
母娘二代同一GⅠ制覇は偉業である
春のGⅠシリーズが始まり、毎週ヒーロー&ヒロインが誕生する中、優勝馬のお母さんが馴染みのある「あの馬」となれば、馬券が外れても何となくうれしいものである。かつて、競馬場で走っていた「〇〇〇の子供」を出馬表で見つけると、思わず応援馬券を1枚買ってしまうのは、私だけではないだろう。
父子二代同一GⅠ制覇というのは、過去を紐解いていけば数々登場する。オールドファンがまず思い出すのがシンボリルドルフ→トウカイテイオーの日本ダービー制覇。変わったパターンとしては、タニノギムレット→ウオッカの父娘二代日本ダービー制覇などもある。種牡馬は毎年複数の産駒を送り出せるので可能性は高いが、繁殖牝馬となると毎年1頭の産駒のみが登場するため、確率は激減する。さらに母娘二代同一GⅠ制覇となれば過去に一組である(2025年5月現在)。1983年オークス優勝のダイナカール、彼女の産駒エアグルーヴが1996年のオークスを制覇し、母娘二代オークス制覇の偉業を成し遂げた。
それだけ母娘二代同一GⅠ制覇というのは至難の業である。昭和の時代に遡って思い出すのが、イットーとハギノトップレディの母娘。母イットーは、デビュー以降圧倒的な強さを見せ、桜花賞は馬なりで回って来るだけで楽勝するだろうと言われていた。ところが、桜花賞を前に骨瘤を発症し無念の断念となる。その幻の桜花賞馬イットーの長女がハギノトップレディである。ハギノトップレディは、函館の新馬戦で1000m57秒2の日本レコード(当時)をマークし優勝。イットーがとんでもない娘を送り込んできたと、スポーツ紙で話題になったが、レース後脚部不安を発症して長期休養を余儀なくされた。復帰したのが桜花賞の3週前。3着までに優先出走権が与えられる指定オープン戦でギリギリの3着になり、桜花賞出走に滑り込む。そして本番の桜花賞では堂々の逃げ切りを披露し、キャリア3戦で桜花賞馬となって母の無念を晴らした。
2025年の桜花賞を制覇したエンブロイダリーの母ロッテンマイヤーも、収得賞金が足りず、桜花賞を断念している。桜花賞当日の忘れな草賞で鬱憤を晴らす優勝をしたものの、桜花賞の歓声は阪神競馬場の馬房で聞いていたはずだ。それから9年後、娘のエンブロイダリーが念願の桜花賞に出走し、母の夢を叶えた。

母が残した悔しさを、その娘が同じ舞台で歓喜に変えるシーンは、何度見ても感動的だ。
平成から令和にかけて、ダイナカール・エアグルーヴ母娘に続く「母娘オークス制覇」を、僅かクビ差で逃した母娘がいる。2016年オークス2着のチェッキーノと、その娘2024年のオークス馬チェルヴィニアである。
チェッキーノは美しい!
チェッキーノは、実に美しい栗毛馬だった。母ハッピーパスがお気に入りの馬だったこともあり、私はハッピーパス系譜の子供、孫を追いかけている。その中でもチェッキーノは特別な存在。常に私の「歴代お気に入り馬」の上位に位置する、大好きな馬である。

コディーノの全妹として、注目されていたチェッキーノ。デビュー戦のパドックから、チェッキーノだと一目でわかる美しい姿を披露していた。初戦は先行馬をつかまえ切れずに2着に敗れたが、有馬記念デーの未勝利戦では1馬身1/2の差をつけて順調に勝ち上がる。
チェッキーノの所属厩舎は、名門・藤沢和雄厩舎。大切に調整されたチェッキーノが、次走に選んだレースは、桜花賞トライアルのアネモネステークスだった。未勝利戦から継続騎乗の柴山騎手を背に、3番人気で登場したチェッキーノは、中段追走から4コーナー手前で先頭集団を捉える。内で先頭争いをする3頭の外に取り付いたチェッキーノは、坂を上りながらまとめて差し切った。未勝利→オープン特別を安定の差し切りで2連勝したチェッキーノは、堂々と桜花賞へ駒を進めるものと思っていた。

