![[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]全てはつながっている(シーズン1-72)](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2025/11/S__28139549_0.jpg)
いつでも駆けつける準備はできていました。最期の瞬間ぐらいはこの目で見て、ムー子を感じ、自ら判断を下したいと思っていました。
ところが夕方になり、慈さんから「治療の甲斐もなく、非常に残念ですが、本日15時30分に息を引き取りました。最後は少し水を飲んでから、数秒でゆっくりと眠りながら見送れたのが、せめてもの救いでした。治郎丸さんにとって辛い結果になってしまい、本当に申し訳ありませんでした」とLINEが入っていました。
あれだけ衰弱していて、ここ2、3日が山だと予感していたにもかかわらず、僕は突然の死に驚き、そのとき初めて自分の間違いに気づいたのでした。僕が碧雲牧場に行くべきは、看取りのタイミングではなく、ムー子が生きているときだったのです。
死の瞬間に立ち会うかどうかよりも、生きているムー子に一目会うことの方がよほど大事だったはずです。自分の娘であればそうしたはずが、ムー子に対しては間違いを犯してしまったのは、心のどこかで彼女のことを(経済)動物だと考えていたからかもしれません。
「間に合わなくて、ムー子に一目会えなくて、申し訳ないです。碧雲牧場の皆さまには、苦労ばかりかけてしまいました。最後まで力を尽くしてくださって、感謝しかありません」と僕は返しました。
それに対し、理恵さんは「苦しむことなく虹の橋を渡ってくれて良かったです。頑張ってくれていたのですけど、残念な結果になってしまって申し訳ないです」と言ってくれました。
その後、仕事が終わった慈さんから電話をもらいました。15時頃、慈さんがムー子の様子を伺いに馬房に行き、水を飲ませると少し飲んだと言います。これぐらい飲めるのであれば、まだしばらくは大丈夫そうかなと思った矢先、ムー子の呼吸が少し荒くなってきたとのことでした。目の色は白く濁り、次第に呼吸はゆっくりとなり、最期は眠るようにして息を引き取ったそうです。
せめてもの救い、と慈さんが言った意味を僕は理解しました。ムー子は人間によって安楽死処分にされたのではなく、自ら息を引き取ったのでした。碧雲牧場の皆さんが、最後まであきらめずに看病してくれたからこそ、ムー子は枯れるように自然に亡くなったのでした。サラブレッドが自然に死ぬことは案外難しく、ほとんどの馬たちにとって、どこかで人間によって死のタイミングが決められます。ムー子はわずか1か月と27日という短い時間でしたが、天寿を全うしたとも言えるのではないでしょうか。
午前中に獣医師が診てくれたとき、すでにムー子はかなり衰弱しており、「持って数日かもしれない」と言われたそうです。とてもクリニックに連れて行くどころの話ではなく、亡くなるまでは時間の問題であったということ。僕が来るまで持つかなと思っていた矢先、苦しむことなく静かに息を引き取ったのです。
安楽死という言葉はありますが、注射を打つとやはり馬は一瞬バタバタしてから死に至ります。今回のムー子のような自然死は、最期は眠るように息を引き取るのです。長い衰弱の期間は辛かったはずですが、最期だけは苦しむことなく旅立てたのではないでしょうか。
死に目に立ち会えなかった後悔に圧し潰されそうになりながら、せめてものつぐないとして、ムー子の亡骸に会いにいこうと僕は思いました。聞くところによると、酪農大学に検体に出すとしても、明日の夕方までは牧場にいるとのこと。それまでに碧雲牧場に行けば、ムー子に声をかけてあげられるはずです。僕は翌日の飛行機チケットを取りました。これが僕にできる唯一の感謝と償いの方法です。
正午発の飛行機に乗り、新千歳空港には13時35分に到着しました。すでに理恵さんが空港に迎えに来てくれて、すぐさま車に乗り込んで牧場を目指します。「いろいろとありがとうございました」とお礼を言うと、「私たちもできる限りのことはやったし、ムー子も頑張ったんだけどね」と無念そうに返してくれました。
この3週間、付きっ切りで看てくれたのは理恵さんたちですし、だからこそ余計に愛着も生まれたはずです。「安楽死という選択はなかった」と理恵さんが言います。「私たちが勝手に産ませて売って、馬に食わせてもらっているのに、こういう時まで都合よく殺してしまうのは何か違うと思うんだよね。人として」と、上手く説明できないけれどと言いながらも説明してくれました。馬に生かしてもらっている以上、せめて可能性があるときぐらいは馬を助けたい(救いたい)と願うということではないでしょうか。
