北の大地であっと驚く大外強襲劇 - 2006年函館スプリントS・ビーナスライン

ここ最近、人気薄の大外一気がなかなか見られなくなった。
実力差の大きい下級条件ならまだしも、重賞になると滅多にお目にかかれない。
馬場を維持する技術も飛躍的な進歩を遂げ、基本的には中団より前にいる馬たちによる優勝争いが多くなった印象を受ける。
馬の実力がよりストレートに結果に反映されるようになったと歓迎する向きもあるだろうが、胸のすくような逆転劇が観づらくなった寂しさもある。
ハンデ戦で人気薄の軽量馬が大外から飛んでくる……なんて予想して馬券を買ってみるのだがほぼ不発に終わる。

中団あたりから鋭い脚をつかって勝ち切る馬はいるが、4コーナーでほぼ最後方にいながらテレビ中継でいうと最後の最後に突然画面に現れるような馬をみてみたい。
そんなときに思い出すレースが2006年函館スプリントステークスだ。


勝ったのは単勝77.4倍、最低人気のビーナスライン。
彼女が駆け抜けた全36戦のなかでもっとも支持を得られなかったレースだ。

彼女のデビューは2003年秋の札幌芝1200M、5番人気で5着だった。
その後もなかなか勝ち上がることができず、ようやく未勝利を脱出したのは翌2004年、春のクラシックも終わった夏の函館であった。
母のホクトペンダント、祖母のホクトビーナスがともに新馬戦を単勝1倍台の圧倒的1番人気に応えて勝利したのとは対照的であった。
ちなみに、その母と祖母はともに桜花賞にも出走し、祖母は2着、母は5着と母娘2代で掲示板を確保。
そしてともに桜花賞で引退した。

ビーナスラインの2勝目はすぐにやってきた。
未勝利勝ちから2週間後、初勝利とおなじ函館芝1200Mの500万下条件戦であった。
しかしそこからまた1年ほど勝てない日々が続く。
札幌、東京、福島、中京、阪神、中山、東京と東西に奔走するも勝てず、ようやく3勝目を挙げたのは2005年の7月、これまた函館芝1200Mの500万下下北半島特別であった。
続くUHB杯こそ3着に敗れたものの札幌芝1200M、東京芝1400Mと1000万下を連勝し、得意の函館芝1200M以外でも勝てることを示した。
さあいよいよ本格化かと思われたものの1600万下クラスに上がってからはなかなか勝てず、馬券内に入ったり大きく負けたりを繰り返した。
そして1600万下フリーウェイSで10番人気11着と惨敗して迎えたのが2006年夏の函館スプリントSであった。

この年の主役は函館スプリントS3連覇を狙うシーイズトウショウ。
CBC賞を勝って勢いに乗っての参戦で、ファンも断トツの1番人気に支持した。
ビーナスラインは直近の戦績から誰がみても頭打ち感を感じていたなかでの格上挑戦。
いかに函館巧者といえどもさすがに厳しいだろうというのがファンの見立てで、出走馬13頭中13番人気も頷けるものがあった。


この日私は自宅のテレビでレースを観戦した。
横一線のきれいなスタートから素早く抜けたのは5枠の2頭、ギャラントアロー、タニノマティーニ。
3番手に外からプリサイスマシーン。そして、圧倒的1番人気のシーイズトウショウがその後ろにつけた。
内からフサイチホクトセイとシンボリグランが掛かり気味に前に出ていく。
外からからはマイネルアルビオンが抑えきれないといった感じで被せてくる。
シーイズトウショウはその2頭に内外から挟まれてやや後退。
直後にはキーンランドスワン、トールハンマー、ブルーショットガンが続いた。
ビーナスラインはその直後、後方3番手を進んだ。

3コーナー、早くも騎手たちが手綱をしごき始める。
各馬の動きが激しくなる。
4コーナー、先頭を進んだギャラントアローの手ごたえが怪しい。
2番手にいたタニノマティーニがほぼ持ったままでギャラントアローに並びかける。
直後にいたシンボリグランが内から、外からはプリサイスマシーンがタニノマティーニを追う。
直線半ば、満を持してタニノマティーニが1馬身抜け出す。追いかけるシンボリグランは脱落したギャラントアローが走っていた内に進路をとる。
プリサイスマシーンは外を選択した。
2頭で挟むような形でタニノマティーニを競り落としにかかる。
道中揉まれて位置取りを悪くしたシーイズトウショウは苦しい。
前が壁になり抜け出す場所を探している。
外からはキーンランドスワンがまくってくる。
いよいよ万事休すかと思われたが、目の前にいたプリサイスマシーンとキーンランドスワンの間にわずかに隙間ができた。
シーイズトウショウの池添謙一騎手はこの機を逃すまじとキーンランドスワンを弾き飛ばさんかの勢いでその空間に突っ込む。
グイっと伸びて内の馬たちを一気にかわす。
これでシーイズトウショウの3連覇を誰もが確信した。
そしてゴール直前、先頭集団をとらえていたカメラから、直線全体を映すカメラに切り替わる。

──なんだ!?

そこには、いるはずのない馬が映し出された。
オレンジ帽子のその馬は、いつの間にかシーイズトウショウを抜き去っている。
本当に“いつの間にか”だ。
カメラが切り替わる一瞬のうちに景色が変わっていた。
突っ込んできたのはビーナスラインと秋山真一郎騎手であった。

一体どこから飛んできたのか。
あとで見返してみると、後方を追走したビーナスラインは内に潜ることもできずに3コーナー過ぎから各馬が激しく動くのにつられて外々を回らされていた。
相当な距離ロスだ。
出走馬で最も長い距離を走っている。
直線向くころにはほぼ最後方。
先頭ははるか前。
常識的には短い直線の函館でここから勝つことはもちろん、馬券圏内も絶望的な位置。
しかしビーナスラインは伸びた。
上がり3ハロンは33秒9。
レースの上りが35秒0であったことを踏まえるとまさに1頭だけ次元の違う末脚を使ったことになる。
ちなみに、この時の5着までの馬の上り3Fはこうだ。
2着シーイズトウショウ:35秒0
3着ブルーショットガン:34秒6
4着タニノマティーニ :35秒6
5着シンボリグラン  :35秒3

単勝77.4倍、最低人気の馬による大外強襲劇。
自身初の重賞制覇であり、生涯唯一の重賞制覇、そして最後の勝ち鞍になった。
その後もビーナスラインは息長く走り続けた。
しかしなかなか勝つことはできず、翌年の函館スプリントSに出走したものの14着、次走札幌のキーンランドカップ7着を最後に引退した。
ともに桜花賞を最後にターフを去った母や祖母とは全く違う競走馬人生を送ったビーナスライン。
その競走馬人生のなかで最も輝いた瞬間であったように思う。

夏が近づいてくるとあんな胸のすくようなレースをまたみてみたいと思う。

Photo by I.Natsume

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