万能こそ、最大の武器〜落語でふりかえる、種牡馬・シンボリクリスエス〜

とあるところで、八兵衛さんと五郎兵衛さんが立ち話。

五「よお、はっつあん、この前はあんたのかかぁには世話になったな。よろしく言っておいてくれよ。ところでよ、POGの指名、なににすんのよ」

八「おお、ごろちゃん、それなんだけどよ、これにしようかと思ってさ」

五「おっ、どれどれ。あーそいつはいけねぇや」

八「なんでだよ」

五「父ちゃんシンボリクリスエスだろ。正気かい? ロベルト系だよ」

八「いいじゃねぇか。おいら、好きなんだよ」

五「はっつあんが好きかどうかはどうでもいいんだよ。馬券だってそうだよ。好きな馬追っかけて馬券買うなって、おいら、ずーっと言ってるじゃねぇか。いいかい、ロベルト系ってどんな馬が多いか知ってるかい?」

八「バカにすんじゃないよ。底力勝負に強い本番向きの血統だよ。成長力があってGⅠの一発勝負にはもってこいってもんだ」

五「あのよ、はっつあん。POGってのはよ、2歳の夏から3歳のダービーまでだよ。その時期にさ、底力勝負なんてあると思うかい。ダービーだってスローペースになるような時代によ、雨でも降らなきゃ厳しい競馬になんてならないの。ディープとかキンカメみたいにさ、スピードがあって最後にピュッと切れるような馬のほうがいいって。土台、成長力があるってのは、裏を返せば3歳春には力がつき切ってないようなのばっかだぜ」

八兵衛さん、五郎兵衛さんにシンボリクリスエス産駒をPOG向きじゃないと一刀両断され、このまま引き下がるわけにはいかないとばかりに種牡馬シンボリクリスエスの魅力をここぞとばかりに語りはじめたそうな。

……それはさておき。

2004年、社台スタリオンステーションにスタッドインしたシンボリクリスエス。

自身の武器でもある『見栄えする馬体』を受け継ぐような産駒を、初年度から多く輩出した。セレクトセールでマストビーラヴドの2005が同年最高価格にあたる2億1000万円(税抜)で取引されるなど、順調なすべり出しをみせた。

産駒がデビューした2007年8月、ギンザフローラルが産駒初勝利をあげると、その年は18頭が勝ち上がり、そのまま18勝をマーク。

フレッシュサイヤーランキングの首位を獲得した。

シンボリクリスエスは血統表にノーザンダンサーやミスタープロスペクターといった、日本に多くいる系統を持っていないため、当初から花嫁候補の繁殖牝馬に恵まれていた。

これらの状況を踏まえてみると、年末までに2勝馬がいない点について、疑問を呈す声もあった。五郎兵衛さんが言うように、早い時期から結果を出せない──いわゆるクラシックに乗れないようなタイプの馬が多いという弱点を抱えているように思われたのだ。

しかし、初年度産駒が3歳を迎えた冬。

黒竹賞(3歳500万下、中山ダート1800m)で後続をぶっちぎり、2勝目をあげた馬がいた。

それが、サクセスブロッケンだった。

ダートながらついに2勝馬が誕生、それも圧倒的な強さを見せてのものだった。

ダートで4連勝し破竹の勢いをみせたサクセスブロッケンは、日本ダービーに挑戦。

いわゆるダート路線の裏街道ではあったが、あまりのインパクトある強さに、日本ダービーでは3番人気に支持されるに至った。

そのサクセスブロッケンは、日本ダービーこそ最下位の18着に終わったが、翌年4歳で本格化。フェブラリーSや東京大賞典を勝利し、ダート界のチャンピオンとして4億円を稼いだ。

サクセスブロッケンを筆頭に、ダートで活躍する産駒が目立ってくるようになったため、五郎兵衛さんのように軽い芝向きの馬ではないという評価は多くなっていった。

しかし、果たしてそうだろうか?

八兵衛さんの反論は、まだまだ続いているようだ。

2006年世代からは、6歳になって安田記念を制したストロングリターンが登場。

この馬が安田記念で樹立した記録1分31秒3は2019年、ノームコア(ヴィクトリアマイル、1分30秒5)に破られるまで長らくレコードタイムだった。

芝の大舞台に強く、成長力に長けるロベルト系の真骨頂だ。

五郎兵衛さんが言う『成長力がある=晩成型』という説を覆えしたのが、2009年世代のアルフレードだ。2歳9月にデビュー後、3連勝で朝日杯FSを制し、2歳王者となった。

しかし一方で、アルフレードは3歳以降勝ち星がなく、五郎兵衛さんのクラシック向きではないという説を補完してしまうことにもなる。

……が、ついに、クラシック路線の『主役クラス』が、産駒からあらわれる。

それが2010年世代のエピファネイアである。

母は日米オークスを勝った名牝シーザリオ。超良血の前評判通り、エピファネイアは、ラジオNIKKEI杯2歳Sでのちの日本ダービー馬キズナに競り勝ち、翌年のクラシック戦線で主役を張った。

ところが、シンボリクリスエスが現役中に見せた気高さが、エピファネイアの気性に悪い影響を与えてしまう。

徐々に折り合いの難しさを露呈し始めたエピファネイアは、かねてからの目標であった日本ダービーでつまずく場面を見せてしまう。それでも一旦は先頭のシーンを作ったものの、最後にはキズナの末脚に屈して2着に惜敗。

春は無冠のまま終わってしまったのだ。

だが、シンボリクリスエスの成長力がエピファネイアを蘇らせた。

エピファネイアは最後の一冠・菊花賞をノーステッキで快勝。底知れぬ血の可能性を披露した。

そして、4歳秋。3歳春で上手く走れなかった舞台(東京芝2400m)ジャパンカップで並みいる強豪相手に0秒7差の大勝。

名実ともに『シンボリクリスエス産駒の代表』として、種牡馬入りを遂げた。

エピファネイアの社台スタリオンステーション入りと前後して、シンボリクリスエスはブリーダーズ・スタリオン・ステーションへと移動。そして、2019年に種牡馬を引退した。

以降は、千葉県にあるシンボリ牧場で余生を送る。

八「いいかい、ほかにもルヴァンスレーヴって、2歳からダートで重賞勝ってるのもいてよ、色んなのがいるんだよ。母父となりゃ、レイデオロがダービー勝つし、ホント、色とりどりじゃねぇか。ロベルト系ってのはさ、そこがいいのさ。芝もダートも短距離も中距離もこなせるんだ。万能なんだよ、万能」

五「お、おお、そりゃまあ、万能なら、つぶしが効くってもんだよな」

八「おめえさんみたいにバクチばっかで、うちのかかぁに金を借りるような猪突猛進とは訳がちがうのよ、シンボリクリスエスは」

ぐうの音もでない五郎兵衛さん。

八兵衛さんと一緒にPOGで指名するシンボリクリスエス産駒を探しはじめたそうな。

おあとがよろしいようで。

写真:Horse Memorys

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