ダイワスカーレット~歴代屈指、究極の安定感をもつ名牝~

歴代屈指の安定感を持つ超名牝。

"歴代最強馬"はどの馬か──。

雑誌やテレビ番組、はたまたファン同士の居酒屋トークや日常会話に至るまで、ありとあらゆる場所で語られてきたテーマだ。

しかし、それぞれがあげた最強馬候補が過ごした時代は異なり、芝かダートか、短距離か長距離かなど、得意とする条件も異なる。また、候補馬同士が現役時に対戦していないことも多く、万人が納得するような結論を導くことは、ほぼ不可能といっていい。

ただ、引退するまでほぼ負け知らずで戦歴に傷が少なく、それでいて複数のGⅠを勝利した馬であれば、十分に最強馬の候補になり得るだろう。

そういった意味では、シンボリルドルフやディープインパクト、タイキシャトル、ロードカナロアなどはその筆頭に登場し、さらに時代を遡れば、生涯連対率100%の五冠馬シンザンやクリフジ、トキノミノルなども、候補になり得る存在である。

また、現役馬の中では、2020年に無敗の三冠を達成したコントレイルとデアリングタクトも入ってくるだろうし、引退レースとなったジャパンカップで、それら2頭を完封したアーモンドアイも、間違いなく候補に挙がってくる。

そして、安定感や堅実さという点では、ダイワスカーレットの存在も忘れてはなるまい。平成以降にデビューし、GⅠを4勝以上した馬の中で連対率100%のまま引退した馬は、2021年4月現在、ダイワスカーレットが唯一である。

その戦績は、12戦8勝2着4回とほぼ完璧な内容で、先着を許したのはたったの3頭。その内の1頭は、終生のライバルとなったウオッカで、二度先着を許したものの、逆に三度先着を果たしている。また、他に先着を許したマツリダゴッホとアドマイヤオーラにも別のレースでは先着を果たしており、直接対決で勝ち越された相手はいなかった。

そのため、ダイワスカーレットもまた最強馬の候補に名を連ねるが。さらに「最強牝馬」というテーマであれば、間違いなく筆頭グループに名を連ねることだろう。

そのダイワスカーレットの武器といえば、なんといっても、豊かなスピードを生かした先行力と持久力、そして坂の上りで発揮される驚異的な二枚腰だった。

競馬は、逃げ・先行が有利な競技だが、彼女はまさにそれを地でいくような馬だった。戦歴を見ても、全12戦中8戦で4コーナーを先頭で回り、12戦すべてで、各コーナーの通過順位が3番手以内という内容である。

ただ、特に古馬や牡馬と戦うようになったキャリアの後半は、彼女がいつか後続の馬達に捕まり、馬群に飲み込まれてしまうのではないかと、ハラハラした気持ちでレースを見守っていたファンもいたのではないだろうか。少なくとも、筆者自身はそうだった。

しかし、結果的に最後のレースとなった有馬記念まで、ダイワスカーレットがそういったシーンを見せることはついになく、どんな条件であっても、ゴール前では涼しい顔をしながら、究極の安定感を体現したのである──。

生まれながらに、活躍が約束された名血。
そして終生のライバルとの出会い。

2004年5月13日。
ダイワスカーレットは、社台ファームに生を受けた。

父のアグネスタキオンもまた"最強馬"になり得た存在だったが、4戦4勝で皐月賞を圧勝した後に故障が判明して引退した、悲劇の名馬だった。

一方、母は重賞4勝のスカーレットブーケ。1991年にクラシックを走り、シスタートウショウやイソノルーブルをはじめとする、平成初期の最強世代といわれた中の一頭である。

つまりダイワスカーレットは、2004年に生を受けたサラブレッドの中でも屈指の良血馬であり、生まれながらにして、将来の活躍が約束された馬といっても過言ではなかった。

実際、兄姉達はそれまでに多くの実績を出していた。8歳上の半兄スリリングサンデーは重賞勝ちこそなかったものの、その良血ゆえ種牡馬入りを果たし、6歳上の半姉ダイワルージュは、新潟3歳ステークスを勝利した。そして、3歳上の半兄ダイワメジャーは、ダイワスカーレットが生まれる1ヶ月前に皐月賞を制している。

その2年後、ダイワスカーレットが入厩した先は、栗東の松田国英厩舎だった。

松田国英厩舎といえば、ダイワメジャーの同期であり日本ダービーを制したキングカメハメハをはじめ、クロフネ、タニノギムレット、ダイワエルシエーロなどを管理してきた。その管理馬たちは、現役時のみならず、引退後も日本を代表するような名種牡馬・名繁殖牝馬となった、名将中の名将である。

