トウカイテイオーをめぐる『マル秘エピソード』とは? - デアゴスティーニ《DVD付きマガジン》日本の名馬・名勝負

2024年9月から隔週で刊行されている、日本競馬史上に残る名馬たちの蹄跡をDVDとマガジンで完全収録した『《DVD付きマガジン》隔週刊 日本の名馬・名勝負』。

  • JRAの公式素材による、ファンファーレからゴールとその後のクールダウンも収録
  • ストーリーモードと、レースモードの2種類の楽しみ方ができる!
  • 出馬表、レース結果、全着順、ラップetc.臨場感溢れる映像で当時の様子を伝える!
  • ライフストーリー、血統、血脈など名馬をより深く知ることができる充実のマガジンコンテンツ!

といった、数々の魅力あふれる内容となっている。

第2号となる今回は、帝王・トウカイテイオーがテーマに。
ここではマガジンコンテンツの「トウカイテイオー マル秘エピソード」から内容を抜粋して紹介していく。

坂路調教馬初のダービー馬となったテイオー!!

関西馬の強さの象徴だった栗東トレセンの坂路

今では珍しくなくなった坂路調教だが、平成初期の頃はそれほど厩舎に浸透していたわけではなかった。

昭和から平成にかかるくらいの頃は、まだ関東馬が強かった時代でもあり、東高西低と言われていた時期だ。その秘密は中山や東京競馬場の直線にある坂だとも言われており(栗東トレーニングセンターの開設は1969年、美浦は1978年)、1970年代にテンポイントを管理していた小川佐助調教師が、「トレセンの調教コースに坂を造ってくれ」と要望し、一部に坂ができた。

そうした紆余曲折を経て1985年に栗東トレセンに坂路コースが完成する。
1990年代に栗東坂路で鍛えられた馬が大レースを勝つことが目立った。1990年に、坂路を主体としていた橋口弘次郎調教師がリーディングトレーナーの座につくと、坂路がより注目されるようになる。トウカイテイオーを管理していた松元省一調教師は坂路完成直後から管理馬を入れて調教を積んでいた。脚腰の弱かったテイオーにとって、脚元への負担が少ない坂路コースが武器となったに違いない。

そしてトウカイテイオーが坂路調教馬として初めてダービー馬となり、翌1992年には「坂路の申し子」と言われたミホノブルボンが、テイオーに続く。この頃になると東高西低は逆転し西高東低に。その原動力のひとつが坂路とされている。

ちなみに、美浦トレセンに坂路ができたのは1993年。しかし地形や土地の問題もあり、栗東よりもコース幅などが狭く、なかなか反撃材料とはならなかった。ようやく美浦の坂路が栗東に負けない規模になったのは2023年の秋になってからと、30年以上経っていたのだった。

『ウマ娘』でもクローズアップされた歩様

他の馬とは明らかに違ったテイオーの歩き方

トウカイテイオーといえば、弾むように歩く歩様が特徴のひとつだ。

後肢の繋ぎが柔らかく、蹴り出す際に跳んでいるように歩く。鶏の歩き方に似ているため、一般的には鶏跛と呼ばれ、異常歩様とされる。だが、テイオーの場合は歩様がおかしいというよりは、関節の繋ぎが他馬に比べても柔らかいことを示していたに過ぎない。この柔らかい繋ぎが弾むようなフットワークを生み、高い推進力となっていたのだ。

そのテイオーの歩き方は、人気アニメ・ゲームでもある『ウマ娘』にも採用されている。「テイオーステップ」と名付けられ、トウカイテイオーのみが使えるスキルとして表現されたほど。『ウマ娘』のTVアニメでも、このテイオーステップでの登場が話題になっている。現役引退後、30年近く経っても話題になるほど印象の強い歩様だったということだろう。

引退後、何度かイベントで競馬場に駆り出されているトウカイテイオー。お披露目に際しパドックで歩き出すと、テイオーステップが健在なところを見せた。2009年に東京競馬場のイベントに登場した際は、馬っ気を出しつつ、往年の歩様でパドックを周回した。21歳となり、多少丸みこそ帯びていた馬体だったが、威風堂々とパドックを周回する姿は、現役当時とほとんど変わらないものであった。

トウカイテイオーは繋ぎだけではなく、馬そのものが柔らかかった。仔馬の頃は牧場の柵を跳び越え、隣の放牧地へ紛れていることもしばしば。ただ、他の馬も牧柵を跳び越えていたようだが、多くの馬がかすり傷を負ったりするのに対し、テイオーは傷を作ることがなかったとされる。


日本競馬史上に残る名馬たちの蹄跡を DVDとマガジンで完全収録
書籍名《DVD付きマガジン》隔週刊 日本の名馬・名勝負
創刊日2024年9月10日
価格創刊号 特別価格 490円(2号以降は通常価格1899円)
発行間隔隔週刊
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