今度こそ、何度でも。カレンブーケドール、どうか大輪の花を。

生きていると、歯がゆくて悔しい、報われない経験をすることがある。

あと一歩だった。もう少しだった。もっと認められたかった。

──もう、いっそ諦めてしまおうか。

そうやって肩を落として、ふっとターフを見ると、決して諦めずに戦い続ける彼女の姿があった。

どんな馬場でも、どんな距離でも、絶対に掲示板を外さない、不屈の闘志。

「黄金の花束、勝利の大輪の花を咲かせてほしい」という願いが込められている、その馬の名はカレンブーケドール。

レースのたびに、もどかしい2着が続いた。オークス2着、秋華賞2着、ジャパンカップ2着を筆頭に7回もの『2着』を経験するが、それでも彼女は走り続けた。

そのひたむきな姿に、わたしたちは何度励まされ、元気づけられたことだろう。

あと一歩で届かなかった栄光の先には、クロノジェネシス、ラヴズオンリーユー、アーモンドアイ、コントレイル、デアリングタクトなど、名馬中の名馬が名を連ねる。

カレンブーケドールも重賞未勝利とはいえ実力はG1 級で、まぎれもない名牝であることを──わたしたちは、忘れない。

たった2回だけ咲いた、大切な花

カレンブーケドールは、2016年4月23日生まれ。

馬主は鈴木隆司氏。カレンチャン、カレンブラックヒルでG1を3勝し、カレンミロティックを加えると、重賞11勝を誇る。ちなみに冠名の由来は娘さんである「かれん」からきているそうだ。カレンブーケドールの輝く瞳に惹きつけられ、購入を決めたという。

カレンブーケドールの父はディープインパクト、母はチリでG1を3勝している名牝ソラリアだ。

母の父はScat Daddy。短距離から中距離までこなす適応力を秘めていて、カレンブーケドールにもその素質は引き継がれていた。

デビュー戦は2018年10月の東京マイルだった。北村宏司騎手を背に、カレンブーケドールは長い脚を使って先頭に襲いかかったが、ほんのわずかな差で勝ちを譲った。

勝ち馬はダノンキングリー。後に短距離界の女王グランアレグリアをねじ伏せ、安田記念を制する馬である。カレンブーケドールが、初戦から強い競馬をしていたことにあらためて驚かされる。

生まれての初めての、貴重な白星を手に入れたのは12月の中山だった。

マーフィー騎手を背に、直線、坂での一騎打ちを制して1番人気に堂々と応えた。

翌年2月のクイーンカップ。これからの現役生活で何度も対決することとなる、クロノジェネシスがここで登場する。瞬発力勝負になった直線、カレンブーケドールは走り去るクロノジェネシスの背中を追いかけることしかできなかった。

国枝厩舎はクラシックの矛先をオークスに向け、クロノジェネシスへのリベンジを誓う。

津村騎手と初コンビで迎えた覚悟の一戦。オークストライアルであるスイートピーステークス。

ここを逃せば、オークスへの道は閉ざされる。

ゲートではやや出負けしたが、ロングスパートで徐々にポジションを上げていき、直線入口ではもはや先頭を捉える勢いだった。

残り400m、津村騎手がカレンブーケドールに合図する。終始追っていたカレンに、どうしてそんな力が残されていたのか──じわりじわりと加速し、早め先頭に立った。

勝ちたい気持ちは誰だって同じだ。残されたオークスへのたった一枚の切符を奪うため、後続もカレンに襲いかかる。

鈴木オーナーは、明治神宮のお守りと父の形見である腕時計を身に着け、勝利を祈ったという。

ゴール板を切ったのは、クビ差でしのいだカレンブーケドールだった。

現役時代、たった2回しか咲かなかった花。

とりわけ2回目は、オークスへの夢をつないだ、特別で愛おしい大輪の花だった。

届かぬ思い

カレンブーケドールの世代は前年のアーモンドアイやラッキーライラックとともに、牝馬最強時代を作り上げた。

彼女たちの輝かしい成績は、ここでお伝えするまでもないだろう。

牝馬最強時代の幕開けともいえる桜花賞は、グランアレグリアがレコードで完勝。しかしグランアレグリア陣営が次走にNHKマイルカップを選択したため、オークスは主役不在の印象が強かった。

