高円寺・競馬居酒屋「なで厩」のこれまでとこれから(前編)- 10年越しの野望と店の誕生に迫る

高円寺にある競馬居酒屋「なで厩」は、普通の居酒屋ではない。料理、酒、店内を彩る競馬グッズ、そして集まる個性豊かな客の顔ぶれ──どれを取っても、どこか“やりすぎている”。

それでも、不思議と居心地がいい。

そんな「なで厩」が、高円寺高架下の再開発を契機に一区切りを迎え、新店舗での開業に向けて脚を溜めている。

なぜこの店は、こういう形になったのか。
そして、これからどこへ向かうのか。
店主・なでさんに、まずは「これまで」の話を聞いた。

最初の1杯の前に撮影。カウンターの奥には馬券コレクションが並ぶ(2022年撮影)
■原点と葛藤

店を始めて6年。
なでさんにとって、「店を開く」という発想自体は決して最近の話ではない。

「大学のときですね。22とか23くらいのときには、もうなんとなく居酒屋やりたいなって思ってました」

ただし、その思いはすぐに形になることはなかった。最初にやったのは開業ではなく、調理師免許の取得だったという。

「じゃあ何からやればいいんだろうって考えたときに、とりあえず免許かな、って」

しかし、そこから先へ進むことが難しい。
店をやりたい気持ちはある。ところが具体的にどう動けばいいのかが分からない。

気づけば、その状態が10年近く続いていた。

「ずっと“やりたいな”とは思ってたんですけど、なかなか踏み出せなくて」

なでさんのもともとの本業は映像クリエイター。

大学時代から、なでさんは舞台や映像の仕事にも関わっていた。その仕事場で折に触れて口にしていたのが「いつか店をやりたい」という話だった。

「師匠にはよく言われてましたね。“どっちかにしろ”って」

——映像か、飲食か。

「両方やるのは、それぞれに失礼だって」

今でこそ副業や兼業という言葉は一般的になり、複数の仕事を持つことも珍しくないが、当時はそうではなく、一つの道に集中することが当然とされていた時代だった。

「だから、ずっと中途半端なままというか。どっちにも振り切れない感じでしたね」

店をやりたいという思いは消えない。
しかし、それを選びきることもできない。

そんな状態が、長く続いていた。

名物カツオの腹皮の素揚げ
■独学の積み重ね

なでさんは、プライベートで料理を続けていた。

「家ではちょこちょこ作ってましたね。つまみが多かったです」

いわゆる"王道の料理"というよりも、酒の横にある一皿。
誰かに振る舞うというよりは、まずは自分のために作っていたらしい。

「自分に振る舞ってましたね(笑)」

さらに、仕事終わりの時間を使って、実地の経験も積み重ねていた。
会社の終業は夜22時。そのあと、近所の焼き鳥屋に通った。

「お金いらないので働かせてください、ってお願いしてました」

──報酬はビール。

「そうです(笑)」

店で焼き、家に帰ってからも焼く。
一口コンロの上に網を置き、煙がこもらないように工夫しながら串を焼く。

「思い返せば、ずっとそんなことやってました」

料理に関しては体系的に学んだわけではない。
修行先があったわけでもない。
ただ、自然と実績を積み上げていた。

