私のヒーロー、スペシャルウィーク。
1990年代後半から20世紀末にかけてのG1レースを振り返るのが、私は大好きだ。
あの頃……1990年代後半は、今も語り継がれる名馬が続々と登場し、記憶に残る名シーンをいくつも創ってくれたように思う。いわゆる「個性派」と言われるオープン馬がひしめき合い、脚質の違いや血統背景のロマンから、それぞれの馬に“推し”が集まり、「馬券を買って推し馬を応援する」新しいファン層が拡大した。
世代ごとに登場する新ヒーローが世代のプライドを賭けて4歳馬(現3歳馬)vs古馬の混合戦で盛り上がる。「今年の4歳(3歳)はハイレベル」とか「今の5歳世代は黄金世代で4歳世代は不作では……」とか、夏の終わり頃の飲み会で展開する世代別に評価していく議論は、最高の肴となり、酒量がどんどん進む居酒屋での一大イベントとなっていた。
ステイゴールド、サイレンススズカ、タイキシャトル、キングヘイロー、グラスワンダー、エアグルーヴ、メジロドーベル等々。それぞれが各馬への思いを託し、推し馬に夢を載せてレースを楽しんでいた。
私にとって、当時のヒーローは、エルコンドルパサーとスペシャルウィークが頭一つ抜けていたように思う。前者はマル外の無敵スター、後者は武豊とのコンビが最も似合う「華」のあるヒーローだった。
そして世紀末の名勝負といえば、4歳春シーズンを別路線で歩み、それぞれが頂点を極めたエルコンドルパサーとスペシャルウイーク唯一の対戦、1998年のジャパンカップを思い出す。
菊花賞から中2週の出走、パドックでの仕上がりが究極にも見えたスペシャルウィークを、直線で子供扱いしたエルコンドルパサーの凄さに驚いた。
馬の気持ちに任せた粗削りともいえる豪快なレース運び、直線での余裕の先頭ゴール。追いすがるスペシャルウィークが離されていく衝撃のシーンは、今でも実況できるくらい目に焼き付いている。
双璧をなす二頭とはいえ、間違いなくエルコンドルパサーが強い、時間を置いて再戦してもたぶんエルコンドルパサーが勝つだろう──と、私は考えている。
ただ、スペシャルウィークの肩を持つわけではないが、ジャパンカップ時には武豊騎手が騎乗停止になっていたため、岡部騎手が騎乗していた。
もし、乗り慣れた武豊騎手でエルコンドルパサーと対戦していたら、少しは着差が縮まっていただろうか。武豊騎手なら、どんな作戦であのジャパンカップに挑むだろうか……。そんなことをあれこれ想像しながら、過去のG1レースを振り返るのも、私の楽しみのひとつだ。
ずば抜けた気品を漂わせた、スペシャルウィークと武豊騎手。
スペシャルウィーク・エルコンドルパサーの力関係について上述のような評価をしている以上「判官びいき」と言われても仕方ないかもしれないが、両ヒーローについて語る時、自然とスペシャルウィークを語る口調が熱くなってしまう。
私の目には、彼の持つ気品とカッコよさが当時のオープン馬の中でずば抜けているように映っていた。
更に、スペシャルウィークの背中には武豊騎手が一番似合ったように思う。もしも「武豊」が馬になったら、ディープインパクトやドウデュースではなく、スペシャルウィークに雰囲気がそっくりな名馬になるに違いないと、私は想像している。
スペシャルウィークのイメージは、学園ドラマによく登場する、教室の窓際に座っている物静かな高校生。いつもニコニコしながらクラスメートの中に溶け込んでいるのに、いざクラス内で事件やトラブルが起こる、その中心になって解決するヒーローになる。1時間完結のドラマで後半15分出ずっぱり、結局このドラマは彼が主役なんだ……というような、ここ一番と言う時に存在感を発揮するイメージを持っていた。
90年代後半に私たちの仲間内で合言葉のようになっていた、『結局は武豊!』を象徴する存在が、スペシャルウィーク。「あれこれ迷っても結局はスペシャルウィークから勝負」となり、いつの間にか“武豊=スペシャルウィーク”のイメージが形成されたのだと思う。
実際、スペシャルウィークの出走数17戦中15戦、全10勝中9勝は武豊騎手が騎乗。そして、レースパターンは全て「武豊が最も得意とするレース運び」の2パターンで展開しているように思う。
