名馬タニノギムレット。その挑戦は後世へ、そしてウオッカへ。 - 2002年日本ダービー

NHKマイルCと日本ダービーという変則二冠という発想はマツクニローテとも呼ばれ、2000年代前半のトレンドでもあった。GⅠからGⅠへというローテは現在も主流だが、マツクニローテはそんな主流とは一線を画す。なにせ中2週で日本ダービーに挑むのだ。プリンシパルSと同じ間隔で、それも春のマイル王決定戦を戦っての中2週は今では考えられない。

NHKマイルC当日の検量室前で取材した際、不思議と自然に勝った陣営がNHKマイルCから日本ダービーへ向かうのではないかという思いにかられる。ダービーの展望記事を担当する機会が比較的多く、〆切を考えると、NHKマイルCからの連戦は早めに察知しておきたいという事情もあるが、ここ最近では3歳マイル王のダービー参戦は2013年マイネルホウオウ15着が最後で、もう10年も実現すらしていない。にもかかわらず、とっさにNHKマイルC勝ち馬のダービー参戦が頭をよぎるのはマツクニローテの影響だろう。2004年キングカメハメハ、2008年ディープスカイの2頭が変則二冠を獲得し、そのうちキングカメハメハはマツクニローテの由来でもある松田国英調教師(当時)の管理馬だった。

「種牡馬としての価値」

松田国英調教師は変則二冠の意義にこの言葉をあげる。日本近代競馬はスピードが主流。特に早期から活躍するためにはスピードは欠かせない。またマイルは競馬の根幹をなす距離。スピードと持続力をバランスよく兼ね備えていなければ、こなせない。中距離以上に限って活躍する馬の中には、スピードを欠くものもある。生産者や馬主にとってスピードという要素は大きい。だからこそ、ダービーのほかにNHKマイルCも勝てれば、その価値は一段と高まる。マツクニローテにはそんな意義があった。

松田国英調教師の挑戦はキングカメハメハで結実したが、その前にもう一頭、師とともに変則二冠に挑んだ馬がいる。それが名門カントリー牧場が送ったタニノギムレットだ。

カントリー牧場は1960年代から70年代にかけて多くの活躍馬を出した名門オーナーブリーダー。1968年は皐月賞マーチス、日本ダービー・タニノハローモアとオーナーとして二冠を達成。2年後にはタニノムーティエが皐月賞、日本ダービーの二冠と隆盛を極めていた。初代を引き継いだ谷水雄三氏が米国で購入したタニノシーバードがタニノギムレットへと導いていく。

祖母タニノシーバード、母タニノクリスタル。タニノギムレットはカントリー牧場と谷水雄三氏のオーナーブリーダーとしての希望であり、執念の結晶だった。母は現役時代、チューリップ賞3着、アネモネS1着と早くからオープンで結果を残し、その後も走り続け、40戦もした。父はサンデーサイレンスと双璧をなしたブライアンズタイム。気性がキツいサンデーサイレンス産駒は現在の本流にも通ずる間隔をとって走らせることを良しとされていたが、ブライアンズタイム産駒はその逆。叩き良化型が多く、競馬に出走しながら状態を上げる馬が多く、売りはタフにあった。

2歳12月最終週の未勝利戦を7馬身差で圧勝。中2週でシンザン記念に挑戦し、初重賞V。そこからアーリントンC(中5週)、スプリングS(中2週)と重賞3連勝。3歳春にわずか4カ月で4戦、それも4戦4勝。今では信じられないようなローテーションと驚異的なタフさで皐月賞へ駒を進める。アーリントンCまで主戦を務めていた武豊騎手に替わり、スプリングSから手綱をとった四位洋文騎手は前走での見せた末脚を信頼し、後方待機策から外を回すという自信に満ちた競馬を展開した。上がり最速34.8はその自信を証明するに十分なものではあったが、中山特有の紛れとレコード決着が結果を左右してしまい、3着に敗れた。いいパフォーマンスをしたとしても、勝てるとは限らない。そこに競馬という競技のもどかしさと面白さがある。

松田国英調教師は皐月賞を獲れなかったことで、目標をNHKマイルCとの変則二冠に定めた。GⅠからGⅠへ。中2週の東上になったタニノギムレットは鞍上に再び武豊騎手を迎える。2月の落馬からわずか2カ月での復帰は「ダービーに間に合わせたい」という武豊騎手の強い希望があってのものだった。スペシャルストックやゲイリーファントムら快速馬たちが作る激流のなか、タニノギムレットは後方で機をうかがう。そして、最後の直線、スペースを探し、いざ追い出そうというときに勝ったテレグノシスが進路を求めて外に出てきたため、スピードに乗せるタイミングを逸してしまう。完全に仕掛けが遅れたタニノギムレットはまたしても3着になり、変則二冠の夢は途切れた。

