1.もう一つの「新時代の扉」
2024年5月に公開され、興行収入13億円を超えるヒット作となった『劇場版ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉』。
本作では主人公ジャングルポケットの前に立ちはだかる強敵として「世紀末覇王」テイエムオペラオーが登場する。有馬記念のレースシーンと拳を天に衝き上げる勝利のポーズは、多くの観客の印象に強烈に残ったことだろう。
モデルとなった2000年秋におけるテイエムオペラオーの快進撃は、日本競馬史に輝く偉業である。テイエムオペラオーは天皇賞(秋)→ジャパンカップ→有馬記念という「秋古馬三冠」を1番人気で全勝。圧倒的な強さを誇った。
一方、オペラオーが完全制圧した古馬芝中距離路線と打って変わって、この年の古馬芝短距離路線は番狂わせが起きていた。スプリンターズステークスではダイタクヘリオス産駒のダイタクヤマトが最低16番人気ながら大激走を見せて勝利した。さらにマイルチャンピオンシップでは、近4走全てがダートという異色のローテーションから参戦した3歳馬が13番人気で勝利し、初のGⅠ勝利を収めた。
そのマイルCSの覇者こそが、本稿の主役・アグネスデジタルである。
『新時代の扉』のクライマックスは、テイエムオペラオーとジャングルポケットによるマッチレースだ。舞台はジャパンカップ。このレースで絶対王者を打ち破ったジャングルポケットが「最強」を証明することで、物語は大団円を迎える。
史実を見るとテイエムオペラオーはこの時GⅠで2連敗中であった。春のグランプリ・宝塚記念では『ウマ娘』でも親友として描かれるメイショウドトウに初めて先着を許し、天皇賞(秋)では、GⅠで初めて「年下の馬」に敗れた。
その「年下の馬」も、アグネスデジタルだ。
『新時代の扉』というタイトルは2001年の日本ダービーにおけるフジテレビ・三宅正治アナウンサーの実況、「マル外開放元年、新時代の扉をこじ開けたのは内国産馬ジャングルポケット!」に由来する。この年は外国産馬(通称・マル外)に初めてクラシックが開放され、NHKマイルカップの覇者である米国産馬クロフネが有力馬として出走。「勝つのは内国産馬か外国産馬か」という点でも注目された「新時代」において、内国産馬のジャングルポケットが勝利したことを高らかに宣言する名実況であった。
一方、内国産/外国産という区別が無い『ウマ娘』の世界において「新時代の扉」は「テイエムオペラオーら覇王世代からの世代交代」という意味に読み替えられ、物語のテーマとなった。非常に上手い解釈であるが、その意味では「新時代の扉」を最初にこじ開けたのはアグネスデジタルということになる。更に言えば、この天皇賞勝利は「グレード制導入後では外国産馬初」という快挙だ。
今回は、マイルチャンピオンシップにおける番狂わせから天皇賞で「新時代の扉」をこじ開けるまでのアグネスデジタルの活躍を、振り返っていきたい。
2.異色ローテのマイル王
アグネスデジタルは米国産馬。白井寿昭調教師みずからが目利きして米国で購買し、日本にやってきた。デビューから4戦は福永祐一騎手が手綱を取り、ダートの短距離を中心に使われて1勝・2着2回。5戦目からベテランの的場均騎手にスイッチすると、500万下とGⅡ全日本3歳優駿(現・JpnⅠ全日本2歳優駿)を連勝し、重賞馬の仲間入りを果たした。
3歳となったアグネスデジタルは、ヒヤシンスステークスを3着した後、当時の外国産3歳馬の最大目標として「マル外ダービー」とも呼ばれたNHKマイルカップを目指し、芝路線に進む。クリスタルカップとニュージーランドトロフィーという2つの重賞で3着した後、NHKマイルCに出走するが7着と敗れた。
すると白井調教師は再びデジタルをダート路線に戻す。当時は交流重賞だったGⅢ名古屋優駿(現・名古屋競馬SPⅠ東海優駿)をレコード勝利すると、ジャパンダートダービー(現・ジャパンダートクラシック)に1番人気で出走。しかし初の2000mが堪えたか、14着と大敗する。秋は距離を短縮したユニコーンステークス(当時は9月の中山ダート1800m戦)で1着、古馬との初顔合わせとなった武蔵野ステークスで2着と上々の成績を収めた。