その名将が、ダイワスカーレットのデビュー戦に選んだのは、11月の京都芝2000mの新馬戦だった。

このときのダイワスカーレットの馬体重は、494kg。既に2歳の牝馬とは思えないほど雄大な馬体を誇示していた彼女の姿は、他の出走馬がすべて牡馬だったにもかかわらず、飛び抜けて目立っていた。血統背景も含めて、当然のように大きな注目を集めたダイワスカーレット。最終的には単勝オッズ1.8倍の圧倒的な1番人気に推されることになった。

レースでは、スタートからやや力みながら追走するシーンがあったものの、後にこの馬の必勝パターンともなるような、3コーナー先頭から押し切るスタイルで完勝。まずは、期待に違わぬ走りをみせたのだった。

ちなみに、この日のメインレースに組まれたマイルチャンピオンシップを制したのは兄のダイワメジャー。前走の天皇賞秋に続くGⅠ3勝目となり、スカーレットブーケ一族にとっては、記念すべき一日となった。

その後、ダイワスカーレットは、中3週で挑んだ中京2歳ステークスで、母がGⅠ馬のビワハイジという超良血馬のアドマイヤオーラを完封して連勝を飾り、2歳シーズンを終える。しかし、重賞初制覇を狙った年明けのシンザン記念では、それほど得意とはいえないスローペースからの瞬発力勝負となってしまい、結果、アドマイヤオーラに逆転を許して2着に終わってしまった。ただ、敗れたとはいえ、賞金を加算してクラシックへの出走をほぼ確実としたことは、後々のことを考えれば大きな収穫だった。

そして3月。4戦目となったチューリップ賞で、終生のライバルとなるウオッカと最初の激突を果たすのである。

年末の阪神ジュベナイルフィリーズで、大接戦の末にアストンマーチャンを下し、新装開店した阪神外回りコースでGⅠ馬となったウオッカは、年明け初戦のエルフィンステークスを楽勝。勢いそのままに、チューリップ賞へと出走してきた。

最終的な単勝オッズは、ウオッカ1.4倍に対して、ダイワスカーレットは2.8倍。続く、3番人気のローブデコルテは14.6倍で、4番人気のタガノグラマラスに至っては48.3倍だった。さらに、2頭の馬連は1.3倍と、馬券の面でも完全な一騎打ちムードとなり、レースもその通りの結果となった。

──ダイワスカーレットは、この日も積極的な競馬でレースを引っ張り、ウオッカは、そこから5馬身後方の5番手を追走していた。ともに、やや力みながら走っているようにも見えたが、それでも直線に向くと、他馬との能力差はすぐに明らかとなった。

ゴールまで残り200mの標識を切ってからは完全な一騎打ちに。左鞭を3発入れられたダイワスカーレットに対し、ウオッカは鞭を使わずとも、外からぐいっと前に出た。その構図はゴールまで変わることなく、最終的にはウオッカがクビ差先着して3連勝を達成。3着のレインダンスは、そこから実に6馬身も離れていた。

この段階で、本番の桜花賞は、アストンマーチャンを加えた3強の争いと見られていたが、阪神ジュベナイルフィリーズやチューリップ賞の内容からして、ウオッカが桜花賞馬の座を射止めることは、ほぼ確実であるかように思われた。

その1ヶ月後。3強は、無事に桜花賞へと駒を進めてきた。1番人気に推されたのはウオッカで、オッズはまたしても1.4倍。フィリーズレビューを完勝したアストンマーチャンがやや離れた5.2倍、ダイワスカーレットが5.9倍で続き、4番人気のショウナンタレントは、なんと34.7倍だった。ただ、オッズが示すとおり、ウオッカが頭一つ抜けているという評価はチューリップ賞以後も変わっておらず、むしろ、どれだけ強い勝ち方を見せるかに注目が集まっていたと言って良いかもしれない。

ゲートが開くと、アマノチェリーランがけれんみのない逃げを見せ、抑えきれない感じで、アストンマーチャンが早々に2番手へと上がっていった。大外18番からスタートしたダイワスカーレットも、それに連れて3番手までポジションを上げる一方で、ウオッカは中団やや前にどっしりと構えていた。

半マイル通過は47秒8のスロー。それを見越してか、ウオッカの四位騎手は3~4コーナー中間から前との差を徐々に詰め、直線入口では早くもダイワスカーレットの直後に迫っていた。

迎えた直線。残り300m地点で、逃げるアマノチェリーランを交わして3強が横並びとなり、好レースになりそうな予感が一気に高まったが、それも束の間。そこから、アストンマーチャンは伸びを欠き、再びウオッカとダイワスカーレットのマッチレースとなった。

