[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]両手に花(シーズン1-46)

オータムセールが終わり、NO,9ホーストレーニングメソドの木村さんと今後について話し合いました。もし主取りになった場合、木村さんが半持ち(50:50で共有すること)で、一緒に走らせるという提案をしてもらっていたからです。デビューまでの育成費は木村さんに持ってもらい、そこから先は折半で走らせましょうということです。僕にとってはデビューまで(1歳11月から2歳夏までとしても少なくとも半年間以上)の育成費(およそ30万円×10カ月=少なくとも300万円)が無料になるというメリットがあり、木村さんにとっては自分たちで育成をするためコストは少なく、ダートムーアの23の50%の所有権を手にすることができ、レースの賞金の半分を手にすることができます。ここまではお互いにWIN-WINです。

僕にとっての懸念材料は、ダートムーアの23が繁殖牝馬になってからの権利です。競走馬を共有することはそれほど複雑でありません。収入と経費を折半すれば良い話です。走る馬であればあるほど、どのレースを使うとか、休養に出す出さないとか、いつ引退させるとかで揉める可能性はありますが、木村さんと僕の関係ならいがみ合うことはなさそうです。ただ、繁殖牝馬として所有するとなれば、10年以上にわたる長い期間になりますし、1年で1頭しか配合できません。そうなると互いが納得できる種牡馬選びができなくなる未来は想像に難くありません。種牡馬選びは極めて個人的なものであり、正解もないからです。

僕はダートムーアの23に、競走馬として、いやそれ以上に繁殖牝馬として期待している部分が大きいです。血統的にサンデーサイレンスの血が入っていないこと、さらにノーザンダンサーの血が少し薄まっていることも含め、アウトクロスの配合を目指した場合における種牡馬の選択肢が幅広いからです。母の父にニューイヤーズデイが来ることで、日本競馬に溢れている主流の血を少し薄めつつ、よりスピードが強化された形の産駒を期待できるはずです。

さらに言うと、名牝(系)には隔世遺伝があります。隔世遺伝とは、ある素晴らしい競走成績を残した牝馬がいて、その子どもたちからは活躍馬が出なかったものの、孫もしくはひ孫の世代においてブレイクする馬が現れるという現象です。たとえば、香港ヴァーズを2度制し、天皇賞・春でも2着して種牡馬となったグローリーヴェイズは、曾祖母に3冠牝馬である名牝メジロラモーヌがいます。メジロラモーヌは繁殖牝馬として活躍馬を出すことはできませんでしたが、その子であるメジロルバートからメジロツボネが生まれ、2世代を経てグローリーヴェイズにつながりました。

父系における隔世遺伝よりも、母系におけるそれが起こりやすいのは、ただ単純に牡馬は自身も競走成績が優れていないと種牡馬になれない一方、牝馬は自身が走らなかったとしても、名牝系であればあるほど、繁殖牝馬としての活躍が期待されて血を残せるからです。メジロラモーヌの娘であるメジロルバートや孫のメジロツボネは牝馬であったからこそ血を受け継いでいくことができたのであって、牡馬であったらそうはいかなかったでしょう。いくら名牝の息子や孫であっても、自身がさっぱり走らなければ、さすがに種牡馬にはなるのは難しいのです。

そうした実質的な理由以外にも、遺伝学的(生物学的)な理由もあります。ミトコンドリアのDNAは母からしか遺伝しないという特徴があり、たとえば前述したグローリーヴェイズのミトコンドリアDNAは母メジロツボネから受け継いだものであり、それはさかのぼるとメジロルバート、そしてメジロラモーヌから伝わってきたものです。ミトコンドリアは細胞内に存在する小器官であり、細胞の活動エネルギー源となるアデノシン三リン酸(ATP)を生成します。つまり、体を動かすために重要なファクターとなるミトコンドリアは父系ではなく母系から遺伝するということです。

実際の競走馬を分類して、父と母のどちらが競走能力に影響を及ぼすかを調べた論文もあります。『サラブレッド繁殖戦略における母系の潜在的役割(Potential role of maternal lineage in the Thoroughbred breeding strategy)』において、出走1回当たりの獲得賞金を競走能力の指標とし、675頭の競走能力を順位づけ、上位30%の競走馬を「エリートグループ」、残りの70%を「プアグループ」に分類して、その産駒たちの競走成績を比べてみたところ、意外にもエリート種牡馬×プア繁殖牝馬の組み合わせが最下位であったといいます。これは競走能力のない繁殖牝馬にエリート種牡馬を配合しても意味がないということではなく、競走能力は父よりも母から絶大な影響を受けるということを示唆しています。ちなみに、エリート種牡馬×エリート繁殖牝馬の組み合わせとプア種牡馬×エリート繁殖牝馬のそれは、統計的には同じように優秀な結果が出たそうです。

