テーオーケインズ - 静かなる灰かぶりの帝王

七月の初めに大井競馬場で開催される帝王賞。全国からダート路線の駿馬が集う、砂のグランプリだ。サマーシーズンはG1級レースが秋まで組まれないため、この賞こそが上半期の競馬を締めくくるビッグレースになる。

ナイターのカクテル光線を浴びて、地方中央問わず集結した優駿が、500mもの長いロングストレートを駆け抜けてゆく。このスペクタクルは大井競馬でしか味わえないものだろう。ハシルショウグン、フリオーソといった地方の星や、ホクトベガやスマートファルコンといったアイドル馬がこの帝王賞へと挑み、一着を勝ち取ってきた。

この帝王賞にまつわる名馬を一頭挙げるとするなら、私はテーオーケインズを選ぶ。

彼はどこか不思議な馬だった。生い立ちから、辿った運命、その引退後まで。いくつもの数奇な運命を潜り抜けて、砂上の覇者は諦めることなく駆け続けた。今回は日本競馬に君臨する『帝王』達の中でも、最も強運の1頭といえるテーオーケインズについて綴っていこう。

数奇な巡り合わせの果てに

テーオーケインズは、キタサンブラックやコパノリッキーを輩出したヤナガワ牧場で生を受けた。その父は、シニスターミニスターという米国からの輸入馬である。彼はG1レースのブルーグラスSで、なんと十二馬身差で圧勝したという。だがケンタッキーダービーでは大敗し、その後も借敗続きのまま引退したというダート馬だった。輸入当時の新聞記事でも『掘り出し物のお得な種牡馬』と紹介されていて、かつてはお手頃な種牡馬といった印象だった。

その母はというと、マキシムカフェという未勝利馬だ。未勝利ではあるが、サンデーサイレンスとMr.Prospectorの血を受け継ぐ良血馬である。にしても彼女は芝コースを専門に走り、その父マンハッタンカフェも長距離芝コースを得意としていたはずなのだが、なぜ彼女はダート馬シニスターミニスターとの交配が決まったのだろうか…生い立ちからして、不思議な馬である。

そんな背景を持つテーオーケインズはデビューしても、あまり注目されなかった。デビュー時の人気は七番人気で三着。その後は未勝利を脱出しても重賞で除外されたりと、平場のレースでよく見る普通の馬そのものであった。けれど彼の馬生自体を左右する出来事が、三歳の八月に起きた。

彼が栗東のトレーニングセンターに滞在していた時、その隣の馬房で火事が起きた。
出火元の馬房は全焼し、彼の馬房へも火の手が回ってしまう。

火事は、馬にとっても悲劇でしかない。人間のようにドアを開けて逃げられない馬は、救助されない限りは燃え死んでしまう。幸いにもテーオーケインズは生き残ることができたが、この火事は五頭の競走馬が焼死してしまう悲劇となってしまった。そして、テーオーケインズは灰や煙を吸い込んだ影響から、五か月間の休養を余儀なくされる。

しかしながら、この休養中に、彼は見違えるほど強く成長したのだ。

火事に被災する前と後で、テーオーケインズは『別の馬』という印象がある。終盤の加速力と馬体の見栄えが明らかに異なる。溢れんばかりのパワーで砂を書き上げて前進する様は、重戦車のようだった。単に馬体が休養中に本格化しただけかもしれないが、彼自身の心にも何らかの変化があったように思えてならない。彼は生死を彷徨ったとき、何を見て、何を感じ取ったのだろう。それを知るのは彼自身だけである。けれども、私の空想でしかないが、休養後の走りには「このまま死んでなるものか」という反骨心が見て取れるような気がした。

彼の性格はというと、拘りが強いマイペース気質であるそうだ。けれども主戦騎手の松山騎手には従順で、賢さと激しさのバランスが丁度良い塩梅である。

生まれと育ちに異色の経歴を持つ彼は、復帰後半年でOP入りを果たし、重賞のアンタレスSも快勝。その勢いのままテーオーケインズは初のG1級レース、帝王賞へと挑んでゆく。

静寂が支配する海辺の舞踏会

ダートのG1戦線は混戦模様の時期が多い。ダートコースは芝よりも馬体への負担が少なく、競走馬の現役年数も長くなり、優秀な古参馬も結果的に増える。ゆえに、ダートのG1レースともなると常に群雄割拠の豪華な出走表が掲示される。そして競馬ファンは頭を悩ませることになるのだ。

2021年の帝王賞で私が本命にしたのは、そんな古参馬のノンコノユメであった。語感の良さから元々好きな馬で、復活を期してのがんばれ馬券だった。他にもオメガパヒューム、チュウワウィザードなど、ベテラン馬の名前がずらりと並ぶ出走表。その中で四歳のテーオーケインズは新進気鋭の存在と言えただろう。