しかし、この日のダイワスカーレットは敢然と立ち向かって抵抗。1ヶ月前は、ここであっさり前に出られたウオッカに対し、馬体を並びかけることすら許さない。

瞬発力勝負では叶わない──前走で学んだウオッカの武器に対抗し、自らの持久力と二枚腰という武器を最大限に生かすための乗り方。

思えば、シンザン記念で賞金を重ね、早々とクラシックへの出走を確実としたことで、チューリップ賞は、ライバルの強みを知るための絶好の学びの場とすることができたのかもしれない。何も抵抗できないまま、あっさりと後塵を拝したわけではなかったのだ。

常にライバルより前に位置し、並びかけてきたところで一気に突き放す

この作戦が、大一番でずばりハマった。残り200mで、ライバルに対して1馬身のリードを取ると、坂を上りきったところでさらにリードを広げることに成功。そして、ゴール前では安藤騎手が珍しくガッツポーズを見せるほどの会心の勝利となった。

こうして、大方の下馬評を覆し、大本命のウオッカを撃破したダイワスカーレットは、母が成し遂げられなかった桜の女王の座を見事に射止め、兄のダイワメジャーに続き、クラシックホースの栄冠を手にしたのだった。

例年であれば、ここから1ヶ月半後のオークスで、再びライバル同士による激闘が見られるはずだが、この年、二頭が再び相まみえることになったのは、それから半年先のことになる。オークスで二冠制覇を目論むダイワスカーレットに対し、ウオッカは牝馬によるダービー制覇を目指すことになったのである。

結果だけいえば、ダイワスカーレットは、オークスの直前に感冒を発症して出走を回避することになり、そのまま休養に入った。一方のウオッカは、桜花賞に敗れたことで当初から予定されていたダービー挑戦のプランが揺らぎかけたものの、牝馬としては11年ぶりとなるダービー挑戦を決行した。

桜花賞で敗れたため、牡馬相手のダービーで果たして通用するのかという評価から3番人気に甘んじたものの、道中は中団やや後ろに構えると、迎えた府中の長い直線で、武器である瞬発力をいかんなく発揮。最終的には、2着のアサクサキングスに3馬身差をつける完勝劇を演じ、64年ぶりの牝馬によるダービー制覇という、日本競馬史に燦然と輝く大偉業を成し遂げたのだった。

三度目の対決に完勝。
古馬、強豪牡馬との戦いへ。

夏を越え、迎えた秋。ダイワスカーレットの陣営は、トライアルのローズステークスを叩いてから秋華賞での二冠制覇を目指すローテーションを選択した。その前哨戦では、オークス2着馬のベッラレイアらを相手に着差以上の強さを見せ、まずは秋初戦を順調にクリアした。

対するウオッカは、ダービーから1ヶ月後の宝塚記念に参戦したものの、古馬の厚い壁に跳ね返され、道悪にも泣き8着に敗れた。そこから休養を挟み、秋は再び牝馬との戦いにその場を求め、本番の秋華賞へは前哨戦を使わず直行するローテーションが組まれた。

迎えた秋華賞。桜花賞馬vsダービー馬という、例年の秋華賞ではまずお目にかかれない構図で対峙した二頭のオッズは、ウオッカの2.7倍に対して、ダイワスカーレットは2.8倍。数字上ではほぼ拮抗し、互角の支持を集めたが、レースでは思わぬ差がつくこととなった。

ゲートが開くと、最内から飛び出したヒシアスペンとともに先手を取ったダイワスカーレットは、そのまま1コーナーへと進入。しかし、かなり速いペースで推移していることに気づいたのか、安藤騎手は2コーナーを回るところでスッと2番手に引き、そのまま向正面へと入る。

ラップタイムを見れば、この時の3ハロン通過は34秒2、4ハロン通過も46秒4とやはりハイペースで、先頭から最後方までは20馬身以上──かなり縦長の隊列となった。対するウオッカは、慌てず騒がずといった感じで、後ろから数えて4番手あたりを追走する。

ところが、そこから一転してペースは落ち、坂の手前から頂上までは、12秒台後半から13秒台半ばのラップタイムが続く。依然として2番手をキープするダイワスカーレットの安藤騎手は、手綱をガッチリと抑えていたものの、折り合いを欠いているような様子はなく、他馬とは異次元のスピードを上手く制御している様子だった。

続く坂の下りでペースは再び上がり、ウオッカもようやくポジションを押し上げ始めたが、ライバルが中団までとりついたのとほぼ同じタイミングで、ダイワスカーレットは、早くも馬なりで先頭へと躍り出た。そして、そのまま後続に1馬身のリードを保ったまま4コーナーを回り、レースは最後の直線勝負を迎えた。

