バウンシーチューン〜全身全霊を捧げ尽くした豪脚〜

2011年4月24日、日曜日。
晴れ渡る東京競馬場で、1頭の栗毛馬による"伝説"が、始まった。
2着に3馬身をつけてGⅠ皐月賞の栄冠を父ステイゴールドにもたらしたオルフェーヴル。

この勝利は、種牡馬ステイゴールドにとって初めての「土日連続重賞制覇」でもあったのだ。

──そう、この前日、同じ府中の芝2000mで、同じステイゴールドの仔が重賞の栄冠を手にしている。

今回の主役は、オルフェーヴルの皐月賞の前日に重賞を勝った馬、バウンシーチューンである。


バウンシーチューンは父ステイゴールド、母リーインフォーストの6番仔として、2008年4月19日、北海道千歳市の社台ファームで生を受けた。母母父ノーザンテースト、母父トニービン、そして父方にはサンデーサイレンス。その血統表からは、社台グループの進取と執念の歴史が読み取れる。

5歳上の半兄には2007年のワールドスーパージョッキーズシリーズで地方競馬代表の高知・赤岡修次騎手にJRA初勝利をもたらしオープン馬となったカネトシツヨシオー(父タヤスツヨシ)がいる。

テイエムプリキュアとともに2009年エリザベス女王杯を逃げ切って全国の競馬ファンの呼吸をしばし止めたクィーンスプマンテと同じグリーンファームの持ち馬となったバウンシーチューンは、開業間もない美浦、田島俊明厩舎に入厩。

明け3歳となった2011年1月9日、三浦皇成騎手とのコンビでデビュー戦を迎えた。


走り始めた頃のステイゴールド産駒牝馬は、とにかく「ちっちゃいコが直線後ろからぶっ飛んでくる」印象が強かったように思う。

4角12番手からぐんぐん直線加速し、計ったようにハナ差差し切って産駒重賞初制覇をもたらした2006年マーメイドステークスのソリッドプラチナム(416キロ)。

ゴール手前80mまで場内実況に気づかれないほどの巧みなステップで馬群を縫い上げ、2007年福島記念を完勝したアルコセニョーラ(432キロ)。

最後の直線大外から位置取り押し上げ、場内実況の目線が切れた瞬間を狙ったかのように二の矢を繰り出し、決勝戦を過ぎるまで直線で一度もその名を呼ばれることなく2008年フィリーズレビューを制したマイネレーツェルに至っては、何と396キロである。


中山マイルの新馬戦に姿を見せたバウンシーチューンは馬体重420キロ。
単勝11番人気に甘んじた彼女はゲートが開いた瞬間半馬身ほど他馬を置き去りにする好スタートを決めたにもかかわらず、位置取りの指示があったのかその後スルスルと中段に下げ、ひたすら内に潜んで直線じりじりと詰め寄り0秒4差の3着に食い込んだ。上がり34秒7は、メンバー中最速であった。

2戦目は中2週で、左回りとなる冬の東京開幕週のマイル戦に転戦。
422キロ、9番人気。今度はゲートで立ち遅れたバウンシーチューンはまたも内でじっと息を潜めて後方で様子見。直線は内から追い上げて0秒5差の4着と再び好走した。上がり33秒6は、またもメンバー中最速。

さらに中1週で同条件の牝馬限定戦、420キロ。2戦連続の上がり最速が評価されたのか初めて単勝10倍を切る5番人気となったバウンシーチューンは、ここで新境地を見せる。

スタートこそ前走と同じく立ち遅れたものの、3,4コーナー中間から一気にテンポアップ。馬群の外を勢い任せに上がっていき、4コーナー出口で遠心力を使うように一気に大外に持ち出すと一陣の風のごとく前を一呑み。最後は自分から動いていった分末が甘くなったのかママキジャに差し返されたが、負けて強しの2着。当然のように最速の上がりは(やや重にもかかわらず)33秒9を記録した。

