ヒガシウィルウィン〜勝利へ向かって〜

2017年7月12日。
この日、とある一頭の地方馬が、並み居るJRAの強豪を振り切り世代の頂点に立った。

その馬の名は、ヒガシウィルウィン。

7年振りに誕生した、地方所属馬でダートの世代最強の座を射止めた馬だ。

父は2017年に亡くなった2003年JBCスプリント覇者のサウスヴィグラス。
全姉に名古屋競馬所属のワンダフルタイムという血統で、生まれた当初は短距離適性だと思われていた。

そんな血統背景もあって、ヒガシウィルウィンは2歳の5月に門別でデビューする。
デビューから5戦は1000mから1600mの短距離を走ったのだが、勝ったのは1度だけで後は連対に留まるという戦績。

「もしかしてこの馬は父の能力がそれほど遺伝していないのでは……?」

そんな不安も出てくるような8月、陣営はスタミナが試される1700m戦を選択。
するといきなり上がり最速の完勝を見せつける。続く2戦目のサンライズカップではスウィフトハートとの競り合いを制し、これも上がり最速タイで勝利。

こうなってくると、次の北海道2歳優駿でも期待が持てる。
──しかしここでJRAからの遠征馬と直接対決を経験し、大きな力の差を痛感する事となる。
その筆頭は、のちにUAEダービーを僅差の2着とした、エピカリス。北海道2歳優駿でつけられたタイム差は何と2秒4だった。
しかもエピカリスは終始単騎先頭という強い競馬。それでいてヒガシウィルウィンより上がり3ハロンが1秒7も速いのだから、JRAのエリートたちの高い壁を嫌というほど痛感することとなった。

続く全日本2歳優駿ではリエノテソーロとシゲルコングという中央馬だけではなく、兵庫ジュニアグランプリチャンピオンを制覇した地方馬・ローブジュレップにも完敗を喫する。

だが、ここで転機が訪れる。
ホッカイドウ競馬所属だったヒガシウィルウィンは、ここで思いきって南関東・船橋競馬に移籍したのだ。それは7ヶ月後に迫っていたジャパンダートダービー、そして大井でのクラシック三冠を見据えての事だった。
そしてその作戦は、早くも年明けの浦和で成功の兆しを見せる。

後に三冠レースでライバルとなるブラウンレガートとの叩きあいを制し見事に連敗をストップさせると、三冠シリーズの前哨戦である京浜盃では、全日本2歳優駿で戦ったローズジュレップを鮮やかに差しきり、連勝街道を突き進む。

しかし、再びJRAからの刺客が、以前とは異なる形で立ちはだかる。
中央馬の移籍である。

これには、2つの大きな背景がある。
1つは賞金の充実したジャパンダートダービーの存在。
もう1つは中央競馬で行われる3歳ダート路線のレースが充実していないという点だ。
中央3歳限定のレースはヒヤシンスSやユニコーンSがあるものの、さらに大きなタイトルといえば地方交流重賞であるJDDの名前があがってくる。
しかもその出走枠はJRA所属馬には狭き門となっているため、JDDを目指して移籍する中央馬は少なくないのだ。

これらの背景により、羽田盃でヒガシウィルウィンの前に立ちはだかったのが、ヒヤシンスSでエピカリスの5着から南関移籍を果たした実力派・キャプテンキングだった。

レースが始まると、キャプテンキングは中央で見せなかった「逃げ」の戦法でヒガシウィルウィンを振り切ってしまう。

しかし、ヒガシウィルウィンの逆襲はここから始まる。
──1度負けた強い馬には、必ず勝つ。
これがヒガシウィルウィンの真骨頂であった。
続く東京ダービー。
折り合いを重視したキャプテンキングを尻目に、先行したヒガシウィルウィンがレースを進める。
最後の直線では2頭の争いになるかと思われたが、内からブラウンレガートが伸びてきて、ヒガシウィルウィンとキャプテンキングの3頭の叩きあいとなる。
勝負が決したのは、残り300m地点。
羽田盃で悔し涙を流した、ヒガシウィルウィンがただ一頭突き抜けたのだ。

