![[大狩部だより番外編]セプテンバーセール密着ルポ「未来へつながる大狩部牧場の一日」](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2026/09/suzuran_honban3-1-scaled.jpg)
2026年9月15日夜。セプテンバーセール2日目が終わり、私は新千歳空港の保安検査場を通過したところにある海鮮丼屋に立ち寄った。すでに店内での飲食は営業が終わっており、かろうじてテイクアウトの海鮮丼を買うことができた。北海道での取材、特に馬産地の取材はどうしても夜の遅い便での帰京となるため、夕食を口にするタイミングが難しい。新千歳空港のレストラン街はほぼ20時で閉店となり、毎回、時間が間に合わない。この日はギリギリ19時半にレンタカーの返却を終えたが、ラストオーダーが19時半だったことを空港に到着してから知った。無念すぎる。
新千歳空港の夜間便は定刻で離陸する航空機が少なく、遅延便を待ちながら海鮮丼をかきこみ、椅子に座ってぼんやりとメモを見ながらその日の記憶を整理する。起床は午前4時。鵡川の霧がかかった夜明けをぼんやり眺めてから車に乗り込む。予定より早く出発したので、日高道をあえて使わず、南へ進み、左折して国道235号線に入った。早朝の浦河国道は気分がいい。右に太平洋、左に生産牧場という車窓を流れる景色が美しい。放牧地に佇むサラブレッドが見える。昼夜放牧を終え、収牧を待っているのか、みんな入口近くに集まっている。
この日、大狩部牧場が上場する2頭に想いを巡らせる。ヒメスズラン2025はこの日、前半に登場する。6月15日生まれなので、この日はちょうど月齢15ヶ月目になる。骨折と疝痛を乗り越えたシーイズアピーチ2025と一緒に最後に離乳した日が懐かしく遠く感じる。後半に登場するオイデヤスダイジン2025は牝馬だが、前肢の可動域が広く、後肢の踏み込みが深い歩様動画が目についた。血統表を5代までさかのぼってもクロスを持っておらず、繁殖牝馬としての価値もある。だが、初日、牝馬は5頭連続で主取りになるなど苦戦を強いられていた。いくらで競り落とされるのか。というよりひと声かかってほしいと願う。これはサマーセールでの密着取材で得た感覚だ。生産者にとって最初のひと声こそがすべてだ。
そのサマーセールから約1カ月。事前に聞いた話だとセプテンバーセールは非常に難しい競りだという。売却率は横ばいになるが、価格が低くなる。購入者サイドも1歳馬の仕入れは進んでおり、これから本格的に仕入れるという方も多くない。まして育成牧場の確保やそもそも管理を委託する調教師も押さえないといけない。育成牧場も全国各地の競馬場も馬房の数は有限だ。そういった事情もまた購入者は考慮したうえでセリに臨んでくる。熱狂のサマーセールに対し、セプテンバーセールは北の大地を吹き抜ける秋風を感じざるを得ない。
午前7時前。日高軽種馬農業協同組合北海道市場に入る。今回もありがたいことに取材の許可をいただいた。前回は下村さんに入り口まで迎えにきてもらったが、今回は一人で会場を歩き、大狩部牧場の人馬が準備を進める馬房へ向かう。いつものオレンジ色のベストを見つけ、挨拶を交わす。「お、番記者さん」専務が声をかけてくれた。この道60年。サラブレッドのあらゆることを経験し、知り尽くした男の笑顔は優しい。下村さんに前日から当日までの流れを質問した。サマーセール組の4頭と同じく2頭は前夜を放牧地ではなく、馬房で過ごした。20時間の昼夜放牧をルーティンとしている2頭にとって馬房で夜を明かすのはいつ以来だろうか。寂しがるといけないので向かいの馬房にそれぞれシーイズアピーチ2025とスパークオブライフ2025を入れ、お付き合いしてもらったそうだ。近々リードホースになるシーイズアピーチ2025にとってもちょっとした練習になっただろうか。賢く、集団のムードメーカーでもあるスパークオブライフ2025も適任だ。奇しくもどちらも父はゴールドシップ。産駒は総じて聡明な馬が多いといわれており、このキャスティングに納得した。
下村さんが馬房にやってきたのは午前3時すぎ。職員たちは2頭に入念な手入れを施し、午前5時前に1頭ずつ馬運車で運んだ。オイデヤスが会場に到着したのは午前6時すぎ。牧場から会場までは約17キロ。片道30分の道のりだが、アクシデントがあってはいけない。車で馬を運ぶ緊張感は乗用車しか運転しない私には想像できない。馬運車のドライバー不足も馬産地の深刻な問題だ。会場入りした直後、オイデヤスはかなり興奮したそうだ。やはり牝馬は環境の変化に敏感だ。サマーセールのイリデッセンス2025を思い出す。だが、私が馬房の前に来た頃にはオイデヤスはすっかり落ち着いており、ちょっと眠そうにクビを下げていた。スズランは入り口側の寝藁を熱心に前カキしていた。次第に馬房の奥に寝藁の山ができ、その頂上にスズランは立った。高いところが好きなのだろうか。山の上で寝藁を食べるスズランに下村さんはルーサンを与える。

