[連載・馬主は語る]自然に生まれてくるのを待つ(シーズン2-41)

次に向かったのは、もちろんスパツィアーレのところです。寒天の中、放牧中のスパツィアーレの姿を見つけるのは簡単でした。もう馬房に帰る準備をしているのか、牧柵の入り口のすぐそばで微動だにせず立っています。そのまま地面に落ちてしまいそうなぐらいの大きなお腹を抱えています。「かなり大きな子が生まれてきそうですよ」と慈さんは言います。大きな馬をつくりたいと思っているので嬉しく思うのですが、お産に限っては、大きな仔が生まれてくると大変です。今回のダートムーアのお産があまりにもスムーズすぎただけに、かえってスパツィアーレが心配になります。出産に立ち会いたいのは山々ですが、苦しむシーンは見たくありません。

今は母馬がいきむのに任せて、自然に生まれてくるのを待つのが主流だそうです。昔、グリーンチャンネルか何かで、人間が仔馬の肢を持って引っ張り出しているシーンを見たことがありますが、今は人間が手を貸すことはあまりしないのですね。人が産ませるお産から、自然な馬の行動を尊重したお産へと移り変わっているのです。

体が大きい仔であればあるほど外に出すのは難しいですし、中には変な体勢で産まれてくる馬もいるそうです。繁殖牝馬の体が小さくて、生まれてくる仔馬が大きい場合は怖いそうです。たとえばキタサンブラックの仔は大きく(手肢が長く)産まれてくることが多く、(身体の小さな繁殖牝馬が得てしてキタサンブラックをつけられているのですが)小さな体から大きな仔を出そうとすると困難を極め、危険を伴うそうです。スパツィアーレは体の大きな馬ですから大丈夫だと思いたいのですが、キタサンブラック同様にルーラーシップの仔も大きく出ますので、出産の難しさを聞けば聞くほど恐ろしく感じますね。

サラブレッドの子どもは生まれてから1時間から2時間ほどで立ち上がって、母から母乳を飲みます。早い馬だと1時間を切る場合もあれば、遅い馬だと2時間以上の場合もあるそうですが、基本的には仔馬が自分の力で立ち上がって、母の下に歩いていくのを待ちます。そして、お乳を飲んで初めて、無事に出産が終わりとなるのです。立ち上がろうとしては倒れて、また立ち上がろうとしてという仔馬を見守るのは、気の長い仕事ですね。夜中に産まれて、あまりにも冷えて寒すぎるときは、少し母乳をすくって飲ませて、それによって仔馬にエネルギーがチャージされて立ち上がるようにすることもあるそうです。

夜飼いの時間に合わせてダートムーア親子をもう一度見に行くと、ちょうど授乳中でした。満月の光が馬房を少し照らしています。母乳には糖度があるそうです。糖度を計って、濃ければ問題ないのですが、薄いと仔馬に免疫力がつかず、病気になりがちです。幸いなことに、ダートムーアはしっかりとした濃い母乳であることが確認されたため、母乳だけで十分だったとのこと。とねっ子が母乳を飲む姿を見るにつけ、生命誕生の喜びを感じてしまいます。産まれたばかりの仔がお乳を飲むだけのことが、これほどまでに至高の瞬間に思えるとは。昨年は産まれてこられなかった全兄のことを思い出しながら、ようやく抱きしめることのできたとねっ子は可愛くて仕方ありません。兄の分までというと陳腐に聞こえるかもしれませんが、彼女の幸せを願います。

それから1か月後、再び碧雲牧場の慈さんから電話がかかってきました。「治郎丸さん、そろそろ生まれそうです」。この言葉を聞いたら、何を差し置いてもダッシュで飛行機に飛び乗らなければならないことは前回の失敗から学びましたが、なぜかこの週ばかりは仕事が立て込んでいて、身動きが取れない状態でした。川崎競馬のパドック解説からYouTube番組の出演、企業との大きな案件の打ち合わせなど、いつもはあれだけ暇なのに、3月の頭にだけ仕事が詰め込まれていたのです。「スパツィアーレにもう少し待っていてと伝えてください」と僕は返しました。

忙しい時間はあっという間に過ぎ去るもので、気がつくと1週間が経っていて、それでもスパツィアーレが出産したという報告はないままでした。ダートムーアの時は当日の飛行機の上で産まれたのに、今回はそろそろから1週間が経ち、予定日を過ぎても、牧場からは一向に連絡はありません。僕はおそるおそる慈さんに電話をしてみました。

(次回へ続く→)

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