
北海道の冬を知っているだろうか。
浦河の冬を見た事があるだろうか。
札幌近郊に住む私にとって、それは死活問題である。
北国の冬の運転と言うとのは、文字通り命がけ。何年運転していても、ひと冬に1度くらいは「あ、事故になってしまうかな…」と思う瞬間がある。
馬産地見学もメジャーになりつつある昨今だが、札幌から静内まで約2時間。そこから更に1時間近くを要する浦河までの真冬の遠出は、道民ですら躊躇する。そんな馬産地の奥側に位置する浦河まで、真冬に赴いたことのあるファンは、まだそう多くはないのではないかと思う。
出産シーズンであり、馬産地へ行くこと自体もやや憚られる季節柄と言う事もあるだろう。
ウイニングチケットが種牡馬を引退してから18年を過ごしたAERUは、浦河にある。

春の桜まつりの頃は、陽気と満開の桜、列をなす観光客と、緑なす放牧地。華やかな場所となる。
一方、真冬の浦河は、様子が異なる。当然、観光客も見学者の数もそう多くはない。
──私が初めてウイニングチケットを訪ねたのは、そんな真冬の浦河だった。

曇り空の天気に、もう午後も回っていたためか見学者もポツリポツリとしかおらず、初めて見るウイニングチケットに夢中になってカメラのシャッターを切っているうちに、やがていつの間にか見学者は私1人になっていた。私は雪を踏みしめ、ウイニングチケットとふたりきりという貴重な時間を、信じられないような思いで楽しんでいた。
思い出されるのは、ウイニングチケットの現役時代のことだった──。
私が初めて東京競馬場を訪れた時、あの華やかな場内、目の眩むような長さの直線を描く鮮やかな5月の芝にz「ああ、ここはまさしく日本競馬の粋たる場所なのだ…」と感激したものだ。
1993年、その東京競馬場で行われた日本ダービー。日本競馬のクラシック最高峰のレースを10万人を越える人々の歓声を受け、先頭で駆け抜けた名馬が、ウイニングチケットであった。
その名馬ウイニングチケットが、30年近い時を経た今、誰かも良く分からない突然やってきたファンとふたりきり、雪景色の放牧地にいる。彼を包んだ歓声も万雷の拍手も今は遠く、灰色の雪景色の中ごうごうと吹き荒れる風と、遠くから笛の音のように甲高い、鹿の遠鳴きが聞こえた。
現役時代、ウイニングチケットは常に多くの人間に囲まれ、拍手と歓声を全身で受け駆けていた。
あの頃は、最上級の環境で細部まで管理され冬毛すら伸びる暇が無かったような日々であったろう。
一方、目の前にいるウイニングチケットは管理者たちは遠くから見守り、寒さに順応し十分に伸びた冬毛で、雪吹き荒ぶ放牧地を、ただ1頭の馬と言う生き物として、突然やってきた見学者と過ごしていた。
にんじんを食べ終えのんびりと佇むウイニングチケットを、飽くことなく眺めていた。
もふもふの冬毛に覆われた耳が、時折パタパタと動く。
不意に黒いガラス玉のような瞳が、まっすぐにこちらを向き、静かにじっと見下ろしてきた。
この日々をウイニングチケットがどう捉えていたのか、勿論、答えはない。
彼の心の内など私達に分かるわけが無い。もし彼の中に答えがあったとしても、人間達はみな勝手に、それぞれの想像の答えを述べるだろう。
栄光の日々と輝くターフを忘れられない馬もいるだろう。
全てを忘れたいと願う馬もいるだろう。
私はその答えを想像することしか出来ない。
何があれば何処に居れば、馬達は幸せであるのか。
その後も何度かAERUへ足を運んだが、どんなに美しい満開の桜の景色より、今でも一番思い出すのは、寒風に痛む頬で見上げたチケットのあの瞳だ。
最高峰の栄光と静寂の大地を知る瞳は、ただただ全てを受け入れて、笑むように静かにそこにあった。
中央競馬の華やかなしり栄光のターフを知る方達こそ、いつか機会があれば訪ねて感じて欲しい。
チケットが過ごした静寂の雪の放牧地を。
サラブレッド達が、産まれ還って行く北の大地を。
眠気を隅へ放り投げて、緊張と歓喜のなか馬房へと駆けつける家族。
そして凍てついた朝に湯気立つ母馬──。
ウイニングチケットが去った浦河に、今年も、頂を目指す命達が産まれる。

写真:ちは