[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]ロドコッカス(シーズン1-69)

一難去ってまた一難。

福ちゃんは元気にすくすくと育ち、ルリモハリモは馬が変わってきて、今年はダートムーアとスパツィアーレのどちらもが仔を産んでくれて、ムー子もダミーフォール症状から回復を見せており、歯車が少しずつ前向きに回転し始めたと感じていた矢先、慈さんから電話がかかってきました。

「治郎丸さん、悪い知らせが2つあります」

ひとつは思い当たる節がありました。スパツィアーレの妊娠鑑定がそろそろ終わっているはずであり、結果が出ているタイミングだからです。昨年と同じホットロッドチャーリーを配合したので、相性的にも受胎する確率は高いと考えていましたが、不受胎だったのでしょうか。そうであれば、残り数回のチャンスに賭けるしかありません。

「スパツィアーレは不受胎でした。申し訳ないです。今回はイチハツから行きましたが、2回目の方が受胎しやすいとされていますので、次こそはです。次の発情がすぐに来ると思いますので、配合相手を考えておいてください」と慈さん。

案の定、スパツィアーレの不受胎の知らせでした。もうひとつの悪い知らせは何だろう?悪い知らせは程度が軽い方から伝えることが多いので、不受胎よりもさらに悪い知らせか…。と頭の片隅で考えつつも、スパツィアーレの不受胎の知らせは予期していてもショックでした。一昨年の追い詰められた気持ちが蘇ってきます。受胎ばかりは僕にはどうすることもできず、神のみぞ知るところ。インクロスの少ない配合を心掛けたつもりでしたが、それでも受胎しないときはしないのです。

次の配合相手をどうするか。もう一度、ホットロッドチャーリーにするか、これを機にマスタリーに変更するか、それとも他の種牡馬にするか。受胎しやすさということであれば、どの種牡馬にしても確率はほぼ同じだと思います。違うのは種付け料ぐらい。ホットロッドチャーリーからマスタリーに変更すれば、150万円から120万円に30万円安くなります。他の種付け料の安い種牡馬に変更すればそれだけ浮くということです。

こういうとき、どうしても弱気になってしまうので、配合変更すると安い種牡馬に流れてしまいがち。昨年、ダートムーアは最初ナダルを第一希望にして、その日は一杯で入れなかったのでホットロッドチャーリーにしたら不受胎、結局2回目はダノンレジェンドに配合変更して受胎しました。ダノンレジェンドも250万円に種付け料がアップしたので、昨年つけておいてお得な種牡馬だったのですが、あの時もう一度ナダルに行っていれば種付けできたかもしれません。今年は1000万円にジャンプアップしていますので、二度とつけられない種牡馬を配合できたことになります。

スパツィアーレも昨年の最初はリアルスティールに行きました。腸ねん転があって不受胎となり、2回目はホットロッドチャーリーに行きました。ホットロッドチャーリーの仔を受胎したので結果的には良かったのかもしれませんが、2回目もリアルスティールに行っていたら…(種付け料が500万円にUP)という悔いは少しだけ残っています。全てはタラレバですが、弱気になって配合変更すると千載一遇のチャンスを逃しかねないというのは昨年の教訓です。

ただ今年は、ホットロッドチャーリーの種付け料が来年からいきなり大幅にアップするとは考えにくい。産駒たちが走り始めて、種付け料が上がっていくとしてもジワジワでしょうし、来年ではないはず。つまり、来年以降もホットロッドチャーリーを配合するチャンスは間違いなくあるはずです。ホットロッドチャーリーの産駒がかなり走って、今年配合して来年に生まれてきた世代の産駒たちの値が高騰することはあるかもしれませんが、結果が出るのは来年の夏以降ですから、来年種付けすれば同じことが当てはまるはずです。今年どうしても種付けする理由はないということですね。

「配合変更するとしてもマスタリーですが、もう少し考えます」と僕は言って、次の悪い知らせに頭を切り替えようとしました。慈さんは言いにくそうに、「実はダートムーアの当歳(ムー子)のことなのですが、時系列から説明すると…」と切り出しました。

「サンシャインパドックでは元気に駆け回るぐらいに回復していたので、今月15日に他の当歳馬たちが放牧されている広い放牧地へ合流させたところ、収牧の際に少し後ろ肢を引きずる素振りを見せました。初めて広い放牧地に出て、動き回ったので疲れたのかなと思っていましたが、翌日は全身がフラフラとして戻ってきて、ついには立ち上がれなくなってしまいました。最初は腰フラを疑ったのですが、四肢が麻痺して立てない症状は当てはまりませんし、獣医師さんに診てもらっても、腰フラではないだろうとの見立てでした。この時期はロドコッカスが出やすいので検査してもらったところ、膿瘍が見られたので、今はロドコッカスの治療をしてもらっています。ただ、ロドコッカスの症状として、四肢麻痺で立ち上がれないというのは今まで聞いたことがありません」

今日にいたるまでの経緯は分かりやすかったのですが、慈さんの話を聞いても、症状とその原因が全く分かりません。ダミーフォールの時もそうでした。ダミーフォールは出産直後か遅くても2日以内に発症する病気にもかかわらず、ムー子(ダートムーアの25)は4日後に発症しました。症状はダミーフォールですが、原因は不明なまま。回復してくれて事なきを得ましたが、病気も原因もはっきりと分からないまま。今回の件も、ロドコッカスを発症しているのは確かそうですが、症状とは結びつかず、原因も分からないため治療が手探りです。

