「園田の雷神」から「地方の雷神」へ〜オオエライジン・黒潮盃〜

今回は、大井で行われる真夏の3歳限定重賞「黒潮盃」のなかでも、2011年に行われた黒潮盃を取り上げたいと思います。

黒潮盃は地方馬限定の3歳重賞としては屈指の高額賞金を誇り、真夏に開催時期が変わってからは南関クラシックのあとに各馬が目標とするレースと言えます。

2004年からは地方全国交流となり、各地からも強豪が集まる、多彩なメンバーが揃うレースとなりました。当然レベルの高い南関クラシックを戦って上位に来ていた馬たちは上位人気に推され、他地区勢は苦戦を強いられることも多いのですが、全国交流になって以降、ただ一頭、南関勢以外で1番人気に推された馬がいました。

その名は、オオエライジンです。

史上最年少でダービーを制した前田長吉を背に11戦11勝し、日本史上最強馬との呼び声も高いクリフジ。そのクリフジの血を引くオオエライジンは、園田でのデビューから無敗の7連勝で黒潮盃へと東上しましたが、そこまでの道のりは決して順風満帆とは言えませんでした。

骨膜炎で兵庫三冠の一冠目菊水賞を使えず、3カ月ぶりのぶっつけとなった兵庫ダービー。

そこをダービーレコード(2019年現在も兵庫ダービーレコード)でのぶっち切りと圧倒的な強さを見せたのも束の間、続く地元戦を疾病で競走除外になっての臨戦でした。

迎えた黒潮盃。

岩手ダービー馬ベストマイヒーロー、北海優駿馬ピエールタイガーの2頭のダービー馬のほか、東京ダービー5着ファジュル、羽田盃4着ドラゴンウィスカー、羽田盃5着ブラックサンダー、優駿スプリント2着セントマーチ、東京プリンセス賞3着ラカンパーナ、関東オークス4着ハルサンサンなど、南関重賞で上位入線していた馬たちもいたなかで、「初のナイター」「重賞勝ちで1キロ増量された57キロ」「除外明け」という楽ではない条件でも、ファンは底知れない強さに期待してオオエライジンを1番人気に推します。

返し馬では「気にして進んでいかなかった」というオオエライジンですが、いざスタートを切るとここでも持ち前のスピードを見せて先行し3番手に。臆することなく正攻法の競馬を展開します。

鞍上の木村健騎手との息もピタリと合い、前の2頭を見ながらいつでも動ける位置に。

迎えた勝負どころで軽く合図を送ると、スッと2頭に並びかけ、4角ではいつでも抜け出せる態勢。

木村騎手曰く「バチバチでした」という抜群の手応えで、直線に入っても追い出しを待つくらいの余裕がありました。

最後の直線の攻防。

満を持していざ追い出されたオオエライジンですが、逃げるリアライズブラボーをなかなか突き放すことができません。

外からは迫るセントマーチ。

ゴール前で何とかリアライズブラボーを半馬身斥けて無敗の8連勝で南関でも重賞制覇となったオオエライジンでしたが、そこには着差に表れない強さがありました。

いざ抜け出そうとしたところでオオエライジンは外を向いて走っているのです。

レース後のインタビューで木村騎手は「物見して進んでくれなかった」と振り返った事からも、そうした事情が窺い知れます。初ものづくしのこの舞台で遊んでしまうくらいの余裕を、オオエライジンは見せていたのです。

そんななかでも計時されたタイムは良馬場で1分51秒9。

2020年現在までの54回開催のうち、大井1800mで行われたのは46回にのぼります。そのなかで、今でも残る黒潮盃レコードという時計でした。

着差以上の強さを見せて全国区の力を証明。

更なる大きな舞台へと期待が膨らむことになりました。

その後も連勝は続き、無敗の10連勝で初めてのダートグレード挑戦となった暮れの兵庫ゴールドトロフィー。4角先頭でアワヤのシーンを作るも3着と初めての黒星を喫し、続く佐賀記念では1番人気に推されたものの5着。

生涯で9度ダートグレードに挑戦し、最後までJRA勢の厚い壁を越えることはできなかったオオエライジンですが、兵庫が生んだ最強馬の1頭として全国のファンに認知されたことは間違いありません。

そしてその9度目となった2014年の帝王賞。オオエライジンは最後の直線で故障を発症。助からないとの診断で、命を落とすことになりました。

志半ばで競走生活を終えることになったオオエライジンでしたが、「園田の雷神」から「地方の雷神」へ、記念すべき第一歩を踏み出したのが、この2011年の黒潮盃でした。

写真:RINOT

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