2021年4月4日、大阪杯が行なわれた。
戦前に話題となったのは、三冠馬コントレイル vs GⅠ3階級制覇を狙う牝馬・グランアレグリアの対決。
大方の見立ては「この二強に、もう一頭の4歳牡馬サリオスがどこまで割って入れるか」だった。結果は、無敗の4歳牝馬レイパパレが勝利し、三強はともに敗れてしまった。
ただ、グランアレグリアのように、1200mと1600mの“2階級”でGⅠを制すことだけでも素晴らしい実績で、牝馬に限れば、これまでに4頭しかいない偉業である。
そもそも、中央競馬で1200mのGⅠが初めて創設されたのは1990年で、GⅡから昇格したスプリンターズステークスがそのはじまり。つまり、この2階級でGⅠを制することが可能になってからは、まだ30年ほどしか経っていない。
今回スポットを当てるのは、2021年現在では唯一、その快挙を"3歳で"達成した牝馬である。
後に、ニシノフラワーと名付けられる牝馬は、1989年4月19日。西山牧場に生を受けた。
母のデュプリシトは、ダンジグを父に持つだけでも良血といえるが、名牝サムシングロイヤル系出身の良血馬。2代母の弟には、ダートでは世界史上最強クラスといわれるセクレタリアトや、その兄には、名種牡馬サーゲイロードがいた。また、パリ大賞典を勝ち、種牡馬として日本に輸入されたチチカステナンゴや、日本史上最強スプリンターといわれたロードカナロアも、後に同じファミリーから誕生している。
一方、父のマジェスティックライトは、マンノウォーステークスなど米国のGⅠを4勝。その2代父はレイズアネイティヴで、名種牡馬ミスタープロスペクターの父でもある。ニシノフラワーには母方のダンジグと合わせ、非常に豊かなスピードが受け継がれた。
──ただ、ニシノフラワーは決して見栄えのしない馬だったという。
貧弱で幅のない馬体に、ヒョロッと長い脚。
トレセンへ入厩できるタイミングになっても、数名の調教師に預託を断られてしまったほどだったそうだ。
最終的には栗東の松田正弘厩舎に入厩したものの、その松田調教師からも「子鹿のバンビ」と評されてしまうほど。デビュー前の調教でも特別目立った動きは見せておらず、その上、骨膜炎にかかってしまう。
結局、早期のデビューは叶ったものの、骨膜炎を考慮され、芝ではなく札幌ダート1000mがその舞台となった。鞍上には、厩舎の所属騎手でもある佐藤正雄騎手が配される。馬体重の424kgは、牝馬ということを考慮しても小柄で、人気は10頭中の4番目。それでも、デビュー前のネガティブなイメージを思えば、人気していたといえるだろう。
ところが、蓋を開けてみれば4馬身差の逃げ切り勝ち。良い意味で陣営の期待を裏切り、初陣を飾ったのだ。
続く2戦目は、中2週で出走した札幌3歳ステークス。
ここも、陣営によれば「使うレースがなく、仕方なく出走した」レースだった。
それでも、短距離戦にしては珍しく、大逃げを敢行したイイデザオウの2番手につけると、直線入口では外に膨れた逃げ馬の内を突いて先頭に立ち、一気に独走態勢を築き上げる。結果、2着のディスコホールに3馬身半差をつける完勝。この後、繰り返し対戦することになるアドラーブルやサンエイサンキューらを、まるで寄せ付けなかった。
また、騎乗した佐藤騎手にとっても、これがデビュー22年目にして初の重賞制覇だった。
この勝利で、真の実力を確認した陣営はニシノフラワーに夏休みを与え、次なる目標を11月初旬のGⅡデイリー杯3歳ステークスに定め、予定通り出走へとこぎつけた。
また、この3ヶ月の休養で、わずか6kgでも馬体重が増えたことは、“バンビ”と呼ばれたニシノフラワーにとっては好材料だったに違いない。ただ、主戦の佐藤騎手が騎乗停止となってしまったため、ここでは、田原成貴騎手が手綱をとることになった。
他のメンバーでは、新潟3歳ステークスを勝ったユートジェーン、函館3歳ステークスを勝ったアトムピットなどが出走。札幌3歳ステークスを勝ったニシノフラワーも合わせ、小倉以外の3歳ステークスの勝者が顔を揃えた。
