穏やかな名牝ラインクラフトへ -夭逝した彼女と、対照的な2頭のライバルたち

「さくら舞い散る中に忘れた記憶と、君の声がもどってくる」

思い起こせばケツメイシのさくらという歌が流行ったとき、君は現役時代の最盛期を迎えようとしていたね。桜の舞台の残り300mで、君のギアがトップに入った。
スケートリンクを滑るように抜け出した君の原動力は、天与のスピードだ。
勝負が決まるゴール前でも、馬体からにじみ出るオーラが穏やかなのが、いかにも君らしかった。

■穏と激、ラインクラフトとシーザリオ

2005年の桜花賞。
素質馬が集まる大一番、ゴール前でラインクラフトが抜け出した。
しかし後方から、漆黒の馬が馬群を縫うように追ってきた。
──この馬の前が開いたら、ヤバい。
ずば抜けた身体能力を、激しい気性で包んで突進してくる。
「ラインクラフト急げ! シーザリオが直ぐ後ろまで来た!」

シーザリオの猛追をしのいだラインクラフトが制した。牝馬三冠の最初のティアラは、穏や
かでかわいい馬の頭に載せられた。

競走馬は脚で勝つのか、気迫で勝つのか?
「穏」と「激」のコントラストがくっきりした馬たちの対戦は、観る者に難問をつきつける
ただ残念なことに、ラインクラフトとシーザリオに再戦の機会はなかった。この桜花賞が、彼女たちにとって最初で最後の直接対決だったのである。

関係者が語るところによると、「穏」の桜花賞馬・ラインクラフトは素直でおとなしい馬だった。語られるエピソードはどれも可憐で愛くるしい。

在厩中、お日さまが顔をだしポカポカした陽だまりができると、ラインクラフトはきまって馬房から出されたという。至福の時間のはじまりだ。優しい陽光を浴びながらじっと佇む20分間が、この"お嬢さま"のお気に入りタイムだったという。目を細めて光に顔をむける、可愛らしい牝馬の姿が目に浮かぶ。

一方で、「激」のシーザリオにまつわるエピソードはどれも猛々しい
パドックで牡馬と勘違いされたガチムチの馬体や、ふくれあがった闘争心、おさえてなだめで最後に爆発させる苦労話、ラインクラフトとは正反対だ。

シーザリオが残した子たちも、シーザリオ"風味"が非常に濃い。荒い気性を抑えながらも菊花賞を制したエピファネイア、かかりまくって朝日杯FSを勝ったリオンディーズ、難しいところさえ無ければと皆が天を仰いだサートゥルナーリアと、どの馬にもシーザリオの面影がかぶる。

■もう一頭のライバル、エアメサイア

ラインクラフトとシーザリオが観衆を沸かせたこの桜花賞には、もう一頭のライバルが潜んでいた。それが4着入線したエアメサイアだ。桜花賞当時はまだ幼さなかった彼女は、少しオトナになって秋を迎えていた。


米国へ遠征したシーザリオを欠いた秋華賞は、ラインクラフトが一番人気で幕をあける。
桜花賞を再現するように、スルスルと抜けだしたラインクラフト。「これはラインクラフトの勝利か!」と思った瞬間、後ろからエアメサイアが仕留めた。
エアメサイアが、牝馬三冠の最終戦で女王の座を手にした。


エアメサイアとラインクラフトは、翌年のヴィクトリアマイルで現役生活を終えた。
エアメサイアは深爪治療のための休養にはいったが、復帰を断念。5歳になった翌年、繁殖牝馬として社台SSに繁養された。


サンデーサイレンスの娘でエアシャカールが叔父と聞けば、その血統の気性を知るファンからは「あぁ!」と声がでそうになる。
……が、実際のエアメサイアは、この血脈のオアシスのような馬だった。


扱い方を間違えたら手がつけられなくなりそうな激情を秘めてはいたが、エアメサイアは堅実に走った。先頭に立つと競馬をやめる一面があり、この気性は子どもたちに受け継がれた。
エアウィンザーやエアスピネルには、エアメサイアの面影が宿っている


一方、ライバルの中で一番優しい母になりそうだったラインクラフトに、仔はいない。ヴィクトリアマイルで9着に敗れたあと、放牧先で天に召されたのである。
秋のスプリンターステークスへ向けた調整中のこと。急性心不全だった。

「さくら舞い散る中に忘れた記憶と、君の姿がもどってくる」

私が君を想うとき、君はゴール前を走っていない。
厩舎の前でニコニコして、黄金色の陽光をあびている。いつかまた、君のような女の子が男まさりの馬を倒す場面が見てみたい。愛らしさと穏やかさでも群をぬいた馬だった。

写真:しんや

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