ひとつ目のパターンは、4歳時に多く見られた、前半馬なりから直線で先頭集団に取り付き末脚を爆発させるパターン。弥生賞や日本ダービーでは嵌ったものの、皐月賞、菊花賞では、強烈な逃げを展開するセイウンスカイを捕まえきれず惜敗した。
ふたつ目のパターンは、5歳春に見られた、スタートから5番手以内の好位につけ4コーナーで先頭に並びかけて後続を突き放すパターン。天皇賞・春では宿敵セイウンスカイを直線半ばで捕まえ、そして突き放した。続く宝塚記念、京都大賞典では、直線手前で勝利ポジションをキープするも後続馬に差されてしまい、現役ラストシーズンとなる天皇賞・秋のレースから再びひとつ目のパターンに戻している。
両パターンとも、『結局は武豊!』をレース後に叫ぶことになる、武豊騎手らしい王道のレース運びと言える。
優雅さすら漂う直線先頭のシーンは、“武豊=スペシャルウィーク”そのもの。焦りや悲壮感の無い、しなやかでしたたかなシルエットこそ、デビューから引退まで続いたスペシャルウィークの美しさだった。
「スペシャルウィークの新境地」を見出した、1999年アメリカジョッキークラブカップ。
スペシャルウィークの背中に武豊騎手以外の騎手が乗ったのは、17戦中2戦。
1998年ジャパンカップでの岡部騎手と、翌年のアメリカジョッキークラブカップでのO.ペリエ騎手である。
1999年のアメリカジョッキークラブカップ時、武豊騎手はシーキングザパールとともにアメリカのサンタモニカH出走のため渡米で不在。短期免許で来日中のO.ペリエ騎手が騎乗することになった。
冬の中山の名物レースは、「武豊からO.ペリエへの名手スイッチ」として、ダービー馬がどんなレースを見せるのかが注目された。午前中の新馬戦直後から降り始めた冷たい雨が、午後になって本降りになり、波乱の予感さえ漂わせる。メンバーは菊花賞4着のメジロランバード、前走金杯優勝のサイレントハンター、古豪シグナスヒーローなど粒そろいの11頭が集結。
雨の中のスタートは出遅れなく各馬が一斉にスタート、まずは内からテイエムトップダンが飛び出してくる。2番手にサイレントハンターとメジロスティードが追走するも、ペースが遅いのか、スペシャルウィークがやや掛かり気味に前につけ、2番人気メジロランバードが最後方でゴール板を通過する。
更にゆっくりとしたペースで隊列が決まった向正面。テイエムトップダンを先頭にサイレントハンターが続くも、大きく違うのはスペシャルウィークが4番手に位置し、優雅に馬なりで後方から追走するいつもの姿ではない事だった。ターフビジョンに映し出されるスペシャルウィークの姿は、O.ペリエ騎手が促して、意識的に先頭集団に食らいついているようにも見える。
「あんなに早めに前に付けて、スペシャルウィークは大丈夫か?」
そんな声が周りで聞かれる中、残り800mの標識を通過。2番手のサイレントハンターがテイエムトップダンに替わって先頭に立ち、後続を引き離しにかかる。スペシャルウィークは早くも逃げるサイレントハンターを標的に一気にスパート。スペシャルウィークの直後まで上がってきたメジロランバードを置き去りにし、4コーナー手前で開いていた先頭との差を一気に詰める。
その疾走フォームは荒ぶり、飛ぶように先頭を抜き去る優等生のいつもの彼ではなかった。
直線に向くとサイレントハンターを捕まえ、先頭で坂を上る。差はどんどん開き、誰も追いついて来る者はいない。それでも緩めることなくスペシャルウィークは、パワー全開のままゴール板を駆け抜ける。
2着のサイレントハンターとは3馬身差。以下メジロスティード、メジロランバードと続き、終わってみればダービー馬として格の違いを見せる圧勝劇となった。
検量室前に引き上げてきたスペシャルウィークの表情は、明らかに興奮状態が続いているようにも見えた。フランスの名手は彼の闘志に火をつけ、「好位差し」という新しい戦い方を教え込んだのかも知れない。それが、皐月賞・菊花賞で逃げ切られた宿敵セイウンスカイに勝つ秘策であることを、自らの騎乗を通じて伝えたのだろうか。
しばらくして優勝のレイを肩から掛け、再びウイナーズサークルに登場したスペシャルウィーク。ゴールイン後に見たワイルドなスペシャルウィークでは無く、いつもの優雅な表情に戻り記念撮影に収まっていた。