話が難しくなってしまいましたが、僕が述べたいことは、優秀な成績を残した母からは同じように優秀な子どもが生まれる確率が高く、もしそうでなかったとしても、母系にしか受け継がれないDNAがある以上、その次の世代において優秀な産駒が出る可能性を秘めているということ。ダートムーアはこれまでのところ、(牝馬ばかりを産んでいることもあり)これといった活躍馬を出せていませんが、あきらめることなく名牝系の血をつないでいくことで、たとえばダートムーアの23や福ちゃんから隔世的に名馬が誕生することも十分にあり得るのです。

「この馬は新馬戦を勝てますから、大船に乗ったつもりで任せてください」と木村さんは背中を叩いてくれます。NO,9ホーストレーニングメソドに預けたとき、ダートムーアの23が放牧地を疾走する姿を見て、良いスピードがあると木村さん自身が感じているからこその半持ちの提案だと言ってくれました。リップサービス的な面もあることは分かりますが、コンサイニングをお任せして乗り掛かった舟でもあり、木村さんの好意に甘える形が妥当だと思います。走ってくれたら嬉しいですし、あとは繁殖牝馬の権利の問題だけです。

その気持ちを木村さんにも打ち明け、繁殖に上がったときは僕に戻してもらうという条件はどうかと尋ねてみました。すると、「いいですよ。もし種付け料の高い、たとえばドゥデュースみたいな種牡馬をつけるときには、私が半分出して、売れたお金は半分こという形でいいですし、もしご自身で生産したり、生産した馬を使うならばNO,9ホーストレーニングメソドを使ってもらえるとありがたいです」と答えは帰ってきました。

「僕たちが初めて出会ったあの場所で、育成するなんて良いじゃないですか」

今から14年前に「ROUNDERS」の取材で木村さんの元を訪れ、最初に連れて行ってもらったのが浦河にあるBTC(軽種馬育成調教センター)の施設であることを木村さんは覚えてくれていたのでした。あの日は曇天でしたが、高台からBTCを見下ろし、凄い施設があるものだと感心したあのときの情景が浮かんできました。僕たちが一緒に馬を育て走らせるのは運命だったのかもしれません。

浦河のBTC(軽種馬育成調教センター)

オータムセールから東京に戻り、碧雲牧場で渡されていたお土産を開きました。福ちゃんのYouTubeチャンネルの視聴者さんからの贈り物と理恵さんたちがつくってくれた福ちゃんのシール(何かの記念日にプレゼントする用です)、そしてスタッフの青木さんが撮影してくださった写真をまとめたアルバムです。アルバムには福ちゃんのお姉さん(ダートムーアの23)とスパくん(スパツィアーレの23)、福ちゃんの生まれたときからの写真が入っていました。

青木さんはカメラが趣味で、仕事が終わると、碧雲牧場にいる馬たちの写真を撮っています。そこには僕が知らなかったような3頭の姿が映っていました。特に福ちゃん以外の2頭は、毎日動画で様子を知らされていたわけではありませんでしたので、幼い頃の成長過程はほとんど知らないに近いのです。福ちゃんのお姉さんの可愛らしく、そして美しい姿を見れば見るほど、自然と笑顔になってしまいますし、この子を何とか守ってあげようという気持ちがむくむくと湧いてきました。

僕には息子がひとりいますが、女の子を育てたことはなく、これが我が娘を見るような感情なのかもしれないと思えてきます。血がつながっているわけではなく、人間ではなく馬なのに、おかしいですよね。

どんな扱いを受けようが、ただ黙って、人間にすべてをゆだねて生きていく。
馬が生を受けるとき、父馬と母馬は、人間が人間の都合で選んだ種牡馬と繁殖牝馬である。生まれた子馬は、人間の都合で厳しい育成を受け、人間の都合で売買される。そして、人間の都合で激しいレースを闘わされ、これに勝ち抜いて生き残れば今度は、人間の都合で父馬や母馬として優れた血を伝えることを求められる。

彼らの生涯は、すべて人間の都合によって支配されているのである。

それでも、サラブレッドはしゃべれない。

何という儚い動物なのだろう。わずかなアクシデントでも命を失う過酷な宿命、熾烈な淘汰のための競争、人に委ねられた生活。そういう研ぎ澄まされた毎日を、まるで綱渡りでもするようにして、サラブレッドというガラス細工の芸術作品は、少しずつ少しずつ作り上げられていく。