午前8時30分から開始される比較展示の少し前。早くも購買者がスズランを見せてほしいと馬房にやってくる。スズランの父モーニンはサマーセールでも人気を集めており、3000万円をこえて売却される馬もいた。これはサマーセールから続く傾向だが、地方競馬の馬主を中心にダートで活躍する血統が高くなる。モーニン産駒は見栄えもよく、特に値がつきやすい。スズランは大丈夫だろうと思ったが、下村さんとしては6月生まれがどう評価されるかわからないという懸念点もあった。スズランの上場をセプテンバーセールにしたのもそこだった。馬体のつくりは立派であっても、確かに体は小さい。セプテンバーセールには6月生まれは7頭上場されたが、6月15日はもっとも遅い誕生日だった。偶然にも向かいの馬房にいた碧雲牧場のシゲさんも「いい馬体だよね。あとは6月生まれがどう見られるかだね」と言っていた。正直、生まれ月云々が話題になるのは2歳から3歳春ぐらいのことで、その後、遅生まれを指摘する声は消えていく。長い目でみればなに一つ評価を下げる理由にはならないと思う。まして古馬になってからも成長が見込めるモーニン産駒だ。だが、購買者側はそうは思わないのか。

あえて大狩部牧場の2025年産のなかでもっとも遅いスズランを上場したのは下村さんのメッセージでもあった。それは早生まれも遅生まれも関係ない。むしろ気候もよく、青草が生えそろい、親子で元気に走り回れる環境が整う遅生まれは初期の運動量が違う。スズランの半腱半膜様筋がそれを物語っている。
比較展示がはじまった。スズランが最初の組に登場すると、かなりの人がスズランの周りに集まる。何度も馬体重を質問された下村さんは「417キロです。月齢だと平均以上ですね」と答え、6月生まれを不安に感じさせないように強調する。もちろん、無事にひと声かかってほしいからだが、私には生まれ月ではなく、スズランの資質をきちんと評価してほしいという願いのように聞こえた。母ヒメスズランが命をかけて産み、大切に育んでくれた宝物を職員とともに懸命に育成してきた。その日々が報われてほしい。生産牧場を率いる人間としてその想いを背負っていた。歩様の確認のため、歩かせた回数は7、8回ほどあった。きっと下村さんの想いは購買者に届いたはずだ。

