ディープインパクトのための、ディープインパクトによる、ディープインパクトの宝塚記念。2006年、京都開催の宝塚記念を振り返る

宝塚記念の歴史を紐解く

春のG1シリーズの余韻が薄まり始めたころに実施される、宝塚記念。春競馬のフィナーレであり、夏競馬のスタートラインでもあり、出走するメンバーも年ごとに大きく変化する。従って「宝塚記念の固定イメージ」というのは、なかなか湧いてこない。共通して言えることは、「現地観戦は毎回地獄の暑さ」ということ。ビールを飲んでからパドックに行ったら、すぐに脱水症状を起こしてしまいそうな蒸し暑さ。G1デーの観戦で手に持ったペットボトルが、すぐに空になってしまうのは、宝塚記念デーの時だけのような気がする。

宝塚記念は出走メンバーによって、年ごとの楽しみ方も変わってくる。宝塚記念は、断トツの単勝2倍以下の人気馬が人気通りに勝つパターンと、群雄割拠で優勝馬はG1初制覇のパターン、2つのパターンがある。前者には1990年以降、メジロマックイーン、ビワハヤヒデ、マヤノトップガン、テイエムオペラオー、ディープインパクト、そしてイクイノックスと6頭が該当する。一方、G1初優勝となったのパターンの年には、1990年以降15頭を数え、その中にサイレンススズカ、メイショウドトウ、マリアライトなどの名が刻まれている。

単勝2倍以下で優勝した馬たちは競馬史に燦然と名を残す錚々たる面々である。単勝低倍率のベスト3を挙げれば、3位が2023年イクイノックスの1.3倍、2位が1994年ビワハヤヒデの1.2倍。そして1位が2006年ディープインパクトの1.1倍となる。

そのディープインパクトが優勝した2006年。この年は京都競馬場で施行され、朝からの雨が次第に酷くなっていく中で、ディープインパクトは圧巻のレースをして見せた。それは、まさに「ディープインパクトのためのディープインパクトによるディープインパクトの宝塚記念」だったように感じられる。

ディープインパクトの全12勝は大半が楽勝である。その中でも宝塚記念はディープインパクトが最も余裕を持って臨んだレースだったように思う。梅雨の雨を嫌がることなく、濡れるのを楽しむかのように目の前を通り過ぎて行ったディープインパクト。私は、ディープインパクトが走った14戦の中で、このレースが一番好きだ。そして、歴代の宝塚記念のMyベストレースは、2006年の宝塚記念である。

2006年春、ディープインパクトの完成。そして海外へ

2006年春のディープインパクトは無敵モードに入っていた。前年暮れの有馬記念で、ハーツクライを捕まえきれず不覚を取ったディープインパクト。阪神大賞典を始動レースに選び、終始馬なりでレースを進めて3馬身1/2の楽勝。4冠目となる天皇賞(春)も、ほぼ、ディープインパクトのペースで2着のリンカーン以下を突き放す。ゆっくりとしたスタートから後方二番手につけ、3コーナー手前から追撃開始。坂の下りを利用して4コーナー手前で先頭に躍り出ると、ラスト3F33秒5で優勝した。

天皇賞(春)の勝利により、5月7日に発表された世界統一ランキング上で、ディープインパクトは、芝・長距離部門で1位となる。ここまでくれば次は世界挑戦、イギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスか、フランスの凱旋門賞かとやきもきしている中、池江調教師から凱旋門賞出走が発表された。

更に、フランス遠征前の国内壮行レースとして、京都競馬場で施行される宝塚記念出走も同時に発表され、沸き立った。私も迷わず、カレンダーの6/25に赤丸印を付けて、日本ダービーのその先の楽しみにワクワクしたものだ。

「ディープを国内で見られるのは、もしかしたらこれが最後かもしれない」

エルコンドルパサーが4歳時(現3歳)にジャパンカップで優勝し、翌年海外で走る事が発表された。凱旋門賞が終わったら、帰ってきてジャパンカップあたりで見られると思っていたのに、そのまま現役引退となった。そのことを思い出し、何が何でもディープの壮行レースを現地で見たかった。

