いざ、新時代へ。ジャパンCで3歳馬ながら覇王テイエムオペラオーを撃破した、ジャングルポケットの走りを振り返る。

一時代を築いた名馬も、いつかは現役を退き次代にバトンを渡す。ディープインパクトやオルフェーヴルのように盤石の強さを最後まで示して後進を鼓舞する馬もいれば、黄昏を迎えながらも後進に立ちはだかり、そして乗り越えられる馬もいる。

どこか寂しさを募らせるそれは、次のステップに進むための大切なプロセスであり、名馬の背中を追う者は、新たな時代を創るために果敢に挑む責務がある。世代交代のワンシーンは切なく、そして希望に満ちる。

新世紀を迎えた2001年。競馬界の中心にいたのはテイエムオペラオーだった。

前年に年間全勝を成し遂げて世紀末の覇王として君臨した彼は、その年の春、史上初の天皇賞三連覇を果たしその盤石さを示した。宝塚記念では自身を追いかけ続けた同期のメイショウドトウに後れを取ったものの、その能力に陰り無し。新世紀の主役として玉座に君臨し続けていた。

そんなテイエムオペラオーがシンボリルドルフをも超えんと挑んだ、前人未踏のG1タイトル8勝目。そのラストイヤーの挑戦に立ちはだかった若き挑戦者が本稿の主役、ダービー馬ジャングルポケットである。

ジャングルポケットを語る上で欠かせないのは、同年に生を受けた多士済々なライバルである。

1998年に国内で生を受けたサラブレットは約1万頭。その中にはアグネスタキオンが、マンハッタンカフェが、アグネスゴールドが、ダンツフレームが、メジロベイリーが、タガノテイオーがいた。海外からは、クロフネやエアエミネムが襲来。牝馬クラシックはテイエムオーシャン、レディパステル、ローズバドが覇を競い、古馬になってからはビリーヴ、タイムパラドックス、ツルマルボーイらが台頭した。

彼らがターフを去ってから20年近くが経った今も語り継がれる珠玉の世代である。

3歳(旧馬齢)の9月、札幌競馬場芝1800mでデビュー戦を迎えたジャングルポケットは5番人気の低評価を覆し、朝日杯3歳ステークスでワンツーを決めるメジロベイリーと悲運の名馬タガノテイオーを退けてデビュー勝ちを飾る。中2週で臨んだ札幌3歳ステークスではリベンジに燃えるタガノテイオーや後に阪神3歳牝馬ステークスを制するテイエムオーシャンを相手に重賞制覇。

後に牡牝の3歳チャンプとなる各馬を退け、ジャングルポケットは北の大地で高らかに名乗りを上げた。

ジャングルポケットを管理した渡辺栄厩舎と齊藤四方司オーナーのタッグは1995年、サンデーサイレンスの初年度産駒として頭角を現しながらも夢幻のごとくターフを去ったフジキセキと同じ。同じ勝負服を背負い、5年前の夢の続きを予感させる駿馬にファンは大きな期待を寄せた。

3戦目に選んだのは年末の仁川、ラジオたんぱ杯3歳ステークス。フジキセキの主戦を務めた角田晃一騎手を新たに鞍上に迎えたジャングルポケットの前に立ちはだかったのは、後世に名を残す2頭の名馬であった。

1頭はアグネスタキオン。ダービー馬アグネスフライトの全弟にあたる栗毛馬は、出世レースとして名高い阪神開幕週の新馬戦を上り33秒台の末脚で圧勝していた。

もう1頭はクロフネ。江戸幕府に開国を迫り明治維新への転換点となった米国艦隊の名を冠した芦毛馬は、外国産馬へのクラシック開放元年の象徴的存在としてスケールの大きな走りで注目を集めていた。

結果は、アグネスタキオンの圧勝。

ジャングルポケット自身もクロフネを上回る脚を見せ、4着以下は大きく突き放す非凡な走りを見せたが、2馬身前を駆け抜けた栗毛の雄の煌びやかな輝きはあまりにも眩しかった。

国際基準への統一による馬齢表記の見直しを受けた“明け3歳“。打倒アグネスタキオンを掲げる陣営は、始動戦にダービーと同舞台の共同通信杯を選択する。トニービン産駒が最も得意とする東京競馬場。他より重い56kgを背負いながらも単勝1.4倍の圧倒的支持を受けたジャングルポケットは、外に斜行しながら豪快な追い込んでプレジオ以下を圧倒。世代最上位の実力をまざまざと見せつけて、皐月賞へ弾みをつけた。


迎えた皐月賞。ジャングルポケットは闘志満々にパドックを周回する。盤石の強さで制したアグネスタキオンが単勝オッズ1.3倍、対するジャングルポケットは3.7倍。両雄の2度目の激突にファンの旨は高鳴る。ゲート入りを嫌うライバルを横目に、ジャングルポケットは気合十分にゲートに収まる。仕上げに抜かりなし。半年前の屈辱を晴らす舞台は整った。

──いざ!