ちっちゃくて後ろから"ぶっ飛んで"くる──。

まさに「走るステイゴールド牝馬」の体現者となりつつあったバウンシーチューンは、中2週で3戦ぶりの右回り、中山競馬場に戻って3月5日の牝馬限定未勝利戦にエントリー。1ハロン伸びた初距離の1800m戦にもかかわらず人気はうなぎのぼりで、単勝1.8倍の圧倒的1番人気に支持された。馬体重は、2キロ減らして418キロ。

大外16番枠から五分のスタートを決めたバウンシーチューンは出たなりで外、外を追走。道中1ハロン14秒台を計時するスローペースで先団中段の馬たちがリズムをかく乱される出入りの激しい展開もどこ吹く風、あわてず騒がず後方2番手を追走すると3,4コーナーで大外をぐんぐんまくり上がっていく。

レース経験を経て研ぎ澄まされていったその末脚は最後の直線でアクセル全開。切れに切れた。

4戦連続の最速となる上がり35秒1の豪脚で直線一気、最後は2着に1馬身半もの差をつけた。
余裕綽々、1番人気にこたえる完勝であった。たてがみを振り乱しながら他馬より1テンポ速いピッチで中山競馬場の直線をハヤテ一文字に一閃するその姿は、まさに"Bouncy"の形容にふさわしいものであった。

バウンシーチューンは5戦目にして見事初めての勝どきを上げた。

日本中の時が止まる、6日前のことだった。


それから7週間後の2011年4月23日、48日ぶりに関東圏に中央競馬のファンファーレが鳴り渡った。午後3時半、バウンシーチューンの姿は春の雨降り残る東京競馬場にあった。3月5日に勝ち星を挙げていなければ、彼女が重賞の舞台に立つことはなかったかもしれない。

──何せ、関東ではレースが無かったのだから。

その重賞はオークストライアル、フローラステークス。
3歳牝馬に春残された最後の頂へ、当時は3枚用意されていた切符を巡って、17頭がそろった。馬場状態は重。

1番人気は桜花賞7着から中1週の強行軍で駒を進めたフェアリーステークス勝ちの良血ダンスファンタジア。

こちらも重賞ウイナーのマイネイサベルが2番人気。重厚な欧州血統が力のいる馬場で買われたか、堅実な走りを見せ続けていたピュアブリーゼが3番人気で続いた。

前走勝って上昇気流に乗った2頭のうちの1頭にも関わらずバウンシーチューンは9番人気の伏兵。出走間隔が空いたにもかかわらず馬体重は前走より6キロ減って412キロと、デビュー以来最軽量となっていた。

1コーナー奥のスタート地点。絶え間なく吹く南風を真正面から受け、第46回フローラステークスのゲートが開いた。


先手必勝、ハナを主張したのは2月のクイーンカップでも逃げたカトルズリップスと前走小倉で逃げ切ったセレブリティ。外から出たカトルズリップスのほうが先頭の景色は譲らないとばかりに飛び出していって2コーナーに入っていった。

内からピュアブリーゼ、エアグルーヴの孫アドマイヤセプター、ハッピーグラスが積極策に出て、さらにマイネソルシエールも好位追走。

キングヘイロー産駒フレンドサンポウの後ろに人気のダンスファンタジアとアグネスタキオンの仔サトノフローラが並んで中段を進む。こちらもステイゴールド産駒、母父メジロマックイーンのメジロミドウ、2番人気のマイネイサベルがやや後方に控えている。バウンシーチューンが場内実況にその名を呼ばれたのは15番目。三浦皇成騎手が手綱をしっかり押さえて後方を追走していた。コンビを組んで5戦目。その末脚への絶対の信頼が、そこにはあった。

3馬身と大きなリードを取っていたマンハッタンカフェの仔カトルズリップスを巡って先団、中段の各馬が動き出した3、4コーナー。大きなアクションはピュアブリーゼ鞍上の内田博幸騎手とサトノフローラにまたがる石橋脩騎手。ダンスファンタジアと策士横山典弘騎手は前が詰まるのを嫌ってか外差し準備の構え。マイネイサベルと松岡正海騎手もペースアップを図る中、バウンシーチューンと三浦皇成騎手は何かから身を隠しているかの如くぴったりと内ラチ沿いに貼りついていた。

