2007年5月27日。
この日、この時、私はテレビを前にして初めての衝撃を覚えた。

逃げるアサクサキングスを残り200で捉え、豪快に突き抜け世代の頂点に立つ1頭の牝馬。
澄んだ青空、鞍上の右手が高々と上がった水色の襷の黄色い勝負服。
漆黒の雄大な馬体。
彼女が成し遂げたのは「64年ぶりの牝馬によるダービー制覇」という快挙だった。

しかもそれだけでは留まらず、その馬は、その後府中で開催される古馬G1の完全制覇をやってのけた。

その牝馬の名は、ウオッカ。
第4回ヴィクトリアマイルの覇者でもあり、第74代目の日本ダービー馬である。

ウオッカは2004年にカントリー牧場で生まれた。
父は2002年の日本ダービー馬であるタニノギムレット。
母はタニノシスターという、谷水オーナーの結晶とも呼べる血統構成の中に生まれたのである。

ウオッカの馬名の由来として、父より強くなって欲しいという願いからギムレットより強いお酒であるウォッカが選ばれたという逸話は有名だが、敢えて冠名である「タニノ」を付けなかった事からも、期待の高さが伺える。

実際に入厩後の調教では、菊花賞馬デルタブルースや、香港マイル覇者ハットトリックらに食らいつくぐらいの素振りを見せていた。この当時の角居厩舎はシーザリオを始めとしてデルタブルース、ポップロックそしてハットトリック等、海外で飛躍を遂げた名馬を次々と輩出する新進気鋭の厩舎。そこにいる強力な面々を相手に早くも目立つ動きをしたということになる。

その後ウオッカはデビューを迎え、逃げ切りで新馬勝ち。
2戦目の黄菊賞はスタートの失敗が響き2着に惜敗。
3戦目にG1初挑戦となる、阪神JFに出走した。

この時の相手は断然の一番人気に支持されていたアストンマーチャンで、当時は小倉2歳SとファンタジーSを連勝で迎えた大本命でもあった。対するウオッカは未勝利と500万下を連勝したルミナスハーバーとファンタジーSで3着だったハロースピードよりも人気が低い、4番人気という評価に位置付けられていた。

レースが始まると、アストンマーチャン、ウオッカ、ルミナスハーバーなどが好ダッシュを見せる。そのなかからルミナスハーバーが先頭に立って、レースを作るポジションに収まった。
先行集団のインコースにアストンマーチャン、ウオッカはその真後ろに構えていた。
半マイル通過は46秒3と緩みのない流れとなっている。
最後の直線、逃げ切りを計るルミナスハーバーを最内からアストンマーチャンが早くも抜け出して2馬身、3馬身とあっという間にリードを広げる。
その時、馬群の中から一気にウオッカが飛び出し、アストンマーチャンに食らいついた。
逃げるアストンマーチャン、追うウオッカ。
意地と意地のぶつかり合いの中、最後に勝ったのはウオッカだった。
タイムは1分33秒1。当時の2歳牝馬レコードということからも、ハイレベルなレースだったのが窺える。
ウオッカはこの勝利で最優秀2歳牝馬に選出された。

だがこの翌年以降、ウオッカが「もう一頭の最強牝馬」と共に日本競馬界を引っ張っていくほどの存在へと成長するとは、この時どれほどの人々が予期していただろうか。

年が明けてウオッカはエルフィンSから始動し、2キロ差のハンデをモノともせずに完勝。
その後桜花賞トライアルであるチューリップ賞で、運命のライバルと出会うことになる。

そのライバルの名は、ダイワスカーレット。
アグネスタキオン産駒2年目、そして春秋マイル、天皇賞秋を制覇したダイワメジャーの半妹としてデビュー前から注目を集めていた良血馬だ。

このライバルの存在こそが、互いを高め合い、そして卓越した強さを際立たせていくことになる。

その記念すべき1戦目、チューリップ賞。
最後の直線、逃げるダイワスカーレットを捕らえに出るウオッカ。
阪神の直線入り口からまさにマッチレースのような叩き合い。
永遠のように長く感じられる叩き合いだった。
後にこのレースを見返すと、ウオッカに騎乗していた四位洋文騎手と、ダイワスカーレットに騎乗していた安藤勝己騎手が互いに笑い合いながらゴールを迎えていたというように感じることがある。名手と名手にして、何か感じ入るものがあったのかもしれない。
結果は、ウオッカの勝利。
しかし、ダイワスカーレットも意地を見せた。
見る者に「この2頭のライバル関係がこれからずっと続いていくのではないか」と感じさせるような、そんな激戦だった。

2戦目の桜花賞は、ダイワスカーレットが今度はウオッカを出し抜くような形で逃げ切りを図り、その策が見事にハマってダイワスカーレットが優勝。
上がり3ハロンがウオッカと同タイムでは、いくらウオッカの末脚で届くはずも無い。
桜花賞本番で乗り方をこれまでと変えた、安藤勝己騎手の名騎乗も光った。