約1時間半後、オイデヤスの比較展示がはじまった。まばらだった人も次第に集まってきた。その中に最初から最後までずっとオイデヤスのそばにいる熱心な方がいた。途中、いなくなったと思ったら、だれか別の人を連れてきた。おそらく管理を依頼する予定の調教師だろう。オイデヤスの歩様を入念に見ていた。比較展示は1頭だけではない。ほかにも大勢の馬がいたのだが、その方はずっとオイデヤスのそばにいた。比較展示で1頭しか見ない人は珍しいと思い、思わずその方を目で追った。オイデヤスは歩様確認以外じっと動かず、静かに立っていた。離乳前のオイデヤスはもっと威張っていたそうだ。母のオイデヤスダイジンが気の強い性格をしており、どうやらその真似でもしているらしかった。だが、離乳後、オイデヤスは同級生との集団生活で社会性を学び、自分は人がいないと生きていけないことを悟ったようで、人への信頼感を高めていった。私が馬房の前に立った時もオイデヤスは匂いを嗅いで確認すると、柵越しに顔を近づけ、甘えてきた。はじめて入る馬房の中で不安もあったにちがいない。それを人と接することで解消しようとしている。約1年で学んだオイデヤスの社会性を感じた瞬間だった。

オイデヤスの比較展示が終わり、スズランの出番までの間、何度かスズランを見せてほしいという購買者が訪れた。明るいところがいいからと外に出て、入念に歩様を確認する人もいた。何度も馬房を出たスズランだったが、なかなか馬房に入りたがらず、入り口で立ち止まることがあった。そのたびに曳き手の職員がクルっと回し、バックで馬房に入れると、すんなり入った。どうやらスズランは不安なところに行く時は前からではなく、後ろから入る習性があるらしい。サラブレッドは後ろが苦手であり、むしろ後ろから入る方が嫌がりそうなものだが、スズランは違うらしい。馬房にできた寝藁の山といい、なかなかの個性派だ。

やがて2日目のセリがはじまり、スズランの出番が近づいてきた。サマーセールと同じく職員たちは静かにスズランの体をきれいにし、蹄の裏掘りなどを丁寧に進めていく。テキパキと、かつスズランの気持ちを落ち着かせるように接する。「心配することはなにもない。安心してついてきな」職員たちの心の声が聞こえた。
午前11時50分。スズランがパレードリンクに姿を見せる。ゆったりと前の可動域が広く、腰が高く見えるシルエットはいかにもまだ成長しそうな雰囲気だ。一方、セリ場の雰囲気はサマーセールとは違っていた。ビットが集中しており、欲しいけど、シビアに見る。数十頭もピックアップせず、数頭まで厳選してセリに挑んでいるようだ。買えるなら買う。売り手には厳しい雰囲気だった。12時5分すぎ。スズランは鑑定台の前に立った。早々にひと声かかり、下村さんは専務とグータッチを交わし、専務は私にグータッチを求めた。複数人が手を挙げたセリは最終的に720万円(税抜)で決した。馬房に戻ると、シゲさんがサムズアップで出迎えた。「あとはダイジン。ひと声かかれば十分」専務はそう言った。じつはオイデヤスの比較展示中、目立ったのはオイデヤスの近くを通り、カタログを見ながら、一瞥するとそのまま通り過ぎる人の多さだった。おそらく血統表を確認しての行動だろう。父アメリカンペイトリオットは大狩部牧場との相性はいいが、評価がわかれる種牡馬でもある。まして購買者の多くはダートで走る血を求めている。アメリカンペイトリオットはダートでもそれなりに結果を残すが、芝のイメージが強い。専務も比較展示で察したのではないか。

