夏を感じる風物詩。
きっとそれは花火であったり西瓜であったり、人によってそれぞれだろう。
かくいう私は、北海道で競馬が開催される季節になると「ああ夏が来た」と感じる。
そんな北海道開催の名物重賞のひとつ、クイーンS。
中山競馬場時代から数多の名馬が参戦し、またここから飛躍する馬達も数多い牝馬限定戦だ。
……ところが意外にも連覇したのは、過去には2頭だけ(2021年現在)。そのうち札幌競馬場の改修と重なり、函館と札幌で行われたこのレースを連覇したのは、ただ1頭である。
そんな記録を達成したのは、アイムユアーズ。
日本と欧州の結晶が集った血筋の良血馬だ。
天才少女と、二強。
彼女の血筋は、競馬ファンならば誰もが知るような日本の牝系、ダイナカールまで遡る。
3番子としてエアグルーヴを産み、彼女の血がアドマイヤグルーヴやルーラーシップ、ドゥラメンテなどによって脈々と受け継がれているのはあまりにも有名な話だが、そのエアグルーヴのひとつ上の姉として産まれたセシルカットこそ、アイムユアーズの祖母である。
競走馬時代は条件馬にとどまったが、5番子エルコンドルパサーとの間にセシルブルースを産み落とし、希少なエルコンドルパサーの血を紡ぐ繁殖牝馬として繁殖入り。
そして2009年1月。ノーザンファームで産声を上げた栗毛の牝馬がアイムユアーズだ。
日本の牝系の頂点に君臨する血筋にエルコンドルパサー、加えて父に愛国の刺客としてジャパンカップを制したファルブラヴといった欧州型の血を持つ彼女は、セレクトセールで1732万円にて取引されると美浦の手塚厩舎に入厩、夏の函館でデビューを遂げる。
デビュー戦3着の後2戦目で勝利を挙げ、続く函館2歳Sでも出遅れながら先団から抜け出したファインチョイスの2着にまで食い込んだ。さらに距離が1ハロン伸びた次走・ファンタジーSでは、若干の距離不安が嫌われたか8番人気と評価を落とすが、4角で外目を回してスパートすると残り100mで一気に加速。外から一気に前を行く各馬を差し切り、鮮やかに重賞初制覇を成し遂げた。
鞍上のイオリッツ・メンディザバル騎手にJRA来日初勝利を贈るとともに、関東馬初のファンタジーS制覇というおまけつきの勝利だったのだが……2歳シーズンの大目標・阪神ジュベナイルフィリーズでは前哨戦を勝ちながらも8番人気に甘んじる。
しかし出遅れながらも先団にすぐ盛り返し、直線もエピセアロームとサウンドオブハートの間、やや狭くなりながらも低評価にあらがうかのように懸命に伸び、抜け出そうとした。
──その刹那。
さらに外で、1勝馬とは思えぬ末脚で馬群をひとのみにした乙女がいた。
G1を6勝した名牝ブエナビスタの妹ジョワドヴィーヴルが、偉大な姉の背中を追うかのように突き抜けたのだ。アイムユアーズは仁川の直線で、圧倒的な力の違いを見せつけられるかのように敗戦を喫した。
着順こそ2着だったが、そのレース内容には大きな差があった。
この時点で翌年の牝馬クラシックに「1強ムード」が漂い始めるほどの勝ち方だったのである。
ところがその3か月後、チューリップ賞でまさかの敗戦を喫した女王ジョワドヴィーヴル。それに追随することなく、アイムユアーズはきっちりとフィリーズレビューを制覇する。虎視眈々と伺っていた女王の座を奪うべく、1冠目桜花賞へ無事駒を進めることとなった。
そしてアイムユアーズは、確かにジョワドヴィーヴルに先着した。
しかしその0.2秒先に、この年のクラシックを牽引する2頭がいた。
──ジェンティルドンナとヴィルシーナ。
「名ライバル」として語り継がれるこの2頭の後塵を拝し、3着。
続くオークス。もう彼女たちに迫ることもできず、さらにはアイスフォーリスにも差され4着。このままでは、勝てない。2頭が休養する夏、進化を求めてアイムユアーズは北海道へ。
ここまで2年連続3歳牝馬が勝利し、秋以降の飛躍を成し遂げているクイーンSへの出走を決めた。
飛躍、再戦……そして洗礼。
札幌の夏らしく澄み切った空の下、秋の飛躍を誓う14頭の牝馬が集う。
