人生はままならない。
あとから振り返って「あの経験があって良かった」「あの出来事が自分を成長させてくれた」と思うことはある。
でも、道を歩んでいる最中は、結果が出ないと苦しいし、辛い。
周りの期待が大きかったりするとなおさらだ。
くじけそうになるし、投げ出したくもなる。
それでも前へ進む。
ただ、愚直に前へ。
そんなサラブレッドがいた。
彼の名はタイキブリザード。
彼はいわゆる『◯外(まるがい)』、外国産馬だ。
産業界やスポーツの世界では外国からやってくる企業やアスリートを「黒船襲来」と称することがある。
日本ならではの比喩なのだろうが、これは日本人とは比べるべくもない大きく強い力を持った者が日本企業や日本人アスリートをことごとく打ち破っていく、そんな姿を想起させる。
当時の外国産馬たちは、黒船に対する“畏怖”とその反面の“憧れ”、その両面で日本のファンに受け入れられていたように思う。
タイキブリザードは、500キロをゆうに超える漆黒の馬体の持ち主だった。
気性も勝っていて周囲を威圧するかのよう。
知らない人間が近寄ると噛みつかれかねない雰囲気をまとっている。
そして彼の父は史上初の無敗でのアメリカ三冠を達成しシアトルスルー。
兄にはBCターフ、ターフクラシック、マンノウォーSなどG1を連勝した名馬シアトリカルがいる超良血で、「いずれは海外の大きなところを」とデビュー前から期待されていた。
ここまで聞くとまさしく“エリート"による"黒船襲来”である。
しかし、今はもう天国にいる彼の姿を思い起こすとき、真っ先に目に浮かんでくるのは、首を極端に下げて「地面に何か落ちていないかな?」とずっと探しながら走っているような、あのけなげともいえる姿だ。
不器用、生真面目。
小回りの利かない重戦車さながらにただただ前へ。
騎手の指示に瞬時に応えるなんてできやしない。
切れ味鋭い馬に何度苦杯を舐めさせられたことか。
それでも、ひたむきに走る彼の姿にたくさんのファンが心を奪われた。
デビュー戦、2戦目とダート戦を選び2連勝としたタイキブリザードは3戦目の毎日杯で初の芝レースに挑んだ。
スタートが悪く後方からの競馬を強いられ、4コーナーを回って最内で行き場を失っていたところから強引に外に持ち出して伸びてきたものの2着。
連勝は止まったが、見るものの多くがこれからブリザードは勝ち鞍をどんどん重ねていくと思って疑わなかった。
しかし、そんな期待とは裏腹にここからもどかしい競馬が続いていくこととなる。
ローカル競馬に活路を見出して出走したG3ラジオたんぱ杯は2着。
その後も、札幌・福島と転戦し、4着、2着、4着。
出走頭数の揃わないローカル競馬はスローペースになりやすく、瞬発力勝負に弱いブリザードにとっては苦しいレースの連続となった。
──日本で活躍していずれは海外へ!