しかし、そんなメンバーが相手でも──さらには前走と打って変わってスローの一団の競馬になっても、ニシノフラワーの強さは圧倒的だった。またも2番手追走から、直線入口で逃げるエンドレスファイタに並びかけると、あとは独壇場。2着に3馬身半差をつける完勝を演じ、同世代の牝馬では抜きん出た存在となった。
そして、その座を確固たるものとするため、続く4戦目には2歳女王決定戦が選択された。
ところで、現在の2歳女王決定戦といえば、阪神ジュベナイルフィリーズ(旧称・阪神3歳牝馬ステークス)で間違いのないところだが、それが牝馬限定戦となったのは、この1991年が最初である。
それまでは、阪神3歳ステークス(現在の年齢表記で2歳)の名称で、牡・牝混合のGⅠとして行なわれており、西の2歳ナンバーワン決定戦という位置づけだった。一方、東では朝日杯3歳ステークスが行なわれており、今となっては珍しく、同じ日に東西で2歳GⅠが行なわれていたのだ。
そうしてリニューアルを迎えたこの年の阪神3歳牝馬ステークスは、同じくこの年リニューアルされた阪神競馬場での開催。ここまでの3戦、いずれも2着に3馬身半以上の差をつけてきたニシノフラワーは、単勝オッズ1.9倍の1番人気に推されていた。次いで、オッズ2.8倍の2番人気となったのは、後に黄金タッグとなる岡部騎手×藤沢調教師が送り出す、外国産馬のシンコウラブリイ。以下、3番人気にサンエイサンキューが続いたが、そのオッズは15.2倍。人気面では、完全に二頭が抜けた存在となっていた。
そのため、GⅠ初制覇がかかる佐藤騎手へのプレッシャーは、想像を絶するものだっただろう。
ゲートが開くと、好スタートを切ったニシノフラワーは、すぐに2番手をキープしたように思われた。しかし、先行したい外枠の馬が内へと殺到したため、一度ポジションを中団8番手まで下げてしまう。
それでも、すぐに3番手まで盛り返すと、道中は内ラチぴったりを回り、そのポジションをじっとキープ。そして、抜群の手応えのまま4コーナーで1つポジションを上げ、最後の直線へと入った。
迎えた直線。逃げるユートジェーンの小谷内騎手が後ろを振り返って追い出すと、リードを2馬身半に広げ、一瞬アッと思わせるような展開となる。しかし、佐藤騎手の手綱をよく見ると、この時点でも、いわゆる「持ったまま」の状態だった。
そして、阪神競馬場に初めて設けられた坂の途中。ゴールまでおよそ150mの地点からようやく追い出されると、残り100mを過ぎたところで先頭に立ち、迫るサンエイサンキューとシンコウラブリイを抑えきって優勝。
2着サンエイサンキューとの差は4分の3馬身だったものの、序盤の不利がありながらこの差は完勝といってよく、見事、無敗の2歳女王に輝いたのだ。
この勝利が、佐藤騎手にとって初のGⅠ制覇となったのはもちろんだが、生産した名門・西山牧場にとっても、創業25年目にして、これが嬉しいGⅠ初制覇となった。
また、これでデビューから4戦4勝となったニシノフラワーは、文句なしにJRA賞の最優秀3歳牝馬(現・JRA賞最優秀2歳牝馬)を受賞。同時に、翌春の牝馬クラシック戦線の筆頭候補の座を確たるものとしたのである。
年が明け、大目標の桜花賞へ向けての前哨戦に選ばれたのは、当時まだオープンのチューリップ賞だったが、ここで突如として“事件”が起きる。
当然のように、1番人気に推されたニシノフラワーのオッズは1.2倍。デビューからの連勝が5に伸びることは、確定事項のように思われた。
しかし、本番のために馬群を経験させようと思った佐藤騎手とニシノフラワーは、周りを囲まれて抜け出せず、直線の入口では後ろから4頭目まで後退。差し遅れてしまう。
結果は、勝ったアドラーブルから3馬身半離された2着。5戦目にして、初黒星を喫してしまったのだ。
