元祖二刀流・ホクトベガ。勝利の方程式と出会った1994年札幌記念を振り返る
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競馬界の「二刀流」とは?

世間の「二刀流」といえば、誰もが認める大谷翔平ではないだろうか。では、誰もが認める逸材だが、競馬界の「二刀流」といえば誰だろうか。

競馬の世界では芝とダートのG1を制した馬が、それに該当するのではないか。JRAでのダートのG1レースといえば、フェブラリーステークスとチャンピオンズカップ(2013年までは、ジャパンカップダート)。このどちらかと芝のG1レースを勝った馬が「二刀流G1馬」と言っても良いように思う。1997年にフェブラリーステークスがG1に昇格して以降、この称号を得た馬が5頭(2023年8月現在)。2001年のクロフネ(NHKマイルC+ジャパンカップダート)を初代として、2020年のモズアスコットまでの計5頭となる。更に海外まで視点を広げていくと、2011年のヴィクトワールピサ(皐月賞+ドバイワールドカップ)、海外で二刀流を達成したパンサラッサ(ドバイターフ+サウジカップ)も加わる。

JRAのレース体系にダートのG1レースが初めて組まれたのが1997年のフェブラリーステークス(G2より昇格)。ようやくダートで活躍する馬も、存在価値を認められるようになってきた頃である。一足早くJRAとの交流が開始された南関東の帝王賞や東京大賞典で注目され、「強いダートの名馬」がメディアにも登場するようになる。

──この頃、「ダートの女王」として君臨していた牝馬がいた。

彼女は、始まったばかりの地方交流重賞を7連勝するなどダート界で無敵の強さを発揮し、1997年のドバイワールドカップで故障発生。中東の地で、その生涯を閉じた。

彼女の名はホクトベガ。

1990年に生まれ、42戦16勝の戦績を残すした名牝だ。

ホクトベガといえば、90年代のダートの名馬としての認知率が高いと思う。しかし、彼女が芝のG1レースを制覇した馬(1993年エリザベス女王杯)であったことは、ダートでのレースインパクトが強すぎて意外に思うかも知れない。ホクトベガが現役のころ、JRAにダートのG1は無かった(1996年にフェブラリーステークスを制覇しているもののG2最後の年)。しかし南関東の交流重賞で、帝王賞、川崎記念(2回)とG1級レースを制覇している彼女こそ、「元祖二刀流G1馬」ではなかろうか。

ホクトベガの芝のG1制覇

ホクトベガは4歳(現3歳)1月のダート新馬戦で、9馬身ちぎってのデビュー勝ち。その後、3戦目のダートの特別戦カトレア賞でも3馬身差をつけて優勝する。そして、当時4歳ダート路線が整備されていなかったこともあり、芝のレースへ矛先を転じた。

芝への転向初戦に選んだのはG3のフラワーカップ。ダート2戦での勝ち方が鮮やかだったこともあり2番人気に支持されたホクトベガは、好位から直線抜け出すと1/2馬身の差をつけて優勝。クラッシック最終便に乗ることができた。桜花賞・オークスは武豊騎手・ベガの強さの引き立て役となるような形で5着、6着に沈む。それでも、芝でも目途が立ったホクトベガは秋も牝馬三冠レースを目指すローテーションを歩んだ。クイーンS・ローズSのトライアル2戦を2着、3着でまとめ、最後の一冠エリザベス女王杯で、二冠馬ベガの三冠阻止にチャレンジする。秋の上り馬スターバレリーナを筆頭に、春のクラッシック連続2着のユキノビジン。更に重賞制覇後駒を進めるノースフライト、アルファキュートなどが揃い、ホクトベガは9番人気での出走となった。

レースはケイウーマンが隊列を引っ張る中、道中は中段を行くベガを徹底マークし、内でじっくり進めるホクトベガ。4コーナーを回って各馬が一団になる中、外を選んだベガに対して最内の進路を選ぶ。直線で伸びあぐねるベガに対し、内からノースフライトがゴール手前で先頭に立つ。そのさらに内のコースを選んだホクトベガが、最後にノースフライトをつかまえ先頭でゴールイン。

「ベガはベガでもホクトベガ!」

鮮やかなG1制覇だった。

芝のベストレースとなった札幌記念

G1馬となったホクトベガは、芝を中心にローテーションが組まれる。重賞昇格したダートの平安ステークスで10着敗退(2番人気)後は、芝の中山牝馬S、京王杯スプリングCで入着を重ねるも勝ち切れず。ホクトベガは安田記念、宝塚記念のG1レースを避け、早めに北海道シリーズへ舞台を移した。初戦の札幌日経オープンは8歳馬のホワイトストーン以外骨っぽいメンバーが出走せず、2.3倍の1番人気に応えて優勝。そして、万全を期して札幌記念に向かう。

 当時の北海道シリーズは札幌が前半、函館が後半の番組構成。札幌記念は毎年、7月の前半に実施されていた。

ホクトベガの芝の出走レース全27戦で、会心のレースが札幌記念だと、私は思っている。

1994年7月3日。晴れの良馬場、13頭立てで実施された札幌記念は、唯一のG1馬ホクトベガが圧倒的な1番人気に推される。メンバー的には札幌日経オープンの再戦とも言うべき構成。課題と言えばハンデ戦で、ホワイトストーンの57.5キロ、ゴールデンアイの57キロに次ぐ、56キロを背負うことになったことぐらいだった。

