我こそは“ふるつわもの”。関屋記念3戦2勝のタフガイ、ダイワテキサス。

古兵。ふるつわもの。
― 多くの戦を経験した老巧の武者。転じて、その道にかけて経験・年功を積んだもの。

響きがよい言葉ではないか。
同じ意味を持つ「古豪」という言葉がある。
個人的な主観ではあるが、「ふるつわもの」は「古豪」よりも不器用な感じがする。
そして「古豪」よりも何かしらこだわりを感じさせる。

ダイワテキサスにはこの「ふるつわもの」という言葉がよく似合う。

ダイワテキサスはGⅠ未勝利の身ながら総獲得賞金で6億円以上を稼いだ。
これはナイスネイチャ、バランスオブゲームに続く、GⅠ未勝利馬における獲得賞金の歴代3位となる見事な成績だ。
もちろん、その輝かしい成績の裏には厳しい戦いの道のりがあった。

生涯出走回数で比較してみるとナイスネイチャが41戦、バランスオブゲームは29戦、ダイワテキサスはなんと53戦も走っている。
通算成績は1着11回、2着9回、3着5回、着外28回。たくさん勝ったが、たくさん負けた。

ダート1000Mでデビューし、初勝利は芝1800M、古馬になってからは2400Mのジャパンカップや2500Mの有馬記念など様々な距離に対応し、京都、阪神、札幌、新潟、中京、中山、東京、福島と実に多くの競馬場でファンに走る姿を見せてくれた。
その背中には岡部幸雄、後藤浩輝、四位洋文、柴田善臣、大塚栄三郎、的場均、田中勝春、武豊、北村宏司、牧原由貴子、木幡初広、蛯名正義と錚々たる騎手が跨ってきた。
最近ではこんな馬、そうそう見かけないのではないだろうか。

重賞はGⅡを2勝、GⅢを3勝している。
そのGⅢ3勝のうち2勝は関屋記念でのものである。


ダイワテキサスのデビュー戦は1995年7月の札幌ダート1000M。
10頭立ての8着と振るわず、その後もなかなか勝てない日々が続いた。
デビューから10か月後、6戦目にようやく勝ち上がると続く500万下(現1勝クラス)のロベリア賞も連勝。そこからまた、次の勝利が遠かった。
翌1997年、5歳(現表記4歳)になったダイワテキサスはこの年の7戦目にしてようやく900万下(現2勝クラス)を勝利。
またしてもそこから8戦連続で負け、ようやく3勝目をあげたのは翌1998年6月の900万下だった。

しかし、ここからが凄かった。
続く、1600万下(現3勝クラス)の2戦を連続で勝って3連勝。そして破竹の勢いでGⅢ関屋記念を迎えることとなる。

ダイワテキサス、生涯3度走ることになる関屋記念のデビュー戦であった。

この頃の新潟競馬場は右回り、距離は1600M。
単勝1.9倍の1番人気に支持されたダイワテキサスはGⅡ毎日王冠馬のスガノオージ、3,4着馬にGⅢ馬、5着にはGⅠ3着馬を従えて見事な完勝劇を見せつけた。
走破時計は1分32秒7。
新潟マイルで93秒の壁を越えた衝撃的なレコード勝利であった。

この勢いは止まらず、続くGⅡオールカマーも1番人気の支持に応えて5連勝。

──さあ、この勢いでいざGⅠへ!

どんな距離でも走れそうなダイワテキサスの快進撃を目の当たりにしたファンは、タイキシャトルやサイレンススズカ、エルコンドルパサーやエアグルーヴらとの対決を心待ちにした。
しかし、競馬の神様のいたずらかダイワテキサスはここで脚部不安を発症。
秋は休養を余儀なくされ、勢いはここで途絶えた。

6歳(現表記5歳)の秋を棒に振ったダイワテキサスはおよそ半年後の1999年3月、中山記念で復帰。
キングヘイローの2着と健闘したものの、またも脚部不安を発症してしまう。
夏の札幌記念でターフに戻ってきたダイワテキサスは、オールカマーを経由して天皇賞・秋、マイルチャンピオンシップと初めてGⅠ戦線に挑んだものの、それぞれ9着、10着とGⅠの壁にあっさり跳ね返され、結局この年は1勝もできずに終えることとなった。


明けて2000年。ダイワテキサスは8歳(現表記7歳)。

同期の活躍馬たちの多くは既にターフを去っていた。ダービー馬フサイチコンコルド、2着のダンスインザダークはともに菊花賞を最後に4歳(現表記3歳)で引退、菊花賞には向かわずに天皇賞に挑戦して勝利したバブルガムフェローも翌年のジャパンカップ後に5歳(現表記4歳)で引退、ロイヤルタッチも同じタイミングで引退している。
牝馬ながら天皇賞を制したエアグルーヴは翌1998年の有馬記念を最後に6歳(現表記5歳)で引退した。

