ダービー馬になる難しさ、そして古馬との対決…。エフフォーリアの現役時代を振り返る。

2023年2月14日。

2日前の京都記念で心房細動を発症し、競走を中止したエフフォーリアの引退が発表された。11戦6勝、GⅠは皐月賞、天皇賞(秋)、有馬記念の3勝。すべて3歳シーズンであげたものだった。その年の年度代表馬は我々に希望と競走馬の繊細で複雑な部分を教えてくれた。

エフフォーリアのデビューは20年夏の札幌。そこには北海道で競馬を待っていたファンの姿はなかった。エピファネイア2年目の産駒にあたるエフフォーリアは新馬戦で単勝1.4倍の1番人気に支持された。生涯のパートナーである横山武史騎手を背に好位4番手から直線入り口で先頭に並び、追うエスコバルを寄せつけず、初陣を飾った。

2走目はデビューから2カ月半後、秋の東京連続開催ふた開催目初週の百日草特別。まばらだったが、競馬場に観客が戻っていた。プラチナチケットの入場券を手に入れた人々はエフフォーリアの飛躍へのステップを目撃した。スタート直後に2コーナーへ進入する独特のコース形態を前にエフフォーリアは序盤、勢い込んで走る。間隔を十分とっていたが、はじめての競馬を経験した馬は競馬を知ったことで、前進気勢を強める。それは走るの特徴でもある。レース中盤で武史騎手の指示を受け入れて我慢できたエフフォーリアは上がり33.4の抜群の瞬発力を繰り出し、馬群を突き抜け、勝利。わずか200mで2着レインフロムヘヴンに1馬身1/4差をつけた。東京競馬場の直線でエフフォーリアの躍動する走りを目撃できた。それは貴重な経験だった。

大事な3歳シーズンの始動は2月共同通信杯。クラシックへ向けて賞金加算が必要だった。2歳GⅠ2着ステラヴェローチェ、日本ダービーで雌雄を決するシャフリヤールなどさらに強い馬たちを相手にしてもエフフォーリアは臆することがなかった。前走と同じく序盤は気負った走りを見せるも、早めに我慢し、好位で構える。淡々としたペースから後半800m11.9-11.5-10.8-11.5。エフフォーリアが先頭に立ち、後ろを引き離しにかかったのは残り400~200mの10.8だった。ライバルに性能の違いをまざまざと見せつけ、その力がクラシック級であることを証明した。

そして迎えたクラシック初戦皐月賞。共同通信杯から約2カ月でエフフォーリアは精神的に大きく成長した。好位の内目を追走し、ライバルたちが外から次々と仕掛けて前を目指すなか、武史騎手はコーナリングで差を詰めつつも、仕掛けることはなかった。「動かない勇気」これこそ若武者の末恐ろしさ。それに応じて悠然と直線まで待ったエフフォーリアも歴戦のつわもののごとく立ち振る舞いだった。やや重馬場を苦にしないパワーはこれまでの瞬発力に重厚さを加えた。2着タイトルホルダーに3馬身差。だれもが日本ダービーを確信した。

当然ながら日本ダービーは1番人気。その単勝オッズは1.7倍。武史騎手、鹿戸雄一調教師ともに2度目のダービー挑戦で1本かぶり。その緊張や想像を超えていたにちがいない。以前ほどではないが、観客という目撃者が戻ってきた東京競馬場のパドックの先頭をエフフォーリアは首を小気味よく振り、大きな完歩で歩いていた。馬に緊張感が伝わっていないかのようだった。そこに陣営の確かな仕事ぶりをみた。さらに武史騎手は日本ダービーでスタートから馬を促した。いわゆる出したのだ。極限のプレッシャーのなか、馬が行きたがる恐れよりポジションをとりにいった。大胆不敵な策は決して無茶ではなく、エフフォーリアなら折り合えるという自信の裏づけがあった。さらに皐月賞と同じく、サトノレイナスらが早めに動き出してもじっと仕掛けのタイミングを待った。後半1000m11.7-11.4-11.5-10.8-11.6。エフフォーリアは共同通信杯と同じ10.8で全開になった。いわゆる勝ちパターンというやつだ。確信を持った武史騎手の仕掛けだったが、エフフォーリアが外へ流れて行ったことと、空いたスペースを一直線に伸びたシャフリヤールがいたことが誤算だった。最後の最後でハナ差シャフリヤールに捕まり、2着に終わった。競馬は完璧だったが、結果がひとつ足りなかった。我々はダービー馬になる難しさを改めて思い知った。

