オルフェーヴルやゴールドシップのやらかしに、どこか頷いた自分がいた。そして必ずステイゴールドの現役時代に記憶が飛んだ。人気が急落した途端に激走、なかなか勝たないGⅠ、7歳の暮れ、エクラールとの激闘、シャティンの歓喜。ステイゴールドの競走生活はいつも人を欺き、それでも期待を込めて信じ続けた人々を救ってきた。種牡馬になってからは、隠し持っていた競走能力と全面に押し出していた気難しさを産駒に伝え、2015年にこの世を去ってなお、ステイゴールドは自身を信じてくれる人々を救いの手を時々差し伸べてくる。
ステイゴールドの最終世代の一頭、マイネルファンロンが2021年新潟記念を12番人気で勝った。外ラチ沿いを真一文字に駆け抜ける青鹿毛とラフィアンの勝負服にどうにも頷けない自分がいた。
「それはいくらなんでもやりすぎだぜ」
マイネルファンロンの母はマイネテレジア。その年の春、オークスを勝ち、春先に天国へ旅立った岡田繁幸氏にクラシック勝利を捧げたユーバーレーベンは3歳下の妹にあたる。マイネテレジアは岡田氏の結晶だった。その祖母マイネプリテンダーは氏がニュージーランドで発掘し、クラシックを期待したマイネヌーヴェルに氏がアメリカから連れてきたロージズインメイを交配、マイネテレジアが生まれた。ステイゴールドもまた氏が惚れこんだ種牡馬。マイネルファンロンもゴールドシップを父に持つユーバーレーベンも岡田氏の宝物だった。2020年暮れ、競馬中継番組に岡田氏が出演した際にいささか遠慮気味にユーバーレーベンへの期待を口にしていた場面は印象的だった。
そんな経緯もあり、ユーバーレーベンがオークス制覇したまではいいのだ。マイネルファンロンはどうしてよりにもよって新潟記念を勝ったのか。
お前はなんでそこまでマイネルファンロンの新潟記念に異を唱えるんだ。きっとステイゴールドを信じる人たちにとってそれは不思議でもなんでもないかもしれない。だが、よく考えてほしい。マイネルファンロンの芝2000m持ち時計は2019年2月アメジストSで記録した1分58秒9。決着時計は1分58秒3。マイネルファンロンは0秒6差5着。これは一般的には馬場に助けられた記録であり、マイネルファンロンが芝2000mで勝利をあげたのは18年9月29日習志野特別2分01秒8。2分を切る好走は1分59秒0(ノベンバーS3着)、1分59秒6(函館記念2着)の2回。新潟記念1分58秒4はマイネルファンロンにとって芝2000mレコードだ。
さらにマイネルファンロンは上がり最速33秒4の末脚を繰り出し、4コーナー15番手から追い込んだ。先にあげたレースではすべて4コーナー3番手以内からの粘り込み。新潟記念を除けば、4コーナー10番手より後ろは20年エプソムCしかない。このレースはスタート直後に左右から寄られ、行き脚つかず、2秒1差12着、見せ場もなかった。上がり33秒4は3歳秋ウェルカムS5着時にマークした33秒1に次ぐ自身2番目の記録。好走ははじめてだ。
高齢になり、自身の走破時計を更新、突如、培ってきたスタイルを捨て、イメージを拭い去るような瞬発力を繰り出したのはなぜか。答えはひとつしかない。
父がステイゴールドだからだ。
彼は現役時代も種牡馬になってからも、そして死してなお、人々を欺き続けてきた。「つまらん決めつけなんて捨てないと、いかんよ」。マイネルファンロンが外ラチ沿いを駆ける姿にステイゴールドの言葉が聞こえてくる。「信じてくれて、ありがとうよ」。
マイネテレジア、岡田繁幸氏、そしてステイゴールド。競馬にはデータも理屈も歯が立たない不思議があふれている。
21年新潟記念のレース後、SNSにはステイゴールド一族を信じ、半ば無条件にマイネルファンロンを応援し、歓喜に涙する言葉が無数にあった。まだまだ私にはステイゴールドを信じる力が足りなかった。2001年、ステイゴールドを信じ、勝利を祈っていた自分を思い出した。
写真:かずーみ