ムー子の遺体はブルーシートに包んで、日の当たらないガレージの中に入れてあると言います。この時期の北海道はまだ肌寒いとはいえ、遺体が腐ってしまうことを防ぐために、保冷剤をたくさん入れているそうです。今日しか大学病院に持って行ってもらえず、腐敗が酷いと検体としても引き取ってもらえないとのこと。今回のムー子の謎の死の原因を究明したい思いもありますし、何と言っても、これから生まれてくる馬たちの治療に生かしてもらえたら幸いです。そのためにも、ぜひとも酪農大学病院まで綺麗な姿で持っていきたいものです。
母であるダートムーアのことは、碧雲牧場の誰もが褒めてくれました。この3週間、寝たきりのムー子に付き添って、一度も外に出ることができませんでした。馬房の中での生活を強いられたにもかかわらず、暴れたりすることなく、最後まで我慢していたそうです。普通の繁殖牝馬であれば、壁を蹴って暴れたり、下手をすると仔馬を踏んだりして殺してしまうことだってあるかもしれません。ダートムーアは我が娘の異変を感じ、人間が治療をしてくれていることを理解して、いつか良くなると思って我慢し続けたのです。その願いは叶いませんでしたが、物言わぬダートムーアの我慢強さには改めて驚かされます。その精神的強さは、福ちゃんやルリモハリモにも伝わっているはず。人間を信頼して我慢する力は、競走馬としても、繁殖牝馬としても必要です。
そんなダートムーアも、ムー子が亡くなり、遺体が運び出されたときには少し鳴いたようです。でもしばらくすると落ち着いて、ようやく外の世界に出られて安心したのか、今はのんびりと草を食んでいるとのこと。隣の放牧地に今年生まれたばかりの当歳馬と母馬たちが放牧されていて、もしかするとムー子がいるのではないかと、たまにそちらを眺めたりすることもあるようです。我が娘をわずか2か月で失った悲しみ。それでも馬たちは忘れられるからこそ生きていけるのですね。
碧雲牧場までスムーズに到着し、荷物を置いて、真っ先にムー子の遺体が収容されているガレージに向かいました。そこにはブルーシートで包まれたムー子が横たわっています。人間ひとりと同じぐらいの大きさ。理恵さんがブルーシートを外して、ムー子の顔を見せてくれました。ムー子の目は見開かれていました。「閉じようと思ったけど閉じなかったんだよね」と言います。ムー子の瞳に僕の姿が映っています。ムー子には僕の姿が見えているのでしょうか。「頑張ったね。お疲れさま」としか僕は声をかけられませんでした。それ以上の言葉は浮かんできませんでした。ムー子の額に触ってみると、思っていたよりも冷たくなく、とはいえ温かくもありません。瘦せ細っているため、ふっくらとしていた頬はこけ、クリクリっとしていた目は周りの肉が陥没しています。そこにはまさに馬の死体がありました。
ムー子の側には青草が添えられていました。最後は母乳を飲まなくなり、ミルクも飲まなくなり、それでも青草だけはちょっとだけ食べたそうです。ムー子の大好物であったであろう青草を供えてくれたのです。花を持ってくれば良かったとあとから思いました。僕にとっては何もかもが初めてで、亡くなった馬がどのように保管されているのか分からず、どのように扱えば良いのかも知りませんでした。人間と同じように、好きなものや綺麗な花を入れてあげれば良いのです。
ガレージの外に出ると、慈さんとパートの青木さんが待っていてくれて、お悔みと感謝の言葉を交わしました。慈さんが「みんなでダービーを見て、それから福ちゃんたちの放牧地を案内しますよ」と話題を切り替えます。そうなのです。今日は日本ダービー。リビングにて、日本ダービーを観戦しました。
僕の本命馬クロワデュノールはスタートから積極的にポジションを取り、そのまま最終コーナーを回り、一躍先頭に躍り出ます。最後の坂を登り切ったところでマスカレードボールが外から迫ってきましたが、追撃を振り切ったところがゴール。皐月賞の悔しさを晴らす完勝劇でした。鞍上の北村友一騎手もダービー初制覇。落馬による大けがを乗り越え、ようやくダービージョッキーに登り詰めたのです。「ここに至るまでの過程すべてに、意味があったんだと感じている」と彼はインタビューで語りました。日本ダービーという華々しい舞台の裏で、牧場のガレージに眠る当歳の遺体があるのも現実です。それらは表裏一体でつながっていて、全てに意味があるのです。
(次回へ続く→)