600のハロン棒を通過したころ、最内バウンシーチューンの眼前には四重、五重の馬群が壁となって立ちふさがっていた。


ふと馬上の三浦騎手がチラッとそのまなざしを右に向けた。彼は冷静だった。前は壁だったが、外には道が開けていたのだ。

次の瞬間、三浦騎手は迅速果断にバウンシーチューンを一気に外に持ち出した。まさに慧眼。

4コーナー出口からの僅か十数完歩でバウンシーチューンは馬場の4分どころまで進路を切り替えていた。

レースは残り400。

先頭を行くカトルズリップスが必死の抵抗を見せる。

セレブリティ、アドマイヤセプターの2番手集団に手ごたえよくピュアブリーゼが並びかけていく。

中段からはマイネソルシエールとハッピーグラスが馬体を接して前を追う。

そして大外。マイネイサベルとの併せ馬が闘志にさらに火をつけたか、緑、黒三本輪の勝負服と、一回りちっちゃい鹿毛が両脚を目いっぱい伸ばしてぶっ飛んできた。

さらには大外から……ぐいぐいと、バウンシーチューンが差を詰めてくる、バウンシーチューン!

場内実況が、一瞬言いよどんだ。そして約1分11秒ぶりにバウンシーチューンの名を呼んだ。

恐らく「ぐいぐいと」の間に手元の「塗り絵」で馬名を確かめていたのではないだろうか。それほど意外な馬が、意外なところから足を伸ばしてきたのだ。

残り150m、先行集団から生き残ったピュアブリーゼが1馬身ほど抜け出した。中段からは大穴マイネソルシエールがハッピーグラスの食い下がりを振り切ってそれに迫る。そして追い込んできたバウンシーチューン。オークスの切符はこの3頭で決まりだ。あとは勝負だ。

残り100。

内から内田博幸騎手がピュアブリーゼを残そうと渾身の腕力で押しまくる。

間からは柴田大知騎手が14年ぶりの重賞タイトルを逃すまいと、マイネソルシエールに右鞭を打ち付けて叱咤する。

そして外からはバウンシーチューンの豪脚をさらに引き出そうと三浦皇成騎手が全身を躍動させる。

3頭並んだ! 3頭並んでのゴール!!!

三者三様、それぞれの人馬が持てる力を、勝利への執念を振り絞り尽くしたところがゴールだった。

勝ったのは4枠8番、バウンシーチューンだった。アタマ差。

マイネソルシエールが2着。さらに首差でピュアブリーゼが入った。

重馬場の勝ち時計は2分3秒3。バウンシーチューンの上がり3F36秒2は、デビュー以来5戦連続の最速。管理する田島俊明調教師に、初めての重賞タイトルをもたらした。

前途洋々たる豪快な勝ちっぷりを見せたバウンシーチューンは勇躍4週後、3歳牝馬最強の名をかけて檜舞台オークスに向かうが、勝馬と同タイム首差2着と大健闘を見せたピュアブリーゼから遅れること2秒9。18頭中17着と惨敗してしまう。夏は休養に充て、秋の福島記念からリスタートするもその後7戦で最高8着、本賞金を1円も獲得することができないまま、翌2012年暮れの準オープンのレースを最後に、その競走生活に静かに幕を下ろした。

2011年4月23日、土曜日。

ステイゴールド産駒のJRA重賞通算25勝目は、ちっちゃい牝馬が、その持てる競走能力の全てを、全身全霊を捧げ尽くした豪脚によってもたらされた、と言っていいのかもしれない。

現在バウンシーチューンは北海道白老町の社台コーポレーション白老ファームで繁殖生活を送っている。残念ながらここまで中央競馬で勝ち名乗りを上げた産駒はいない(2021年4月現在)。

しかし、いつの日か彼女の仔がターフを「威勢よく」躍動してスポットライトを浴びる日が来ることを、願って止まない。

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