夏を越したエフフォーリアの次の目標は天皇賞(秋)に決まった。今度の相手は年上の古馬。それも三冠馬コントレイルとマイル女王グランアレグリアが立ちはだかった。3番人気と三強対決はもっとも低い人気で迎えた。負けてもともとという気分とこの壁を越えてみせるという気概が交錯していた。挑戦者エフフォーリアと武史騎手は前にグランアレグリア、後ろにコントレイルというポジションを確保した。前後を挟まれる形は外野からみれば、苦しいように見えたが、ペースと馬場を考えれば、理想的だったようで、レース後、コントレイルの福永祐一騎手はエフフォーリアの位置が欲しかったとコメントを残した。相手との位置関係と勝つためのポジションは違うということを知った。前を行くグランアレグリアを目標に追い出されたエフフォーリアは残り200m標識で先頭に立ち、1馬身後ろから追いかけてきたコントレイルを完封した。世代を超え、頂点に返り咲いた瞬間だった。のちにグランアレグリアはマイルCSを、コントレイルはジャパンCを制し、引退した。この事実がエフフォーリアの強さを際立たせもした。

有馬記念はグランアレグリアと同じ時期に女王として君臨したクロノジェネシスが待ち構えていた。グランプリ3連勝中。スピードシンボリとグランスワンダーを超える史上初のグランプリ4連勝を引退レースでかける。

人気はエフフォーリアだった。天皇賞(秋)で負かした2頭のその後を考えれば、もはや最強は揺るぎなし。クロノジェネシスを破り、そのさらに先へ向かってほしい。ファンの願いもこめられていた。序盤はクロノジェネシスの真後ろを進み、2周目向正面で外から並びかけ、まるでその脚色を試すような素振りだった。もはやそれは王者の競馬だ。クロノジェネシスの残る力を見てとったエフフォーリアは3コーナーからじわりと引き離しにかかり、最後は外からねじ伏せ、先頭を目指した。食い下がるディープボンドも懸命に追いかけるクロノジェネシスもエフフォーリアの走りに屈するしかなかった。真の王者は舞台も相手も選ばない。エフフォーリアはそれを暮れの中山で示し、年度代表馬へ輝いた。

大阪杯9着、宝塚記念6着。翌年のエフフォーリアは突如走らなくなった。舞台も相手も選ばない無欠の王者がスランプに陥ったのだ。手応えなく、馬群に沈むエフフォーリアの姿はファンにとって衝撃だった。そして、陣営はブリンカーなどあらゆる手を尽くし、きっかけを模索した。

「こんなもんじゃない」

関係者もファンも思いは同じだった。だが、エフフォーリアはスランプの出口を見つけられなかった。よく牝馬は敏感で扱いが難しいと言われるが、実は古馬になり、刺激に鈍感になってしまう牡馬の再浮上はそれ以上とも言われる。一度、競馬で走るのはこのぐらいでいいと経験してしまった牡馬に全力を出させる難しさを我々はエフフォーリアを通して知った。わずかでも歯車が狂ってしまえば、牡馬も牝馬も同じだ。陣営の馬に力を出させたくても出してもらえない苦しさを我々は知っておかなければいけない。競走馬は生き物なのだ。決して叩けば走る道具ではない。まして早熟と評価するのは簡単だ。果たしてそれで終わっていいものか。何事も消費する速度や評価するタイミングが早すぎることを改めないことにはきっと競馬の深淵にはたどり着けない。

むしろ、有馬記念で以前の行きっぷりを取り戻しつつあった走りに私は感動した。エフフォーリアと陣営がもがき、苦しみながらも、かつていた高みに向かって戻ろうとしていたからだ。王者の誇りを捨てていなかったのだ。

そういった状況で迎えた京都記念だっただけに、心房細動発症はやり切れない。エフフォーリアの復活は防ぎようがないアクシデントに阻まれた。競馬の神様はなんとも無情だ。だが、それは「もう十分だ」というメッセージにも聞こえる。エフフォーリアには次の役目が待っている。エピファネイアの血を受け継ぐ種牡馬として第2の馬生で幸せをつかんでほしい。その幸せは競馬ファンの希望でもあるから。我々はエフフォーリアがいた時代を一緒に生きたことをいつか噛みしめるときが必ずくる。往年の名馬たちはみんなそんな幸せを感じさせてくれたから、それは間違いない。

写真:かぼす

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