慈さんの話を聞いているときは知ったかぶりをしていましたが、そもそもロドコッカスって何だっけ?と改めて調べてみると、ロドコッカス(正確にはロドコッカス・エクイという雰囲気イケメンみたいな名称)とは、仔馬に肺炎や腸炎、リンパ節炎などを引き起こす難治性の細菌性感染症です。生後1~3か月の仔馬に起こる疾患であり、初期は症状に乏しく、異常に気付いた時点では肺や腹腔に膿瘍(のうよう)が認められ、病態はかなり進行していることが多いようです。日高地方の罹患率は数%、致死率は約8%と推定されています。慈さんいわく、決して珍しい病気ではなく、生後間もない仔馬にとっては良くある病気のひとつとのこと。治療して良くなる馬も多く、ロドコッカス自体が問題というよりも、今回に関してはムー子の症状が問題です。

立ち上がれなくなるという状態は、サラブレッドにとっては致命的です。馬は横になったまま寝返りを打てなければ、褥瘡(床ずれ)になって皮膚がただれ出します。また、血液の循環が悪くなると、呼吸器や消化器系の内臓にも影響が出てきます。そのようにして、外からも内からも壊死して苦しんで死んでいくことになるからこそ、馬が骨折して手の施しようがない場合には安楽死の処置が取られるのです。苦しまずに死なせることが、人間にできる唯一の選択ということです。

ここ数日間は、碧雲牧場のスタッフが総出で、帯のようなものを使ってムー子を立ち上がらせて体位変換をしたり、ダートムーアのお乳を搾って、それをお皿に入れて与えたりしてくれています。そのような状態でも、比較的、元気があるのが救いだとのこと。ムー子は生きようという気力は失っていないのです。動画を見せてもらっても、横たわるムー子の姿は目を覆いたくなるほど可哀そうですが、ムー子のクリックリの目を見ると可愛くて仕方ありません。病弱な娘を今すぐにでも抱きしめてあげたい気持ちになります。「頑張れ」と同じ誕生日の理恵さんも励ましてくれています。

僕たちは深刻な話をしました。スタッフや家族の生活を背負う経営者同士の会話であり、生産者の先輩と後輩の間のそれでもありました。

「今の状況を踏まえると、2つの選択肢があります」と慈さんは丁寧に説明をしてくれました。

「ひとつはダートムーアの当歳はあきらめて、ダノンレジェンドのフリーリターンを使うこと。フリーリターンは生後1か月以降は原則使えなくなることが多いのですが、そこはイーストスタッドに確認してみます。ただ、ダートムーアは先日パールシークレットの種付けに行っていますので、受胎していたら、ダートムーアではなくスパツィアーレの方にダノンレジェンドのフリーリターンを当てはめてもらえるか、こちらも交渉してみなければいけません」

流産や出産時のアクシデント、病気等で産駒が亡くなってしまった(安楽死の処置が取られた)場合、フリーリターンの制度を使えば、翌年は無料で種付けをすることができます。今回でいうと、生後1か月以上経ってしまっている中、ダノンレジェンドの種付け権を持ち越せるかどうか、さらに本来であればダートムーアに対しての種付け権をスパツィアーレに変更することができるかがポイントです。各スタリオンステーションによって、対応は変わってくると慈さんは言います。ダノンレジェンドを繋養しているイーストスタッドは、聞いてみなければ分からないとのこと。

「問題なのは、スパツィアーレの2回目の種付けがおそらく明日か明後日になりそうなことです。そうなると、ダートムーアがパールシークレットの仔を受胎しているとして、今日明日中にダノンレジェンドのフリーリターンを(スパツィアーレに対して)使うかどうかを決めて、イーストスタッドに交渉しなければいけません」

ここまで説明されて、僕は今回の決断の本質を理解しました。つまり、ダノンレジェンドのフリーリターン制度をウルトラC的にスパツィアーレに使うとしても、その前提としてはダートムーアの当歳が亡くなっていなければならないのです。分かりやすく言うと、今すぐにでもダートムーアの当歳を処分して、フリーリターンをスパツィアーレに使えるかどうかイーストタッドに相談しなければならないということです。そうしなければ、明日明後日のスパツィアーレの種付けに間に合わない。

このタイミングを逃すと、ダートムーアの当歳が結局立ち上がることなく安楽死になったり、原因不明の病気で亡くなってしまったりしても、フリーリターンを使える時期は大幅に過ぎてしまいます。ダートムーアとスパツィアーレがそれぞれに受胎すると、種付けをする相手(繁殖牝馬)もいなくなってしまいます。つまり、ムー子がいなくなるだけではなく、ダノンレジェンドの種付け料(100万円)もパーになってしまうということを意味します。このようなリスクを生産者に負わせないためにフリーリターンの制度はあると思うのですが、タイミングが悪いと制度の恩恵に預かれないのです。

ダートムーアの当歳をどうするか、決めるのは今この瞬間なのです。

(次回へ続く→)

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