この美しく儚い動物を守っていきたい、と私は思った。 私が競馬を仕事にしようと決めたのは、そういう思いが原点だった。
サラブレッドの人生を守り、より良い生涯を送れるように、私ができる限りのことをしたい。牧場での毎日から生まれたそんな思いが出発点になって、私は競馬の世界に足を踏み入れていき、そして、サラブレッドと競馬の魅力の虜になって、離れられなくなった。

──「勝利の競馬、仕事の極意」角居勝彦著より引用

また、福ちゃん応援団のひとりであるつーちゃんから、Xで以下のコメントをいただきました。

つーちゃんは拙著「馬体は語る」を読んで、その中で僕は耳たぶが小さくて福耳ではないけれど、手にはマスカケ線があることを覚えてくれていたのです。ちなみに、マスカケ線とは、頭脳線と感情線が一緒になって手の平を真っすぐに横断している線のこと。しかも僕は両手ともマスカケ線という珍しい手相で、織田信長と豊臣秀吉、徳川家康がこのマスカケ線を持っていたことから、天下取りの手相と言われています。イチローや小澤征爾、明石家さんまなどもそうらしい。ということで、僕はお金持ちにはなれないかもしれませんが、天下統一を目指したいと思います(笑)。もしかすると僕は今、両手に花を握っているのかもしれませんね。

木村さんと半持ちで走らせるとなれば、あとはどこの競馬場の何調教師に預けるかを考えなければいけません。セリ後に木村さんと軽く相談した際は、「治郎丸さんが決めて良いですよ。川崎が近いのでしょうから川崎でも良いです」と一任してくれる格好ですが、僕は木村さんのアドバイスも聞きたいと思い、「僕はあまりツテがないのですが、木村さんが預けるとしたらどこにしますか?」と聞いてみると、「船橋競馬場ですかね。船橋は競馬場を使って調教ができるので、馬をしっかり鍛えることができます」と教えてくれました。

川崎競馬場は南関東の中では慣れ親しんだ競馬場ですし、山崎裕也調教師など多少のツテはありますが、たしかに小向の調教場は小さくて思いどおりの調教をするのは難しいという意見をチラホラ聞きます。また、大井競馬場の調教場である小林牧場には勾配3%の坂路があり、馬を鍛えるという面では船橋競馬以上かもしれません。ただ、船橋競馬も大井競馬もその分、馬のレベルが高く、熾烈な競争を強いられることになります。右前肢の種子骨に術歴があり、後ろ肢膝に軽度のボーンシストを抱えて、脚元に多少の不安があることを考えると、深い砂馬場で負荷をかけて鍛えられる船橋競馬場か、脚元への負担が少ない坂路を使って調教できる大井競馬場は合っているかもしれません。

ダートムーアの23は、馬格がないタイプではありませんが、幅が薄いスピードタイプであることは確かなので、軽い馬場の方が合っている気がします。重いダートでパワー勝負になると、どうしても馬格のある牡馬には分が悪い。父ニューイヤーズデイは中央競馬での勝ち上がり率が高いように、ダートでスピードを生かす競馬が合っている種牡馬です。そういう意味では、中央競馬で走らせてあげたかったのですが、僕が中央競馬の馬主資格を持っていませんので仕方ありません。地方競馬の中でもできる限り軽いダートでレースが行われる競馬場を走らせてあげたいものです。

たとえば、岩手競馬でも盛岡競馬場はダートが軽く、水沢競馬場は重いと言われています。ダートムーアの23を岩手で走らせるとすれば盛岡競馬場ということです。ただ、僕が信頼している永田調教師は盛岡に厩舎を構えており、盛岡競馬場を使って調教をするので馬場が軽くて負担がかけにくいのです。負荷をかけるとすれば、実戦並みの速い時計を出さざるをえず、そうすると脚元に負担がかかってしまうという矛盾が生じます。鍛えるときは深い馬場で、走らせるときは軽い馬場という、難しい選択をしなければならないのです。

競馬場は簡単には変えられませんが、走らせるコースはある程度選ぶことができますので、たとえば船橋競馬場で調教しつつ、比較的時計の速い決着になる大井のレースに出走することも可能ですね。調教施設も整っていて、レースも合っている大井競馬場がベストかもしれませんが、その分、預託料も高く、知っている調教師もいません。勝ちやすさを取るか、馬が強くなることを取るか、縁や義理人情を生かすか、白か黒ではないのですが、優先順位によって走る競馬場は選ばなければいけません。そんなことをつらつらと考えていると、あっという間に週末になってしまいました。

そろそろ、福ちゃんのお姉さんを木村さんと半持ちするかどうか返事しなければいけません。

(次回へ続く→)

あなたにおすすめの記事