負けることが許されない壮行レース

宝塚記念当日は朝からの雨だった。新幹線で京都に向かう車窓も、灰色の世界が続く。

11年ぶりの京都開催となる宝塚記念。11年前の宝塚記念と言えば、3コーナーの下りでライスシャワーの夢が潰えたレース。また、京都競馬場で行われる海外遠征の壮行レースと言えば、子供の頃に見た雪降る日経新春杯で、テンポイントが崩れ落ちた第4コーナー。京都競馬場、海外遠征壮行レース…。不吉なことばかり思い巡らす中、願うべきことはただひとつ。ディープインパクトが無事にレースを終え、ロンシャンに向けて出発するのを祈ること。

しかし、新幹線の中で悶々と張り巡らしていた不安は、6時間後には杞憂に終わることとなる。

第47回宝塚記念は13頭のメンバーで争われることになる。ディープインパクトの単勝1.1倍は動かない。追うのは、天皇賞(春)でもディープインパクトに続いたリンカーン、一足早くシンガポールへ海外遠征しこれが凱旋レースとなるコスモバルグあたり。距離が伸びてどうかと思わるものの、香港マイル制覇のハットトリック、復調気配の皐月賞馬ダイワメジャーも不気味な存在であった。

雨が次第に強くなる中、宝塚記念の本馬場入場が始まる。

ディープインパクトは、各馬が返し馬に入ったのを見届けるかのように、ゆっくりと登場する。その姿を雨の中応援に来てくれたファンに見てもらうかのように、武豊騎手はスタンドに近い外を通って4コーナーへ向かう。ディープインパクトの姿を追うように、最前列の傘が揺れ、歓声が右から左へ流れていく。まさに壮行会の1シーンとなっていた。

スタート地点に各馬が集合する。ディープインパクトも非常に落ち着いた状態で輪の中に入ってくる。武豊騎手の笑顔にも気負いがなく、このレースはディープインパクトにとって「世界制覇に向けての通過点」であることが、ターフビジョンを通して伝わってきた。

13頭が一斉にスタートした宝塚記念は、雨の中で淡々と進む。

バランスオブゲームが誘導する形で1周目のゴール板を通過。ダイワメジャー、コスモバルクが追い、その後ろからアイポッパー、カンパニー。縦長になった隊列の後方二番手にディープインパクトが、ゆったりとした足取りで追走している。

バックストレッチから3コーナーの坂の手前は、バランスオブゲームのペース。3馬身差をキープして坂を上る。坂の下りで中段にいたアイポッパーが仕掛けて追撃を開始。それを後方で見ていたかのように、ディープインパクトが外から順位を上げていく。シフトチェンジしたディープインパクトはここまでとは気配が一変。まるで羽が生えたような素軽さで各馬を次々交わし、好位に取りつく。4コーナーの手前では、バランスオブゲームを見る位置まで順位を上げたディープインパクト。ここまではディープインパクトの「行く気に任せた馬なり」でレースを運ぶ武豊騎手。

 

最後の直線は、ディープインパクトの海外遠征に向けたお披露目ショーと化した京都競馬場。懸命に粘るダイワメジャー、瞬く間に並びかけるディープインパクト。その前を行くバランスオブゲームとの差もどんどん縮まる。

ディープインパクトの一完歩が、海外に羽ばたく一完歩となっていく。傘が揺れ、歓声がひとつになって、ディープインパクトへの応援メッセージとなり、武豊騎手の背中を押す。先頭に立ってからは、他馬を全く寄せ付けない末脚を駆使し差を広げる。結局ディープインパクトは、4馬身の差をつけて海外遠征前の壮行レースを楽勝した。

ディープインパクトの勝利に酔いしれたレース後

誰もが望んだのは、ディープインパクトが宝塚記念を制覇することだけでなく、ロンシャンに向けて希望の灯がともる最高の勝ち方をすること。それを余裕のレース運びで圧勝して見せたディープインパクトに、場内の誰もが酔いしれた。

「日本馬で最初の凱旋門賞制覇はディープインパクトで間違いない」

あちこちで聞こえてくる声にテンションを上げながら、再び本馬場に登場したディープインパクトに、私はカメラを向けていた。

雨が降り続くスタンドを後にして、最終レースのパドックに向かう。パドック正面に掲示された宝塚記念の看板。改めて見ていると、ディープインパクトの凄さが甦ってくる。

そして、何気にその右端を見たとき、私は思わず声を上げてしまった。

「やっぱり、今年の宝塚記念はディープインパクトのための壮行レースだったんだ…」

右端に描かれていたもの…。それは、ディープインパクトがロンシャンに旅立つ飛行機だった。

Photo by I.Natsume

あなたにおすすめの記事