その差は3馬身、4馬身と一気に広がっていく。キャプテンキングとブラウンレガートが2着争いをしているが、そんなものは関係ないと言わんばかりの独走劇。まるで1度負けた相手に己の強さを見せつけるかのように。

その勝利を経て、ヒガシウィルウィンは一気に地方所属馬における世代の中心となったのだ。
それまではあくまで名脇役といった雰囲気だった素質馬が、ひとつの完勝で急に主役の座を掴み取った。

「この馬なら、7年ぶりの快挙も夢じゃない」

そんな声も聞かれるようになった。

そして、北海道2歳優駿、全日本2歳優駿に続き、3度目の正直を目指したい交流重賞・ジャパンダートダービーの日がやってくる。
このレースは後にG1戦線を盛り上げる事となるサンライズノヴァとサンライズソアをはじめ、レパードSでエピカリスに先着するローズプリンスダム・タガノディグオなど、エピカリスが不在ながら地方中央を問わずメンバーが揃っていた。

東京ダービーと同じ舞台での開催ではあるが、観衆の熱気はさらに高まっていた。好メンバー、大観衆、大声援──ヒガシウィルウィンはそんな状況でも、落ち着いていた。
寧ろその馬名にもある「ウィン=勝利」に向けて、準備は万端のように見えた。

初めての舞台で戸惑いを見せる中央馬もいるなか、ジャパンダートダービーのゲートが開いた。

ノーブルサターンがハナを切り、2番手にローズプリンスダムという展開。ヒガシウィルウィンがすんなりと3番手で折り合おうとしたところ、外からシゲルコング、サンライズソア、キャプテンキング、リゾネーターと畳み掛けるように進出。序盤から激しいポジション争いが繰り広げられる。
さすがは中央馬というような激しいつばぜり合いにも、ヒガシウィルウィンは怯まなかった。

ポジション争いが落ち着くと、レースのペースはかなりゆったりとしたものになる。そのペースに、折り合いを欠いた馬が続出する。
その中で折り合い続けていたのが、馬群に揉まれている筈のヒガシウィルウィンだった。

最終コーナーを回ったところでレースはさらに一変、激しい攻防になったが……その瞬間、ヒガシウィルウィンの視界が一気に開けた。

ここからが、ヒガシウィルウィンの真骨頂だ。

一気に末脚を爆発させるヒガシウィルウィン。最内を突いて追い込むサンライズソア。馬場の真ん中からタガノディグオ、馬群の間を縫うようにリゾネーター、4頭の激しい追い比べになった。

サンライズノヴァは距離の限界なのか脚色が鈍り始める。他3頭はそれぞれ、まだスタミナは残していそうだ。
その中で先に抜け出したのは、サンライズソアとヒガシウィルウィン。

中央馬VS地方馬。
内外離れながらも、意地と意地がぶつかり合う。これが3度目の交流重賞挑戦となったヒガシウィルウィンは、ゴール手前で勝負根性を見せつけて頭一つサンライズソアよりも抜け出していた。

その瞬間、7年振りの夢が現実となった。
この時を、どれほど多くの地方競馬ファンが待っていたのだろうか。
待ちに待った、地方馬によるG1級競走の制覇。
現地は大いに盛り上がり、鞍上へのコールも巻き起こる程だった。

そしてこれが、サウスヴィグラス産駒の牡馬として、初めての交流G1制覇だった。
しかも、父が得意としていた短距離ではなく、クラシックディスタンスの2000mでの勝利。
父の価値を更に高め、その産駒にも大いなる夢を与える勝利であった。この功績は、血を伝える上でもとてつもなく大きな意味を持つ。まさに「親孝行」と呼べる走りだった。


ヒガシウィルウィンをジャパンダートダービー制覇へと導いた佐藤賢二調教師が、2020年5月1日に心臓死の疑いによりお亡くなりになられました。
御冥福をお祈り申し上げます。

写真:s.taka

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