コロナ禍により無観客のがらんどうな大井競馬場で、第44回帝王賞のゲートは静かに開いた。

良い発走を決めたテーオーケインズはダノンファラオと競り合うが、その間からカジノフォンテンが抜け出して先手を奪う。そのままの態勢で各馬コーナーを回り、大森海岸に面した向こう正面へと馬群は進んでゆく。テーオーケインズはやや順位を下げて、タイムロスの少なくなる最内回りのコーナーを回る『経済コース』を採っていた。

ナイターの夜灯に照らされて、馬群の向こうに海岸のさざ波が浮かび上がる。ナイターの大井競馬場でしか見ることの出来ない、まどろみの中で見る夢のような景色だ。第四コーナーを回った時、カジノフォンテンが前を塞ぎ、他の追い込み馬も速度を上げてゆく中で、テーオーケインズの状況は不利に陥りつつあった。

ただ…不思議な事に、カジノフォンテンが最終コーナーを曲がり切れず、やや外に膨らんでしまった。テーオーケインズを塞ぐ障壁が、一瞬だけ消えた。テーオーケインズと松山騎手は、その好機を──突然に開けた覇道への進路を、見逃さなかった。経済コースで温存した体力を解き放って急加速を決めた彼は、馬群の先頭へと躍り出る。

カクテル光線を浴びて、そのすばらしい栗毛の馬体は、一層輝いて見えた。

力強く砂を蹴り上げて、貴方は長いランウェイを踏みしめてゆく。その先に栄光があると知っているかのように。

レースに挑んだもう一頭の王、ダノンファラオを振り切り、先頭に立ったテーオーケインズは、帝王賞の冠へと一歩一歩近づいてゆく。

だが、ダート戦線は好事魔多し。先ほどまで後方にいたはずのノンコノユメが、残り二百メートルで大外から猛然と突っ込んできた。一瞬だけ緩んだ貴方の勢いを削ぐべく、彼らは人馬一体となって追いすがる。

その追撃に応え、テーオーケインズは溢れんばかりのパワーを砂へ叩きつけて、後続をまとめて引きはがした。

きっと夕日が落ちてから12時を回るまで、貴方の灰かぶりの魔法は解けない。けれども、魔法や幸運はきっかけにすぎない。貴方の心に芽生えた挫けぬ心こそが、勝利へ至るための道標となる。

500mのロングストレートを駆け抜けて、テーオーケインズは帝王賞の優勝レイを我が物とした。

私としてはノンコノユメに一着を取ってほしかったが、悔しさは不思議となかった。これほど強く文句のつけようのない完璧なレースをされては、誰だって勝てやしない。

終幕もおとぎ話のように

テーオーケインズはこの年のチャンピオンズカップも制し、文字通りの覇者としてダート界へ君臨した。しかし、やはりダート馬は層が厚い。メイショウハリオ、ウシュバテソーロ、レモンポップなどの同期や後輩の名馬が、彼のライバルとして現れて、G1タイトルを搔っ攫ってゆく。テーオーケインズは彼らと名勝負を繰り広げるが、なかなか主役の座を取り戻しきれなかった。

それでも彼は、G1級レースで掲示板から名前が消えた事が無い。引退レースとなった2023年チャンピオンズカップでも、帝王賞で見せたような抜群のパワーと急加速を見せて、上位勢に食らい付いて四着へ入線した。その時の私はテーオーケインズのがんばれ馬券も持っていた。ただ、惜しい事にノンコノユメ再びとは行かなかったが。彼の成績は25戦10勝、そのうち3勝はG1級レース。総獲得賞金は6億7481万5900円。その偉大さに声を失うばかりである。

国内ダート馬は、G1級レースを勝利していても種牡馬に成れないケースがままある。けれどテーオーケインズはトントン拍子で種牡馬となれた。父のシニスターミニスターが前評判を覆し、地方競馬の種牡馬として大成功したことも大きく後押ししたことだろう。高齢となった父の代打として、テーオーケインズの需要は高かった。引退後までどこか、おとぎ話のような不思議な強運に支えられているように思える。競馬には、こうしたミラクルな事象がつきものだ。きっと彼の産駒たちも、親譲りの強運を我々に見せてくれるだろう。

上半期を締めくくる初夏の決戦、帝王賞。梅雨が去りつつあるタイミングで、新馬戦の予想に苦しみながらも帝王賞の日程を確かめていた時──テーオーケインズの顔を、ふと思い浮かべた。

冠に抱いた帝王の名に違わず、貴方は力強く砂の戦場を駆け抜けた。災難に巻き込まれても、貴方の心が死ぬ事は無かった。反骨心に溢れた走法でライバルとしのぎを削り、死闘を繰り広げた貴方の雄姿に、感銘を受けない者など居ない。

その優駿の名は、テーオーケインズ。

貴方の逞しい馬体には、不思議と海岸沿いの夜景が良く似合う。

写真:ほこなこ、茉莉花茶、s1nihs

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