デビュー前の期待どおりにいかない日々。
タイキブリザードはここで長い休養に入った。
ようやくターフに戻ってきたのは翌年の4月、福島競馬場で行われた谷川岳ステークス。
休養明けだったがファンは彼を1番人気に支持した。
中団の内々4、5番手からレースを進め、いつものように3コーナーあたりから行きはじめ一気に2番手。
そのまま4コーナーで先頭に立って振り切った。
約1年ぶりの勝ち星に喜びはあったものの、デビュー前の期待の大きさを思えばレースの格も相手も物足りない。
しかし、これが当時のブリザードの置かれた現実であった。
このあと、陣営は思い切った選択をする。
重賞未勝利、オープン特別を勝ったばかりの身でありながらG1安田記念参戦を決めたのだ。
これが、こののち3度も挑戦することになる安田記念への初めての挑戦であった。
ここでブリザードは、歴戦の古馬に交じって3着と好走する。
しかも最後の直線では、内に外国馬ハートレイク、外にこの年の秋の天皇賞馬となるサクラチトセオーとのたたき合いを演じて見せ、一瞬勝つかと思わせるようなレース内容であった。
この時、ファンの誰しもがタイキブリザードは近い将来G1を勝つだろう、そう思ったに違いない。
…と、書いてはみたものの、実は一ファンであった私は全くそんな気持ちは湧き起らず、強い馬相手に3着、弱い馬相手にも2着や4着でこの馬らしいや、と思っていたものだった。
次走に選んだ宝塚記念も惜しい2着。
5か月ぶりに必勝を期して臨んだはずのオープン特別(当時)富士ステークスも2着。
オープン特別でもG1でも同じような着順になるんだったらもうG1で良いやん! とばかりにブリザードはジャパンカップへ参戦。
これまたゴール直前までよく粘ったものの惜しくも4着に敗れる。
有馬記念では、重賞未勝利の身ながらG1馬や重賞馬に交じって我が物顔で走るブリザード。
勝った菊花賞馬マヤノトップガンこそ捕まえられなかったものの、迫ってきたナリタブライアンは何とか抑えて2着。
──強いんだか、強くないんだか。
勝てそうで勝てない、もどかしいレースが続いた。
年が明けて1996年、ようやく重賞を勝つときがやってきた。
3月の産経大阪杯、ネーハイシーザーの2番手から抑えたまま4コーナーで先頭に並びかけそのまま抜け出して勝利をあげる。
昨年までと違ってやや身体が起きてバランスのいい走りを見せたブリザード。
陣営はこのあたりでもともとの構想、海外挑戦を具体的にイメージし始めたのではないだろうか。
そして春の京王杯スプリングカップを2着して、2度目の安田記念挑戦。
「主な勝ち鞍:谷川岳ステークス」の昨年とは違い、G2馬として堂々の3番人気で臨んだ。
終始かかり気味には見えたものの、中団の馬群を進み4コーナーで前に進出。
最後の直線では当時屈指の末脚を誇ったトロットサンダーと並んで伸びてきた。
しかし切れ味勝負ではさすがに分が悪かったか、結果はまたしても2着。一度目の安田記念挑戦よりも一つ着順を上げたものの戴冠までは至らなかった。
しかしながら、日本の一流馬に混じって互角に渡り合えることがわかったブリザード陣営はブリーダーズカップ挑戦を決めた。
今ほど海外遠征があたりまえではなかった時代。
日本で戦い続ければある程度お金を稼げることがみえている状況の中、馬が壊れてしまうかもしれないリスクを背負っての挑戦だった。
オーナーはじめ関係者の理解もあって実現したそのチャレンジだったが、結果は大惨敗。
先頭から26馬身以上離されたシンガリ負けである。
現実は、厳しかった。
馬にとっても人にとっても何もかもが初めての経験ばかりである。
ゲート内で動いたということでゲートボーイに尻尾を掴まれた状態でのスタート。
いつものブリザードらしい出脚は完全に影を潜めた。
日本の砂とは全く違って、経験したことのない土そのもののような馬場。
さらに当日に大量の水が撒かれ、水分を含んだ土が塊となってブリザードを襲い、精神的にも疲弊があった。
そもそもスタートするまでの過程も、想定外なことが起きていた。
ニューヨークから馬運車でカナダまで移動。
入国するのにも1~2時間待たされて都合12~13時間かかってしまい、厳しい寒さでブリザードも帯同馬のレッドアリダーも風邪をひいてしまっていたという。
遠征で大きなダメージを受けたブリザードは帰国後、痩せてガタガタの状態で放牧に出された。
