エアグルーヴとビワハイジが切り拓いた牝馬の未来 1996年・チューリップ賞

女性活躍社会ならぬ、牝馬活躍社会。
競馬の世界では牡馬に交じって戦う強い牝馬がたくさんいる。

近年ではアーモンドアイやリスグラシュー。
少しさかのぼるとジャンティルドンナやブエナビスタ、ダイワスカーレットにウオッカ。
2018年から、年度代表馬は3年連続で牝馬が選出された。

そんなことが当たり前に感じられる今、あらためて思いを馳せたい馬がいる。


今からおよそ25年前の日本。
1985年に「男女雇用機会均等法」が制定されてからおよそ10年後。
日本は、企業における女性管理者がわずか数パーセントの“男性活躍社会”だった。
そんな時代に、競馬の世界で強い牡馬に果敢に戦いを挑んだ2頭の牝馬がいる。

──エアグルーヴとビワハイジ。

当時の競馬界の常識を覆す彼女たちのチャレンジがなければ、今のように牝馬を積極的に牡馬にぶつけるような時代は訪れなかったかもしれない。

エアグルーヴ。
父トニービン、母はオークス馬ダイナカール。
生まれてまもなく、のちに管理することになる伊藤雄二調教師が凄い馬になると断言したほどの素質馬である。
新馬戦は1番人気を裏切ったものの、2戦目で2着に0.8秒差をつけて圧勝。
続くオープン特別のいちょうステークスでは、直線で進路をふさがれ立ち上がるほどの不利を受けたにもかかわらず差し切った。
伊藤雄二調教師はこのレースぶりをみて男馬にも勝てる牝馬だと確信したと語っている。

対する、ビワハイジ。
父カーリアン、母アグサン。
可愛らしい名前と天性の速さを兼ね備えた、この世代のヒロイン的存在だった。
新馬戦を単勝1.5倍の圧倒的一番人気に応えて勝利し、続く札幌3歳ステークスで早くも重賞制覇。
4か月の調整期間を経て挑んだ阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルフィリーズ)ではエアグルーヴを半馬身差退けてG1を制覇した。
初勝利、初重賞勝利、初G1勝利──。
初物づくし、無傷の3連勝で、最優秀3歳牝馬に選ばれた。

この2頭が4歳(現3歳)緒戦でぶつかったのが桜花賞トライアル チューリップ賞だった。

1番人気は2.3倍でビワハイジ。エアグルーヴは2.7倍の2番人気。
3番人気にはロゼカラー。こちらはやや離された単勝5.3倍。続く4番人気アジュディケーターが8.1倍。
オッズ的にも『2強』の様相を呈していた。

ビワハイジにとっては阪神3歳牝馬ステークスで退けたエアグルーヴをもう一度負かすことで世代最強牝馬を証明したい1戦であり、エアグルーヴにとっては、3か月前の雪辱を果たすため負けられない1戦となった。


レースは、アジュディケーターの好スタートから始まった。
主導権を握りたいカネトシシェーバーが追っつけて先頭を奪う。
内々をトーヨーサンダーがつけ、直後のやや外目、4番手に楽な手応えでビワハイジ。

4頭から1馬身後方、エアグルーヴを先頭に第2集団が形成される。
ロゼカラーはエアグルーヴを見る形で集団のなか。
ここには今は廃止された地方・中津競馬から参戦のヒデノマジョルカもいる。

第2集団から大きく離れた後方に1頭ポツンとマヤノカプリース。

はやくも3コーナーのカーブ。
いつの間にかビワハイジが先頭のカネトシシェーバーの半馬身差まで詰め寄る。
アジュディケーターとトーヨーサンダーが2頭から離されまいと手綱をしごき始めた。
それらの動きとは対照的に、ビワハイジの鞍上角田騎手の手はピクリとも動かない。

「ビワハイジすごい手応えです」
実況の声がやや上ずる。

これをみたエアグルーヴの鞍上オリビエ・ペリエ騎手が動きはじめる。
4コーナー手前、エアグルーヴがアジュディケーターとトーヨーサンダーの間に割って入った。
先頭は、変わらずカネトシシェーバー。

残り400メートルの標識を通過。
エアグルーヴがビワハイジのすぐ後ろに迫る。

──思い起こせばちょうど3か月前。
阪神3歳牝馬ステークスの4コーナーも2頭の位置取りは同じだった。
逃げるビワハイジを追いかけたエアグルーヴは、最後の直線で一度も並びかけることなく半馬身差で逃げ切られてしまった。

