[連載・馬主は語る]試合終了(シーズン3-8)

サラブレッドの排卵は21日間隔です。女性の方がイメージはしやすいはずですが、排卵から次の排卵までおよそ3週間間隔ということです。卵が大きくなって種付けに行って、その後、2週間から16日後に妊娠鑑定をします。そこで受胎が認められなければ、再び卵が大きくなる5日から1週間後を待って、再び種付けに行きます。不受胎が続くことで、この21日間のサイクルを回し続けなければならないことになります。さすがにスパツィアーレがこんなにもサイクルを回してくれたおかげで、僕も排卵のリズムが身に付いてしまいました(笑)。

追い打ちをかけるように、「スパツィアーレの卵が大きくなりません…」と慈さんから電話がかかってきました。つまり、排卵が遅れているということです。これまでは受胎こそしませんでしたが、発情はきちんとしたサイクルで来て、排卵もしっかりとしていたにもかかわらず、ここにきて排卵のタイミングが崩れてきているのです。もうここまでかと僕は素直に思いました。

「PG(PGF2α)という薬を打って卵を大きくする方法があります。特殊なことではなく、生産の現場では良く行われていることですのでリスクはありませんよ」とアドバイスをいただき、せっかくここまできたのだから、最後のチャンスに賭けてサトノクラウンの種を取りに行こうと気を取り戻しました。「それでは、PGを打って卵が大きくなったタイミングで、サトノクラウン一択で最後にしましょう」と僕は告げました。

6月も後半に入ってきている状況を踏まえると、どう考えても今年はあきらめて、来シーズンを待つのが正解でしょう。万が一、6月末に受胎したとしても、来年生まれてくるのは5月末か下手をすると6月に入ってしまいます。遅生まれの産駒は売りにくいだけではなく、さらに来年のイチハツを飛ばすとすると、またまた種付けが6月末か7月に入ってしまいます。1回で止まれば良いのですが、止まらなければ来年はあきらめることになり、結局どこかの年では1年間空胎ですごさなければならないという綱渡り状態を続けることになります。遅生まれの産駒を抱え、さらにいつ空胎になるか分からないという二重苦ということです。

それでもあきらめにくかったのは、サトノクラウンの種付け料が来年にはアップし、人気種牡馬になることで種付けが難しくなることが予測できたからです。僕の手の届かないところに行ってしまう前に、何とか種付けをしておきたいという僕のエゴがここまで引っ張らせることになっているのです。

たまたまその夜、別件で上手獣医師と話をする機会があり、スパツィアーレのことを相談してみました。すると「子宮の状態が悪いので受胎しないのだから、そこを解決しないと根本的な問題は解消しませんよ」とズバッと指摘されました。出産を機に、子宮を痛めたり、子宮内に炎症を起こして状態が悪くなってしまう繁殖牝馬もいるらしく、子宮自体が回復しない限り、どれだけ排卵して種付けをしても受胎しませんとのこと。ここでピンと来たのは、スパツィアーレはイチハツ(1回目の発情)を飛ばさなかったことで、子宮が炎症を起こしたまま再び繁殖シーズンに突入してしまったのではないかということです。

慈さんが「スパツィアーレは貯留液が排出されずに膣内に残っていることがあるのですよね」と言っていたのも、おそらく子宮内の炎症から来るものでしょう。いくらお産が軽かったとはいえ、子宮内の状態までは分かりませんので、まずはイチハツを飛ばして子宮内のコンディションを整えてから次の種付けに向かうことがとても重要だと知りました。失敗をしながら、生産者はこうして少しずつ賢くなってゆくのです。

ここにきて排卵期間が遅れているのも自然なことだそうです。馬は12時間の日照時間を基準として発情シーズンが始まり、終わるため、7月に入ろうとしている今、日照時間が12時間を超えて昼が夜よりも長くなってきている時期に発情シーズンが終わろうとしているのは自然ですよと言われました。なるほど、真冬の時期は夜の方が昼よりも長いから発情が始まらず、夏が近づいてくるとその逆も然りということなのですね。だからサラブレッドの牝馬の発情期間は3月から6月ぐらいであり、ライトコントロールは光を当てて日照時間を狂わせることで早く発情を来させるという仕組みなのですね。スパツィアーレの身体はもう今年の繁殖は終わりと語っているのでした。この話を聞いたとき、次のサトノクラウンの種付けで最後にしようと心に決めました。

翌々日の朝、慈さんから電話がありました。ちょうど起きようと思っていたタイミングでしたので、眠そうな声で電話を取りました。「朝早くからすいません。PGを打ったことでスパツィアーレの卵は十分に大きくなってきましたが、サトノクラウンが種付けをできないと断れてしまいました」とのことです。タスティエーラが日本ダービーを勝った直後から、種付けの申し込みが殺到して、サトノクラウンが悲鳴を上げてしまっているとのこと。サトノクラウン自身は馬体の小さい馬ですから、大きな牝馬が種付けに来やすく、その相手をするためにはかなり立ち上がって、無理な姿勢で腰を振らなければなりません。そうした身体的な負担が大きいことやまた数をこなすことで精神的にも消耗してしまったのかもしれませんね。サトノクラウンが種付けできないのであれば仕方ありません。

「今年はあきらめます」と僕は慈さんに告げました。「ほんとうに良いのですか?」と聞かれましたが、「スパツィアーレは今年休ませて、来年は新たに仕切り直します」と答えました。生産者である慈さんは、僕よりも繁殖牝馬が1年間空胎でいることの経済的デメリットを知っていますので念押ししてくれるのですが、「慈さんだったらどうします?」と聞くと「僕だったら来年にします」と即答されましたので、それが正しい選択なのでしょう。「あきらめたらそこで試合終了ですよ」というスラムダンクの安西先生の言葉が浮かびつつも、僕はついに決めました。

「今年はあきらめます」

(次回へ続く→)

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