ハヤヤッコと再会した日〜“ヤッコさん”に会えた! 早春の牧場見学記〜

2026年3月某日。出資している2歳馬がトレセンへ入厩する前に、一度は会っておきたい──そんな思いに背中を押され、久しぶりに冬の北海道へ向かうことにした。

とはいえ、近年の牧場見学は、まず“見学枠の確保”という難関が待っている。申し込み開始は見学日の2週間前、朝9時半。時間ぴったりに申込サイトへアクセスし、慣れない操作に四苦八苦しながらようやく牧場一覧のページにたどり着いたものの、第一希望の14時枠はすでに満杯だった。それでも何とか15時の枠を確保できて胸をなで下ろしたが、予定していた旅程は少し歪んでしまう。

当初の計画では、午前10時から今年の募集対象になりそうな1歳馬を見学し、昼食を挟んで14時に出資馬の見学。その後は新千歳空港へ戻り、ゆっくりと過ごすつもりだった。しかし午後の見学が15時になったことで、ぽっかりと真ん中の時間が空いてしまったのだ。

同行する友人と「この空いた時間をどう使おうか」と相談した結果、昼食も兼ねてノーザンホースパークへ行くことに決まった。そういえば、ノーザンホースパークでゆっくり過ごすのは随分久しぶりだ。毎年訪れてはいるものの、募集ツアーの昼食休憩で立ち寄るだけで、食事とトイレとバス乗車を慌ただしく済ませる1時間ほどの滞在が続いていた。

思い返せば遠い昔、日高方面へ牧場見学に出かけていた頃は、ノーザンホースパークは必ず立ち寄る場所のひとつだった。ステージチャンプやダイナガリバーを厩舎で見せてもらった記憶が今も鮮明に残っている。そういえば、ブラストワンピースやオーソリティもここにいるはずだ──そんなことを思い出すと、懐かしい馬たちに会える見学地がひとつ増えたような気分になった。

それだけではない。ディープインパクトゲートから見える放牧地、リバティアイランドの墓碑…。募集ツアーの短い休憩時間では足を運べない場所がいくつもある。行きたい場所を思い浮かべながら、当日を心待ちにしていた。

まだ道路の端々に雪が残る朝、私は助手席から白い世界を眺めていた。放牧地が左右に広がり、真っ白な大地が朝日を受けて静かに輝いている。運転してくれているのは帯広に住む友人だ。慣れた手つきで雪道を軽やかに進んでいくが、もし自分がハンドルを握っていたら、こんなスピードでは到底走れないだろう。空港から車でおよそ30分。時計の針が10時を指す前に、最初の目的地へ到着した。ここで1歳馬を見学させてもらえるという、最初のイベントが始まる。

1歳馬たちが生活している厩舎の中へ案内してもらうと、空気の匂いも風の音も、すべてが馬を見るための舞台に切り替わる。サリオスの仔を目にした瞬間、思わず笑みがこぼれた。二世代目もやはり“サリオスらしさ”をしっかり受け継いでいて、その面影を懐かしむ。何頭かの1歳馬を見せていただき、夢中になっているうちに、見学時間はあっという間に過ぎていく。けれど、その短い時間の中に、ワクワクする瞬間がいくつも詰まっていた。私たちは満足感いっぱいで、車に乗り込んだ。

普段は夏にしか訪れないノーザンホースパークは、冬になるとまったく別の表情を見せる。広い敷地は一面の雪に覆われ、平日の午前ということもあって観光客の姿もまばらだ。静寂の中に白い景色が続き、まるで時間がゆっくりと流れているようだった。

車を降りて最初に向かったのは、どうしても訪れたかった場所──リバティアイランドの墓碑である。夏ならば色とりどりの花が咲き誇るであろう小道も、今は雪に覆われている。案内サインを頼りに、雪を踏みしめながら数分歩くと、静かに佇む墓碑が姿を現した。

リバティアイランドを最後に競馬場で見たのは、2024年の天皇賞(秋)。可愛いお手製の髪飾りを揺らしながら疾走していた姿が、今も鮮やかに思い出される。その記憶を胸に、そっと手を合わせた。

