アジュディミツオーで、ドバイワールドカップへ挑戦。
フリオーソでは、中央の共同通信杯やスプリングSに挑戦。
船橋の名門・川島厩舎に所属した馬たちには、中央の競馬ファンにも名を轟かせるような活躍を遂げる馬が多かった。そんな名門厩舎を支えた佐藤裕太さん(現調教師・元騎手)が、今でも「悔しい」と振り返るレースがある。
競馬を愛する執筆者たちが、00年代後半の名馬&名レースを記した『競馬 伝説の名勝負2005-2009』(小川隆行+ウマフリ/星海社新書)。
その特別インタビュー「地方の雄、フリオーソの調教を担当して〜『勝ちたい』を捨て、ダート最強世代へ挑む 名馬の調教を担当して至った境地」のこぼれ話をご紹介していく。
「ネームヴァリューは、男の子みたいな馬でパワフルでボールがポンポン飛んでいるような乗りやすい馬でしたね。サクラハイスピードも印象に残っています。懐かしいですね」
船橋の名門厩舎を支えた佐藤さんだけあって、口から飛び出してくるのはいずれも南関の名馬たち。ネームヴァリューは牝馬ながら帝王賞を制覇した名馬。サクラハイスピードは中央時代にいちょうSを制し朝日杯3歳Sにも出走した馬で、船橋移籍後に川崎記念を制している。
他にも、川島厩舎といえば牝馬の交流重賞で活躍したトーセンジョウオーやかしわ記念を制したサプライズパワーなど、多くの名馬を輩出してきた。
そんな川島厩舎を代表する1頭が、アジュディミツオーである。
アジュディミツオーは東京大賞典や帝王賞を制し、地方の年度代表馬に2度選出された名馬である。
そんなアジュディミツオーだが、前年末の東京大賞典を制して挑んだドバイワールドCでは、6着に敗れた。世界中からダートの名馬が集う一戦での12頭中6着なので、決して悲観すべき内容ではないはずだが、佐藤さんはそのレースを振り返る時に、悔やんでしまうことがある。
「アジュディミツオーは、きっとドバイでも勝てたと思っています。もちろん世界の名馬たちのレベルが高いのは存じ上げていますけど、それでもチャンスは間違いなくあったはず。ただ、レース前には『今回は厳しいな……』となっていました。それは、臨戦過程によるアジュディミツオーの変化です」
アジュディミツオーは、年明け3歳シーズンに入ると、4月の条件戦から東京ダービー、JDDなど毎月レースに出走。10月に一度休養したものの、JBCクラシック2着と東京大賞典制覇と、年末までフル稼働だった。そのアジュディミツオーが海外遠征とあって、ドバイでは3ヶ月ぶりの実戦となったわけだが、ドバイに着くまでに様々な場所を中継することになる。
「検疫で美浦を使うんですよね。普段は怪獣みたいな馬──ジャイアンみたいな馬で、他の馬をあおるタイプだったんですが、美浦で結構長い間独りぼっちで過ごしたことで、馬がおとなしくなってしまったんです。『え? 本当にアジュディミツオー?』と思うくらいでした」
さらに海外輸送を経て、到着したドバイの地でも1頭で過ごすアジュディミツオー。
ドバイで再開した頃には、すっかり穏やかになってしまっていた。
「闘争心は競走馬の大事な要素ですから……あそこまでリラックスしてしまったのは、大きな敗因だったと思います。海外遠征のノウハウがあれば、と今でも悔しいですね。それか、どこでもドアがあれば船橋から闘争心バリバリのままレースに参加できたんですが(苦笑) もしその状態で出走していれば、あのメンバーが相手でも勝てたと思っています!」
一度の敗因を深く分析し、次に活かす──。
今や調教師として活躍をする佐藤さんの管理馬が海を越える日を、楽しみに待ちたい。
(文・緒方きしん、写真・s.taka、Horse Memorys)
(編/著)小川隆行+ウマフリ
星海社サイト「ジセダイ」
https://ji-sedai.jp/book/publication/2021-11_keibameishoubu2005-2009.html
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