迎えた直線。ここまで溜めてきた末脚を一気に開放したダイワスカーレットは、2番手のザレマとの差を3馬身に広げて、逃げ込みを図る。その後方、ザレマに変わって追ってきたのは同じ勝負服のレインダンスで、ウオッカは、さらにその1馬身後方から懸命に差を詰めてきていた。

しかし、京都の内回りコースの直線は短く、残り200mを切ってもダイワスカーレットの末脚は堅調で、止まるような気配はまるでない。春に比べて、馬体重はほぼ変わっていなかったものの、中味が充実したのか、前哨戦を叩いたことで十分に息が整っていたのか。そもそも、絶対的な能力が違うのか──。残り100mを切り、レインダンスとの差は1馬身半に縮まったものの、ウオッカもここまでかなりの脚を使っていたため、そこからは、3頭とも脚色がほぼ同じになってしまった。

結局、1馬身4分の1差をつけて、ダイワスカーレットが二冠達成のゴールイン。2着にはレインダンスが入り、ウオッカはそこからクビ差遅れ、よもやの3着に終わった。

ダイワスカーレットにとっては、先手必勝を画に描いたようなレース。およそ1年前にデビューしたのと同じ舞台で、勝ちタイムを実に5秒も縮め、完勝といっていい内容で三度目のライバル対決を制したのだった。

そして1ヶ月後。ダイワスカーレットは、古馬との初対決の舞台となるエリザベス女王杯へと駒を進めた。

ライバルのウオッカも出走馬に名を連ねていたが、残念ながら当日の朝に右寛跛行を発症して出走を取り消し。四度目の対決はおあずけとなり、最終的には13頭立てと、GⅠとしてはやや少ない頭数となった。

しかし、前年の勝ち馬のフサイチパンドラ(2位入線から繰り上がりでの優勝)や、一昨年の勝ち馬で、牡馬相手に宝塚記念を勝った実績もあるスイープトウショウなど、全く不足のないメンバーが揃っていた。そんな中でも、1.9倍の圧倒的な1番人気に推されたダイワスカーレットは、目の前に立ちはだかる古馬の壁など、まるで関係のないようなレースを披露して見せることになる。

ゲートが開くと、逃げると思われたアサヒライジングはダッシュがつかず、それを見た安藤騎手がすかさずハナを切った。その後、2番手まで盛り返してきたアサヒライジングに対し、道中では、常に1馬身のリードを保ちながら軽快に逃げる。勝負所の4コーナーでは、アサヒライジングとフサイチパンドラに外から被せられるように並びかけられたものの、直線に入ると、この日は馬場の中央に持ち出されながら、いつものように逃げ込みを図った。

そして、残り200mの地点でまたも二枚腰を発揮して後続を突き放すと、追ってきたフサイチパンドラとスイープトウショウに対し最後まで完全に馬体を併せることを許さず、4分の3馬身差をつけて快勝。

桜花賞から4連勝、GⅠも3連勝となり、ライバルのいないここでは役者が違うとばかりに強さを見せつけたダイワスカーレットは、先輩牝馬達との闘いにあっさりと決着をつけたのだった。

さらに、その1ヶ月半後。ダイワスカーレットの姿は中山競馬場にあった。

この秋、実に4走目。初めての牡馬の一流どころとの対決。そして兄ダイワメジャーとの最初で最後の対決の舞台となる、グランプリ有馬記念に出走するためだった。

この年、ファン投票1位となったのはライバルのウオッカで、ダイワスカーレットは兄に次ぐ4位での出走。そして、2200mを超える距離は未経験であることや、先行脚質という点が避けられたか5番人気に甘んじていた。

それでもダイワスカーレットは、この年、天皇賞春秋連覇を達成し1番人気となったメイショウサムソンをはじめ、牡馬の一流どころを相手に全く臆することなく、持ち前のスピードを武器に、堂々とした立ち振る舞いを見せた。

ゲートが開くと、まずは挨拶代わりとばかりに好スタートを切り、逃げるチョウサンの2番手に控えて、1周目のスタンド前を通過する。さらに、向正面に入ったところでチョウサンの半馬身外に並びかけ、2周目の4コーナーでは、チョウサンとの間を1頭分開けて外から先頭に立ち、必勝パターンへと持ち込んだかに見えた。

しかし、その開いたスペースを突いて、さらなる手応えで一気に自らを交わしさり、先頭に立つ馬がいた。9番人気のマツリダゴッホだった。

GⅠはここまで未勝利で、前走の天皇賞秋でも15着に敗れている。この日は、単勝52倍の完全に伏兵扱いだったが、実はこの年のAJCCとオールカマーという、中山で行われる中距離重賞を制していた「中山マイスター」だった。