この敗戦により、責任を感じた佐藤騎手は「既にファンの馬になっており、自分にとっては荷が重い」と降板を申し出る。そして、当時、関西のトップジョッキーで、既に牝馬で数々の大レースを制していた河内騎手に、自ら後任を託したのである。
ただ、この時、河内騎手をはじめとする陣営にかかったプレッシャーもまた、想像を絶するものだっただろう。
──迎えた、クラシック1冠目の桜花賞。
断然、とはならなかったものの、多くのファンは再びニシノフラワーを支持した。そのオッズは2.3倍。2番人気のサンエイサンキューのオッズは6.4倍で、やや抜けた1番人気といって差し支えなかった。なにせ、チューリップ賞までは完璧なレース内容を見せ、勿論ここでもただ一頭のGⅠ馬という存在。そこへテン乗りとはいえ、過去6年で、1年おきに桜花賞を3度も勝利している河内騎手が騎乗するのである。
さらに、この時の馬体重は前走からマイナス12kg。デビュー以来、最も軽い420kgだったが、その馬体は決して寂しく見えず、むしろ研ぎ澄まされていた。絶対に負けられない戦いに向け、陣営が施した渾身の仕上げだった。
ゲートが開くと、出遅れのないきれいなスタート。ニシノフラワーも五分のスタートを切り、すかさず好位の5番手をキープした。前半800mの通過は47秒1。初めてオーバーシードを採用した、当時の阪神競馬場の馬場を考えれば、かなりのハイペースだった。
しかし、ニシノフラワーは、その勝負どころで馬なりのまま2番手までポジションを上げ、その後、先頭へと並びかける完璧な立ち回りで4コーナーを回った。
迎えた直線。馬場の中央へと持ち出されたニシノフラワーは、スピードの違いを見せつけるように、4コーナーで外から並びかけてきたアドラーブルを、一気に2馬身ほど突き放す。続く坂の上りでリードをさらに広げると、たぐいまれなスピードは、最後まで衰えることなく、最後は3馬身半差をつける圧勝。
鞍上の河内騎手をはじめ、陣営はとてつもないプレッシャーをはねのけて、見事、桜の女王の座を獲得したのである。しかも、阪神3歳ステークスが牝馬限定となった初年度の勝ち馬が、そのまま桜花賞も制したことは、非常に価値のあることだった。
また、チューリップ賞まで主戦を務めた佐藤騎手も、レース後「勝って良かった」と、涙ながらに検量室横で語っていたという。
現在であれば、血統やこれまでのレース内容を考慮すると、ニシノフラワーの次走は、NHKマイルカップになっていた可能性も高いだろう。しかし、このレースが創設されるのは、ここから4年後の話である。
もちろん、現在もその過酷さは変わらないが、牝馬クラシック路線は消耗との戦いになる上、桜花賞からオークスへは、実に800mもの距離延長を克服する必要がある。ただ、いくら距離が長いと分かっていても、桜花賞以降に3歳限定のマイルGⅠがない以上、桜花賞馬がオークスに出走するのは当然といっても良い選択だった。
ファンもその状況を察してか、ニシノフラワーを1番人気に支持したものの、そのオッズは3.0倍。2番人気のキョウワホウセキと競るような数字で、断然の支持というわけではなかった。そして、実際のレースでも、その通りの内容となってしまう。
この日も、五分のスタートから5番手につけたニシノフラワーは、道中も、折り合いを欠くことなく好位をキープ。そして、桜花賞と同じように、4コーナーで馬なりのまま先頭に立ち、押し切りを図った。
しかし、そこまで完璧な騎乗を見せても、直線早々、キョウワホウセキに外から交わされると、サンエイサンキュー、次いでアドラーブルと、これまで何度も先着してきた相手にも交わされてしまう。
大きく失速し、馬群に沈んでしまうようなことはなかったものの、結果は、勝ったアドラーブルから0秒6離された7着。生涯初めて連対を外してしまった。
そこから夏場は休養に充てられ、秋は、この馬にとって長いと思われる2400mとはいえ、エリザベス女王杯が目標となった。2000mの秋華賞が創設されるのもまた、この4年後のことである。