ゲートが開いたその瞬間。ジャングルポケットの脚は地面を正しく掴むことが出来ず空を切った。僅かな綻びがあったのか、あるいはほんの少しの気負いがあったのか、その真相はわからない。大きく躓いた彼は大きく後方に置かれてしまう。

強心臓の角田騎手はそれでも諦めていなかった。序盤のロスを挽回すべく、向正面から進出を開始したジャングルポケットは馬群の大外を捲って先行各馬に襲い掛かる。「中山の短い直線で悠長に構えていては間に合わない。破格の身体能力は証明済み、勢いそのままに飲み込めば、逆転の目は有る」という人馬の声が聞こえるような驚異的な追い上げで、直線入口、アグネスタキオンを射程圏内に捉えた。

 だが、追い上げはそこまでだった。終始な安定したレース運びを見せたアグネスタキオンが河内騎手のゴーサインに応えて加速すると、アグネスタキオンに馬体を併せるだけの余力はもう残っていなかった。最後は内を通ったダンツフレームにも及ばず3着。皐月賞の栄光を手にすることは叶わなかった。


 「敗れはしたものの、序盤で背負った大きなビハインドを考えれば、真に強い競馬をしたのはジャングルポケット。広い東京コースで逆転の可能性は十分」

そんな思いを胸に日本ダービーに向けた調整が始まった5月2日。ジャングルポケット陣営の下に「アグネスタキオン、左前浅屈腱炎発症」という衝撃の一報が届く。そして僅か4日後、クロフネがクラシックディスタンスを見据えるかのようなゆったりしたレース運びでNHKマイルカップを制し日本ダービーへの出走権を獲得する。

アグネスタキオン離脱により空位となった頂点と新たなライバル。勢力図が一変し、打倒アグネスタキオンも叶わなくなる中で、日本ダービーは自らが最強であることを示すための、落とせない戦いとなった。

第68回の日本ダービーは曇天の重馬場での施行となった。

短距離戦線で頭角を現したテイエムサウスポーとキタサンチャンネルが持ち前のスピードを武器に外連味なく馬群を引っ張り、青葉賞を逃げ切った外国産馬ルゼルが3番手。前半1000m通過が58秒4というハイペースとなる中で、ピンクの帽子のジャングルポケットは後方10番手、クロフネの一つ前でじっくりとレースを運ぶ。3角でクロフネがボーンキングと連れ添ってジャングルポケットをじわりとポジションを上げてもまだ動かず、馬群のインでじっくりとレースの趨勢を見守る。落とせないレースを前に、角田騎手は騒がず動じず、極めて冷静にレースを組み立てる。

迎えた直線、僅かな馬群の切れ間を縫って一気に大外に持ち出すとそこからは独壇場であった。クロフネを並ぶ間もなく交わし去り、皐月賞では後塵を拝したダンツフレームを突き放し、馬場のど真ん中に開けたウイニングロードを悠々と駆け抜けた。

もし、このダービーにアグネスタキオンが参戦していたらどうなったか。その歴史のifに答えは勿論、無い。だが「例えアグネスタキオンが居たとしても」と思わせるだけのパフォーマンスで、彼は1998年に生を受けたサラブレッドの頂点に立った。


頂点を極めたのも束の間、追われる立場となった彼の前には次々と強力なライバルが立ちはだかる。夏、ジャングルポケットは酷暑の栗東を避けて涼しい札幌で始動し、そこから菊の大舞台を目指すローテを歩むことを発表する。3歳のトップホースが北の大地をステップに十分な間隔を取って秋に向かう姿は今でこそ珍しくはないが、当時、トライアルレースをスキップして本番に向かうローテーションは異例であった。

迎えた札幌記念。先を見据えた仕上げであったことを踏まえれば、3着に敗れたとはいえ八分の仕上げでも古馬相手に恰好をつけた内容そのものは決して悲観すべきものではなかった。ただ一点、同期の新興勢力であるエアエミネムに敗れ去ったことを除けば……。エアエミネムは続く神戸新聞杯でクロフネ、ダンツフレーム、アグネスゴールドといった春の実績馬をも一蹴し、新興勢力筆頭の地位を確立する。

小雨舞う京都競馬場、菊花賞。上がり馬が台頭する中でもファンはダービー馬を1番人気に支持した。だがダービーとは一転したスローペースの中で、ジャングルポケットは終始力みの目立つ走りで折り合いを欠き、流れに乗り切れない。道中で体力を消耗したジャングルポケットはそれでも懸命に脚を伸ばしたものの、大逃げを打ったマイネルデスポットを捉えられず、エアエミネムにも後れをとっての4着。戴冠したのは春は一介の条件馬に過ぎなかったマンハッタンカフェであった。ダービー馬の威信をかけて臨んだクラシック最終戦は不本意な形で幕を下ろした。