そのマツリダゴッホのよもやの奇襲に遭い、直線に入ってすぐに1馬身半ほどリードをとられると、坂ではその差をさらに広げられてしまう。いつの間にか直後まで上がってきていた兄のダイワメジャーとともに、その差を挽回しようと必死でその背中を追うも、最後は1馬身4分の1差およばず2着に惜敗。

ただ有馬記念では、牝馬はこの時点で36年間も勝てておらず、3歳牝馬が2着に入ったことだけでも快挙(1994年のヒシアマゾン以来)。持ち前のスピードと持久力は、牡馬の一流馬相手でも十分通用することが証明された結果でもあった。

順調さを欠いた春、伝説を創った秋。

前年の活躍により、JRA賞最優秀3歳牝馬と最優秀父内国産馬の2つのタイトルを獲得したダイワスカーレット。4歳シーズン、陣営が年明けの初戦に選んだのは、なんとフェブラリーステークスで、さらにその後ドバイへと遠征するプランが発表された。

クラシックを制し、有馬記念でも好勝負を演じた4歳馬が、直後のシーズンにダート路線へと矛先を向けたことは極めて異例だったが、これもまた、いわゆる「マツクニローテ」を確立した松田国英調教師らしい選択。古馬の春のローテーションに対する既成概念にとらわれない、むしろ一石を投じるような決断といえた。

しかし、レース1週前の調教中にウッドチップが右目に当たり負傷。角膜炎と診断されて、そのプランはやむなく白紙に戻され、復帰戦は4月の産経大阪杯となった。

迎えた春。この年の産経大阪杯は、メイショウサムソンや、前年の皐月賞馬ヴィクトリーと菊花賞馬アサクサキングス、そしてGⅠで2着に入った実績のある馬が3頭と、11頭立てながら非常に豪華な面々が集結していた。

それでもファンは、古馬の一流馬を相手にしても、先行力を武器にした安定感を既に確立していたダイワスカーレットを信頼し、1番人気に支持した。ゲートが開くと、馬なりのまま先頭に立ったダイワスカーレットは、終始後続に1~2馬身のリードを取り、平均ペースで軽快に逃げた。

しかし、直線に入ると、2番手争いは5頭ほどが一団となり、そこから抜け出してきたエイシンデピュティとアサクサキングスに両側から迫られ、残り200m地点で、アサクサキングスに外から馬体を併せられた。直線で馬体を完全に併せられること自体、ダイワスカーレットにとってはチューリップ賞以来の久々のことだった。

このまま坂で止まってしまうのか──見ている者の脳裏をそんな考えが一瞬よぎったが、彼女が強さを見せたのはここからだった。安藤騎手が左鞭を入れると、ダイワスカーレットはすぐさま反応。坂の上りで得意の二枚腰を発揮して突き放して再び1馬身のリードを取ると、そのまま脚色は衰えず、内から迫るエイシンデピュティも振り切って快勝。

いよいよ、現役最強牝馬から現役最強馬の座へ手をかける瞬間は、もう目の前にまで迫ってきていた。

ところが──。
この後、ダイワスカーレットは再び順調さを欠いてしまう。

大阪杯で、一線級の牡馬を相手に激走したためか、思った以上のダメージがあって次走は未定となり、4月末には左前管骨外側骨瘤が判明。結局、春は全休となって秋に備えることとなったのである。

その後、9月上旬に栗東トレセンへと帰厩したダイワスカーレットは、およそ2カ月のあいだ順調に乗り込まれた。そして、10月末。前哨戦を挟まず直行となったものの、7ヶ月ぶりにターフにその姿を現した。現役最強馬を決める、天皇賞秋に出走するためだった。

そこには、2頭のダービー馬が待ち受けていた。一頭は、この年のダービーとNHKマイルカップを連勝し、秋も神戸新聞杯を快勝してここに挑んできたディープスカイ。

そして、もう一頭はウオッカだった。この年、ウオッカは京都記念から始動するも6着に敗れ、初の海外遠征となったドバイデューティフリーでも4着に終わってしまう。さらに、確勝を期したヴィクトリアマイルでも、接戦の末にエイジアンウインズの2着に敗れ、どうにも勝ちきれないレースが続いていた。

しかし、安田記念では一転して先行策をとると、直線では後続を突き放す強い内容で、2着に3馬身半差をつける圧勝。ダービー馬ここにありを、改めて証明。秋は毎日王冠から始動し、スーパーホーネットの2着とまずまずの内容で、この大一番を迎えていた。

人気は完全に三つ巴となり、ウオッカが2.7倍の1番人気で、ダイワスカーレットは3.6倍、ディープスカイが4.1倍で続き、4番人気のドリームジャーニーは14.6倍と、かなり離れたオッズになっていた。

デビュー以来、ここまでレースの間隔が開いたことがなかったダイワスカーレットは、この日も素晴らしいスタートを切る。そして、久々に競馬場に戻ってきたことを喜んでいるかのように、軽快に逃げた。

