を制したミッキークイーン。
2年前のグランプリホース・ゴールドアクター。
一線級で堅実に走り続けるシュヴァルグラン。
本格化が見え始めてきたシャケトラ。
11頭立てながら層の厚い、まさに"春のグランプリ"にふさわしいメンバーだった。
1年に1度、特別なファンファーレが曇天の仁川に鳴り響き、一瞬の静寂の後、大歓声とともにゲートが開く。
大きな出遅れもなくスタンド前を通過し、1コーナーに向かう中、既に場内はざわつき始めていた。
戦前はキタサンブラックがハナを切ると思われていたが、なんとシュヴァルグランと福永祐一騎手が先手を取ったのである。
ここまでは後方から末脚を伸ばす戦略をとってきたはずの同馬が逃げるのは、21戦目にして初。
虚を突かれた格好になったキタサンブラックは、同じく勢いよく飛び出したシャケトラにも前を譲って3番手に控えるも、やや行きたがる仕草を見せていた。
一方、ゴールドアクター、ミッキークイーン、そしてサトノクラウンら有力各馬は、いつものように後方からレースを進め、マイペースのまま前半を通過していく。
向こう正面に入っても、キタサンブラックは落ち着かない。
背中に跨る武豊騎手の指示に背くように、口を割って走り続けていた。
その後ろに、もう一つのピンク帽が忍び寄る。
ミルコ・デムーロ騎手とサトノクラウンが、王者の真後ろへ付け、プレッシャーを与えたのだ。
勝負所まで、ひと息もつかせない展開。
その内には黒い帽子、ゴールドアクターと横山典弘騎手が不気味に構え、更にその後ろにはミッキークイーンと浜中俊騎手がいた。各馬がごった返してきた4コーナー。先に抜け出したシャケトラを、キタサンブラックがとらえにかかる。
──その外。
瞬間的なキレで、サトノクラウンは一瞬にして抜け出した。
刹那、抵抗を見せたキタサンブラックだったが、前半の折り合いが影響したか、はたまた目に見えない疲労がたまっていたのか…いつもの驚異的な二枚腰が不発。馬群に飲み込まれ、先頭争いから脱落していった。
本命の脱落に俄然沸き立つ仁川の直線、内から急接近してきたのはゴールドアクター。グランプリホースの意地か。その脚色は一瞬、サトノクラウンを上回ったように見えた。
だが、決して先頭が入れ替わることは無かった。
一度は並んだように見えた馬体だったが、そこからサトノクラウンはもう一度伸びる。
まるでそれは、クラシックの無念を、世代の主役を取られた悔しさを、期待されながらも活躍できなかった1年を、振り払うかのような美しい伸びだった。
ただひたすらに、真っ直ぐに伸び続けたサトノクラウンは、3/4馬身をゴールドアクターにつけたままゴールイン。春のグランプリの王冠を掴み取ると同時に、2年越しに世代の王座をもぎ取った瞬間だった。
子孫へと繋がる王者の系譜
その後、天皇賞秋で記録的な極悪馬場ながらキタサンブラックの2着に追い込み、その実力を再び示したサトノクラウン。しかし次走以降、まるで糸が切れたかのように敗退を繰り返した。
そしてそのまま、キタサンブラックが退いた後も王座に返り咲くことは無く、2018年のジャパンカップで新たなスターホース・アーモンドアイの衝撃的レコード制覇の前に9着と敗れたのを最後に現役を引退。種牡馬入りした。
父のような加速力を、是非受け継いでほしい。
何より、同期にどんな怪物やアイドルホースがいようとも……そして直線でどれだけ絶望的な差をつけられようとも、決して挑む事を諦めなかった彼の不撓不屈の勝負根性を全面に受け継いだ、そんな産駒の誕生が期待されていた。
その期待に応えるかのように、初年度産駒から第90代ダービー馬、タスティエーラが誕生。直線では、現役時代にライバルだったキタサンブラックの産駒である皐月賞馬ソールオリエンスが怒涛の勢いで迫ってきたが、それをクビ差抑えての戴冠だった。
この2023年は、皐月賞はキタサンブラック産駒のソールオリエンス、日本ダービーはサトノクラウン産駒のタスティエーラ、菊花賞はドゥラメンテ産駒のドゥレッツァと、この世代を代表する3頭の息子たちが綺麗にクラシック三冠を分け合う結果となった。彼らの息子たちは、それぞれの父のライバルたちの特性を受け継いだような脚質と性質を持ち合わせていて、対決のたびにその走りが楽しみになるような馬たちが揃っている。
父たちから子へ。
その王冠は、世代を超えて確かに受け継がれてゆく。
そしてまた、明日もターフで彼らの地は躍動する。それぞれの頂点を目指して──。
写真:s.taka、かぼす、Horse Memorys、かず
書籍名 | キタサンブラック伝説 王道を駆け抜けたみんなの愛馬 |
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著者名 | 著・編:小川 隆行 著・編:ウマフリ |
発売日 | 2023年07月20日 |
価格 | 定価:1,430円(本体1,300円) |
ページ数 | 192ページ |
シリーズ | 星海社新書 |
内容紹介
最初はその凄さに誰も気がつかなかった!「みんなの愛馬」
「父ブラックタイド、母父サクラバクシンオーの年明けデビューの牡馬と聞いて、いったいどれだけの人が、シンボリルドルフやディープインパクトらに比肩する、G17勝を挙げる名馬になることを想像しただろう」(プロローグより)。その出自と血統から、最初はその凄さに誰も気がつかなかった。3歳クラシックと古馬王道路線を突き進むも、1番人気は遠かった。それでも一戦ごとに力をつけ、「逃げ・先行」の才能を開花させると、歴戦の戦士を思わせる姿はファンの心に染みわたっていった。そして迎えたラストラン、有馬記念を悠然と逃げ切ったハッピーエンディングな結末。みんなの愛馬となった感動の蹄跡がここに甦る!