その延長線上には、少し変わった光景もあった。

自宅に友人を呼び、料理を振る舞う。
いわば“居酒屋ごっこ”のようなものだ。

「一人居酒屋の延長みたいな感じですね」

店を持つという理想と、現実との距離はまだ遠いと思っていたが、その想いの強さから“店に近いこと”を続けていた。

「本とかも読んだんですけど、よく分かんなかったですね」

開業に関する情報には触れている。
しかし、それが自分の現実に結びつかない。

店を持ちたいという思いはある。
だが、具体的にどう動けばいいのかが見えない。

気づけば、その状態のまま時間が過ぎていく。
10年という時間は、決して短くはない。

それでも、やめるという選択肢はなかった。

「ずっと頭の中にはありましたね」

やりたいことは変わらない。
ただ、それに辿り着くルートが見えない。

そんな時間を、なでさんは積み重ねていた。

「なで厩」店内の様子(2025年撮影)
■突然やってきた転機

長く続いた“準備の時間”に、変化が訪れる。

30歳手前で、なでさんは映像制作会社を立ち上げ、独立した。拠点としたのは高円寺だった。

「ちょうどその頃ですね。会社をやろうってなって」

仕事の軸はあくまで映像。
しかし、“店をやりたい”という思いは、その中でも消えることはなかった。

ある日、高円寺の高架下で、不動産の募集の張り紙を見つける。

「これはいいなと思って、電話したんですけど」

返ってきたのは、シンプルな答えだった。
『飲食未経験では難しいですね』

「まあ、そりゃそうだよなって(笑)」

最初のチャンスは、あっさりと閉ざされる。
ただし、その場所との縁が完全に切れたわけではなかった。

結果的に、その高架下のエリアで、
自分の会社の事務所を借りることになる。

「結局、そこに事務所を構えることになったんですよね」

店ではないが、のちにやりたいことを叶える場所のすぐ近くに身を置くことになった。

そこから2年。

状況が動いたのは、思いがけない形だった。

事務所の向かいにあった寿司屋が、空くという話が入る。

「それ聞いて、“空くなら貸してください”って言ったんですよ」

返ってきたのは、半ば呆れたような言葉だった。
『まだそんなこと言ってるんですか?(笑)』

それでも、会話はそこで終わらなかった。

「笑われたあとに"中、見ます?"って言われて」

案内されるまま、店の中に入る。

そして──。

「もう、その場で決めました」

迷いはなかった。

「ここでやるしかないなって思いましたね」

居酒屋「なで厩」誕生の瞬間だった。

「なで厩」は日本酒も豊富(写真は百十郎)
■なでさんと競馬

店の構想がゆっくりと現実に近づいていく一方で、もう一つ、なでさんの中で軸になっていったものがある。

競馬だ。

出会いは高校時代にさかのぼる。

「最初にちゃんと見たのは、ヘヴンリーロマンスの天皇賞(秋)ですね。テレビでした」

2005年の秋。
当時はまだ、競馬そのものに強い関心があったわけではない。

きっかけは、意外なものだった。

「高校のとき、競馬好きなやつがクラスにいたんですが、そいつと仲良くなりたくて」

──高校だと珍しいですよね?