ただ、この日の逃げはこれまでのものとは少し違っていた。返し馬からテンションが高く、実際のところは、久々のレースでいつも以上に力んでいたのか、2番手以下を3馬身も引き離す逃げになっていたのだ。さらに、800mを通過した地点から、トーセンキャプテンがつつくように馬体を併せてきたため、レース中盤で息が入らない展開になってしまった。

1000mの通過は58秒7。長期の休み明けでぶっつけ本番となったこの大一番が、あろうことか前半1000mの通過タイムが、ここまでのキャリアの中で最も速いレースとなってしまったのだ。

一方で、ディープスカイは6番手を進み、ウオッカも直後の7番手と、ともに中団やや前の絶好位にポジションをとっていた。

レースは、その後もよどみなく流れ、スタートして2ハロン目からはすべて11秒台のラップが連続して刻まれ、逃げ馬にとっては非常に厳しいペースとなっていた。それでもダイワスカーレットは逃げ続け、4コーナーではトーセンキャプテンを振り切って再びリードを取り、最後の直線へと入った。

迎えた直線。ダイワスカーレットと後続との差はおよそ1馬身半。ただ、安藤騎手の手綱は早くも激しく動き、左鞭が一発飛んだ。それとは対照的に、ウオッカとディープスカイは、いつでもダイワスカーレットを捉えられそうな手応えで、馬場の中央を伸びてきている。

そして、残り200mを切り、ダイワスカーレットはいよいよ苦しくなって、完全に2頭に交わされたように見えた。

──もう厳しいか。
7ヶ月ぶりの休み明けで、さすがにこのレースは厳しすぎる。負けるどころか、ついに連対すらも外してしまうだろう……。しかし次の瞬間、信じられないことに、ダイワスカーレットはここで伝家の宝刀ともいうべき二枚腰を使い、あろうことか再び2頭を差し返したのだ。

そして、距離にして、ここからゴールまでのおよそ150mこそが、ダイワスカーレットがキャリアの中で、自身の強さの本質を最も見せつけた場面ではなかったか。

ウオッカもディープスカイも、実際はかなり厳しいレースを強いられていた。そこで、いつでも交わせそうな手応えから一転、ここにきてよもやの粘りを見せつけられる。立場が一気に逆転したかのようになり、ゴールまでの数秒間は、これ以上ないほどの究極の我慢比べとなった。それはまさに、死闘の中の死闘。

そして最後の最後に、カンパニーとエアシェイディがその争いに加わり、ディープスカイが2頭からほんの少し遅れ、ウオッカとダイワスカーレットの馬体が完全に合わさったところにゴール板があった。

肉眼ではまず分からない、究極の大接戦──。

さらに電光掲示板に目を向けると、そこには、1分57秒2という目を疑うようなタイムが計時され、レコードの赤い文字が浮かんでいた。長年破られなかった、東京芝2000mの1分58秒の壁がついに破られ、しかも、従来のコースレコードを一気に0秒8も更新する大レコードが記録されていたのだ。

その瞬間、日本の競馬史に、未来永劫語り継がれるレースがまさに目の前で起きたことを多くのファンが実感したことだろう。そんな数十年に一度の名勝負が、まさに目の前で繰り広げられたのだ。

そこから、なんともいえないどよめきが場内を包み、写真判定は10分を優に超えた。そして13分後──。

掲示板には、1着に14、2着に7の番号が表示された。
勝ったのはウオッカ。その差、わずか2cm。
電光掲示板に数字が点った瞬間の、あの大歓声を忘れることはないだろう。

しかし、これほどの好レースになることを、特にゴールまで残り200mの地点で、いったい誰が予想しただろうか。

敗れたレースでこういうことを言うのはおかしな話だが、超のつく僅差とはいえ、長期の休養明けにも関わらず自らペースを作って逃げ、本来なら馬群に沈んでしまうような展開。それでも、最後の最後まで見せ場を作ったダイワスカーレットにこそ、この好勝負の要因があったことは、否定しようのない事実だった。

歴代最強牝馬に手をかける大一番、そして突然の幕切れ──。

その2ヶ月後。ダイワスカーレットは、予定通り有馬記念に参戦した。春の故障の影響で、秋に使えるレースには限りがあり、天皇賞秋からの間隔を考慮すれば、使えるのは有馬記念だけだった。

前年に続き、ファン投票1位の座はウオッカに譲ったが、ダイワスカーレットもおよそ5000票差の2位。しかもこの年、ウオッカの参戦はなかった。

代わりに参戦してきたのは、ジャパンカップでウオッカとディープスカイを破って金星を挙げたスクリーンヒーローや、前年先着を許した「中山マイスター」のマツリダゴッホ。そして、前年の1番人気馬で、これが引退レースとなるメイショウサムソンといった面々。