ビワハイジが再び振り切るのか、エアグルーヴが今度こそ捉えきるのか。
歓声が一段と大きくなる。

最後の直線。
カネトシシェーバーがわずかに二枚腰を見せる。
対するビワハイジも、満を持して追い出す。
角田騎手の手綱が2度ほど動いただけで、あっという間にカネトシシェーバーを交わした。

エアグルーヴがじわりとビワハイジに並びかける。
「ビワハイジ内、外からエアグルーヴ! ビワハイジ、粘れるか!」

──さあマッチレースだ!
そう思われた次の瞬間。

オリビエ・ペリエ騎手の右鞭一閃。
瞬時に反応したエアグルーヴがビワハイジを一気に抜き去る。

残り200メートル。
エアグルーヴはビワハイジを置き去りにして更に加速した。

「エアグルーヴ強い! リードを2馬身、3馬身、4馬身、今ゴールイン!」
オリビエ・ペリエ騎手は余裕のガッツポーズ。
終わってみれば5馬身ちぎり捨てての圧勝だった。


チューリップ賞が終わり、いざ桜花賞で三度目の対決と思われていた2頭だが、ここから違う道を歩むこととなる。

エアグルーヴは本番の桜花賞を熱発で回避。
休養明けで臨んだオークスは1番人気に支持され、桜花賞馬のファイトガリバーらの追い込みを封じてG1初勝利。オークス母娘制覇となった。

秋、ぶっつけで臨んだ秋華賞は、パドックからイレ込みもきつく10着に惨敗。
レース後に骨折が判明し長期離脱することに。
さらに年が明けて1997年。
およそ8か月ぶりのレースでマーメードSを1番人気で勝利。
続く札幌記念も連勝し、天皇賞秋へと駒を進める。

その天皇賞秋ではバブルガムフェローとの壮絶なたたき合いをクビ差制して勝利。
1980年のプリテイキャスト以来17年ぶり、また秋の天皇賞が2000メートルになってからは史上初となる牝馬の優勝だった。
その後ジャパンカップ、有馬記念と牡馬の王道路線を走り2着、3着と結果を残したエアグルーヴはその年の年度代表馬に選出される。牝馬の年度代表馬受賞は1971年のトウメイ以来、実に26年ぶりの快挙であった。

一方のビワハイジ。
彼女は桜花賞に進み2番人気に支持されたが体調不良もあって15着に惨敗。
しかし、このあとが凄かった。
次走では、1983年のシャダイソフィア以来13年ぶりとなる牝馬による日本ダービー挑戦を選択。
結果は13着と振るわず、レース後に骨折も判明し休養を余儀なくされたものの、その挑戦は競馬会の大きな話題となった。
彼女はその後、思うように成績が上がらず6歳を迎えた1月末、2年1か月ぶりに京都牝馬特別を勝利した直後に脚部不安を発症し引退した。

──それからおよそ10年後。
エアグルーヴ、ビワハイジの意思を継ぐ者が現れる。
それが、ウオッカだった。
2007年、牝馬としてはビワハイジ以来11年ぶりに日本ダービーに挑戦し、しかも勝ってしまう。
翌2008年には天皇賞秋・安田記念を勝利し、エアグルーヴ以来、これまた11年ぶりに牝馬の年度代表馬となった。
更に翌年。ヴィクトリアマイル勝利、安田記念の連覇、ジャパンカップ制覇により2年連続の牝馬による年度代表馬。こちらは、史上初の快挙となった。

そして、ウオッカに続くように頭角を現したのがブエナビスタ。
桜花賞、オークスの2冠を達成。
さっそく夏には3歳牝馬ながら古馬混合G2の札幌記念に出走して勝利。
秋華賞は3着に破れ、残念ながら牝馬三冠はならなかったものの、暮れの有馬記念にも出走し一流牡馬相手に一番人気に支持され2着と結果を残した。
明けて4歳には先輩たちと同じく天皇賞秋を制覇し年度代表馬にも選出された。

彼女の母は、あのビワハイジである。



中距離以上であっても一流牡馬と戦えること、牝馬にもダービー挑戦という選択肢があること──。
四半世紀前に常識を覆した2頭の牝馬によって切り拓かれた道。
その道は確実に、今につながっている。

写真:かず

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