「そうです。そいつと仲良くなりたいと思ったんですよ(笑)」

競馬を“好きになるため”ではなく、
誰かと繋がるために、競馬を見るようになった。

しかし、その入口はやがて別の方向へと広がっていく。

「気づいたら、その友達関係なく、自分が普通にハマってましたね」

なでさんの記憶に強く残っている馬には、いくつか共通点がある。

そのひとつが、ドリームパスポートだ。

「皐月賞で2着だったんですけど、人気薄だったんですよね」

当時は騎手の知識もほとんどなく、新聞も見ない。それでも、レースの印象だけで“この馬は強い”と感じていた。

「きさらぎ賞を見て、これは強いなって思ってたんですよ」

だからこそ、人気薄で好走した姿に惹かれた。

もう一頭が、オースミハルカ。

「“大逃げ”っていうのが、すごいなって思って」

スタートから一気に飛ばし、そのままレースを引っ張る。その極端なスタイルに、強い印象を受けたという。

「こんな馬いるんだ、って」

タイプは違うが、この2頭には共通する魅力があった。

勝ちきれない。
それでも、記憶に残る。

勝敗だけでは測れない魅力。どこかに引っかかる存在。いまの店の魅力にも、どこか通じているのかもしれない。

その延長線上で、競馬は“趣味”を超えていく。

「ドリームパスポート、引退したあと会いに行きましたからね」

気づけば、ただレースを見るだけでは終わらない存在になっていた。

競馬は、なでさんにとって
確実に“自分の中に残るもの”になっていった。

なでさんとドリームパスポート(なでさんご提供 2015年撮影)
■居酒屋×競馬の接続、そしてスタート

「最初はバーになるかなと思ってましたね」

酒を出し、場を作る。
一見シンプルな形に思えるが、当然そこには壁があった。

「人と話すの、そんなに得意じゃないんですよ」

バーという業態は、どうしてもコミュニケーションの比重が大きくなる。そこに対する抵抗があった。

では、どうするか。

そのときに浮かんだのが、“競馬”だった。

「競馬に寄せちゃえば、なんとかなるんじゃないかって思ったんですよね」

共通の話題がある。
共通の熱量がある。

何もない状態で会話を始める必要はない。
競馬という前提があれば、自然と場が生まれる。

ある意味では、料理から逃げたとも言える。
しかし、その選択が結果的に店の核になった。

こうして形になった「なで厩」は、いわゆる“完成された店”としてスタートしたわけではなかった。

最初のメニューは、チーカマとナッツ。

「ほんと、それくらいでしたね(笑)」

料理で勝負するというよりは、競馬が好きな人が集まる場所。それが、この店の出発点だった。

ところがそのタイミングは2020年3月、世の中はコロナ禍に入っていた。

「4月になったら、もう閉めろっていう流れでしたね」

開業1か月で緊急事態宣言による営業自粛要請。
通常であれば、致命的な出来事だ。

ただ、当人の受け止め方は少し違っていた。

「逆風かどうかも分からなかったです(笑)」

もともと“普通の営業”を経験していない。
比較対象がない。

だからこそ、それが不利なのかどうかも判断がつかない。

結果的に、その状況をそのまま受け入れていた。

開業時も、特別な仕掛けがあったわけではない。

大きな宣伝はしていない。
告知もほとんど出していない。

「通りかかった人が、ちょっと入ってきてくれるくらいでしたね」

それでも、店は少しずつ形を変えていく。

営業できない期間が、約2ヶ月続いた。
その時間を使って、店内を整えていく。

「その間に、いろいろ置き始めました」

最初は、競馬グッズもほんのわずかだった。ぬいぐるみがいくつかある程度。それが、徐々に増えていく。

…気づけば、店内は競馬で埋まっていた。

無観客でレースが行われていた時代。
競馬場に行けない分、店に来るという選択も生まれていた。

「今思うと、あの時期だから来てくれた人もいたかもしれないですね」

偶然と必然が重なりながら、店の輪郭が少しずつはっきりしていく。

当初のイメージは、あくまで「競馬バー」だった。

酒を中心に、競馬を楽しむ場所。
その想定でスタートしている。

しかし、実際に営業を続けていく中で、変化が生まれる。

「だんだん料理も出すようになっていって」

独学で積み上げてきたものが、少しずつ形になっていく。

来る客層も、想定とは少しずつ変わっていった。

競馬ファンだけではない。
ファミリーで訪れる人もいる。

「そういう人たちにも来てほしいなって思ってましたね」

気づけば、店は“バー”では収まりきらなくなっていた。

結果として、たどり着いたのが

──競馬居酒屋。

「バーテンダーっぽくはないですしね(笑)」

料理があり、酒があり、競馬がある。そして、それぞれを目的にした人たちが、同じ空間にいる。

「なで厩」という店の形は、そうした積み重ねの中で、少しずつ出来上がっていった。

「まあ、自信なくなったらまたバーに戻るかもしれないですけどね(笑)」


こうして生まれた「なで厩」は、6年という時間の中で少しずつ形を整えてきた。
料理、酒、競馬──それぞれが混ざり合いながら、この店ならではの空気ができあがっていった。

人と話すのが得意ではない。
だからこそ、競馬という共通言語に頼った。
その選択が結果的に、誰でも入りやすい店の空気をつくっていた。

それでも、その形はまだ完成ではない。

高円寺高架下の再開発という節目を前に、「なで厩」は新たな一歩を踏み出そうとしている。

何を変え、何を変えないのか。
そして、この店はこれからどこへ向かうのか。

「なで厩」は今、次のレースのゲートインに向けて、静かに準備を進めている。

「なで厩」に家族でお邪魔した際の1枚(2021年撮影)
初めてお邪魔した際の店内 感染対策バッチリ(2020年5月)
あなたにおすすめの記事