スペシャルウィークの大願成就
AJCCで新境地を見出したスペシャルウィークは、先行押し切りパターンで春のG1戦線に向かう事になる。鞍上が武豊騎手に戻り、天皇賞春の前哨戦となる阪神大賞典に出走した。出走頭数は9頭、末脚自慢の先輩G1馬2頭・メジロブライトとシルクジャスティスをスペシャルウィークが先行してどう封じ込めるかが課題となる一戦と思われた。
しかし、その心配は無用で、課題は難なくクリアされた。先行するトピカルコレクターとマチカネサンシローの後ろに付けたスペシャルウィークは、3コーナーでタマモイナズマを競りつぶして先頭に立つ。早めに追走体制に入ったメジロブライトを外に従え、直線入り口では2頭の一騎打ち。長い阪神の直線の攻防は、最後まで抜かせる事なく、1番人気のメジロブライトを抑え込んだ。
今まで、先頭を行く標的をめがけて末脚を爆発させるパターンから、自ら先頭に立ち後続を封じ込めるパターンへの脚質転換は、スペシャルウィークの名を更に高める「王道の技」になって行くかも知れない──。
立ちはだかるのが、4歳G1で2度の敗戦を喫した宿敵セイウンスカイ。古馬になり新しい技も習得したスペシャルウィークにとって、春の天皇賞は雪辱を果たす最後の機会にも思えた。
そのセイウンスカイは菊花賞後、有馬記念4着を経て1999年初戦の日経賞を5馬身差で圧勝、天皇賞に向けての準備は整っている。
1999年5月2日、五月晴れの京都競馬場。
スタートと同時にセイウンスカイをマークした、武豊騎手とスペシャルウィーク。ぴったりとセイウンスカイの横に付けて、1周目の直線に入る。1コーナーを回り、セイウンスカイが先頭に立っても、3馬身圏内で脚を溜めている。向正面に入りペースが落ち着いたところで、早くもセイウンスカイとの差を詰め始めた。3コーナーの坂を下り、直線の入り口に入ったところでスペシャルウィークとセイウンスカイの馬体が合った。その外からメジロブライトが迫ってくる。シルクジャスティスは内から追走の構え。
スペシャルウィークは200mのハロン棒を過ぎたあたりで、宿敵セイウンスカイをねじ伏せた。先頭に立つスペシャルウィークに、今度は外からメジロブライトの追撃が始まる。一瞬並んだと思った直後、ラストスパートで再び差を広げる。メジロブライトが懸命に追うがその差は縮まることはなく、1馬身の差を保ったまま、スペシャルウィークがゴール板を通過した。
2着メジロブライト、3着セイウンスカイ、4着シルクジャスティス。スペシャルウィークは前を行くセイウンスカイを力でねじ伏せ、後続の両G1馬の追撃を封じ切った。
厳冬の中山でO.ペリエ騎手が教え込み武豊騎手が完成させた、これぞスペシャルウイークの『新・勝利の方程式』。
菊花賞で追いつけなかったセイウンスカイとの差を逆転、宿敵へのリベンジを果たした。
人は誰でも、新しい事に一歩踏み出すのを躊躇してしまう。ましてや、形が決まって成功しているものを捨て、 チャレンジをしていくというのは、少なからず怖さがあるものだ。
一度、成功パターンを掴むと、同じことをすれば効果が薄れて行くのを分かっていながら、前回と同施策を繰り返してマイナスのスパイラルを作ってしまう私自身が、身に染みて実感している事でもある。
「武豊」という騎手が凄いなと思うのは、自分が作り上げた必勝パターンを変更してでも、スペシャルウィークを更なる強い馬へ押し上げようとする研究心と、チャレンジする勇気を備えていることである。そして、驕ることなくしっかりと「聞く耳と見る目」を持っていることだと思う。
乗り替わったジャパンカップで岡部騎手が見せた好位ポジションというヒント。そしてO.ペリエ騎手がアメリカジョッキークラブカップで実践した好位差しのレースパターンを、武豊騎手は受け入れ、そしてG1の舞台でチャレンジした。
私とは、大きな違いだ……。
2000年1月5日、京都競馬場で行われた引退式。
スペシャルウィークの背中で笑っている武豊騎手を見て、改めて思った。
「武豊とスペシャルウィークは、間違いなく一体化している……!?」
Photo by I.Natsume