1番人気のラヴズオンリーユーでさえ単勝4倍、2番人気にはクロノジェネシス。カレンブーケドールにいたっては12番人気、単勝は94.1倍。まったく注目されていなかったと言っても良いだろう。

しかし、カレンブーケドールは台風の目となって、わたしたちの記憶にその名を刻む。

よどみないペースで迎えた直線、激しい叩き合いでクロノジェネシスをわずかに下し、カレンブーケドールは先頭に立つ。すると外からラヴズオンリーユーが一気に飛んできた。

「普通なら、一馬身離されるところだ」と国枝師は振り返る。しかしそうならなかったのはカレンに諦めない強さがあったからだ。

カレンは粘り強く競り合った。クビ差で敗れたものの、3着のクロノジェネシスには2馬身差をつけての2着。さらに、ジェンティルドンナが打ち出したレースレコードを、ラヴズオンリーユーとともに更新してしまった。

世間はカレンブーケドールの強さを認めた。

秋華賞では2番人気に支持され、稍重の直線を駆けてゆく。2馬身先には3度目の対戦であるクロノジェネシス。渋った馬場はクロノジェネシスに味方し、観衆の祝福を一身に浴びるのは彼女となった。

思いは、またも届かなかった。

それでも、と、カレンブーケ―ドールは前を向く。その先には、G1を戦い抜いてきた猛者たちが待ち構えていた。

立ちはだかる名馬たち

国枝調教師が次にカレンブーケドールを送り出したのは、ジャパンカップだった。オークス直後、鈴木オーナーから「秋にはジャパンカップを」と、託されていたのだ。

前年、3歳牝馬のアーモンドアイをレコード勝利に導いている勝負師の目に狂いはなかった。

斤量にも恵まれるこの舞台なら勝機はある、面白いじゃないか──そんな周囲の期待に後押しされるかのように、出走枠も6年連続で3着以内に入っている1枠1番。風は、紅一点のカレンブーケドールに吹いていた。