そしてその次走、陣営は悩んだ末に「一生に一度の舞台としてなら」と、日本ダービー出走を敢えて選択する。
「本当に勝てるのだろうか?」
競馬ファンはそんな複雑な思いを浮かびながらも迎えた日本ダービー。

皐月賞組のフサイチホウオー、ヴィクトリーに続く3番人気という評価となったウオッカ。
ウオッカの真価を知る今では、3番人気ですら低評価であるように感じられる。

ゲートが開き、アサクサキングスがハナを切る。
2番手にサンツェッペリンが追走し、3番手にプラテアードが付けていた。
中団の前にフサイチホウオーとアドマイヤオーラ、その後ろにウオッカ。後方には後に春秋グランプリ制覇を成し遂げるドリームジャーニーが控えていた。

迎えた、世代最強を決める最後の直線。
依然アサクサキングスが先頭で2馬身程リード。ヴィクトリー、フサイチホウオー、アドマイヤオーラ、サンツェッペリンが捕まえにいくが、アサクサキングスとの差はなかなか縮まらない。

しかし、突如として1頭の馬が飛び出した。
黒い帽子、水色の襷が入った黄色い勝負服。
一際雄大な漆黒の馬体。

ウオッカだ。

逃げるアサクサキングスをあっという間に捉えて先頭。
その差は2馬身、3馬身とリードを広げてあっと驚く歴史的な快挙を達成した。
それはクリフジ以来、64年ぶりの牝馬によるダービー制覇となった。

そして鞍上の四位洋文騎手は悲願のダービージョッキーの仲間入りを果たす。その際のガッツポーズも印象に残るものだった。右手を高らかに指一本突き上げたその姿は、騎手として現役を引退した今でもファンの間で語り草となっている。

その後ウオッカは様々なレースに、果敢な挑戦を続ける。
3歳牝馬として宝塚記念へ参戦し残念ながら惨敗を喫したが、そのままダイワスカーレットの待つ秋華賞へ3度目の対決となった。
しかし秋華賞はウオッカ自身がスタートで後手を踏んで後方からとなってしまい、押し切りを図るダイワスカーレットを捕らえられないどころか、レインダンスにも届かず屈辱の3着となる。
その後エリザベス女王杯に挑もうとしたが、右関節跛行のために出走取り消しとなり、3歳牝馬ながらジャパンカップへと挑戦するが、僚友のポップロックや二冠馬メイショウサムソン、アドマイヤムーンに完敗を許し4着。
続く有馬記念ではダイワスカーレットと4度目の対決となったが、マツリダゴッホ騎乗の蛯名正義騎手のコーナーワークを活かした策に翻弄されてしまい惨敗を喫する。

だがこの1年で、ウオッカとダイワスカーレットの存在は「強い3歳牝馬」というだけでは語れないほど大きなものになっていった。

古馬としての活躍も期待されるなか、明け4歳、ウオッカは京都記念から始動。そしてドバイへと挑戦した。
ドバイデューティーフリーでは武豊騎手に乗り替わって積極的なレースを試みるも、4着に惜敗。
その後陣営は、府中やドバイでのレースぶりからヴィクトリアマイルを選択した。

だが断然の一番人気に支持されながら、スタート後では折り合いにスムーズさを欠くなど、力が入りすぎた面も見られ、先に抜け出したエイジアンウインズを差しきれず、ここでも惜敗。
それでもゆったりなペースで上がり勝負の中では追い込んで来た点から「負けて尚強し」と呼べる内容ではあった。

同じ舞台、同じ距離で挑んだ安田記念。
コンゴウリキシオーの逃げをマークしながら追走した事が功を奏し、直線半ばでは突き抜けて楽勝ムードに。
2番手の香港馬アルマダ相手に3馬身半差の快勝で復活をアピールした。
休養を挟み、秋は毎日王冠から始動。
休み明けで逃げる形となってしまったが、スーパーホーネットの2着と健闘する。

そして迎えた天皇賞・秋。
これが、5度目の対決となる、ダイワスカーレットとの直接対決。
対するメンバーもこの年、アグネスタキオン産駒初のダービー馬となったディープスカイや、後にG1制覇を成し遂げるカンパニー、有馬記念ではミスター3着とも呼ばれるエアシェイディ等の豪華メンバーであった。

レースではダイワスカーレットが引っ張る展開になり、1000m通過タイムは58秒7とハイペース。
ダイワスカーレット自身も半年ぶりのレースという事もあり、さすがにこの逃げでは厳しいのではと感じるスピードだった。