──もしかしたら、もう駄目かもしれない。
海外遠征を機に調子を崩し、戻りきらないままに終わってしまう馬がいるなか陣営の不安は大きかったことだろう。
しかし、ブリザードは驚くべき回復力みせた。
復帰は1997年5月、実に7か月振りのレース、京王杯スプリングカップであった。
好スタートをきったブリザードは岡部幸雄騎手を背に3番手を進み、逃げたコクトジュリアンを4コーナーでとらえるとそのまま先頭にたって他馬を寄せ付けず押し切った。
今までのもどかしい競馬が嘘のような快勝。
しかも1分20秒5のレコードのおまけつき。
タイキブリザードは、生きていた。
ひたむきに走る気力も、重戦車の脚力も失ってはいなかった。
そして迎えた3度目の安田記念挑戦。
日本ではビッグレースでいい勝負をするも勝ちきれず、時には善戦マンといわれ、果敢に海外にチャレンジするも大惨敗、それでもまたターフに戻ってきた不屈の闘志にファンは一番人気で応えた。
これがタイキブリザード生涯ただ一度の、G1での一番人気であった。
良馬場発表だったが曇り空の東京競馬場。
タイキブリザードの漆黒の馬体は、明るい空より、そんな空の方がよく映えた。
レースはエイシンバーリンの逃げで始まった。
タイキブリザードは中団、いつもよりやや後ろの位置でじっくり構えている。
レースは淡々と進みそうになったが、流れが遅いと見たか皐月賞馬ジェニュインが外から前に進出。
内側にいたタイキブリザードの前に出る。
そのままレースはながれ大欅の向こうを過ぎて4コーナー。
絶好の手ごたえで回ってくるジェニュイン。
「あとは前を行く馬をとらえたら、勝ちだ」と言わんばかりの自信満々の走りっぷり。
それをみた岡部幸雄騎手は手綱を激しくしごき、ステッキをふるう。
──ブリザード、追いかけるぞ!
そんな声が聞こえてきそうだった。
ジェニュインの鞍上・田中勝春騎手の手綱は全く動いていない。
持ったまま、馬なりでグーンと上がっていく。
一方、鞍上の激しいアクションとは裏腹になかなか伸びてこないタイキブリザード。
直線半ば、ジェニュインが余裕をもって抜け出す。
ブリザードの岡部幸雄騎手は相変わらず必死に追っている。
大ベテランには珍しい、激しく大きなアクションでブリザードを動かそうとしている。
しかし、差はなかなか詰まらない。
残り300M。
いよいよジェニュインが満を持して追い出しを始める。
この時点でまだ3馬身の差。
いつものジリジリのブリザードであれば追い詰めることはできても交わせない。
…またダメか!?
しかし、この時のブリザードは違った。
鞍上岡部のいつにない叱咤激励が彼の心のエンジンに火をつけたのか、一完歩ごとにジェニュインとの差を詰めはじめる。
2馬身差、1馬身差…半馬身差…いける!
そしてゴール寸前、ブリザードはジェニュインを計ったように差し切った。
デビュー19戦目、安田記念3度目の挑戦でついにG1タイトルをつかんだ。
「今までずいぶんジリ脚と叩かれたけれど、今日は褒めてやってくださいよ」藤沢調教師はそういってブリザードをねぎらった。
その後、藤沢調教師は再度のブリーダーズカップ挑戦を表明。
宝塚記念を4着して海外遠征へ旅立った。
サンタニア競馬場で行われるステップレース、オークツリー・ブリーダーズマイルを3着し挑んだ本番BCクラシック。
結果はまたしても惨敗である。
着順こそ6着であったものの、先頭からは24馬身3/4も離された。
しかし年を重ねても挑戦し続けるブリザードの姿は私たちファンに大きな感動を与えてくれるとともに、のちに挑戦することになる多くの後輩たちのための大きな礎を築いてくれた。
ブリザードによる初挑戦から実に四半世紀たった2021年、ラヴズオンリーユーが日本調教馬として初のブリーダーズカップ制覇を成し遂げた。
この勝利を見たとき、彼の現役時代を知るオールドファンは異国の地で弾丸のように飛んでくる土の塊を全身に浴びながら、後方でもがくタイキブリザードの姿を目に浮かべたのではないだろうか。
あの、愚直でひたむきな彼の走りを。
そして、海外遠征から戻ってきたタイキブリザードにとって有馬記念がラストランとなった。
結果は6着、日本国内のレースで初めて掲示板から外れた。
「もう、ここらでよかろう」
最後のレースを終えて引き揚げてくるブリザードの、心の声が聞こえるようだった。
写真:かず