前日の雨が残った芝では追い込みは決まらない。カレンを含め、多くの有力馬は先団好位で勝負のタイミングを見計らう競馬となった。

カレンを初めての勝利に導いたオイシン・マーフィー騎手も、その中にいた。

スワ―ヴリチャードでカレンの後ろをつけ狙い、動き出す瞬間を待つ。世界有数の名手も、彼女の実力を認めていた。

きっとその実力は想像以上だったのだろう、クラシックで強すぎるライバルたちと鍛え合ったカレンは確実に成長していた。

さらに、彼女と鞍上の津村明秀騎手には初G1制覇がかかっている。

3度目の正直、今度こそ負けるわけにはいかない。直線、外に出ようとしたスワ―ヴリチャードの進路を、カレンは完全にブロックした。

白いシャドーロールを泥まみれにしながら先頭を交わし、勝利に向かって最後の力をふりしぼる。

それなのに、それなのに。スワ―ヴリチャードが、最内からふたたび襲いかかってくるなんて。

「悔しい」と言いつつも、得意ではない馬場状態で健闘した相棒を、津村騎手は讃えた。「文句なしの競馬でした。また来年です」と、国枝調教師も両者を讃えていた。

悔しさは海を渡る。

翌年はドバイシーマクラシックを目指し、雨の京都記念から始動。天候を味方につけたクロノジェネシスが立ちはだかり、またも歓喜の瞬間を遠ざける。

ならば、ドバイでだったらどうだ、と期待を大きくする陣営とは裏腹に、コロナウイルスの影響で直前に中止が決定。

カレンブーケドールの世界への挑戦は、幻となった。

時代すら、カレンブーケドールの行く手を阻むのか。

奇しくも2020年のジャパンカップには、現役3冠馬であるアーモンドアイ、コントレイル、デアリングタクトが激突。厳しい戦いになることが予想された。

キセキの渾身の逃げも残り200mまで。雪崩込む馬たちのなかで、カレンブーケドールもしっかり伸びた。

結果は3強を脅かす勢いの、差のない4着。

もはや、名馬の域に突入したカレンブーケドールは、有馬記念でも掲示板を外すことはなかった。

どんなときも頑張り続けるカレンブーケドールは、たくさんのファンに愛された。

勝利の神様が振り向かずとも、わたしたちはしっかり彼女のことを見守っている。

だからこそ、願わずにはいられなかった。

今度こそ、何度でも。どうか、大輪の花を咲かせてほしい。

過酷な道のりの果てに……

カレンブーケドールを愛するのは、ファンだけではない。関係者や実況者だって、カレンの走りには熱い視線を注いでいた。

5歳春2戦目に挑戦したのは、牡馬が有利とされている天皇賞(春)。第4コーナーを先頭で入ってくるカレンに向かって、アナウンサーが叫んだ。

「シャドーロールが揺れる、今日こそ勝てるかカレンブーケドール!」

その瞬間、胸が高鳴ったことを、今でも覚えている。

そうだ。

シャドーロール、とりわけ白いシャドーロールはナリタブライアン、近年ではアーモンドアイ、どちらも強い名馬の異名だった。

次に二つ名を継承するのは、カレンブーケドール、あなたしかいない。いや、あなたがいい。

京都競馬場の改修工事によって阪神競馬場で開催された3200mの戦いには、内回りと外周りが存在していた。2回の急坂も用意されており、ふだんより過酷な道のりになっていたのは間違いない。

それなのにも関わらず、牝馬のカレンブーケドールが直線も押し切ろうとしている。

興奮は束の間だった。

外からワールドプレミアとディープポンドが交わし、カレンブーケドールは3着まで。

牝馬による3着は、38年ぶりの大快挙だった。

そのような偉業を従来の京都ではなく、力が必要な阪神で成し遂げてしまうとは。しかもレコード決着で、かなりの消耗があったはず。

反動はやはり、出てしまった。

古馬王道G1の道中、天皇賞(秋)で、16戦連続の掲示板を初めて逃し、12着に沈む。

さらに繋靭帯炎が見つかりジャパンカップを回避。軽度の症状で翌年の復帰が見込まれていたので、わたしたちはまた、カレンブーケドールに会える日が来ることを信じて疑わなかった。

しかし、彼女がターフに戻ってくることは、二度となかった。

未来にきっと咲く

2021年11月30日。

カレンブーケドールの電撃引退が決まった。思ったよりも患部の状態が悪く、再起が難しかったという報道があった。

カレンブラックヒルの時にダービーのチャンスがあったにも関わらず、鈴木オーナーは「無理をさせたくない」と出走を見送った経緯がある。今回の引退も、カレンブーケドールを大切に思った末の決断に違いない。

カレンブーケドールは重賞やG1タイトルを獲ることはなかったが、名馬たちに立ち向かっていく姿はまぶしく、美しかった。京都競馬場主催によるアイドルホースオーデションでは、人気投票で上位となり、ぬいぐるみ化もされている。

みんな、大好きでしかたなかったんだ。また、会いたかったんだよな。

叶わなかった夢は、子供たちに託されることとなる。

大輪の花が咲き誇る未来の風景を、願わずにはいられない。

先頭で、白いシャドーロールがふたたび輝く瞬間を思い浮かべる。

その馬の、母の名は、カレンブーケドール。

かつて、懸命に走り続け、わたしたちにたくさんの勇気を与えてくれた、かけがえのない名牝の名だ。

写真:shin 1、かぼす、そら

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