レースに出走してみると、やはりこの距離帯に適性がないことは明白だった。
当時2000mで行われていた前哨戦のローズステークスで4着に敗れると、続くエリザベス女王杯では、生涯最低となる6番人気にまで支持を落とした。
それでも、これまでにない中団待機策から、直線で前が詰まる不利に見舞われながらも猛追し、長距離に強いパドスール産駒のワン・ツー決着に次ぐ3着に好走。しかも、2着のメジロカンムリとはハナ差で、こういった表現は桜花賞馬に失礼かもしれないが、ここ2戦の結果を考えれば、超がつくほど大健闘といえる内容だった。
そうして、牝馬三冠路線を無事に完走したニシノフラワーだったが、この後の秋3戦目は、GⅠのスプリンターズステークスか、同日に行なわれる2000mのGⅢ・阪神牝馬特別(現・GⅡ阪神牝馬ステークス)か──その選択は、当週の木曜日まで迷われた。
当時のオーナー西山正行氏の長男で、その後を継いで「ニシノ」や「セイウン」の冠号を使用し、競走馬を多数所有している西山茂行氏のブログによると、以下の理由で、どちらのレースに出走するかが決定されたという。
一つ目は斤量で、木曜日に阪神牝馬特別のハンデが56kgと分かったが、スプリンターズステークスには53kgで出走できること。
二つ目は天気で、雨が苦手なニシノフラワーにとって、当日の近畿地方は大雨の予報だったこと。
三つ目は距離で、管理する松田調教師は、オークスとエリザベス女王杯の敗因を距離とみていたこと。
これらの理由により、スプリンターズステークスへの出走が決まった。
また、この週の河内騎手は、関西のトップジョッキーにも関わらず、ニシノフラワーがどちらに出走してもいいように、中山・阪神ともに、他の騎乗依頼を一切受けずスタンバイしていたという。こういった陣営総出の連携の下、ニシノフラワーは必勝を期し東上したのだ。
ただ、この年の出走馬には、非常に強力なライバルが顔を揃えていた。1番人気は、前走でマイルチャンピオンシップを連覇し、ここまで重賞7勝をあげ、1600mとの“2階級制覇”を狙うダイタクヘリオス。2番人気のニシノフラワーを挟んで、3番人気は、この時まだ重賞1勝のみだったものの、後にロードカナロアやタイキシャトルと並び、史上最強クラスのスプリンターと称されるサクラバクシンオー。そして、この年の安田記念を制し、やはり“2階級制覇”を狙うヤマニンゼファーが4番人気で続いた。
今にして思えば、とてつもない豪華メンバーである。
ゲートが開くと、トモエリージェントが好スタートからハナを切ったものの、それを外からサクラバクシンオーなど3頭が交わし、先行集団は4頭。続く、第2集団も4頭となり、その中に、ヤマニンゼファーとダイタクヘリオスが含まれていた。
一方、ニシノフラワーはといえば、後ろから5番手を追走し、600m標識を前にして早くも河内騎手が手綱をかなり押していた。2000m以上だと長いのはもちろんだが、1200mも、1年半前の札幌3歳ステークス以来。しかも、歴戦の古馬達が相手で、前走の2400mからは、ちょうど半分の距離しかない。追走に苦労するのも当然のことだった。
しかし、そうこうしているうちに、先頭はあっという間に4コーナーを回り、最後の直線へと入った。
迎えた直線。開いた内側からヤマニンゼファーが先頭に立つと、坂下で2馬身のリードを取った。粘るナルシスノワールとサクラバクシンオーに、外からダイタクヘリオスが迫るが、ヤマニンゼファーまでは、まだかなりの差がある。ヤマニンゼファーの“2階級制覇”は、もう目の前にまで迫っていた。
ところが、残り100mを切ったところで、大外からとてつもない末脚を発揮して追い込んでくる馬がいた。
──ニシノフラワーだった。
阪神コースを得意とし、いつも坂の上りで後続を突き放してきたニシノフラワーにとって、中山競馬場の急坂がエンジン点火の合図となったのか。勢いがつくと、あっという間に前をごぼう抜き。完全に抜け出していたヤマニンゼファーも最後の一完歩で差し切り、見事1着でゴールイン。
