生まれながらにして期待を受けた良血馬ダンスインザムード。名手たちに導かれた重賞初制覇 - 2004年フラワーカップ

2頭の馬とホースマンたちの出会い

2004年のフラワーカップを制し、後にGIを2勝するダンスインザムードを語る上で欠かせないのが、華麗なる血統背景とそのドラマである。

1989年、米国キーンランドセールに1頭の繁殖牝馬がセリに出されていた。名前はダンシングキイ。この時点で2頭の産駒を産んでいたが、いずれも活躍することがなかった。しかし、この繁殖牝馬の馬体に惚れ込んだのが、社台ファームの吉田照哉氏と、調教師の白井寿昭氏だった。そして社台ファームに購入されて日本に輸入されたダンシングキーこそ、後のダンスインザムードの母てある。

渡米の目的はブリーダーズカップでもあっという吉田照哉氏と白井寿昭氏だが、その年のブリーダーズカップ・クラシックでは2頭による世紀の対決が注目されていた。1頭がイージーゴア、そしてもう1頭がサンデーサイレンス。このブリーダーズカップには社台グループ代表の吉田善哉氏も訪れていた。そして、その目の前でサンデーサイレンスが勝利。結果としてこれがサンデーサイレンスが種牡馬として輸入される決定打となり、日本競馬の歴史を変えることになった。後のダンスインザムードの父である。

名繁殖牝馬、ダンシングキイ

日本に輸入されたダンシングキイは、持ち込み馬こそ未勝利に終わるが、その下のエアダブリン(父トニービン)が青葉賞を制覇。クラシックでも名馬ナリタブライアンがいるなか、ダービー2着、菊花賞3着と好走する。さらに3歳にしてステイヤーズSも勝利するなど活躍。母である繁殖牝馬ダンシングキイとしても、早々に活躍馬を輩出したことになる。

そして、社台が期待を込めた後の大種牡馬サンデーサイレンスとの運命的な配合で産まれたのが、ダンスパートナーだった。ダンシングキイを見出した白井寿昭調教師の手によりその才能が開花したダンスパートナーは、桜花賞2着からオークスを勝利、古馬になってからはエリザベス女王杯も勝利した。

さらに全弟ダンスインザダークは弥生賞を制し、ダービーでも惜しくも2着。秋になり、京都新聞杯を制して菊花賞を劇的な末脚で勝利した。

その後もダンシングキイにはサンデーサイレンスが種付けされた。なかなか上述のようなレベルの活躍馬が出てくることはなかったが、既にダンシングキイはすでに名繁殖牝馬としてその名を確立していたため、その産駒への期待と注目は途切れることがなかった。

注目度の高さは、ダンシングキイの11番仔であり、サンデーサイレンスとの産駒としては7頭目となる、ダンシングキイの01…後にダンスインザムードと名付けられる牝馬も、例外ではなかった。

才女・ダンスインザムードを導く名手たち

大きな期待が寄せられたダンスインザムードは社台サラブレッドクラブが所有。当時の牝馬としては超高額の6000万円に設定された。

さらに入厩先は関東のトップステーブルの藤沢和雄厩舎となり、それこそデビュー前の時点ですでにスポットライトを浴びた存在となっていた。

ファンが待ちわびたダンスインザムードのデビュー戦はわ少し遅めの2003年12月の中山競馬場の芝1600m。鞍上はオリビエ・ペリエ騎手。この頃の藤沢和雄調教師×オリビエ・ペリエ騎手といえば、現役最強の地位を築いていたシンボリクリスエスのタッグとして名を轟かせていた。まさに当時の日本競馬における最高峰とも言える2人が、ダンスインザムードを導いたのである。

デビュー戦の単勝オッズは1.3倍の断然人気で、期待するなという方が無理という状況だった。

スタートはそれなりだったダンスインザムードだが、スピードの違いからハナに立つ。そこからダンスインザムードは悠々と先頭を走り、直線に入っても鞍上の手が動くことなく他馬を置き去りに。結局、6馬身差の圧勝てデビュー勝ちを飾った。ちなみに2着はのちに阪神牝馬Sを隔年で2度制覇するジョリーダンスだったが、この時点では完成度が違いすぎた。

そして2戦目は年明け1月末の中山競馬場、デビュー戦と同じ芝1600の若竹賞が選ばれた。牡馬混合レースではあるものの、この馬のポテンシャルをもってすれば関係のない選択だったのだろう。

このレースにはもう1つ、大きな背景があった。当時55歳の大ベテランである岡部幸雄騎手(当時)が399日ぶりのレース騎乗復帰を果たし、その2鞍目がこの若竹賞だったのである。

単勝オッズは1.2倍の断然人気となり、多くのファンがダンスインザムードの勝ち上がりと岡部幸雄騎手の復活勝利を信じていた。

レースではスピードの違いからハナに立ちそうになるが、岡部騎手が先々を見越したような教育をしたのか、離れた2番手でしっかりと折り合った。かかるような素振りも見せず、4コーナーを回り直線に入ると、馬なりのままスパートを開始。逃げた馬を軽々と捕らえたらあとはゴールに向かうだけ。着差は3/4馬身だったが数字以上の楽勝でダンスインザムードはオープン入りを果たした。