 レースは、好スタートを切ったホワイトストーンにケイワンが絡む先行争いで幕を開けた。ホクトベガはゆっくりと4番手の外側の位置につき、1周目のゴール板を通過する。1コーナーを回ってケイワンが誘導する中、ほぼ一団で向正面にさしかかる。ごった返した中段馬群の外を余裕で追走するホクトベガ。3番手まで上がって行くとホワイトストーン、スーパープレイが反応する。後方待機のメイショウレグナムが虎視眈々と上位を伺う。

 3コーナーを回り残り600m地点。ケイワンのピッチが上がり、エーピーグランプリが追う。その後ろにつけたホクトベガが余裕をもってついて行く。クリフ、スーパープレイは離されまいと必死で追いかけている様子。4コーナーを回りホワイトストーンがポジションを上げ、スーパーシンザンも大外から追い上げを見せる。直線に入ると、満を持してホクトベガが動き出す。前を行く2頭を瞬く間に交わし、先頭に立つ。エーピーグランプリが粘りを見せるも、ホクトベガから離される一方。堂々の横綱相撲で先頭を行くホクトベガに、溜めていた末脚を繰り出してメイショウレグナムが迫ってきたが、既にホクトベガはゴール板を通過していた。

走破タイムは、2分00秒9。

全く危なげの無いレース運びで、札幌記念を制覇した。

 後にダート重賞で余裕のぶっちぎりを繰り返すこととなる、ホクトベガの「レースパターンの原点」ともいえるレースが札幌記念だった。

 そして、札幌記念は芝コースでの最後の勝利となり、二刀流としての新ステージへとホクトベガは進んでいくことになる。

「ダート女王・ホクトベガ」の誕生

 6歳(現5歳)になったホクトベガは、引き続き芝の重賞を転戦していたが、惜しい2着3着の連続。久々のG1挑戦となった安田記念は、3番人気に支持され後方から追い込むも、ハートレイクの5着に敗れてしまう。

 転機となったのは、安田記念後に選んだ交流重賞の川崎・エンプレス杯。地方交流元年となった最初の交流重賞、新たな可能性を求めてJRAから唯一の出走となった7頭立てのレース。地方のメンバーは、前年の覇者ケーエフネプチュン、大井のアクアライデンなど南関東のAクラスの牝馬たち。ホクトベガは芝のG1馬ではあるものの、ダートでの戦績はデビュー時の2勝のみ。どこまで通用するのか、期待と不安が交差する中、単勝1.8倍の支持を受けてレースに臨んだ。

 雨が降りしきる夜の川崎競馬場。ダートコースには水がしっかり浮き出て、ナイターの照明で光っている。波乱の予感が漂うスタート前。しかし、その心配は全くの無用だったということが、ゲートが開くと同時に証明された。ゆっくりとしたスタートから、鞍上の横山典弘騎手はケーエフネプチュンをマークする形で先行する。2周目に入る向正面では2頭のマッチレースとなり、後続をどんどん引き離して進む。並んでいたケーエフネプチュンが3コーナーで脚色が鈍ると、そこからホクトベガの独壇場。4コーナーで後続を6馬身以上離して直線に入る。終始馬なりのまま更に差を広げて、傘が開いたスタンド前を駆け抜けていく。2着との差が3.6秒、ダート2000mを18馬身差での勝利を飾った。

 芝のG1馬は、ダートという新たなステージを手に入れた。そして、不動のダート女王として君臨することとなる。

 エンプレス杯優勝後も芝のレースを中心に出走していたが、7歳(現6歳)になったホクトベガは完全にダートにシフトする。川崎記念の5馬身差勝利を皮切りに、フェブラリーステークスも含めて、ダート重賞7連勝。芝のG1レースを2走(エリザベス女王杯、有馬記念)挟み、浦和記念、川崎記念にも勝利してダート重賞9連勝、国内でのダート戦では敵無し、「ニッポンのダート女王」に君臨した。

 そして引退も囁かれた8歳、10連勝を懸けた引退レースにダート女王が選んだレースは、JRA最初のダートG1フェブラリーステークスでは無く、世界の頂点ドバイワールドカップだった。

 ニッポンのダート女王から、世界のダート女王へ、ホクトベガが選んだ道。

そして、1997年4月3日。UAEメイダン競馬場の4コーナーで、あの悲劇は起こった……。


 芝のG1馬であり、国内のダート重賞を席巻したホクトベガ。彼女の没後、中央競馬でのダートのレース体系も確立し、更に2024年からは中央・地方を統一するダート名馬誕生の環境も整備される。ダートのレース体系充実に伴い、芝のG1馬がダートの頂点を目指し6頭目以降の「二刀流G1馬」も続々と登場するだろう。同時に新レース体系からダートを極めた名馬が芝に挑戦し、芝のG1も制覇する「新・二刀流G1馬」も生まれるかも知れない。

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Photo by I.Natsume

 そして、二刀流G1馬が誕生したら、そのルーツとなるホクトベガを思い出してほしい。G1を制覇し、古馬になっても芝の重賞レースに勝ちながら、交流重賞元年に新たなステージにチャレンジした名馬。彼女が進んだ道こそ、競馬界の二刀流を生み出す原点になっているのだから。

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