それでもダービーという希望はまだ残っていた。またも中2週でGⅠからGⅠへという道のり。大抵の馬は状態を維持するのに精いっぱいのはずだが、タニノギムレットは違った。ここにきて絶好調という言葉が陣営から出るほど、充実していた。このタフさこそ、血が成せる業というもの。調教で負荷を十分にかける松田国英流の仕上げとの相乗効果でもある。ギリギリを歩ませる危うさは内包するものの、ギリギリを歩ませないことには結果を残せない。そして競馬の世界で生き残るには結果を残すしかない。牡馬のタニノギムレットがカントリー牧場の伝統を後世につなげるにはGⅠタイトルを獲るしか道がなかった。

当日は台頭著しいオーナーブリーダーであるノースヒルズマネジメントの皐月賞馬ノーリーズンを抑え、1番人気。3番人気は名門・藤沢和雄調教師が送るシンボリクリスエス。こちらも名門オーナーブリーダー・シンボリ牧場の所有馬であり、この年のダービーはオーナーブリーダーによる争いが焦点だった。

青葉賞でシンボリクリスエスに騎乗した武豊騎手は内枠からスタートしたタニノギムレットを1、2コーナーで少し外に持ち出し、前を行くシンボリクリスエスのラインに合わせていく。末脚に自信があり、シンボリクリスエスのしぶとさを知るからこそ、深追いはせず、あえて4、5頭ほど後ろに潜む。逃げるのは徹底先行が身上のサンヴァレー。弥生賞を逃げ切ったバランスオブゲームが2番手を進み、直近2戦、ダートでワンサイドだったゴールドアリュールが続く。シンボリクリスエスとタニノギムレットの間に変則二冠の権利をもったテレグノシス、そして二冠をかけるノーリーズン。2歳王者アドマイヤドンがいる。シンボリクリスエスを先頭に様々な思惑と希望を抱いた優駿たちが凝縮し、ダービーの緊迫感を放つ。

残り600m標識を通過したあたりで、離し気味に逃げるサンヴァレーをバランスオブゲームとゴールドアリュールが一気にとらえに出て、レースは動いた。ラチ沿いを攻める伏兵マチカネアカツキとゴールドアリュールが粘るところに馬場の真ん中からシンボリクリスエスがダイナミックなフォームで末脚を伸ばす。タニノギムレットはNHKマイルCでの不利を踏まえ、4コーナーでどの馬にも邪魔されまいと馬場の大外へ行き、ここ2戦で溜めこんだ鬱憤を晴らすかのように研ぎ澄まされた末脚を爆発させる。ゴール前で伸び脚がわずかに鈍ったシンボリクリスエスをまさに矢のごとく一閃。世代最強を大観衆に見せつけた。

エプソムダービーと凱旋門賞を勝ったシーバードの底力とブライアンズタイムとタニノクリスタルのタフさ、そして松田国英調教師の仕上げに武豊騎手の手綱さばき。あらゆる要素がひとつになった瞬間、タニノムーティエ以来になるカントリー牧場の悲願は成就した。

変則二冠は達成されなかったが、松田国英調教師はタニノギムレットの経験を糧に、キングカメハメハで偉業を成し遂げた。そのキングカメハメハもディープスカイも毎日杯からNHKマイルCに向かっており、皐月賞は不出走。中2週でGⅠからGⅠというローテを2度も続けてダービーを制したのはタニノギムレットしかいない。キングカメハメハもディープスカイも3歳時にダービーまでにそれぞれ4戦、6戦と多く競馬に出走したが、タニノギムレットの過酷さはその上をいく。

マツクニローテと呼ばれる異例の道を歩み、後世にその道筋をつけたタニノギムレット。自身のダービーから5年後、64年ぶりになる牝馬のダービー馬ウオッカの父として、再び異彩を放ち、母タニノシスターとともにカントリー牧場に再び、祝杯をあげさせた。

「種牡馬としての価値」

変則二冠馬としてそれを高めたのはキングカメハメハではあるが、タニノギムレットもマイルと中距離のどちらも走る産駒を出せるという証明をウオッカがマイルGⅠ4勝、2000m以上のGⅠを3勝したことで完成させた。変則二冠馬になれなくとも、タニノギムレットの価値は遜色ないものだ。

名門カントリー牧場は2012年、49年の歴史に幕を下ろし、タニノシスターが2013年、ウオッカが2019年にその生涯を終え、タニノギムレットだけが残った。日高のYogiboヴェルサイユリゾートファームで過ごすのんびりとした日々の向こうに隆盛を極めたカントリー牧場の歴史が見える。ときに牧柵を破壊するのは気高き王者のタフな魂が一瞬、甦るゆえだろうか。

写真:RINOT

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