私にとっての『幻のオークス馬』ロゼカラー
私が競馬をコンスタントにテレビ観戦し始めたのは、1995年の秋からでした。その年の菊花賞で父親とともに予想をはじめ、競馬場での初観戦は家族で行った同年エリザベス女王杯でした。1995年秋がきっかけで、今の『私と競馬』の繋がりがあります。ですから、サンデーサイレンス初年度産駒が活躍した1995年春のクラシックはリアルタイムで見ていないのです。
クラシック戦線のリアルタイム観戦は1996年からになります。各レースの優勝馬や2着馬を思い出の馬としてあげられる方が多いと思いますが、私のこの年のクラシックでの思い出の馬はオークス4着馬ロゼカラーです。ロゼカラーを私は『幻のオークス馬』と勝手に呼んでいます。私がこのように呼ぶのも、レース映像をご覧になればわかる方もおられるでしょう。私は『ノースサンデーの斜行さえなければ、あのまま脚を余すことなく伸びていてエアグルーヴを差し切っていたはず…』と、今でも思っています。
この後、ロゼカラーの仔をテレビ観戦で追いかけるようになり、牝馬ではローズバド、牡馬ではローゼンクロイツを特に推していました。ちょうどその頃からカメラを持って京都競馬場に通うようにもなりました。ロゼカラーのオークスのレースをみていなかったら、今のように競走馬の写真を熱心に撮影していた時期があったかどうかもわかりません。それだけ大きなきっかけになった馬とレースだったのです。
今回は、その『ロゼカラーの仔たち』を写真で紹介していきます。
ローズバド
ローズバドのレースはほとんどテレビ観戦していました。実際に生観戦したレースもありましたが、きちんと撮影できているのは2003年エリザベス女王杯だけです。『その時、カメラの技術がもっとあったら…』と、今でも思っています。
以前、私が寄稿した[写真]アドマイヤグルーヴ、スティルインラブ…当時のパドック写真で振り返る、美しき2003年エリザベス女王杯挑戦者たち。の中で、ローズバドの写真は紹介していますので、今回は1枚だけご紹介します。
また、ここでは"ローズバド推し"として集めたものも一部紹介しましょう。
ローゼンクロイツ
ローゼンクロイツは京都競馬場で出走した7レース中5レースは現地でみていました。
優勝した未勝利戦と京都2歳ステークスでは、ウイナーズサークルの様子も撮影しています。個人的な話になりますが、GⅠ馬以外で出走したレースの生観戦数・ウイナーズサークルでの撮影回数はローゼンクロイツが最も多いです。それだけこの馬を追いかけていたのだなぁと今になって思います。
2008年の金鯱賞はテレビ観戦していましたが、とても残念な思いでいっぱいだったのを思い出します。
私の撮影したローゼンクロイツの写真を少し紹介させてもらいます。
記念馬券としてローゼンクロイツのクラシック出走馬券を集めました。
ローズキングダム
そして、ローズバドの仔ローズキングダムも追いかけました。
新馬戦で私が好きな小牧太騎手が乗ると言うこともあり、京都競馬場に駆けつけたのを今でも思い出します。その新馬戦では、後にGⅠ馬にもなるヴィクトワールピサにも勝ち、とても嬉しい気持ちになったのを思い出します。
ローズキングダムは小牧太騎手とのコンビで3連勝。『薔薇一族』として初めてGⅠを勝つのですが、私としては追いかけた『薔薇一族』の馬たちで重賞を勝った馬を生観戦できてなかったのです。初めて重賞を勝っているシーンを観戦できると思い、神戸新聞杯を観戦しに阪神競馬場に行った思い出の写真がこちらです。
ローズキングダムは小牧太騎手以降も様々な騎手が乗りましたが、この方も乗られてました。
記念馬券としてローゼンクロイツ同様ローズキングダムのクラシック出走馬券を集めました。
小牧太騎手
少し話は脱線しますが、小牧太騎手のファンなので集めた物もあります。
少し紹介させてください。
小牧太騎手・赤木高太郎騎手が兵庫競馬(そのだけいば・ひめじけいば)からJRAに移籍する際のセレモニー終了後に頂いたサインです。この広報誌は2003年の物なので、横に写る岩田康誠騎手と共に若いですね。
小牧太騎手のJRA重賞初勝利はローズバドでした。このピースサインはテレビ観戦していた時とてもかっこよくみていました。そのローズバドの仔でえあるローズキングダムでGⅠを優勝したことにも、深い縁を感じました。
今回は、私の競馬観戦が続くきっかけとなった馬とレースを中心に写真でご紹介させて頂きました。
今はなかなか競馬場に足を運ぶこともできず、テレビ観戦が多いですが、ロゼカラーから繋がる血統馬は今でも追いかけることが多いです。また競馬場に行きだした頃の競走馬たちが繁殖馬になり、その仔や孫が競馬場を走っていると思うだけでとてもドラマを感じます。私を競馬好きにさせてくれたロゼカラーには感謝しかありません。
写真:ふわまさあき