普通のダート馬ならここで秋の大目標となるジャパンカップダート(現・チャンピオンズカップ)へと出走するところであるが、当時このレースは東京ダート2100mという条件で、JDDで大敗しているデジタルにとっては距離適性が不安視された。そこで陣営が選んだのが、マイルCSへの出走。芝の3歳マイル重賞でも好走歴があるとは言え、ダート路線から異色のローテーションで秋のマイル王決定戦へと挑むこととなった。
この年のマイルCSは混戦模様だった。1番人気は皐月賞2着の3歳馬ダイタクリーヴァだったが、単勝オッズ4.8倍、2番人気は前年のスプリンターズSの覇者ブラックホークで4.9倍。3番人気シンボリインディが5.4倍、エイシンプレストン5.7倍、キングヘイロー7.7倍と続き、10.7倍の6番人気に前走スプリンターズSで番狂わせを演じたダイタクヤマトが入る、という人気順だった。抜けた人気の馬がいない状況ではあるが、上位人気は全て芝の短距離重賞で実績を残してきた猛者たち。アグネスデジタルは単勝55.7倍の13番人気と、全く有力視されていなかったと言える。
しかし、レースは大方の予想を裏切る展開に。後方でレースを進めることになったアグネスデジタルは、直線で的場騎手の合図に鋭く反応し、凄まじい末脚を見せる。後方一気の追い込みでダイタクリーヴァ以下を下し、レコード勝利。翌年に引退し調教師に転身する的場騎手にとって、最後のGⅠ勝利でもあった。
3.打倒「世紀末覇王」
しかし、これで一躍スターホースに…とはなれないのが勝負の世界の常。マイルCSの後、アグネスデジタルは実に10ヶ月もの間、勝ち星から遠ざかることとなる。復活の舞台となったのは、初の船橋競馬場でのレースとなる日本テレビ盃。このレースを好位追走から上がり最速で差し切る王道の競馬で快勝し、的場騎手から主戦を引き継いだ四位洋文騎手とのコンビでの初勝利を挙げた。
勢いに乗り、続くGⅠマイルチャンピオンシップ南部杯も勝利。芝・ダート両方のマイル王に輝くという空前の快挙を成し遂げた。しかもこの時に下した相手は、前年のJCD勝ち馬ウイングアローに当年のフェブラリーステークス勝ち馬ノボトゥルー、地元岩手の英雄トーホウエンペラーと猛者揃いであった。
ここから、ダート最強馬の称号を確固たるものにすべくこの年創設のJBCクラシックに向かうか、連覇を狙ってマイルチャンピオンシップに向かうか、という流れが自然であろう。
しかし、白井調教師は天皇賞(秋)への出走という第三の道を進む決断をした。当時の天皇賞には2000年から2頭の外国産馬出走枠が設けられており(現在は出走枠の制限は無し)、メイショウドトウとデジタルでその枠を埋めることとなった。この決断により収得賞金で劣る3歳マイル王のクロフネが出走できなくなり、新たなダート王誕生に繋がるのだが──それは別の話である。
ともあれ、天皇賞(秋)当日、デジタルは単勝4番人気の支持を受けた。ただし20.0倍というオッズで、実質このレースは「三強」の争いと目されていた。
2.1倍の1番人気は「世紀末覇王」テイエムオペラオー。宝塚記念でGⅠ連勝こそ止まったものの、秋始動戦の京都大賞典を(繰り上がりではあるが)1着して2年連続の秋古馬三冠を狙う態勢を整えた。3.4倍の2番人気には、オペラオーのライバル・メイショウドトウ。前走の宝塚記念でオペラオーに初の先着を果たし、GⅠ連勝を狙う。4.5倍の3番人気はステイゴールドで、前走京都大賞典は斜行で1位入線後に失格となったものの、この年は日経新春杯・ドバイシーマクラシック(当時はGⅡ)と重賞2勝。7歳にして、充実期を迎えていた。つまり、レースの焦点は「オペラオーの連覇か、ドトウの連勝か、ステイの初GⅠ制覇か」にあり、デジタルはあくまで伏兵扱いと言える。この「三強」はいずれも中距離の芝重賞で実績を残しており、ダートですら2000m以上の実績が無いデジタルには分の悪い勝負と思われた。
レースは重馬場に加えて逃げ馬サイレントハンターの出遅れもあり、前半1000mが62秒2という超スローペースに。メイショウドトウがハナを切り、テイエムオペラオーとステイゴールドは好位追走という展開で、アグネスデジタルは10番手辺りを進む。直線を向くと内のステイが伸びあぐねる中、オペラオーは外からドトウを交わして先頭へ。しかし、大外からデジタルがこれらをまとめて差し切り、ゴール。勝ちパターンに持ち込んだかに見えたオペラオーに1馬身差をつける快勝であった。
先述したようにオペラオーが年下の馬にGⅠで負けたのはこれが初めてのこと。そしてグレード制導入後初となる外国産馬による天皇賞制覇であった。オペラオーによる「絶対王政」の終わりと「新時代」の到来を予感させるようなレースとなったのである。