ところが、藤沢調教師が選択したローテーションは、桜花賞をパスしてオークスに照準を合わせるというもの。馬の状態を優先する藤沢厩舎の選んだローテーション。もしかしたらチェッキーノはオークス馬になるのではないか…。そんな気持ちにさせる2016年の春だった。
距離延長への不安? フローラステークスへの出走
新馬戦1400m、未勝利、アネモネステークス1600mと、マイル以下で3戦消化したチェッキーノ。オークスの前に選んだレースが2000mのフローラステークスに決まる。藤沢調教師が距離適性有りと見込んで、選んだローテーションだけに信じるしかないが、2000mという距離に一抹の不安が残る。兄コディーノが勝利した3勝はいずれも1800mで、2000m以上になると詰めの甘さを見せていた。果たして、チェッキーノは距離の壁を克服してくれるのか…。
鞍上にルメール騎手を迎えたチェッキーノは、18番枠の大外からのスタート。道中は中段の外目をゆっくりと追走している。逃げるクィーンズベストが平均ペースで進む中、3コーナーを回ってもチェッキーノは動かない。
そして直線。チェッキーノは大外に進路を取り、ようやく追撃態勢に入った。1番人気のビッシュは直線に入っても後方でもがいている。残り200mを合図にチェッキーノにスイッチが入る。内にパールコード、フロンティアクイーンを従えて先頭に躍り出た。そして、ルメール騎手の鞭に合わせて、1馬身、2馬身と、あっという間に後続をちぎって行く。結局、3馬身の差をつけて馬なりでのゴールイン。堂々の3連勝を飾るとともに、オークスの有力馬として名乗りを上げた。

初夏に映える緑のターフに優勝レイを付けて再登場したチェッキーノは、今まで見てきた栗毛の中で、最高の美しさを誇る栗毛馬だと、この時改めて思った。
オークスの死闘、そして訪れた悲劇!
桜花賞からの転戦組、シンハライト(2着)アットザシーサイド(3着)と、別路線を勝ち上がってきた、チェッキーノ(フローラステークス)エンジェルフェイス(フラワーカップ)が人気上位を形成する展開となった、第77回オークス。
チューリップ賞はハナ差でジュエラーを下し、本番の桜花賞ではジュエラーに差されてハナ差負けのシンハライトが1番人気。420キロ台の小柄な体で桜花賞からマイナス4キロ。それでも、安定的な強さは際立っていた。
フローラステークスを3馬身差で楽勝したチェッキーノが2番人気。未勝利からの3連勝、直線で一気に先頭に立ち押し切るレースパターンは、フローラステークスから+400mを克服すれば最も優勝に近いとさえ思われた。
一騎打ちムードの中、パドックに登場した2頭。栗毛で柔らかい馬体のチェッキーノ、黒鹿毛で締まった馬体のシンハライトが、周回する18頭の中でも際立って良く見える。
名門厩舎同士の対決、藤沢和雄厩舎と石坂正厩舎が最高の仕上げで臨んだ両馬による、見応えのある一騎打ちが始まる。


スタートと同時にチェッキーノとシンハライトの一騎打ちが始まっていた。1コーナーを回り、飛び出したのがダンツペンダントとエンジェルフェイス、遅れてロッテンマイヤーが追うという隊列。中段よりさらに後方で内シンハライト、外チェッキーノが牽制し合うように並んでいる。ゆったりとしたペースで3コーナーを回る各馬。チェッキーノもシンハライトもポジションを変えず追走している。フローラステークスの時、後方で動けなかったビッシュが、先頭集団のすぐ後ろに付け不気味に勝機を伺う。
4コーナーから直線の位置取りで明暗が分かれたのかもしれない。
直線入り口でごちゃつく展開の中、チェッキーノは大外へ進路を取る。同じポジションにいたシンハライトは馬群の内に潜り込む。戸崎騎手は、チェッキーノが走りやすい進路を、池添騎手はシンハライトを消耗させないためのロスの無い進路をそれぞれが選択した。
直線半ばで仕掛けたのはビッシュ。坂を登り残り、200mのハロン棒を過ぎると先頭に立つ。チェッキーノは大外から一気に順位を上げて内へ切れ込んでいく。シンハライトは馬群にもまれた状態で進路を探しているように見える。ビッシュ目掛けてチェッキーノが上がってきた。シンハライトはまだ馬群から頭が出てこない。