だが、最後の直線は衝撃的な展開を迎える。
逃げ粘るダイワスカーレットが苦しくなり、かわりに2008年ダービー馬ディープスカイが先頭に立つ。そのすぐ外には2007年ダービー馬ウオッカが並びかけて、新旧ダービー馬による決着になろうとしていた。
この2頭に目が奪われるが、目を離した最内に再度視線が集まる。
馬群に沈んだはずのダイワスカーレットが、差し返して来たのだ。
新旧ダービー馬対決はウオッカに軍配が上がり、ウオッカが先頭。
しかしもう一度ダイワスカーレットが差し返す。
間を突いて鬼脚で追い込んでくるのはカンパニーとエアシェイディ。
2頭の最強牝馬の対決は、鼻面が全く揃ったところでゴールインした。
とてつもない大接戦だった。
観る者の反応が、関係者が、なによりも両馬の背中に乗っていた2人の騎手が、この大接戦の凄みを物語っていた。
しかも、当時の日本レコードというおまけ付きである。

15分間の長い写真判定の末、勝利の女神はウオッカに微笑んだ。
両馬を称える歓声と拍手。

2頭の間でも、きっとガッチリと握手を交わしていたのではなかろうか。
その後ジャパンカップに挑み、スクリーンヒーローの奇襲に惑わされ3着に敗れるが、この勝利が認められ、ウオッカ最優秀4歳牝馬と年度代表馬に選ばれた。

2009年、ウオッカはドバイから始動。
しかしジュベルハッタ、ドバイデューティーフリーでは直線で共に失速し惨敗を喫した。

失意の帰国から挑んだ、ヴィクトリアマイル。
新世代からはリトルアマポーラ、ザレマ、レジネッタ、古豪からは二冠牝馬のカワカミプリンセスなど、前年とも遜色ないメンバーが集まっていた。
鞍上は前年のリベンジを狙う武豊騎手。
負けられないレースだった。

レースがスタートし、ショウナンラノビアがハナを切りペースを刻んでいく。
1000m通過は58秒6、前日に雨が降った影響もある為、ショウナンラノビアは消耗戦に持ち込もうとしていた。
前年とは真逆の展開となり、運も味方につけたウオッカ。最後の直線で逃げるショウナンラノビアとブーケフレグランスの間を抜け、突き放しにかかる。
その差は2馬身、3馬身、4馬身──グングンと、リードは広がっていった。
追いすがるブラボーデイジーやカワカミプリンセス、ザレマらを子供扱いして見せたのだ。

最終的には、7馬身差の圧勝。
次元があまりにも違いすぎた。

歓声より、最早どよめきの方が大きかったのかもしれない。
鮮烈な勝ち方に、誰もが酔いしれていたのだろう。

この2度目のヴィクトリアマイルがウオッカのベストレースなのではという声もある。
それだけの評価を上げるには十分な完勝劇だった。

その後、安田記念で再び相見えたディープスカイを、今度はジグザグ走行しながらゴール寸前で差し切るという着差以上の勝利を演じる。
秋初戦の毎日王冠と天皇賞秋は、カンパニーのJRA史上最高齢G1制覇に阻まれたが、ジャパンカップではルメール騎手に乗り替わって先行で折り合って早めに抜け出して突き放し、最後追い込んできた菊花賞馬オウケンブルースリの追撃を2センチ振り切って、シンボリルドルフ・テイエムオペラオー・ディープインパクトに並ぶ中央G1での7勝を記録した。
また、2年連続で、最優秀4歳以上牝馬・年度代表馬にも選ばれた。

年明け、さらなるタイトルを求めて渡ったドバイの地で鼻出血を発症し、そのまま引退となった。

その後ウオッカはアイルランドにて繁殖生活を始め7頭の仔馬を産み、JRA勝ち馬を3頭輩出。阪神JFや小倉記念などにも出走した。

しかし、2019年4月1日。
嘘であって欲しかった、悲しい知らせが届いた。
ウオッカは3月10日に右後肢第3指骨粉砕骨折を発症後手術を受けたが、その後蹄葉炎を発症した為、安楽死処分となったのだ。

私は以前、モーリスの記事における「夢の配合相手候補」として、ウオッカを取り上げた事がある。本当に夢のまた夢になってしまった、そんな虚無感に苛まれたのを当時鮮明に覚えている。

ダイワスカーレットとの出会いから生まれた、一生に残るライバル関係。
そこで生み出された名勝負、名場面はどれも、ウオッカVSダイワスカーレットという時代でこそのもの。2007年から2009年に日本競馬で生まれた「牝馬の時代」の流れの源流でもある。

また今年もヴィクトリアマイルがやってくる。
ウオッカが7馬身差の圧勝を遂げたように、現在の日本競馬を引っ張っている名牝が完勝劇を遂げるのか。
それとも新たなる名牝が誕生するのか。

ウオッカよ。
この「牝馬の時代」の行く末を、澄んだ青空の上から、どうか見守っていて欲しい。

写真:Horse Memorys

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