上位人気馬がこぞって挑戦した“2階級制覇”を達成したのは、3歳牝馬のニシノフラワーだった。河内騎手にとっては、前年のダイイチルビーに続く連覇であり、2年連続、牝馬での“2階級制覇”となった。
そしてこの勝利により、2年連続のタイトルとなる、JRA賞最優秀4歳牝馬(現・JRA賞最優秀3歳牝馬)と、最優秀スプリンター(現・最優秀短距離馬)の2つのタイトルを獲得。現役トップクラスのスピードを古馬に対しても見せつけ、“天才少女”と呼ぶに相応しい活躍を見せたのである。
こうなると、年が明け迎えた4歳シーズンの目標は、古馬の春秋マイルGⅠ制覇ということになる。
3ヶ月の休養を経て迎えたニシノフラワーの復帰戦は、得意の阪神1600mで行なわれるGⅡのマイラーズカップ。ライバルは、前走で接戦の末、差し切ったヤマニンゼファーと、オークスで先着を許したキョウワホウセキだった。
この日も五分のスタートを切ると、逃げ馬2頭を前にやって、早々に3番手の好位を確保したニシノフラワー。逃げるナルシスノワールが作った前半800m通過48秒4の流れは、前年の桜花賞よりも1秒以上遅いスローな流れだった。しかし、今回よりもはるかに速かったスプリンターズステークスからの臨戦過程にも関わらず、折り合いを欠くようなところはまるで見られない。
迎えた直線。第2集団からヤマニンゼファーと一緒に抜け出しマッチレースになると思われたが、得意の急坂でぐいっと前に出ると、あとは独走。またしても、2着に3馬身半の差をつける完勝で、4歳春、早くも6つ目の重賞タイトルを獲得した。
これで、前年の安田記念の覇者に連勝。また、マイルチャンピオンシップを連覇したダイタクヘリオスは既に引退していたため、ニシノフラワーがマイルの新王者になる可能性は、限りなく高くなったように思われた。
しかし、2ヶ月後──1番人気に推され、迎えた本番の安田記念。
いつもどおり、スタート直後から好位を確保したニシノフラワーだったが、珍しくこの日は引っかかり、序盤から折り合いに苦労していた。河内騎手が懸命に手綱をおさえると、今度は7番手まで下がってしまうチグハグな競馬。中団に位置したまま4コーナーを回り直線に入ったが、このポジションで直線を迎えたのは、距離が長いと思われたエリザベス女王杯と、序盤のペースが速すぎて、付いていくのに苦労したスプリンターズステークスのみである。
さすがに、この位置からでは伸びを欠いてしまい、結局、得意のマイル戦で10着に大敗。生涯初となる、二桁着順に終わってしまった。
すると、ここから歯車が狂いはじめ、次走の宝塚記念は距離に適性がなかったようで8着に敗戦。休み明けのスワンステークスで3着に好走したものの、痛恨の不良馬場となったマイルチャンピオンシップは13着。そして、連覇をかけたスプリンターズステークスも、本格化したサクラバクシンオーのスピードに屈し、ヤマニンゼファーにも先着を許して3着に敗戦。このレースを最後に引退が決定したのである。
その後、故郷の西山牧場に戻り、お母さんとなったニシノフラワーは、9頭の産駒をターフに送り出した。
サンデーサイレンスとの配合から生まれた2番仔と、英国でシングスピールを種付けして生まれた10番仔が、デビュー前に死亡してしまったのは非常に残念だったが、初仔のニシノセイリュウは、出世レースの若駒ステークスを制しクラシックにも出走。9番仔のニシノマナムスメも、重賞で2着2回と、あと一歩のところまで迫る活躍を果たした。
また、ニシノマナムスメの一つ上の半姉ニシノミライは、セイウンスカイとニシノフラワーという、西山牧場を代表する名馬の組み合わせにより生まれた産駒。自身は、6戦して勝利を上げることができなかったが、そのひ孫のニシノデイジーが、2018年の札幌2歳ステークスと、東スポ杯2歳ステークスを勝利。2021年4月現在も、現役で活躍している。
ニシノフラワーの血は、確実に未来へと繋がれている。