それは、一瞬の出来事だった。
チェッキーノが並びかけた内のレッドアヴァンセと、更にその内のペプチドサプルの間に、僅かな隙間ができている。その進路に黒い帽子のシンハライトが突っ込んできた。
シンハライトは瞬間移動したかのように馬群をすり抜け、ビッシュを交わして先頭に立つ。チェッキーノも加速が付きシンハライトを追うが、馬体を併せたところがゴールだった。

チェッキーノのリベンジマッチは、秋華賞に持ち越された。
夏を全休して、秋に備えたシンハライトに対し、チェッキーノは札幌のクイーンステークスを選択する。牝馬限定、3歳馬は52キロで出走できるレースは、チェッキーノにとって有利な条件。あっさり勝って秋華賞へ向かうものと誰もが思っていた…。
木曜日に出走馬が確定して、金曜日の枠順発表を待つタイミングに衝撃的なにユースが流れる。
『オークス2着馬チェッキーノ、左前浅屈腱炎発症』
チェッキーノの秋華賞リベンジは、叶わぬ夢となった。
オークスを勝ったシンハライトは、秋初戦にローズステークスを選び、桜花賞馬ジュエラーと再戦し、リベンジを果たす勝利を飾る。そして秋華賞へ向けて調整されていた矢先、チェッキーノと同じ「左前浅屈腱炎」を発症してしまう。
チェッキーノの闘病と復活
チェッキーノが競馬場に帰って来るまで、丸二年の月日が流れた。

ノーザンファームでの闘病生活を送りながら、ようやく目途が立ち、復帰戦となったのが5歳6月のオープン特別、米子ステークス(現・しらさぎステークスGⅢ)だった。
2番人気に支持されたものの、絞り込めないのか+38キロでの出走。左前脚に爆弾を抱えたチェッキーノは何とか無事に走り切り、7着でフィニッシュする。
チェッキーノの現役最後のレースを競馬場で観戦できたのは、本当に幸運だったと思う。
次走に選んだ灼熱の関屋記念に登場したチェッキーノ。もう競馬場で見ることは無いと思っていた彼女の姿をパドックで見た時、涙が出そうになった。
やっぱりチェッキーノは美しい…復活したチェッキーノを見て、再認識した。パドックを気持ちよさそうに周回するチェッキーノ、夏の日差しが栗毛の馬体を輝かせている。
しかし、これがチェッキーノを競馬場で見る最後の姿となった。

レース後屈腱炎が再発。チェッキーノは、悔しさを競馬場に置いたまま、現役生活にピリオドを打つ。
チェッキーノが北海道に帰ってから5年目の初夏、母の願いを託された娘が競馬場に帰って来た。ハービンジャーを父に持つチェルヴィニアは、母と同じく新馬戦では敗れるも、2戦目の未勝利戦を楽勝し、さらにアルテミスステークスも制覇する。
そして2024年5月19日、第85回オークスで、チェルヴィニアは輝いた。4コーナーから直線に入ると、母と同じく外に進路を取る。直線半ばでは先頭集団に取りつき、内から先頭に立った桜花賞馬ステレンボッシュに襲いかかった。

母チェッキーノがシンハライトに屈した、8年前の一騎打ちシーンが甦る。しかし、娘は母の願いも追い風に、内との一騎打ちを制して見せた。ステレンボッシュに並びかけ、一気に抜き去る。チェルヴィニアの馬体が前に出たところがゴール板だった。
鞍上のルメール騎手が手を上げる。それは、母チェッキーノが同じ舞台で演じたかった、念願のシーンだったに違いない。娘は、母の思いも背負って、ゆっくりとウイニングランを始めた──。
Photo by I.Natsume