つかの間の昼休憩をとる。この間、場長に声をかけられる。サマーセールに続きあらわれた番記者と呼ばれる存在が気になっていたようだ。話題は下村さんのことになり、次々と色々な新たな試みに挑戦することについて尋ねると、「思いつきもしないことを考えるし、人と発想が違うところはあるよね。長年、この世界にいるけど、なにが正解かなんてない世界だから。色々チャレンジするのは面白いと思うよ」という答えが返ってきた。正解がない世界だから挑戦する。大狩部牧場の社訓のようでもあり、どんな世界にも言えることだ。正解へと導くのではなく、正解を探す。探し追い求める限り、人生は続き、その可能性は膨らんでいく。あらかじめ決まった正解に向かって進むことは可能性の芽を摘むことに等しい。
この間、別の職員がスズランを迎えにやってきた。一足先に牧場へ戻るスズランはやはり馬運車に後ろ向きで乗っていった。「練習したんですけどね」下村さんは苦笑いを浮かべる。遅生まれにばかり注目してしまったが、スズランは面白い性格をした馬だと感じた。

午後2時25分。オイデヤスの準備がはじまる。比較展示から約4時間も馬房でじっとしていたせいか、しきりに前ガキをして、動きたくてウズウズしている様子だった。裏掘りを嫌がるなど、明らかに様子に変化がみられる。曳き手を務める場長は一通りの準備が終わると、早めにオイデヤスを広いところへ連れていき、歩かせた。歩けば大丈夫。オイデヤスの心をくみ取っての判断だった。実際に歩きはじめると落ち着きを取り戻していき、いつもの大きな歩様でパレードリンクへ向かった。

午後2時55分。いよいよオイデヤスが鑑定台に向かった。注目のひと声はすぐにかかった。ここでも下村さんと専務は安堵の表情を浮かべ、グータッチを交わす。この瞬間がなんともいえない。その後、金額が上がることはなく、最初に設定した金額350万円(税抜)で決まった。購入したのは、ずっとオイデヤスを見ていたあの方だった。下村さんにどんな方か尋ねると、「あ、馬伍ちゃんねるさんです」と言われ、腑に落ちた。フォーエバートライの共有馬主さんで、これまで多くの馬の共有馬主をされてきたが、この度、個人馬主になったそうで、その最初の一頭にオイデヤスダイジン2025が欲しくてセプテンバーセールにやってきたという。少しお話を聞いたが、その時もまだ緊張が抜けていない様子で、とにかくこの馬を落とせてよかったと話してくれた。これほどまでに熱烈に見初めてくれる方がいるオイデヤスは幸せ者であり、大狩部牧場にとっても歓喜の一日といっていい。以前、下村さんはセリは怖いと言った。その理由は正当に評価されない可能性もあるが、どんな人に購入されるかわからないからでもあった。せっかく命を懸けて育ててきた生産馬を大切にしてもらえなかったらどうしよう。自分たちが誕生させた命に対する責任を最後まで果たしたい。常に下村さんはそう考えてきた。だからこそ、所有者にも愛情をもってほしい。そういった意味でも最高の結果となった。
セリが終わると、広場で記念撮影がある。主催者が記録用に馬体の写真を撮影し、そのあとでオーナーになった方と生産者が口取り写真のような形で写真に収まるわけだが、これがなかなか手こずった。なぜなら動きたい気持ちを止められないオイデヤスがじっとしてくれないからだ。前夜からここまで自由を制限されてきたことを思うと、とても咎める気にはならない。みんな、もっと自由に動きたいと主張するオイデヤスを笑顔で見守っていた。
こうして大狩部牧場の今年のセールはすべて終わった。サマーセール4頭、セプテンバーセール2頭はすべて新しいオーナーが決まり、完売となった。昨年までは主取りもあったが、今年は完売という目標を一つクリアできたことになる。だが、下村さんは満足しない。この2回のセリを通して浮かび上がった課題もあったという。それを来年以降につなげたいと早くも先を見つめていた。下村さんは矢継ぎ早に新たな試みを打ち出していく。その一つ一つが興味深く、私の取材魂を刺激する。場長が表現した「思いつきもしないことを考えるし、人と発想が違うところがあるよね」という言葉を思い出す。10月の北海道行きの航空券を予約したと思ったら、今度は仙台に行く段取りを考えないといけない。
また近いうちに新千歳空港で迎える夜がやってくる。私は自分の心の躍動を感じた。
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