墓参を終えてさらに歩いていくと、ディープインパクトゲートにたどり着く。想像していたよりもずっと大きく、堂々としたゲートの向こうには広い放牧地が広がっていた。遠くには数頭の馬たちがゆったりと過ごしているのが見える。雪を通した早春の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込むと、身体の芯まで澄み渡るような爽快感が広がった。

そのまま私たちは、次の目的地である厩舎エリアへと歩き始めた。

厩舎エリアにはこれまでにも何度か足を運んだことがある。しかし、改めて訪れてみると、厩舎の数も放牧パドックも増え、まるで地平線の向こうまで続いているかのように広がっていた。最初に迎えてくれたのは、広い放牧地でのんびりと草を食む香港の名馬、ゴールデンシックスティ。その姿を見ただけで、ここがただの観光地ではなく、名馬たちが穏やかに暮らす“生活の場”であることを実感する。

さらに進むと厩舎が立ち並び、どこへ向かえばよいのか少し迷ってしまう。見学可能なエリアも分からず、通りかかったスタッフの方にブラストワンピースの厩舎を尋ねた。案内された厩舎に入ると、そこには重賞戦線を沸かせた名馬たちが静かに暮らしていた。ラストインパクト、シュヴァルグラン、レインボーライン、キンシャサノキセキ──かつて競馬場で熱くなった馬たちが、今は穏やかな表情で日々を過ごしている。

歩いていくと、入口に馬術大会の優勝リボンがずらりと飾られた馬房があった。馬名表には「ブラストワンピース」。ようやく会えたと胸が高鳴り、そっと覗き込むと、ブラストワンピースは鼻先を寝藁につけて爆睡中だった。器用に眠るその姿はどこか滑稽で、同時にほのぼのとした温かさがあった。私はしばらく馬房の前に立ち、寝息を立てるブラストワンピースを静かに眺めていた。

「外にも放牧されていますよ」とスタッフの方が声をかけてくれ、放牧パドックへ向かうことにした。丸いパドックがいくつも並び、青空の下で馬たちが食事を楽しんでいる。手前にはセダブリランテスがいて、下を向いたまま夢中で干し草を食んでいる。その奥にはオーソリティ。私たちに気づくと、ふっと頭を上げてこちらを見つめてきた。

そして、一番奥のパドックに白い馬体が見えた。お尻をこちらに向け、やはり食事に集中している。胸が高鳴り、もしかして──と近づくと、馬名ボードには「ハヤヤッコ」の文字。

「ヤッコさんに会えた!」

あの日の記憶が一気によみがえる。クロワデュノールが突き抜けた日本ダービーの余韻が残る中で行われた目黒記念。ハヤヤッコは3コーナーから上位集団に取りつき、白い馬体が外から伸びてきたその瞬間、アクシデントが起きた。歩様が乱れ、鞍上のM.ディー騎手が必死に止めようとする姿がターフビジョンに映し出され、直線で競走中止。馬運車に乗り込むハヤヤッコの姿をスタンドから見て、最悪の事態を覚悟したあの日。

幸いにも命に別状はなく、現役を引退してこうしてノーザンホースパークで余生を過ごしている。目の前で干し草を頬張るハヤヤッコの姿を見られただけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。私たちが見つめていても気にする様子もなく、ただ黙々と草を食べ続ける。その“何事もなかったような日常”が、何より嬉しかった。

みんなでハヤヤッコの蹄跡を語りながら、彼の“今”を眺める時間は、まさに心の栄養補給だった。早春の北海道の冷たい風の中、青空の下で草を食む白毛の名馬との再会──その光景は、ここに来た価値を一瞬で証明してくれた。

仕事を調整し、夜明け前の5時に起きて飛行機に乗り、ここまで来たこと。そのすべてが報われた気がした。そして、14時の見学枠が取れず15時になったという“偶然”が、この貴重な再会を運んでくれたことにも、静かに感謝した。

時間を忘れて眺めていると、ふいにハヤヤッコが首を上げ、ゆっくりとこちらを見た。現役時代の鋭い眼光ではなく、穏やかで優しい瞳。まるで「見終わったら、そろそろ次へ行けよ」とでも言っているようだった。赤いバケツの水を飲むと、また何事もなかったかのように干し草へ顔を戻した。

「まさか、ヤッコさんに会えるとはなぁ」

そう言いながら、私たちは心の栄養を満タンにして、ハヤヤッコの放牧地を後にした。

Photo by I.Natsume

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