11月。捲土重来を期すジャングルポケットは、ダービーを制した思い出の地での頂上決戦であるジャパンカップに駒を進める。そこに立ちはだかったのが前年の覇者。テイエムオペラオーであった。宝塚記念でメイショウドトウに、京都大賞典でステイゴールドに、天皇賞秋でアグネスデジタルに先着を許し、前年までの絶対的な権勢には幾ばくかの陰りが見られたものの、展開の綾もあっての「負けて強し」の内容。良馬場の東京芝2400mは復権の舞台として申し分なかった。

ジャングルポケットは角田騎手からオリビエ・ペリエ騎手に鞍上をスイッチした。ダービーを制したパートナーから欧州の名手にスイッチしてでも、何としても獲りたいタイトル。近二走で傷ついたプライドを取り戻すには、もう負けは許されなかった。

イタリアと米国でG1を制したティンボロアが刻むゆったりとしたペースを5,6番手で進むテイエムオペラオー。テイエムオペラオーを射程圏に入れながら2馬身後ろを淡々と進むジャングルポケット。向正面で抑えきれなくなったトゥザヴィクトリーが先頭を奪うが2頭は泰然自若。悠然と構えたまま手応え十分に最後の直線を迎える。

直線入り口、トゥザヴィクトリーが脱落して米国のウィズアンティシペンションが先頭に立ったのも束の間。手応え十分に道中を運んだテイエムオペラオーが持ったままの手応えで先頭に並びかけ、あっさり交わす。彼と刃を交わし合ってきたメイショウドトウもステイゴールドも追いつけない。テイエムオペラオーと肩を並べて歩むものはなく、単走状態のままゴールを目指す。

そんな孤独なテイエムオペラオーに太刀を浴びせんと、ただ一頭、馬群からジャングルポケットが飛び出す。ダービーと同じように大外に持ち出した彼は、テイエムオペラオーにじわり、じわりとに詰め寄る。玉座を狙う若き勇者を前にもう一度奮起する絶対王者。なかなか差が詰まらない直線の攻防。息詰まる戦い。

ラスト50m、孤独な戦いで覇道を歩み続けた絶対王者の脚色が僅かに鈍る。最後の最後、若き勇者がクビだけ前に出たところがゴールであった。

赤く眩しく照らされた府中のターフ。

ジャングルポケットとオリビエペリエ騎手は誇らしげな表情を浮かべて新王者の誕生をアピールした。この日の夕焼けは、テイエムオペラオーにとって黄昏の、ジャングルポケットにとっては祝福の光のように思えた。

ハイレベルな世代の最前線を駆け抜けたジャングルポケットはチャンピオンディスタンスの2つのビッグタイトルを胸に、この年の年度代表馬の称号を獲得した。

ジャングルポケットがこじ開けた世代交代の風穴は、有馬記念をマンハッタンカフェが制したことで更に大きなうねりとなった。世紀末を彩ったテイエムオペラオーの時代は終焉を迎えた。

翌年、ジャングルポケットは脚部不安を発症し満足の行く走りを見せられなかった。予定していた海外遠征も叶わず、善戦するものの勝ち星は遠く、4戦0勝。ラストランとなった有馬記念で後輩のシンボリクリスエスにバトンを託す形でターフを去った。

ジャングルポケット自身が王者として君臨した期間は短かったかもしれない。だが、かつてはアグネスタキオンの背中を追いかけていた彼は、自らに課した困難に挑み、乗り越える中で、ダービーを制し、テイエムオペラオーを下し、最高の名誉を手にした。彼は大きな壁に挑んだ若き勇者、偉大な挑戦者であった。

21世紀初め。新時代をもたらした彼の蹄跡は今も私の心に確かに刻まれている。

写真:かず


テイエムオペラオーの世代にスポットライトをあてた新書『テイエムオペラオー伝説 世紀末覇王とライバルたち』が2022年10月26日に発売。

製品名テイエムオペラオー伝説 世紀末覇王とライバルたち
著者名著・編:小川隆行+ウマフリ
発売日2022年10月26日
価格定価:1,199円(本体1,090円)
ISBN978-4-06-529721-6
通巻番号236
判型新書
ページ数240ページ
シリーズ星海社新書
内容紹介

君はあの完璧なハナ差圧勝を見たか!

90年代後半に始まるサンデーサイレンス旋風。「サンデー産駒にあらずんば馬にあらず」と言っても過言ではない時代にサンデー産駒の強豪馬たちと堂々と戦いあった一頭の馬がいた。クラシック勝利は追加登録料を払って出走した皐月賞(1999年)のみだったが、古馬となった2000年に年間不敗8戦8勝、うちG15勝という空前絶後の記録を達成する。勝ち鞍には、いまだ史上2頭しか存在しない秋古馬三冠(天皇賞、ジャパンC、有馬記念)という快挙を含む。競馬ファンのあいだで「ハナ差圧勝」と賞賛された完璧な勝利を積み重ね、歴史が認める超一流の名馬となった。そのただ1頭の馬の名をテイエムオペラオーという。

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