復活勝利となった岡部騎手、この日は「新人の気持ち」で丸刈りの姿で共同インタビューに答え、その目には涙が浮かんでいた。これもまた、ダンスインザムードの紡いだドラマのひとつである。

2戦2勝となった天才少女ダンスインザムードは55歳の大ベテラン岡部幸雄騎手に大きな1勝をプレゼントし、ますますその存在感を強めた。

必然の重賞初制覇、フラワーカップ

マイルを2戦2勝し、いずれも楽勝だったダンスインザムード。『桜』を期待する声が、日に日に高まっていた。

若竹賞の勝利後、クイーンCへと向かうプランも囁かれていたが、結局は、間隔を開けて3月の中山で行われるフラワーカップへと向かうことに。

そして鞍上には、説明不要のトップジョッキー武豊騎手が跨ることになった。今になって振り返ると、この時点で武豊騎手のお手馬には有力と呼べるほどの3歳牝馬がおらず、この巡り合わせを待っていたかのような起用だったと言える。

この日の中山競馬場では雨が降り続き、良馬場だった芝コースもフラワーCが行われる頃には重馬場へと変動していた。

フラワーCにはクイーンCで3着に入っていたフォトジェニー、牡馬に混じったホープフルSで僅差2着(1着はエアシェイディ)の実績があったヤマニンアラバスタ、クイーンCで4着のピュアブラウン等、桜花賞への最終切符を狙わんとする世代上位の牝馬たちが揃っていた。

1800mへの距離延長をはじめ、道悪、相手強化などの要素があったにもかかわらずダンスインザムードへの期待は高まるばかりで、単勝オッズは1.2倍を示していた。

筆者は当時、テレビにて観戦していた。筆者の地元である静岡の民放では土曜競馬中継が流れてなかったのだが、この年の春に東京に大学入学で上京することになり、晴れて土曜競馬中継をテレビで観れるようになったのだった。その最初の中継がこの日のフラワーカップ(関西ではハーツクライとスズカマンボで決まった若葉S)だったはずだ。

まだ10代で馬券も買えなかった筆者は、純粋に、ダンスインザムードがここで勝利して桜花賞へと無事に向かえることを期待していた。

スタンド側からのスタートでもダンスインザムードはスタートを決め、そのスピードは重馬場でも削がれることなく、無理なく2番手につけた。

逃げるメイショウオスカルを見る形でしっかりと武豊騎手と折り合いをつけたダンスインザムードは、岡部幸雄騎手によるレースと日々の調教での訓練の成果なのか、まったくかかる素振りを見せずに終始ピタリと2番手をキープ。重馬場でも距離延長でもなんの問題もなかった。

4コーナーを回り最後の直線に入ると、武豊騎手はチラリと後ろを振り返ってからスパートを開始。逃げるメイショウオスカルを早々ととらえて、馬なりで先頭に立った。

──しかし、ここは重賞の舞台。

外から1頭食い下がってきた芦毛の馬体が、ヤマニンアラバスタだった。タフな舞台に慣れているヤマニンアラバスタだけあって、簡単には譲らないと意地を見せる。この時、ダンスインザムードの馬体に初めてレース中にムチが入った。

坂を登った残り100m付近でムチが入ったダンスインザムードは、さらに加速する。その時、尾を振るような遊んだ仕草を見せるが、リードが縮むことなく、武豊騎手が少し早めに追うのをやめたところでゴールイン。余力を極力残しつつ、1馬身1/4差の完勝で重賞初制覇を遂げたのであった。


この勝利で3戦3勝、無敗のフラワーC制覇となったダンスインザムードだが、1987年に同レースが重賞に昇格してからは初の快挙だった。

名伯楽・藤沢和雄調教師の指揮のもと、フランスの名手オリビアペリエ騎手→帰ってきた名人岡部幸雄騎手→天才武豊騎手へと襷を繋ぎながら、その才能の蕾を膨らましてきたダンスインザムードの才能が、季節さながらに開花を迎えようとしていた。

もともとフラワーCはチューリップ賞やフィリーズレビュー、アネモネSのように桜花賞トライアルとして位置づけられているわけではないが、関東における桜花賞への実質的な最終切符として使われることも多い。

ただ、シーキングザパールやホクトベガなど、のちにGI制覇を成し遂げる牝馬がフラワーカップを通過点とするケースはあったものの、グレード制導入後、フラワーC制覇から桜花賞を制覇したケースはなかった。

さらにもう1つ大きな壁があった。三冠牝馬メジロラモーヌ以来、関東馬による桜花賞制覇が18年間途絶えていたのだ。

名手達に導かれたダンスインザムードのフラワーC勝利は『重賞初制覇』にとどまらず、その後の『18年ぶりの関東馬による桜花賞制覇』という、さらなる快挙達成へ繋がる大きな勝利であった。

そして、フラワーCで開花直前まで膨らませてきたダンスインザムードの才能の蕾は、ヤマニンシュクル、スイープトウショウ、ダイワエルシエーロら強豪が待つ桜の舞台で開花を迎えることになるのであった──。

写真:Horse Memorys、かず

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