G1馬や牝馬戦線の一線級が揃う中、アイムユアーズは鞍上に池添謙一騎手を迎え、堂々の1番人気に推されていた。
2年連続3歳牝馬が制し、前年の覇者アヴェンチュラがその後秋華賞を制していたことからも「3歳牝馬が強い」という印象がファンの記憶に新しかったとはいえ、既に重賞2勝、G1入着は3回という実績によるものだろう。
この時点で「世代3番手」の評価を下されていた彼女にとって、遠く前を行く2頭の背中を追う意味でも試金石どころか、たとえ歴戦の古馬を交えた戦いだとしても必勝態勢だったのは間違いないだろう。
出遅れることもなくスタートを無事に決めると、先手を主張したレジェンドブルーとナムラボルテージを行かせつつ先団へ取り付く。挟まれることもなくノンストレスで道中を走ると、楽な手応えで4角を回り、池添騎手が合図を送ると前の3頭を一瞬で交わし去りそのまま抜け出していった。
そのリードが1馬身、1馬身半と広がる。
後ろから同世代の牝馬、オークスでも1番人気に推されていたミッドサマーフェアが追い込んでくるが、並ばせない。最後の最後、後方からラブフールが古馬の意地を見せんとばかりに猛追してきたが、僅かにクビ差凌いで重賞3勝目をあげた。
「ジェンティルドンナ、ヴィルシーナよ、待っていろ!」と言わんばかりのその粘り腰は、淀の舞台で春のリベンジを誓うには充分すぎるパフォマーンスだった。
そして迎えた3冠最終戦。鞍上は引き続き池添騎手。
1、2番人気こそジェンティルドンナとヴィルシーナに譲ったといえ、それに続く11.8倍の3番人気。
4番人気のハワイアンウインドが24.9倍と大きく離れたオッズだったことからも、2強に一矢報いるならこの日しかないという期待は確かにあったはずだ。
しかし結果は6着。
チェリーメドゥーサが向こう正面で一気に捲って大逃げを演出し、あわや残ろうかという残り1ハロンで急加速した2強がゴール板まで繰り広げた鍔迫り合いに加わることはできず、その後ろの6着で牝馬3冠達成の熱演を見つめることしかできなかった。
その後、2着ヴィルシーナが次走エリザベス女王杯で4度目の2着、翌年のヴィクトリアマイルで悲願のG1制覇を成し遂げ、史上4頭目の3冠牝馬に輝いたジェンティルドンナがジャパンカップで現役最強馬オルフェーヴルを下し順調に現役牝馬最強の2頭として名を上げていく中、世代3番手評価だったはずのアイムユアーズは秋華賞以後一度も掲示板に乗ることができていなかった。
転戦したマイルCSは牡馬も交えたG1では分が悪かったか10着と敗れ、年が明けた阪神牝馬Sも好位からいつもの伸びがなくまたも10着。ヴィクトリアマイルではヴィルシーナを差し置いて逃げたものの坂の途中で捕まり、8着。
──とはいえ勝ったヴィルシーナとの着差は僅か0.4秒。
まだまだ一線級でやれる実力はあるはず……。
再度の奮起、そしてもう一度女王2頭に堂々挑むため、彼女はもう一度北海道へと飛ぶ。
ヴィクトリアマイル後前年同様、クイーンSへ出走することが発表された。
北海道女王、誕生。
2013年のこの年は、札幌競馬場のスタンド改修の為札幌の開催日程が全て函館に振り替えられていた特殊日程。その影響もあってか、クイーンSの頭数は8頭とかなりの小頭数だった。
近走不振とはいえ北海道シリーズでの成績は【2.1.1.0】と馬券圏内を外していないことが買われてか、アイムユアーズは前年に引き続き1番人気に推されていた。
だが、2.7倍とはいえ2年前の桜花賞馬2番人気マルセリーナが3.2倍、続く3番人気のオールザットジャズが3.8倍と拮抗していたように、昨年ほどの支持を集めていたわけではなかった。
それでも、前走から引き続き手綱を取った戸崎圭太騎手が「去年買っていたので自信を持って乗れた」と語っていたというように、陣営の自信は昨年の比ではなかったのかもしれない。
それこそ、G1馬が相手だろうと。
前の年と打って変わって雲が覆い込む北海道の空の下、ゲートが開く。