それでもファンは、ダイワスカーレットを1番人気に支持した。天皇賞秋の内容、さらにはこれが叩き2戦目となることからも上昇は必至とされ、37年もの間、牝馬が勝てていないとはいえ、ここで恥ずかしいレースなどできない。さらには、直接対決で勝ち越しているにもかかわらず、天皇賞の結果で、現役最強馬=ウオッカに傾きつつある論調を引き戻すためにも、陣営にとっては絶対に負けられない戦いだった。

有馬記念では非常に不利と言われる8枠から、この日も好スタートを切ったダイワスカーレットは、先輩牝馬のカワカミプリンセスを従えて逃げた。

1週目の4コーナーを回り、大観衆の待つスタンド前を通過するところで、リードは2馬身。カワカミプリンセスを挟んでメイショウサムソンが続き、アサクサキングスが4番手、スクリーンヒーローとマツリダゴッホは、中団やや後方に構えていた。

レースが大きく動いたのは、2周目の3~4コーナー中間点。まず、メイショウサムソンが手綱を押してダイワスカーレットとの差を詰める。さらに、後続からマツリダゴッホとスクリーンヒーローが併せ馬のようにその直後までポジションを押し上げると、場内から大きな歓声が湧き上がった。

続く4コーナーでは、牝馬による歴史的快挙を阻止せんと、それら3頭が束になって、一の矢、二の矢、三の矢といった具合に、立て続けにダイワスカーレットの外から襲いかかり、レースは直線へと向く。

しかし、この日のダイワスカーレットは、いつものダイワスカーレットだった。三本の矢を涼しい顔でやり過ごして直線に入ると、2番手のスクリーンヒーローに対して1馬身半のリードをとる。

さらに、坂の上りで二枚腰を使い、その差を一気に3馬身に開いてセーフティーリードを築き上げると、大外から猛然と追い込むアドマイヤモナークを尻目に、最後は桜花賞以来となる安藤騎手のガッツポーズも出て完勝。

2着には、そのまま最低人気のアドマイヤモナークが入り、3着にも10番人気のエアシェイディが入る波乱の決着。4コーナーで襲いかかってきたGⅠ馬達が軒並み失速したことも、ダイワスカーレットの強さをさらに際立たせる結果となった。

こうして、64年ぶりの牝馬によるダービー制覇という長年閉ざされた扉をウオッカが開いたように、ダイワスカーレットもまた、37年ぶりの牝馬による有馬記念制覇という、長年閉ざされていた扉を開いた。そしてそれは、歴代最強牝馬の扉を開いた瞬間でもあった。

迎えた年明け。5歳となったダイワスカーレットには、再度フェブラリーステークスからドバイへと遠征するローテーションが組まれ、有馬記念後は放牧に出さず、在厩して調整が進められた。この年のフェブラリーステークスは、復活したカネヒキリや、ヴァーミリアン。そして成長著しい4歳勢など、史上最高レベルのメンバーが集う予定だった。

しかし──。
1週前追い切りで破格のタイムを出した後、左前脚に異常が見られた。検査の結果は、左前脚の浅屈腱炎。前年に続き、フェブラリーステークスからドバイへの遠征は白紙に戻され、協議の結果、現役引退が発表された。

歴代最強牝馬の扉を開いた有馬記念の歓喜から1ヶ月半。歴代最強の二刀流、歴代最強馬の座、そしてもちろん、終生のライバルであるウオッカとの名勝負。

これから先も、たくさんの夢をファンに見せてくれるはずだったダイワスカーレット。しかし、彼女が第二の馬生を送ることになる瞬間は、あまりにも突然にやってきてしまったのだった。

その後、ダイワスカーレットは生まれ故郷の社台ファームへと戻った。幸いにも子出しは良く、2021年4月現在、10頭の産駒を世に送り出しているが、不思議なことにすべて牝馬である。

その産駒から重賞勝ち馬こそ出ていないが、2021年2月の東京開催では、4歳馬のダイワクンナナが1勝クラスを楽勝し、同日の阪神開催では、アンブレラデートが3歳1勝クラスで2着に入った。さらに、その妹には、未来のリーディングサイヤー候補のロードカナロア産駒が2頭、デビューの時を待っている。

