
11月、アルゼンチン共和国杯の季節になると、思い出す馬がいる。
パフォーマプロミス。彼の名前を思い出すたび、どこか胸の奥が疼く。競馬を見続けていると、不思議とそういう馬が、いくつか心に棲みついていく。
芯が強くて、頑張り屋で、競走生活を終えるとあっという間にこの世を旅立っていった黄金色の駿馬。

彼は最初、派手な存在ではなかった。
デビューは3歳の9月。ダービーはとっくに終わり、世代の勢力図は固まっていた。その能力に身体が追いつかず、すぐにあちこちが痛んだ。調教も満足に積めず、このまま消えていく運命かと思われた。
だが船出の日、彼は誰もが驚くような走りを見せた。弾むようなフットワーク。小さな体のどこに、これほどの伸びやかさを秘めていたのか。
テレビに映るその楽しげな走りに、私の眼は奪われた。
その後も、道のりは決して平坦ではなかった。
休み休み走って、走るたびに少しずつ強くなった。
「ステイゴールド産駒は気が強い」とよく言われるけれど、彼の場合は、もう少し違っているように思えた。
気が強いというより、「頑固」とでも言えば良いだろうか。痛くても走る。走ればまた痛い。その繰り返しのなかで、身を削ってでもそれでも前へ進もうとする姿は、どこか人の生き方にも似ていた。
5歳暮れに、彼なりの歩みでようやくオープンの舞台へとたどり着いた。
翌年、6歳初戦の日経新春杯を快勝し、重賞ウイナーの仲間入りを果たす。けれど、続く目黒記念は馬場に、宝塚記念は斤量に泣いた。秋初戦に予定していた京都大賞典は熱発で回避。
噛み合わない日々の中でも、パフォーマプロミスは日々を一つずつ刻んでいった。
そして迎えた仕切り直しの秋初戦。
東京芝2500mで繰り広げられる伝統のハンデG2、アルゼンチン共和国杯。
ウインテンダネスが逃げ、前半1000mは62秒8。遅いペース。全馬が息を潜め、長い直線へ向かう。
残り600m、一気にラップが跳ね上がる。空気が一変し、均衡が崩れる。
その中で、パフォーマプロミスの脚が、これ以上なく鋭く回転する。坂を上ってじわりと前に出る。ウインテンダネスを捉え、マコトガラハッドを競り落とし、先頭に。外から迫るムイトオブリガード。だがパフォーマプロミスの脚色は未だ余裕がある。
少し寒さを増してきた府中の直線に黄金色の馬体が煌めく。声援が一際大きくなる。
一陣の風となって、パフォーマプロミスは先頭でゴールを駆け抜けた。
上がり3ハロンは32秒6。2500mを走って繰り出した究極の末脚。どれほど願っても届かなかった勲章はあった。舞台にすら立てないこともあった。けれど、その日、彼は確かに「ひとつの答え」を掴んだ。
「報われた」
そんな想いが私の胸を包んだ。

レースを重ねるごとに、彼は自分の身体と向き合い、痛みを受け入れながら、それでも走ることをやめなかった。
そんな彼の姿に、私は他の馬たちの面影も重ねる。
痛みを抱えながらも、それでも走る馬たち。その一頭一頭を支える人々。彼らの営みが、競馬という奇跡を形づくっているのだと思う。
翌年の天皇賞・春では3着。ついにG1タイトルへ手が届くかと思われた矢先、骨折が判明する。
だが彼は、再び立ち上がった。1年と少しの休養を経て迎えた8歳初戦、鳴尾記念。後に米国と香港でG1を3つ制することとなるオークス馬ラヴズオンリーユーをねじ伏せた。
それは積み重ねてきた意志の結果に思えた。年齢を重ねても燃えるものを内に宿し、何度でも、何度でも蘇る馬だった。
9歳の春。ダイヤモンドステークスを最後に、脚部の骨折が判明し、引退が発表された。
これからは勝負の世界から離れて、長く生きられたらいいな…と願った。けれど、その希望は、やがて遠い風の向こうに消えていった。
現役時代の故障が癒えず、静かに天へと還っていったという報せが届いたのは、引退から半年ほど経った頃だった。
人はときに、華やかな勝者だけを記憶に残しがちだ。
けれど、競馬の美しさは、勝敗の向こう側にある。誰しもが苦しみを抱えながら、駆けている。
彼のように、痛みを抱えながらも静かに戦う馬たちがいる。行くのも退くのも、大きな決断だ。
その一つ一つの営みと決断が、競馬を「勝ち負けだけでは語れない場所」にしていくのだ。
風が吹く。
スタンドの上を通り過ぎていく無数の風の中に、いろいろな馬の面影が駆けていく。
その中に鮮やかな黄金色の姿を思い出す。あの馬場を、彼はどんな気持ちで駆けていたのだろう。
思い出の中の彼は、いつも少しだけ楽しそうに、馬体を弾ませている。それはたぶん、彼自身の意志だった。生きることそのものへの、小さな誇りのような。
パフォーマプロミス。その意味は「約束を果たす」。
彼はどんな約束を果たしたのだろうか。
倒れても、挫けずに立ち上がり続けた馬。
その姿を思い出すたびに、私の胸に祈りの気持ちが満ちる。
どうか今は、痛みのない場所で。
──あの日と同じ風の中を、自由に駆けていてほしい。
写真:s1nihs