揃ったスタートから出たなりにハナを叩こうとしたアイムユアーズに、内から四位洋文騎手とクィーンズバーンが並びかける。その動きに、戸崎騎手は無理することなくクィーンズバーンを先に行かせ、そのまま自身のパートナーを2番手の絶好位へ誘導していく。その後ろにオールザットジャズと内田博幸騎手がつけ、2番人気の川田将雅騎手とマルセリーナは、いつものように末脚を活かす後方からの競馬を取った。
2角に入るところで態勢はおおよそ整う。
前の2頭が後続を離し始めてる中、アイムユアーズは行きたがるそぶりも見せず、ぴったりと呼吸が合っているように見えていた。
向こう正面で3番手以下とはそれなりの差が開き、スタートからのラップタイムは12.6 - 11.5 - 11.6 - 12.1。前半のラップが影響してか、案の定4角で先頭を行くクィーンズバーンの脚色は鈍った。ところが、同じようなペースでレースを駆けてきたはずのアイムユアーズは、抑えきれない手応えで外目から上がっていく。
日本一短い函館の直線に向くと同時に先頭に立ったアイムユアーズは、馬場の真ん中からその脚を伸ばし、抜け出した。
先団から後退していったクィーンズバーンとコスモネモシンに代わって真ん中から直後につけていたオールザットジャズ、最内から後方にいたマルセリーナ、そして大外から最後の一瞬に賭けた最低人気のスピードリッパーが怒涛の追い込みを見せるが、まっすぐに、しっかりとした脚取りで伸びた栗毛の馬体は、昨年同様止まることを知らなかった。
最後の最後、スピードリッパーただ1頭だけが2番手集団から更に追い込んで突っ込んできたものの、交わすまでには至らず、そのままアイムユアーズは鮮やかに連覇達成のゴール板を駆け抜けた。競馬場を跨いでの連覇は、勿論レース史上初である。
この勝利で復調を遂げた──そんな予感もあったのだろう。そのまま3週間後の札幌記念に出走すると、逃げたトウケイヘイローの2番手を追走し、直線もそのまま4着に粘りこんだ。
降りしきる雨で馬場状態が悪化していたとはいえ、下した相手に皐月賞馬ロゴタイプ、天皇賞馬トーセンジョーダンら多くの実績馬を抑え込んだその走りに、秋以降の活躍も大いに期待されるような成績を上げたのは間違いなかった。
今度こそ、夢見たG1に手が届くかもしれない。
今度こそ、あの2頭を倒す時が来るかもしれない。
しかし、現実はあまりに無情だった。
この負担の大きいレースが影響したか、この年は全休。
翌年阪神牝馬Sでの復帰を目指していたものの、突然の現役引退発表。結局札幌記念以降、彼女がターフに舞い戻ることは無く、その牝系を継ぐものとして繫殖入りすることが発表された。
彼女たちの戦いは、終わらない。
一言で表現するならば、彼女はライバルに恵まれていた。寧ろ、恵まれすぎていたのではないのだろうか。
2歳女王の座まであと一歩としながら天才少女に儚くも打ち砕かれ、3歳時には二強が立ちはだかる。
常に前を行く2頭の激闘に一矢報いる期待が集められたものの、結局彼女達には敵うことがないまま、その道を分かつこととなってしまった。
そしてアイムユアーズの引退後、ヴィルシーナはヴィクトリアマイル連覇、ジェンティルドンナはG17勝の大活躍を遂げる大活躍。遂に彼女達と再戦することはかなわなかったが、アイムユアーズには繫殖牝馬としての大仕事が残っている。
それはこの貴重な牝系、そして血をしっかりと紡いでいくこと。
2021年現在、クラシックトライアルである青葉賞に駒を進めたスワーヴエルメ等を筆頭に活躍馬を輩出。今後の活躍が期待される馬も多数いる。そして、ヴィルシーナも2020年の新潟記念を勝利したブラヴァス、ジェンティルドンナも秋のクラシックを見据えて条件戦を勝ちあがったジェラルディーナ(2021年8月現在)等、彼女たちの産駒が重賞戦線で鎬を削り、母の夢の続きを子供たちが叶えてくれる──そんなことが起きるのも、遠い話ではなさそうだ。
「……第○○回桜花賞。今年の3強は、それぞれ母がクラシックで鎬を削った同世代、ジェンティルドンナ、ヴィルシーナ、アイムユアーズの娘たちです!!」
いつの日か、こんな実況を聞いてみたいものである。