ところで、ダイワスカーレットが現代の競馬界に投げかけたものは何だったのか。考えるに、彼女は2つの大きなテーマを現代に投げかけたように思う。

1つ目は、瞬発力がものをいう現代競馬に対する、持久力の重要性(現代競馬へのアンチテーゼ)だろうか。2019年、17歳でその生涯に幕を閉じたものの、ディープインパクトやその産駒が現代競馬に与える影響は依然として非常に大きい。産駒の最大の武器は、なんといっても父から受け継いだ爆発的な瞬発力だ。ディープインパクト の初年度産駒がデビューしたのは、ダイワスカーレットが引退した翌年の2010年のこと。さらに、翌2011年には早くもGⅠ馬が誕生した。記念すべき最初のGⅠ勝ち馬は、桜花賞を制したマルセリーナ。騎乗していたのは、安藤勝己騎手である。

ダイワスカーレットの現役時から、瞬発力勝負を得意とする馬はたくさんいた。ライバルのウオッカは、その典型だったと言って間違いない。

結果論だと言われればそれまでだが、ディープインパクト産駒の天下となったこの10年ちょっとの間を"現代競馬"と定義するなら、その分かれ目を担った馬こそが、持ち前のスピードを生かした先行力と持久力で勝負した、ダイワスカーレットだったのではないか。

あの天皇賞秋。最後の150mの攻防の中で私が思ったことは「えっ、これでも交わさせないんだ」ということだった。単純かつ非常にチープな言葉でしか言い表せないのが申し訳ないが、それでも同じようなことを思った人は、少なくなかったように思う。

そして、あの時と全く同じ思いを抱いたことがその数年後にあった。2016年の有馬記念のことだ。
この時、僅差の1番人気に推されたのは、ディープインパクト産駒のサトノダイヤモンド。そして、僅差の2番人気に推されたのは、キタサンブラックだった。

そのキタサンブラックの父は、ディープインパクトの全兄ブラックタイド。しかし、キタサンブラックの武器もまた、持ち前のスピードを生かした先行力と持久力、そして最後に見せる驚異的な粘りだった。2週目の3コーナー。キタサンブラックが、サトノノブレスに背後からプレッシャーをかけられた場面は、2008年の天皇賞秋のレース中盤、ダイワスカーレットがトーセンキャプテンにプレッシャーをかけられた場面とよく似ていた。

ところが、そんな厳しい展開にもかかわらず、キタサンブラックは直線早々に先頭に立つと、そこから後続との差を広げ逃げ込みを図った。しかし坂の手前でサトノダイヤモンドとゴールドアクターに迫られ、一気に交わされてしまいそうな勢いに見えたが……あの日のダイワスカーレットと同じように、そこから信じられないような粘りを発揮。前年に敗れたゴールドアクターを競り落とし、サトノダイヤモンドに対しても、最後の最後まで必死に抵抗してみせた。

最後は、やや馬体を離して差し脚を伸ばしたサトノダイヤモンドにクビ差だけ交わされて惜敗したものの、見応えのあるレースだった。

さらに、そこから5ヶ月後。天皇賞春で再戦すると、今度はキタサンブラックがきっちりとリベンジを果たし、JRAレコードのおまけ付きで圧勝してみせた。両者の戦いはこの二度だけだったが、瞬発力と持久力が真っ向からぶつかった素晴らしい戦いだった。

──少し脱線してしまったが、ダイワスカーレットが投げかけた2つ目のテーマ。それは、脚の速い馬が先行して勝つことこそ、スピードや速さを争う競技の本質だということではないだろうか。彼女は、その生涯を通じて、逃げ・先行馬が時折見せる、後続に大差をつけるような圧勝劇を演じることはなかった。

ダイワスカーレットが2着につけた最大の着差は、奇しくも、デビュー戦と最後のレースとなった有馬記念でつけた1馬身4分の3差。タイムにして0秒3差である。かつて、テイエムオペラオーやビワハヤヒデがそう言われたように、それを、地味な勝ち方、面白みに欠ける競馬と思った人がいるかもしれない。

しかし、そもそも先行馬はその脚質ゆえ、馬群に揉まれる、直線で前が詰まるといったリスクが少ない一方で、時にはハイペースに巻き込まれ、思わぬ大敗を喫してしまうことと紙一重である。

ところが、ダイワスカーレットは、生涯そういった姿を見せることはなかった。むしろ、そうなってもおかしくなかったあの天皇賞秋ですら、最後の最後で、これまで以上の底力を発揮。敗れはしたものの、この馬の強さの本質を見せつけ、是が非でも究極の安定感が揺るがないところを体現し、日本競馬史に燦然と輝くマッチレースを名演した。

この先、究極の安定感を誇ったダイワスカーレットの戦績を超える馬は、果たしてあらわれるだろうか。

もしあらわれたとき、それが決して派手な勝ち方をしない馬だったとしても、先行力と持久力を武器に、瞬発力勝負を得意とする馬達と度々好勝負を演じてくれるなら、私にとってこれほど嬉しいことはないだろう。

写真:Horse Memorys

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