しかし、ダイワテキサスは現役を続けた。
しかもこの年は長期休養を挟むことなく金杯から有馬記念まで12戦もの重賞を走り切ることになる。

年明け2戦は中山金杯で4着、AJCCで5着。
さすがに衰えが見えてきたかと思いきや次の中山記念で5番人気ながら1着。
クリスザブレイヴが前半58秒0のハイペースで引っ張る流れを中団でじっくり待機し、大混戦となった直線でただ1頭、抜群の伸びを見せて差し切ったのである。
あの破竹の5連勝から実に1年4カ月ぶりの勝利。
再ブレイクを予感させたが、またしてもそこから低迷。

そして迎えたのが一昨年前に重賞初制覇を飾った関屋記念であった。
斤量はトップハンデの59キロ。
他の馬たちよりも3キロ以上重い負担重量だ。
直近で精彩を欠いていたこともあり、ダイワテキサスは3番人気に甘んじていた。しかし、かつての勝利を思いしたかのように持ち前の末脚を発揮して快勝。
この年の舞台は福島競馬場の1700Mだったものの関屋記念との相性の良さを見せつける格好となった。

さらに、続く新潟記念も連勝。
いよいよ万全の態勢で秋のGⅠ戦線、しかも天皇賞・秋-ジャパンカップ-有馬記念という古馬王道路線に挑むこととなる。

そこには世紀末覇王とも言うべきテイエムオペラオーがいた。
過去どんな名馬も果たせなかった天皇賞・春-宝塚記念-天皇賞・秋-ジャパンカップ-有馬記念の古馬チャンピオンロード完全制覇を成し遂げた馬。
オペラオーのライバル馬ナリタトップロードやメイショウドトウなど名だたる強豪たちに囲まれて8歳馬ダイワテキサスは懸命に走った。
天皇賞・秋こそ9着に惨敗したものの、ジャパンカップでは国内外のトップクラスの馬たちを相手に5着と健闘を見せたのである。

そして、何といってもファンの心を揺さぶったのは有馬記念。
4コーナー、大外を回ってナリタトップロードを悠然とかわし、残り200メートルの時点で堂々と先頭に躍り出たダイワテキサスにファンは度肝を抜かれた。
大金星かと思われたが、最後の最後にテイエムオペラオー、メイショウドトウの末脚に屈した。
13番人気3着。
競馬ファンに「ダイワテキサスここにあり」を示した価値ある1戦となった。

そして2001年、いよいよ9歳(現表記8歳)。
ダイワテキサスはまだまだ現役を諦めない。
激走の有馬記念からわずか1カ月足らず、有馬を一緒に走った馬たちの多くが休息をとっているころ、中山のターフにはダイワテキサスの姿があった。
そこからAJCC、中山記念、金鯱賞、宝塚記念と、勝てないながらも若い馬たちを相手にコンスタントに走る。

さすがに夏場は休暇を挟んで秋のGⅠ戦線へ向かうかと思いきや、ここでなんと3度目の関屋記念に出走してきたのだ。
既に重賞を5勝し、関屋記念は2回勝っているダイワテキサスにはなんと61キロの酷量が課された。

──関屋記念といえば俺だろうよ

陣営のこだわりなのか、もはや使命感すら感じさせる出走であった。
今の競馬ではなかなか見られない、負担重量61キロでの重賞参戦。
しかし、ダイワテキサスは走った。
エイシンプレストンやスティンガーなど後輩のGⅠ馬たちに胸を貸すかのように。

──まだまだ若いものには負けん!
ダイワテキサスがそう叫んでいるように見えた。
9頭立て6着に敗退したものの、走破時計は1分32秒5。
高速馬場になったとはいえ、3年前の自分のタイムを上回る走り。
老雄の懸命な走りにファンは惜しみない拍手を送った。

そして秋。
ダイワテキサスはオールカマー、毎日王冠とGⅡを2戦し、なんと前年と同じく天皇賞・秋-ジャパンカップ-有馬記念の秋の古馬王道路線を休むことなく走り切る。
最後のレースとなった有馬記念。
ただ1頭の9歳馬。
終始3~4番手で進んで存在感を見せたダイワテキサスだったが、最後は若い馬たちに次々と抜かされていく。

──俺の背中を越えて行け!

抜かれても抜かれても騎手の叱咤激励に必死に応えようともがきながら走る姿は、後輩たちに未来を託す、祈りにも似た走りだった。

その姿こそまさに“ふるつわもの”。
ダイワテキサスの不屈の走りは、今でも古いファンの心に刻まれている。

写真:かず

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