この後オペラオーはジャパンカップでジャングルポケットに、有馬記念でマンハッタンカフェに敗れ、その競走生活を終えた。一方でデジタルは香港カップとフェブラリーステークスを連勝して条件不問の強さを見せつけ、芝とダート、中央・地方・海外を縦横無尽に駆け巡る「新時代」のレース選択の在り方を示した。
『新時代の扉』におけるアグネスデジタルの出番はごく僅か。ルームメイトであるアグネスタキオンが競走生活を休止するというニュースを聞いて悲嘆に暮れるシーンのみの登場となった。しかし、実はその裏でこれだけの活躍をしていたのである。常識外れのローテーションを走り、最強馬を打ち破ったデジタルもまた、「新時代の扉」をこじ開けた者と言えるだろう。
4.「新時代の扉」がもたらした「空前の軌跡」
本稿の最後に、「新時代の扉」のその後について考えてみたい。
扉がこじ開けられた後、それに続く者は出たのだろうか。アグネスデジタルが成し遂げた「外国産馬による天皇賞制覇」は、翌2002年にシンボリクリスエスが達成(翌2003年も連覇)。しかしこの2頭に続く馬は現れていない(2024年10月現在)。それどころか、2000年代後半からはサンデーサイレンス後継種牡馬たちの活躍もあって内国産馬全盛の時代に。芝の中長距離重賞で外国産馬が勝つこと自体が稀になってくる。
その意味で、ジャングルポケットが勝利したジャパンカップは象徴的である。2着テイエムオペラオー・3着ナリタトップロード・4着ステイゴールドと上位は全て内国産馬が独占。この後も内国産馬の勢いは止まらず、国際招待競走でありながら、2005年のアルカセットを最後に、外国馬・外国産馬の勝利は途絶えている(2024年10月現在)。その意味において、ジャングルポケットは「内国産馬の時代」という「新時代の扉」をこじ開けた張本人と言えよう。
また、条件を問わないオールラウンダーという点においても、アグネスデジタルの後継者は少ない。
勿論、有馬記念とドバイワールドカップ(当時はオールウェザー)に勝利したヴィクトワールピサや、ドバイターフとサウジカップを制したパンサラッサなど、「二刀流」と称される活躍でビッグレースを制した名馬は生まれてきた。しかし、デジタルのように芝とダート両方でGⅠタイトルを複数獲得した馬は出ておらず、デジタルの活躍は唯一無二と言って良い。
このように、「アグネスデジタルの後継者」は数少ない。ならばデジタルと「新時代の扉」を結びつけるのには無理があるだろう、と言われるかもしれない。しかし、やはり私は「新時代の扉」はデジタルによってこじ開けられたと思うのだ。
JRAが製作したアグネスデジタルの「ヒーロー列伝」には、次のような一節がある。
君が刻んだ空前の軌跡、そのひとつひとつが永遠に輝く。
──JRAポスター「ヒーロー列伝No.54 アグネスデジタル」(https://jra.jp/gallery/ads/heroes/index.html)より引用
アグネスデジタルの引退後、日本競馬には「永遠に輝く」ような名馬が、数多く生まれた。
日米オークス制覇のシーザリオ、メルボルンカップを制したデルタブルース、戦後初の牝馬でのダービー制覇を成し遂げたウオッカ、ドバイWCを制したヴィクトワールピサ・ウシュバテソーロ、レーティング世界1位に輝いたジャスタウェイ・イクイノックス、ワールドツアーを敢行したディアドラ・ラヴズオンリーユー、芝2400mの世界レコードを叩き出したアーモンドアイ、BC制覇のマルシュロレーヌ、世界最高賞金レースサウジCを勝利したパンサラッサ、ケンタッキーダービー3着のフォーエバーヤング、そして父子二代無敗三冠馬のディープインパクトとコントレイル等々…。
それまでの常識では考えられない「空前の軌跡」ばかりである。そのきっかけは、競走馬の可能性が無限大であるとアグネスデジタルが自らの走りで示したことにあるのではないか。だとすれば、やはり「新時代の扉」をこじ開けた者の名としてアグネスデジタルを挙げることは許されるだろう。常識など存在しないかのように駆けたアグネスデジタルが描いた軌跡は、今の日本競馬の礎となっている。
写真:かず
開発:Cygames
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